第22話:相反した言動
アルセーヌの隣というのは、いつにも増して酷く落ち着かなかった。何度もアルセーヌの様子を伺って目を泳がせてしまうし、それでもアルセーヌはオレの言葉を待ってくれるし、上手いかない説明はアルセーヌが質問しながら補足をしてくれたし、どっちが説明してるのかまるで分からなくなるくらいだった。隣にいるだけでこうなのだから、これが正面だったらどうなっていたか余計に分からない。掴まれそうになるほどの視線が見えないということだけが救いだった。
「クレイヴの説明は、きっと私より分かりやすかっただろう?」
「そ、そんなこともないと思うけど……あんまり覚えてないし」
「じゃあ、今度は私が説明してみようか?」
「ま、間に合ってる。間に合ってます」
「そうかい? 残念だな」
軽口を叩くアルセーヌはどこか楽しそうだったが、それとは裏腹にオレはもう適当なことは言わないと自分に誓った。余り覚えていないというのは確かに語弊があったし、あの小難しい説明をもう一度聞くのは正直ご免である。
「……幼い時の私はどうだった?」
そう問いかけてくるアルセーヌを、オレは思わずまじまじと見つめてしまった。まるで今目の前にいるアルセーヌと、遠い昔のアルセーヌを頭の中で描いて並べているような感覚だった。
「う、うーん……今とは全然違った、かな」
「それは見た目が、という意味?」
「それも無くはないけど……」
服装が違うのも身長が高いのもアルセーヌが大人になっているのも、それは当然のことである。なんせ十年も経っているのだ。しかし、オレが持っている違和感はそこではない。
その十年間は自分の記憶を探るまでもなく接点がなかったから、本当に同一人物なのかイマイチ合点がいかないのだ。
「どっちが本当のアルセーヌなのかなって、不思議な感じだった」
「どっちも何も、私は私だよ」
困った時に見せる笑みがアルセーヌそのものであるというのも、そう思わせる要因の一つかも知れない。
「……シント君は、あの頃と随分変わったよね」
ぽつりと出てきたアルセーヌの声は、まるで閉め忘れた蛇口から漏れ出る水滴のようだった。
「私が知っていたキミは、もっと元気が良くて周りを巻き込んでいくようなタイプだったのに、今は色んなことを沢山我慢しているような、そういう風に私の目には映ってる」
誰にも言われたことの無い言葉の数々は、恐らく的確だった。少なからず昔親交があった人物がそう言うのだから、間違いは無いのだろう。
「そ、そうかな……」
しかし、それを素直に受け止めるのはどうにも気恥ずかしかった。
自分では余り言いたくないが、確かにあの頃のオレは快活で強引だった。いかにも子供らしいというよりは、それがオレの性格だったというのが正しいと思うくらいにだ。だが、今のオレにどこまでそれが反映されているのかを考えたとき、到底その快活という言葉は当てはまらないだろう。
「オレに隠してること、他にもあるの……?」
「……どうしてそう思うんだい?」
「どうしてかな……分かんないけど、そんな気がする」
こんなのただの勘でしかないし、もう何もないと言われてしまってはそれまでなのだが、何となくそんな気がしてしまって仕方がなかった。
だってこれだけ話していても、アルセーヌはまだどこか言い足りないというような顔をしていたのだ。
「……シント君に言わなければいけないこと、本当はまだ沢山あるよ」
アルセーヌの、到底嘘をついているとは思えない言葉にオレは心なしかどきりとした。
オレに言わなければいけないことが沢山ある。その沢山というのは一体どれくらいの数なのだろう? 両手で抱えきれないほどなのか、それともそれはただの比喩で、オレがまだ知らないことがあるというだけなのだろうか?
「でも物事には順序があるから、出来れば私は段階を踏みたい。……なんていうのは、きっとこじつけだね。単純に、私が言いたくないだけなんだと思う」
どういうわけか、アルセーヌはすぐに自分の口にしたことを否定した。いつもの言葉切れのいいアルセーヌはどこかに行ってしまったようだった。
「隠したがりでごめんね。怒ってくれていいんだよ」
そうやって言うということは、それくらい言いにくい何かが含まれるということなのかも知れない。そう思うと、アルセーヌの非力な笑みが余計オレの目にかなり痛く突き刺さった。
この時、やっぱりオレは貴族は好きじゃないと思った。
隠したがりで嘘つきなのに、人のことにばかり口出しをしてくる貴族なんて好きじゃない。そしてその原因が全部オレにあるとなれば、尚更嫌になって仕方がなかった。
「……せいっ」
気づけばオレは、拳を作ってアルセーヌの左腕に叩きつけていた。
「怒ったから、もういいや」
その理由は、アルセーヌに怒ったとかどうというよりは、ただの八つ当たりに近かったのかもしれない。
「オレのことも怒ってよ」
しかしそうは言っても、オレのことも怒ってくれないと気が済まなかった。黙っていたアルセーヌが怒られて然るべきるというのなら、約束を破ったオレも怒られるべきなのだ。
「……さっきキミのことを随分変わったって言ったけど、やっぱりそうでもないね」
そう口にしたかと思うと、アルセーヌはオレの頬に向かって左手を伸ばしていった。一体何をされるのかと思ったすぐ後のこと、親指と人差し指で頬をつまんできたのだ。
「い、いたい……」
「さっきのも結構痛かったからね」
だから仕返し。そう言いながらも、オレの頬をぐりぐりしている様はどこか楽しそうにも見えた。
手袋に包まれたアルセーヌの体温は余り分からない。ただ決して本気でつねっているという訳ではなく、なんならただ触れているというのに近かった。オレが言った痛いというのは嘘に近いが、アルセーヌの言ったそれが嘘かまでは分からなかった。本気でぶつけた訳ではないから痛くはなかったはずなのだが、オレがそう思っているだけなのかも知れない。
「私はね、今日こうして会いに来てくれたのが嬉しかったんだよ?」
「な、なんで……?」
「だって、前は貴族のことを避けたくて仕方が無いって顔してたじゃないか」
「そんな顔に出てたかな……」
「出てたよ。かなり出てたし、実際そう思ってだだろう?」
「こ、ごめん……」
「私は別に、キミに謝ってほしいわけじゃないんだけどね」
オレの謝罪をまるでなかったかのように軽い言葉を口にし、いつまで経っても頬から離れてくれないアルセーヌの手をオレは無理矢理引き剥がした。少し顔の皮膚が伸びたような気がしてしまい、思わず両頬を違いを確認するかのように擦った。
クスクスと笑ってみせるアルセーヌの笑みにどういうわけか懐かしさを感じてしまったオレは、もう少しだけ思っていることを伝えてみることにした。
「あ、あのさ……」
やっぱりこういのは、口にしないと到底伝わらないのだ。
「オレ、もうちょっと頑張るよ」
「……別に、無理して頑張る必要はないよ?」
「でもアルセーヌだって無理してるんでしょ?」
そう口にした根拠は、何一つとして存在しない。しかし、何となくそんな気がしてしまってならなかった。事件から十年経っているのだ。その間、ここに至るまでもきっと、オレの計り知れないことが沢山あったはずだ。それなら、ここから先はオレが頑張らないといけないというのは明白だ。
そうしないと、いつまで経っても何も終わらない。
「知らないことばっかりっていうのも、疲れるから」
この短期間でオレの周りに起きている出来事なんて、恐らくは些細なことばかりだ。
「だからそういうの……知らないふりっていうのも、もう終わりにしたい」
珍しく、と自分でも思ってしまうくらいに、その言葉は自分自身の内から出てきたものに感じた。
これがこの前アルベルが言った「変わった」という部分に含まれるのなら、これも少しは悪くはないのかも知れない。そう思うと、特別悪くないようなそんな気がした。
「……昔みたいに、話せるようになったらいいなぁ」
それが一体何に向けてだったのか、自分でもよく分からなかった。しかしどうやらオレは、前よりも欲張りになってしまったらしい。それを理解してしまった途端に急に気恥ずかしくなってしまうのだから、オレにはまだ何かが足りないのだ。
「クレイヴの説明は、きっと私より分かりやすかっただろう?」
「そ、そんなこともないと思うけど……あんまり覚えてないし」
「じゃあ、今度は私が説明してみようか?」
「ま、間に合ってる。間に合ってます」
「そうかい? 残念だな」
軽口を叩くアルセーヌはどこか楽しそうだったが、それとは裏腹にオレはもう適当なことは言わないと自分に誓った。余り覚えていないというのは確かに語弊があったし、あの小難しい説明をもう一度聞くのは正直ご免である。
「……幼い時の私はどうだった?」
そう問いかけてくるアルセーヌを、オレは思わずまじまじと見つめてしまった。まるで今目の前にいるアルセーヌと、遠い昔のアルセーヌを頭の中で描いて並べているような感覚だった。
「う、うーん……今とは全然違った、かな」
「それは見た目が、という意味?」
「それも無くはないけど……」
服装が違うのも身長が高いのもアルセーヌが大人になっているのも、それは当然のことである。なんせ十年も経っているのだ。しかし、オレが持っている違和感はそこではない。
その十年間は自分の記憶を探るまでもなく接点がなかったから、本当に同一人物なのかイマイチ合点がいかないのだ。
「どっちが本当のアルセーヌなのかなって、不思議な感じだった」
「どっちも何も、私は私だよ」
困った時に見せる笑みがアルセーヌそのものであるというのも、そう思わせる要因の一つかも知れない。
「……シント君は、あの頃と随分変わったよね」
ぽつりと出てきたアルセーヌの声は、まるで閉め忘れた蛇口から漏れ出る水滴のようだった。
「私が知っていたキミは、もっと元気が良くて周りを巻き込んでいくようなタイプだったのに、今は色んなことを沢山我慢しているような、そういう風に私の目には映ってる」
誰にも言われたことの無い言葉の数々は、恐らく的確だった。少なからず昔親交があった人物がそう言うのだから、間違いは無いのだろう。
「そ、そうかな……」
しかし、それを素直に受け止めるのはどうにも気恥ずかしかった。
自分では余り言いたくないが、確かにあの頃のオレは快活で強引だった。いかにも子供らしいというよりは、それがオレの性格だったというのが正しいと思うくらいにだ。だが、今のオレにどこまでそれが反映されているのかを考えたとき、到底その快活という言葉は当てはまらないだろう。
「オレに隠してること、他にもあるの……?」
「……どうしてそう思うんだい?」
「どうしてかな……分かんないけど、そんな気がする」
こんなのただの勘でしかないし、もう何もないと言われてしまってはそれまでなのだが、何となくそんな気がしてしまって仕方がなかった。
だってこれだけ話していても、アルセーヌはまだどこか言い足りないというような顔をしていたのだ。
「……シント君に言わなければいけないこと、本当はまだ沢山あるよ」
アルセーヌの、到底嘘をついているとは思えない言葉にオレは心なしかどきりとした。
オレに言わなければいけないことが沢山ある。その沢山というのは一体どれくらいの数なのだろう? 両手で抱えきれないほどなのか、それともそれはただの比喩で、オレがまだ知らないことがあるというだけなのだろうか?
「でも物事には順序があるから、出来れば私は段階を踏みたい。……なんていうのは、きっとこじつけだね。単純に、私が言いたくないだけなんだと思う」
どういうわけか、アルセーヌはすぐに自分の口にしたことを否定した。いつもの言葉切れのいいアルセーヌはどこかに行ってしまったようだった。
「隠したがりでごめんね。怒ってくれていいんだよ」
そうやって言うということは、それくらい言いにくい何かが含まれるということなのかも知れない。そう思うと、アルセーヌの非力な笑みが余計オレの目にかなり痛く突き刺さった。
この時、やっぱりオレは貴族は好きじゃないと思った。
隠したがりで嘘つきなのに、人のことにばかり口出しをしてくる貴族なんて好きじゃない。そしてその原因が全部オレにあるとなれば、尚更嫌になって仕方がなかった。
「……せいっ」
気づけばオレは、拳を作ってアルセーヌの左腕に叩きつけていた。
「怒ったから、もういいや」
その理由は、アルセーヌに怒ったとかどうというよりは、ただの八つ当たりに近かったのかもしれない。
「オレのことも怒ってよ」
しかしそうは言っても、オレのことも怒ってくれないと気が済まなかった。黙っていたアルセーヌが怒られて然るべきるというのなら、約束を破ったオレも怒られるべきなのだ。
「……さっきキミのことを随分変わったって言ったけど、やっぱりそうでもないね」
そう口にしたかと思うと、アルセーヌはオレの頬に向かって左手を伸ばしていった。一体何をされるのかと思ったすぐ後のこと、親指と人差し指で頬をつまんできたのだ。
「い、いたい……」
「さっきのも結構痛かったからね」
だから仕返し。そう言いながらも、オレの頬をぐりぐりしている様はどこか楽しそうにも見えた。
手袋に包まれたアルセーヌの体温は余り分からない。ただ決して本気でつねっているという訳ではなく、なんならただ触れているというのに近かった。オレが言った痛いというのは嘘に近いが、アルセーヌの言ったそれが嘘かまでは分からなかった。本気でぶつけた訳ではないから痛くはなかったはずなのだが、オレがそう思っているだけなのかも知れない。
「私はね、今日こうして会いに来てくれたのが嬉しかったんだよ?」
「な、なんで……?」
「だって、前は貴族のことを避けたくて仕方が無いって顔してたじゃないか」
「そんな顔に出てたかな……」
「出てたよ。かなり出てたし、実際そう思ってだだろう?」
「こ、ごめん……」
「私は別に、キミに謝ってほしいわけじゃないんだけどね」
オレの謝罪をまるでなかったかのように軽い言葉を口にし、いつまで経っても頬から離れてくれないアルセーヌの手をオレは無理矢理引き剥がした。少し顔の皮膚が伸びたような気がしてしまい、思わず両頬を違いを確認するかのように擦った。
クスクスと笑ってみせるアルセーヌの笑みにどういうわけか懐かしさを感じてしまったオレは、もう少しだけ思っていることを伝えてみることにした。
「あ、あのさ……」
やっぱりこういのは、口にしないと到底伝わらないのだ。
「オレ、もうちょっと頑張るよ」
「……別に、無理して頑張る必要はないよ?」
「でもアルセーヌだって無理してるんでしょ?」
そう口にした根拠は、何一つとして存在しない。しかし、何となくそんな気がしてしまってならなかった。事件から十年経っているのだ。その間、ここに至るまでもきっと、オレの計り知れないことが沢山あったはずだ。それなら、ここから先はオレが頑張らないといけないというのは明白だ。
そうしないと、いつまで経っても何も終わらない。
「知らないことばっかりっていうのも、疲れるから」
この短期間でオレの周りに起きている出来事なんて、恐らくは些細なことばかりだ。
「だからそういうの……知らないふりっていうのも、もう終わりにしたい」
珍しく、と自分でも思ってしまうくらいに、その言葉は自分自身の内から出てきたものに感じた。
これがこの前アルベルが言った「変わった」という部分に含まれるのなら、これも少しは悪くはないのかも知れない。そう思うと、特別悪くないようなそんな気がした。
「……昔みたいに、話せるようになったらいいなぁ」
それが一体何に向けてだったのか、自分でもよく分からなかった。しかしどうやらオレは、前よりも欲張りになってしまったらしい。それを理解してしまった途端に急に気恥ずかしくなってしまうのだから、オレにはまだ何かが足りないのだ。