お前が好きだと言えたなら


「愁~、誕生日おめでと」

 ――そんな台詞と共にそいつが現れたのは、誕生日の翌朝。四月三日のことだった。

 空閑愁は、二十歳になった。名門・綾薙学園高等部、ミュージカル学科を無事に卒業した今は、劇団に所属して稽古に励む日々を送っている。
 そいつ。小学五年からの付き合いの幼馴染はニカッと笑っている。なんの連絡もなく急に現れ、朝っぱらから人ん家のアパートのドアをドンドンと叩いていた(インターホンが壊れているせいだ)そいつは、まだ起きたばかりでぼんやりした顔の前へと袋を突き出した。台詞と、このラッピングから判断するに、誕生日プレゼントってところか。
 今朝は肌寒くて、ついさっきまで眠っていたからまだ眠い。あくびをこらえて眉を寄せた表情は不機嫌そうにも見えるだろう。しかし向こうも慣れたものだから、今更気にしない。

「……なんだ、これは」
「なんだ…って、誕生日プレゼントに決まってんだろ」
「見りゃわかる。中身の話だ」
「開けりゃいいじゃん」

 それもそうか。と、受け取った袋に手をかける。立ち話もなんだから入れ、と提案してやる前にそいつはずかずかと部屋に入り込んで、今日さみーなと勝手にストーブをつけやがった。暖房が要るほどではないと思うが、相変わらず寒がりな奴だ。
 仕方ないからその後に続いて自分の部屋へと進む。六畳、狭いキッチンが申し訳程度についた一部屋。駐輪場付きってことで決めた。駅から徒歩三十分以上、バイクだから関係ない。実家に戻ってもよかったのだが、母親に甘えてもいられないので一人暮らしだ。ちょくちょく様子を見には行っている。誕生日の昨日も、稽古へ向かう時間までは一緒に過ごした。
 ドカッと、無遠慮に人のベッドに座っている奴の隣に座る。これがソファ代わりだと知っている奴はそう多くない、この部屋に招いたことがある人数がそもそも少ないから。前に、ボンボンのチームメイト、天花寺が来た時は、散々と失礼なことを言い尽くされた。あいつは庶民ツアーが好きな奴だから、また呼んでやろう。寂しがり屋さんだし。

「早く開けろよ」

 ぼやぼやしていると、封を中途半端に切られただけの袋を見たそいつに急かされた。今開けようとしたところだ、と答えるよりもさっさと開けた方が早い。改めて留めてあるテープを剥がし、ガサゴソと中身を拝見する。

「………手袋?」

 グローブ! と、すかさず訂正された。同じようなもんだろう。けれどそいつにとっては手袋と呼ぶのかグローブと呼ぶのかは大事なことだったらしい。
 バイク乗る時にいいやつ選んだ、とそいつはにへらと笑った。はめてみろよ、と言われるままに手にはめる。
ぺたんこではなく、手を入れなくても立体感のあった手袋、ではなくグローブは空閑の手にぴったりと馴染んだ。指の先まで生地があるが、メッシュ素材で、通気性は悪くなさそうだ。

「おっ、いーじゃん。これからの季節に使えるように、春夏用で探したんだぜ」
「へえ」
「うんうん、ピッタシだな。ほら、オレと愁」

 手のサイズおんなじくらいだろ? と、まだグローブをはめていない、素のままの空閑の手のひらを持って、そいつは自分の手のひらと合わせた。ほとんど同じ大きさで、僅かばかりに空閑の方が大きい手だった。そいつの手の方がすらっとしている。骨格の問題だろう。
 その手のひら越しに、そいつはニッと目を細めた。

「オレが試着したから、バッチリ」

 と、言って、手のひらを返す。じんわりと、温かいのは寝起きだからだ。

「つーか、もう二十歳か~。愁の方がオレよりちょっとばかし年上になるってのには慣れたけどよ、二十と十九だと、なーんか差がでっかく感じるよな~」
「お前、まだそんなこと言ってんのか」
「だって、お前はもう酒飲んでも違法じゃねえじゃん? オレは未成年! うわ、年下感が強え。この話終わり!」

 自分で言い出したくせに、勝手に終わらせる。十日しか変わらねえだろ、という台詞は使い古しだ。今更言うのはやめにして、代わりにふと思いついたことを言ってみる。

「……誕生日会、するか」
「誕生日会~?」

 急な言葉に怪訝そうな顔をするそいつから、ふいっと視線を外し、グローブをはめたままの右手を見つめた。

「昔、よくやってただろ」
「あー、合同の?」
「……お袋が、また一緒にお祝いしたいわね、って」
「な~る。うちのお袋に言や、喜んで準備すると思うぜ。料理は愁のお袋さんに準備してもらいてえけど! うちのお袋、相変わらずだかんな~…」
「お前んとこのお袋さんの飯も、悪くねえけどな」
「そりゃお前、たまにだからだろ」

 やっぱ愁のお袋さんの料理が一番だな~、と語る幼馴染を横目に、ふと学生時代のことを思い出す。いつだったか、こいつのチームのリーダーが作ったカレーを食べたことがある。いや、あれをカレーと呼んでいいのか。うちの料理上手、那雪と一緒に作ったはずのそれは、カレーの見た目をした、何か別の食べ物――果たして食べてもよかったものなのか、それさえも怪しい代物だった。あまりの衝撃に記憶が飛びかけたが、逆に強烈すぎて覚えていたらしい。
 一人勝手に懐かしんでいると、そいつも何かを思い出したらしい。そうそう、と切り出す。

「昨日さ、お前ん家――実家の方な、行ったんだけど」
「実家?」
「そ。夜、空いてたから。てっきり、昨日は一日そっちにいんのかな~って思ってたんだけど……ちょうどお前が帰った後でさ~」

 そいつは語る。

「久しぶりにご馳走になってさ。美味かったな~、肉じゃが! 昼はお前が食い尽くしたらしいじゃん? だから、わざわざ作ってくれてな。今度改めてお礼しとかねえと」

 いつの間に、人の実家に行っていたのか。今に始まったことではないが。
 グローブに向けていた視線を、顔ごとそいつに戻す。視線に気づいたそいつもこっちを向いて、それ、とグローブを顎でさした。

「せっかく用意したから当日渡してやろうと思ったのに、本人いねえじゃん。夜行ってもよかったけど、稽古何時までか知らねえし、連絡してもお前見ねえし、返事寄越さねえし。で、朝なら確実にいんだろ、と思って今日来た」

 なるほど。と、思った。それは確かに一番合理的な判断だ。電話には出るがあまりまめには見ないし、くだらない話題ばかりのこいつにはいちいち返事をしないか返しても一言だけだ。使い始めた頃、こんなとこまで無口かよ、と笑われたことを覚えている。
 お前と違って朝帰りとかしねえしな。と、言おうとして、一度口を閉じる。図星を指しそうだと思ったから。グサリとさしてやろう。

「……デートの予定でもあったんだろ」
「あ? いや…、予定入れてたわけじゃねえけど。ちょうど電話があったから、会いに行くよってな」
「で、朝帰りか」
「まあな」

 ふふんと鼻を鳴らすそいつは悪びれる様子もなく、女のところからの帰りにここへ寄ったことを語り出した。
 お前、いいかげんにしとけよ。こいつの女好きは今に始まったことじゃない、出会った頃にはそうだったらしいし、いろんな女と一緒にいるところをずっと隣で見てきた。だから言っても無駄だということはわかっている。病気みたいなものだ。けれどこれだけは、つい何度も言ってしまう。

「お前、いいかげんにしとけよ」
「え~? だぁって、カワイイ子猫ちゃんからのお誘いだぜ? オレの体が空いてんのに、断るとかねえだろ」
「……夜道には気ぃつけろよ」
「怖えこと言うなよっ。愁にそれ言われるとなんか怖え。お前に刺されそうで」
「………」
「なんとか言えよ、まさか本気だったとか?」
「……夜道には、気ぃつけろよ」
「え? マジ? 嘘だろ? ダチを犯罪者にしたくねえんだけど」

 真顔で、声を潜めて、低く唸るように。すると急に狼狽え始めた様子が可笑しい。

「……冗談だ」
「だっ、だよなー! ビビったわ……愁、お前の冗談は本気かどうかわかりづれえからやめろ!」
「長い付き合いだろ」
「んでも役者だろっ、むしろ年々わかりづらさ増してるっつの」

 これは褒め言葉として受け取っておけばいいのか。そういうことにしておこう。
 はあ、とため息をついて首を振るそいつからまた視線を外して、グローブに手をかける。いつまでもつけたままにしておくのも不格好だ。
 ふう、とため息をつく。外したものは手に持って。

「……せめて、誰か一人にはできねえのか」
「ん? んー……けど、オレに恋するオンナノコがたっくさんいるってのに、片想いになんかさせらんねえだろ」
「何股だ? それ、両想いって言えんのか」
「オレは! いつだって本気なんだよ」

 そいつは少しばかり大きな声を出した。昔からしている、意味のわからない主張。一応ちゃんと聞いてやろうと思って顔を向けると、そいつもこっちを向いていた。

「オレはいつだって本気で、目の前のコに恋してんの」

 と。じっと見つめられながら、その声を聞いた。
 相変わらず意味のわからない主張だ。意味がわからないから、わかりそうにないから、その言葉の額面通りに受け取ってやろうか。

「目の前……ってのには」

 じいっと見つめる。ずいっと顔を近づける。

「俺も入んのか」
「――え?」

 寸前でピタリと止まり、言葉を紡ぐ。

「今、お前の目の前にいんのは、俺だ」

 戸惑い揺れた瞳を捕らえたまま、畳みかけるように続ける。

「俺にも、恋してくれんのか」

 虎石。

 と、黙ってしまったそいつの名を口にした。ぱちぱちと瞼が忙しない。うっかりしたら唇が触れてしまいそうな距離で、それもベッドの上で、こんなことを言ったら。いくら長年の付き合いで、男同士でも、本気だと思うかもしれない。
 ――もしそうだったらと、考えたことがないわけではない。
 なんとか答えようとしてわなわなと震える唇が、何かを言う前に。

「冗談だ」

 それだけ、早口に言って遠ざかる。冗談だ。とは、便利な言葉だ。実際にさっきみたいにこの調子でよく冗談を言うから、変に疑われることもない。茶目っ気、だ。
 虎石は、数秒、息を止めていたようだった。

「びっ…くりさせんなよ~! ……本気かと思った」
「そうか」
「そうか…って、お前なあ…。ったく、心臓に悪いっての!」

 やっぱ、本気だったら困んのか。じゃあ、本気じゃないってことにしておこう。
 虎石はあーもうと立ち上がり、ガシガシと頭を掻いた。帰ってフロ、と言いながら。二度もこちらにペースを崩されて、釈然としないんだろう。ざまあみろ、と言わずにそう思った。


 あ、そだ。すっかり帰り支度をした虎石が、ふと振り返って言った。

「誕生日会。いつ空いてんの? お袋に連絡してやんねーと」
「……七日あたり。どうだ」
「お、ちょーど間らへん? 確認しとく」
「あと」

 今にもじゃあなと言って立ち去りそうな背中を慌てて引き留める。その話は、家族でやる誕生日会のことだけじゃなかったから。

「お前が二十歳になってから。二人でやらねえか、誕生日会」

 ぱちくり、虎石が目をしばたかせた。少々意外な提案だったらしい。

「それと、プレゼント。サンキューな」

 言いそびれていた礼も言って。虎石がパッと笑顔になる。

「――おう! んじゃやろうぜ、誕生日会!」


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