04話:記憶の壁

 この音楽プレイヤーは僕の大切なものだと、案内人さんは口にした。
 手渡されたそれ、きっと数えようとも思えないくらいには見てきたのであろう音楽プレイヤーをまじまじと見つめ、まだ完全ではない記憶の中を辿る。確かに夢の中の僕は屋上で曲を聴いていたようだけれど、これがそんなに大切なモノだったのかというのはまだ不確定だ。
 ここに持ってきてしまう程に大切だったものの記憶さえも、僕は何も覚えていないというのだろうか? それは少し、薄情が過ぎるというものだ。

「……他には?」
「え?」
「いや何となくですけど、そのぷれいやーってやつの他にも、聞きたいことがあってここに来たんじゃないのかなぁって思ったんですけど」

 その言葉の意味がよく分からず、僕は首を傾げる。案内所さんに聞きたいことなんてあっただろうか? 一番聞きたかったのは音楽プレイヤーのことだけで、他には特になにも考えていなかったというのが本音なのだけれど、案内人さんにそう言われてしまうとまだ何かあったんじゃなかっただろうかという気持ちに晒される。そう考えると、確かに金輪際聞くことがなんにもないということではないような、そんな気がした。

「……さっき、橋下 香さんって人に会ったんですけど」

 気付けば、そんな言葉が口から漏れていた。

「あー……確か知り合いでしたよね? 会ってみてどうでした?」

 案内人さんの質問に、僕は考えあぐねてしまった。感想というほどのものは余り持ち合わせていなかったのだ。しいて言うのであれば、少し騒がしくかと言って煩わしいというほどでもない。僕は大して喋っているわけでもないのに、話が勝ってい進んでいく辺りがなんというか……。

「掴みどころがなくて、不思議な人ってところですか?」

 最終的に僕が思ったことを言い当てられてしまい、驚きながらも頷いてしまった。人の気持ちが分かるという訳ではないのだろうけど、それくらい的確だったのだ。

「まあ確かに、一見そういう感じですよね。一見っていうか、素もそこまでの差異はなさそうですけど。その人がどうかしました?」
「どうというか、変な夢を見たというか……」
「ふうん?」

 少し不思議そうに頷きながらも、どういうわけか少し嬉しそうにしているような、そんな風に見えた。
 そこからの時間は、僕が夢で見たことをそのまま案内人さんに伝える時間となった。うまく話せているかはともかく、いま自分の中にある言葉で精一杯口を開き、伝える努力をした。それをまるで何処かで体験したかのように話せたのは、全部夢を通して見た実際に起きたことであるからという裏付けのような気もしたが、そんなことを考える余裕はない。
 どれくらいの時間をかけてその話をしたのかは分からないけど、案内人さんは相槌を打つだけで、話し終わるその瞬間までとにかく僕の話に耳を傾けていた。

「……つまり相谷さんが一番気になっているのは、その夢が本当に現実で起きたことなのかということですかね?」
「う、うん……」

 ちゃんと伝わった自信はなかったけど、どうやらその心配はなかったようだ。

「うーん……困ったなあ」

 続けて「思ったより……」と言葉を濁し、案内人さんは急に考え込んでしまう。何か困らせるようなことを話した自覚はなかったのだが、やっぱり伝わりきれてない部分があったのだろうか? そう思うと急に不安に駆られていくが、案内人さんが次に発した言葉は、僕の想像していたものとは程遠かった。

「それ、私の口からよりも橋下さんに聞いた方がいいと思うんですけどねぇ」

 その言葉は、確かにその通りだった。「何かあったらいつでも来てね」と言ってくれたキョウさんのところに言って聞けば、それで済む話なのかも知れない。
 でもそれよりも、案内人さんは全ての事柄を知っているかのような言いぶりだったのが、気になってしまった。

「案内人さんは、ここに来る前の僕のこと知ってるんですか……?」
「うーん、そういう訳でもないんですけど。ただまあ、今の相谷さんよりは知ってる自信はありますね」
「……前に会ったことあるっていうことじゃないんですよね?」
「そうですね。今の相谷さんにはないハズですよ」
「今の……?」
「あーそうだ。話題に上がらなかったので聞きたいんですけど、神崎 拓真(かんざき たくま)って人とは夢の中で会いました?」
「神崎……?」

 何かをはぐらかされたようなそんな気がするが、突然現れた神崎 拓真という名前が妙にハッキリと僕の耳に入ってきたせいで、完全に意識がそこだけに向けられる。と言っても、聞き覚えがあるようなそうでもないようなという曖昧な感覚でしかないが、この気持ちは橋下さんとここで最初に出会ったときのものとかなり似通っている。今の僕には、その人の記憶が全くと言っていいほど存在していないのに、何か知っているような感覚。それが、僕を酷く不安にさせた。

「……その感じだと、まだみたいですね」
「うん……」
「一応知り合いのはずですし、会いにでも行きます? 多分、書庫室にいると思いますけど」
「え……ここにいるんですか?」
「いますよ。まあ、部屋にはいないでしょうけど」

 その神崎って人がここに来ている? それが不思議で、明らかにおかしくて、ありえないことだというのはすぐに分かる。でも、どうしてそれが分かるのかという部分に関してはよく分からなくて、何とも矛盾していた。唯一確実な疑問が僕の中にあるとするなら、その人に会ったところで一体どうするのだろう? そんな思いだけだ。

「あの……」
「なんでしょう?」
「その、会ってもどうすればいいのか……」
「大丈夫ですよ。だって、橋下さんとは会ったじゃないですか」
「そ、それはキョウさんが勝手に入ってきたから……」

 難色を示す僕を見ても、案内人さんは素知らぬ顔で次の案を提案する。

「あー、じゃあこうしましょう。私たちは、今から本を読むために書庫室に行きます」
「うん……」
「書庫室の扉を開けたら、そこには偶然神崎さんがいた。……これでどうでしょう? まあ、無理にとは言いませんけどね」

 正直なところ、余り行きたくはない。だけど、行かないという選択肢を選んでしまって本当にいいのだろうか? そんなことを思ってしまうということは、やっぱり僕とその神崎さんという人は、あったことがあるのかも知れない。そうだとするなら、僕の取らなければならない行動というのは自ずと決まってくるというものだ。

「……案内人さんも、一緒に来てくれるんですか?」
「まあ、言い出したのは私ですから。それに、何かあって支配人に怒られるのも嫌ですし」

 どうやら案内人さんの行動理由は、単に支配人さんに怒られるのが嫌だからという部分が大きいらしい。でも、それでもひとりで行くよりは全然ましだ。
 意を決してはみたものの、やっぱり僕の中にある不安というのはそう簡単に尽きるものなんかではなかった。

「……怖い人だったらどうしよう」
「はは、ああいう人は雰囲気だけですから。大丈夫ですよ」
「雰囲気……」

 つまりは、少なくとも雰囲気は怖いのだろうか。そんなことを思っていると、案内人さんは立ち上がる。「こっちですよ」なんて言う姿は、その案内人という名前にとてもよく似合っている。それが少し羨ましいと思いながら、僕は案内人さんの後ろをついて歩きはじめた。
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