木漏れ日のスポットライト


※ 明言は避けましたが、次期華桜会の匂わせあります。
※ 星箱SS五つの花編後の話です。



 



「四季?」

 千秋がそこを通りかかったのは偶然だった。電車ではなくバイクで来た日、駐輪場から直接華桜館へ向かう時に通るのだ。人通りの少ない校舎裏から新稽古棟ができるまで使っていた稽古場の前を通って行くと近道になる。ひと気のないこの道を、千秋はなんとなく気に入っていた。
 だからつい、そいつを追いかけてしまったのだ。珍しく人影があると目を向けた先にあったのが、なんとも見慣れた顔だったせいで。知り合いが危なっかしくふらりふらりと揺れながら森の方へと消えていく、なんて場面に遭遇してしまったら、まあ追いかけてしまうのが千秋貴史という人柄である。
 別に、放っておいてもいいはずだった。ふらふらしていようと相手は同級生、小さな子どもじゃあない。しかし、失踪魔でもある。そういえば見かけない、と思うとふらっと帰ってきて、昼寝日和だったと笑う。そんな奴だ。今日は暖かい、きっと昼寝をしに行こうという気だろう。
 それは少し困る。華桜館に向かっていたのは勿論用事があるからだ。華桜会としての最後の大仕事、それを終えるために。約束の時間までにはまだ余裕があるが、のんびり昼寝をさせてやれるほどの暇はない。遅刻未遂を見かけたのに連れてこなかったとなれば、誰かさんに睨まれるのは千秋の方だろう。見かけてしまったのが運の尽きだ。

「千秋か」
「何してんだよ、こんなところで──っと!」

 茂みのところでしゃがみ込んでいたそいつが、のそりと振り返る。と、その直後、足元からニャアンと小さな先客が顔を覗かせた。

「猫っ? お前、猫追いかけてたのかよ」
「ああ。猫の気持ちになってみようかと思ってな」
「はぁ?」

 千秋が思い切り眉をしかめたのが可笑しかったのか、四季は肩を震わせて笑った。猫は不思議そうに尻尾を揺らし、くるりと向きを変えて歩き出す。慣れた風に四季もついていったので、今更帰ることもできず、千秋はその後に続いた。
 ガサ、ガサ、ガサ。ほんの数歩先、周りと比べて草が平らになっている場所があった。少しだけ木の間隔が広いようで、たっぷりと陽が差し込んでいる。
 猫と四季はそこで立ち止まった。四季は振り返り、ニッと目を細める。

「ここ、俺とこいつのお気に入りなんだ」

 そして、止める間もなく四季は腰を下ろした。その近くに猫が擦り寄る。この様子からも四季の発言からも、初対面ではなく長い付き合いの昼寝仲間であることがわかった。ついでに、この辺の草が倒れている理由も。こいつらの布団にされているせいに違いない。

「おい四季、まさか昼寝する気か? この後、何があるかわかってんだろうな」
「わかってる。まだ時間はあるだろ?」
「そーだけど。さすがに寝てたら遅刻するぜ」
「でも、千秋がいる」
「オレは目覚まし時計じゃねえよ」
「起こしてくれないのか?」
「はぁー……この状況でお前が遅刻したら、亮に睨まれるのはオレだろ。まったく、厚かましい王様だぜ」
「ふはは」

 今日は寝ないの、という風に猫が鳴く。大方いつもはすぐにごろんと行くのだろう。
 もうすぐ寝るだろうから待ってろ、と猫の方を見ていたが、四季は寝転ばずにそのまま座っていた。猫の方へと手を伸ばし、すりすりと顎を撫でる。それはそれでお気に召したらしい、猫はゴロゴロと喉を鳴らした。

「さすがに、眠る気はないぜ。俺も最後の最後に睨まれたくはないからな」
「へえ、意外だぜ。お前にもそういう意識あるんだな」
「人並みにな」
「ハッ、どーだか。本当に睨まれたくなかったらやらないようなことばっかしてたぜ、お前」
「手厳しいな、千秋は」

 四季の眉が下がる。一応思い当たる節はあるらしい。チームメイト時代のことはどうだか知らないが、同じ華桜会メンバーとして過ごしたこの一年はいろんなことがあった。しかし悪いことばかりではない。雨降って地固まる、というやつだ。
 時間にはまだ、余裕がある。やれやれと首を振り、千秋は四季の近くの木に寄りかかった。立ち上がる気もなさそうに見えたから。

「ま、上手くはやってたんじゃねえのか」
「……冬沢と、か?」
「ああ。オレにはそう見えてたぜ。ちゃんとダチにな」
「友達……」
「逆に上手くやりすぎてたせいで、ああなったのかもしれねえけどよ。──ああ、そうだ。オレたちは上手くやりすぎてた」
「上手く、か。どうだったかな」
「そうだろ。あんなバラバラで揉め事起きねえ方が不思議だったっての」

 華桜会への想いも、指導方針も、芝居へのアプローチも、好きなものも嫌いなものも、みんなバラバラなことを当然として、深くを知ろうとしなかったのがこの世代の華桜会だ。ぶつからないのは間合いを詰めていないから。手を伸ばしたらぶつかる、なら引っ込めよう、そういう付き合い方だった。
 大人としては正しいのかもしれない。忖度は必要だ。しかし、相手の気持ちを推しはかるのには少しばかり距離を取りすぎた、というところだろうか。近づけば見えるのに、見られたくないだろうと決めつけて離れるような。本当は近づいて見えてしまうのが嫌だから、だのにそれを都合よくすり替えて。気づけば隙間は溝になっていた、ような。

「ニャー」

 不意に、思考を遮られた。四季が撫でるのをやめたから催促したらしい。

「なんだ、お前は遠慮せずに寝てもいいんだぜ」
「撫でてほしいんだろ」
「そうか……眠そうにしていたから、邪魔かと思ったんだけどな」
「逆だろ。お前に撫でられて気持ちよかったから眠そうにしてたんじゃねえか?」
「なるほど。そういう捉え方もあるか」

 再び四季が撫で始めると、猫はうとうとと目を細めた。確かに眠そうだが、単に手が心地好いだけという風にも見える。
 四季はその様子をじっと見つめていた。何を考えているのかよくわからない横顔だ。なんとなく予想を立てても斜め上、はたまた背後、時に空から言葉が降ってくる。そんな奴だ。まともに話していると調子が狂う。

「──冬沢は」
「あん?」
「少し、猫と似ている……気がしないか?」
「はっ? 猫と? 亮が?」

 ほら、早速。
 この話の流れであいつの名前が出てくるのも不思議だし、ましてや猫に似ているだって? 千秋は思わず寄りかかっていた木から離れて四季の顔を覗き込む。

「あいつは他人に飼われるなんざ御免、野良なんてリスクも選ばねえ、どう考えたってご立派な人間様だろ」
「はは、千秋が言うならそうかもしれない。でも」

 横顔は動かない。ふっと目が細められる。どこか、ここにはいない誰かのことを考えているような、そういう表情に見えた。

「何を考えているのかわかるようで、サッパリわからない。そういうところ、似ているような気がしないか?」
「……ノーセンス。それ、亮だってお前にだけは言われたくないと思うぜ」

 きょとんとこちらを向いた顔にため息をくれてやる。何を考えているのかわかるようでサッパリわからない、それはまさに四季のことだ。いや、わかるような気もしないからもっとタチが悪い。さらにこいつは、わかってもらえないことを良しとしてしまう。俺は俺、お前はお前──良く言えば『みんな違ってみんないい』なのかもしれない。だが、無関心とも言えるだろう。
 人と違うのは当然、だけれど、そう決めつけてしまっては、わかり合えるラインの妥協点も見つけられないのだ。
 千秋は再び木に体重を預けた。腕を組み、片目だけ四季の方へと向ける。

「つーか四季、お前の方がよっぽどか猫っぽいだろ。どっか行ったかと思えば日向ぼっこだの昼寝だの、心配しててもしなくてもフラッと戻ってくるし、何考えてんだかサッパリわからねえし」
「そう言われると、何も言い返せないな」

 四季はへにゃりと眉を下げた。その奥で猫がぐいぐいと四季の手のひらを押し返している。撫でると決めたなら撫でてくれと、そんな風に見えた。
 四季はそれを嫌がっていると解釈したのか、手を引っ込めていた。ニャアと鳴いた猫の本心はわからない。

「……それに」

 千秋は四季たちから視線を外し、木々を眺めた。ぽっかりと空の見えるここだけが明るくて、あとは薄暗い森が続いている。なかなか見慣れない風景だ。すぐ後ろには校舎があるのに、どこか遠いところまで来てしまったような気がしてくる。
 そんな夢心地に任せて。

「そもそも、他人なんてそんなもんだろ。何考えてるかなんてわかりっこねえ。わかってもらえるはずもねえ。──何も、話さなきゃな」

 四季に向けて放った言葉ではない。これは、自分へのものだった。
 他人のことなんてわからない。わかった気になれるだけだ。胸の内の本当の想いなんて自分にしかわからないし、自分でもわからないものなのかもしれない。

 ──これは、昔の話だ。

 冬沢亮を、尊敬していた。児童劇団で出会った頃から既に頭ひとつ抜きん出ていたあいつは、早くあんな風になりたいと目指す目標だった。遠かった背中に追いつこうと必死で走って、あいつも隣に並ぶ日を待ってくれているのだとそう信じて。
 でも、違った。千秋にとっては唯一のライバルでも、あいつにとっては数いる演者の中でたまたま同い年だっただけの存在だった。例えるなら王様と民──無邪気な笑顔が、悪意のない施しが、酷く惨めだった。
 何もかもが違ったのだ。役作り、ダンスの覚え方、楽譜や台本への書き込み方、そして、認識も。打ち砕かれた自信を掻き集め、へし折られたプライドを握りしめ、遥か上にある背中に立ち向かった。あいつとは違う自分のやり方で示し続け、挑み続け、どんなに惨めでも見向きもされなくても、食らいついていった。
 口で言ってもわかってもらえるはずがないと、決めつけて。

「………けど、」

 それまでじっと黙っていた四季が、とうとう口を開いた。

「話せばわかることもある。言われなきゃ気づかないこともある。言われて気づけることもある」
「………」
「『これから』、何度でも話せばいいさ」

 そう言い放った奴の顔は晴れ晴れと前を向いていて、こいつのこういうところが例外なのかもしれない、と千秋は思った。
 冬沢を玉座から引き摺り下ろしたのは他でもない、四季斗真 こいつ だ。目立ちたがりではない、トップへの執着もない、ただ指名されたからには全うする。冬沢とは正反対のタイプの奴だ。そんな奴に、あいつは追い抜かれた。
 掲示板に名前が張り出されたあの日、とうとう陥落したあいつの表情は忘れられない。よーくわかるぜ、その気持ち──と。

「お前が言うと、説得力があるぜ」
「ふはは」
「……四季」
「ん?」
「あん時は……ありがとうな」
「……フ。何の話だ?」

 わかってて惚けているのか、本当に伝わっていないのか、いまいちわからない返事だった。聡いのか鈍いのか、そのどちらもか。どちらもだろう。
 冬沢と話ができたのは、あいつがこっち側に落ちてきたからじゃない。成り行きで設けられた場で、お互いに話そうと、聞こうとしたからだ。それぞれに見えていない景色があったのだと、ぶちまけたおかげで知ることができた。
 腹の内を知ったところで、相変わらずいけ好かない奴だ。馬が合うとも思えない。けれど付き合いの長さは伸びる一方で、卒業してからもまた劇団で一緒になる。切っても切れない腐れ縁ってやつだろう。
 それでいいんじゃねえか、と思うのだ。あいつはあいつでトップを諦めたわけじゃない、きっと何度でも頂点に君臨するのだろう。だったらまた、何度でも食らいつくまでだ。今はその日々を──楽しみ、にしている自分がいる。
 ふと、四季の方へと顔を向けた。すると向こうもこちらを見ていたらしく、目が合った。珍しく何を考えているのかわかるような表情をしている。ニヤッと悪戯っ子のような顔、これは、突拍子もないことを言うに違いない。

「千秋は、猫や犬というより──飼い主、みたいだよな」
「何を言い出すかと思えば……その話、まだ続いてたのかよ」
「俺が猫なら、千秋に飼われてみたいと思ってな」
「ゲッ、やめろやめろ! 同級生の男を飼う趣味なんざないぜっ」
「そうか。残念だ。それなら俺も、こいつと同じ野良猫か」

 四季は猫の方に目を落とした。つられて千秋も猫の方を見る。撫でてもらうのは諦めたのか、丸くなって眠っているようだった。
 そして、千秋は視線を戻した。野良猫、と呼ぶには縛られた、燕尾姿の四季の方に。

「……ハッ、野良猫ねえ。お前、どっちかっつーと天然記念物とか野生動物っぽいけどな」
「天然記念物?」
「首席のくせに燕尾姿は幻級、だったしな。首輪かなんかだと思って避けてたんじゃねえかぁ?」
「首輪か。はは、それはあるかもしれない」

 四季が僅かに眉を顰めた。どことなく息苦しそうにも見える。

「あいつらにとっても、首輪にならないといいけどな」
「……ハッ! 余計な心配だろ。あいつらだぜ? あんな状況からオープニングセレモニーの出演を叶えた、自由で手のつけらんねえあいつら! なんならカッコイイ首輪だって自慢しに行きそうなもんだぜ」

 四季の眉が上がり、目が丸くなる。それからすぐに声を立てて笑い始めた。ビクッと猫が顔を上げ、ニャーッと抗議するように鳴いている。

「猫がうるせえってよ」
「あぁ、悪い。確かにそう言いそうな奴がいると思ってな」
「だろ? それに、風通しの良さは野外ステージ並みだからなぁ、あいつらの世代は。誰にしたって抱え込む奴とかいねえだろ」
「……ああ、そうだな。それでも、本当にあの五人でよかったか……正直まだ迷ってるよ」
「今更迷ったって仕方ねえだろ? こっから先はあいつらが決めることだぜ。オレたちの仕事はここまでだ。そうだろ」
「そう……だな」
「おら行くぜ、『これから』を託しによ」

 ああ、と四季は頷き、立ち上がった。そうして歩き始めた背中が草まみれで、千秋は思わず吹き出した。

「ははっ! おい四季。最後だからって汚してもいいわけじゃないぜ? 払ってやるから止まれよ」
「お、悪いな。汚れてたか」
「当たり前だろ。地面に座ってたんだからよ」
「草の上だから大丈夫かと思ったんだが」
「安心しな、泥はついてねーよ。綺麗になったぜ」
「助かるよ」
「ったく、もう時間だ。急げよ、……ダチに、睨まれたくなかったらな」

 四季の目が一瞬ふわっと広がって、それからスッと細くなる。

「──ああ。行こう」

 力強く頷くと、改めて四季は華桜館に向かって歩き出した。燕尾をはためかせ、一歩一歩確実に。千秋もそれに続き、既に待機しているだろう顔を思い浮かべた。
 ニャーンと、その背に声がかかる。千秋が一人振り返ると、猫はぐんと伸びをしていた。四季の座っていた場所で丸くなり、パタンと尻尾を揺らしている。暖かい陽が差し込むお気に入りの場所で、気まぐれな人間たちを置いて眠ろうというのだろう。
 千秋は再び前を向いた。冬沢はもういるだろう、春日野も来ていそうだ、入夏はまだバタバタやっているかもしれない。ご指名の後輩たちがやってくるのはその後だ。

「……もう、春だな」
「ん? ああ。昼寝が気持ちいい季節だな」
「ハ。年がら年中してんだろ。華桜館で寝るなよ?」
「ふははっ、気をつけるよ」
「そうしてくれ」

 ふわりと頬を撫でる風が暖かい。新しい春の幕開けは、もうすぐだ。


 
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