Bury me.

 ほうと吐いた息がそのまま凍って落ちてしまいそうな夜だった。サクリ、サクリと、厚さは一センチメートル程度か、少しばかり雪の積もり始めた地面を歩く。冷たい風が水面を撫で、そこに映る姿を隠した。
 揺らめいた影は二人分。一人がもう一人を背負って、その負荷を感じさせないような速度でせかせかと歩いていた。両手を後ろに回してしっかりと支え、脇にはスコップを抱えている。一風変わった出で立ちの彼らの他にはなんの気配もない湖畔だった。
 ふと、男はコクリと頷き、歩みを止めた。おもむろに片腕を挙げる。ガランとスコップの落ちる音が静かに雪の中へと吸い込まれていった。そして背負っていた男をそっと、丁寧に、優しく、雪の上に寝かせる。地面に転がったスコップを拾い上げ、残った跡のあたりへザクリと突き刺した。
 無言で地面を掘る男の頭には随分と雪が積もっていたが、彼はまるで気にしていないようだった。スコップを突き刺し、土を投げる。彼が動くたび、夜に溶け込みそうな深い色をした赤みの髪が揺れ、真っ白い雪がはらはらとこぼれた。視界でちらちらと雪が舞おうとも、彼には関係ないようで、ただひたすらに手を動かしている。
 ザク、ポスッ、ザク、スコップを刺す音と土を投げる音、それと風が吹きつける音。この湖畔にあるのはそれだけだった。不気味なくらいに静かなのは雪のせいか、生い茂る木々のせいか、それとも男の表情のせいか。この寒さに顔が凍ってしまったのかと思えるくらいには固いものだった。しかし冷酷なものではない。怒りを湛えているようにも、悲しそうにも、狂気的にも見えない、不思議な雰囲気であった。
 はあ、ため息が雪を吹き飛ばす。男の目の前には大きな穴がぽっかりと空いていた。人が一人、入れそうなくらいの大きさだった。それをじっと見つめ、中に雪が積もり始める前にスコップを置いた彼は、横たえた連れの方を振り返った。
 チラ、と視線を上げる。独り言だろうか、男は何かを呟いていた。それから連れに歩み寄り、跪く。積もった雪を一際丁寧に払いのけると、現れたのは雪のように白い髪と、白い顔。肌にはあまりにも血の気がなく、その境目は曖昧であった。男が手袋を外す、横たえた彼の頬にぴとりと触れる。
 男の連れは、穏やかな表情を浮かべていた。ただ眠っているような、そんな顔だった。頬は冷たい、それは雪のせいだけではない。男は、彼をじいっと見つめていた。じいっと、手のひらは頬に添えたまま。
 パッと顔を上げる、まるで誰かに呼ばれたかのように。男は苦笑した、初めて見せた人間らしい表情であった。また俯いて、頬を撫でる。まるで口づけをするように優しく、柔らかく。
 男は手袋をはめた。また、じいっと見つめる。しばらくして、男は彼の体の下に手を入れた。持ち上げられた彼の頭と腕と足と、全てがだらりと垂れ下がる。男はのしりのしりと歩いた。自分が掘った、大きな穴のところまで。
 次に彼が横たえられたのは、その穴の中であった。背の高い彼が足を伸ばすには丸い穴であったため、胎児のように体を丸められている。着ていた服の皺を丁寧に伸ばされ、髪を撫でつけられて、身を整えられた彼はやはり眠っているようだった。あまりにも穏やかすぎる表情のせいで、ぴくりとも動かないことがより一層不気味に感じられる。
 ドサリ、ドサッ。仕上げの布団は土だった。彼の姿勢を整えてから、男はしばらく彼のことを見つめていたが、何かに指示をされたかのようにハッと立ち上がり、スコップを手に取ったのだった。そして彼に土をかけている。足の方から、顔以外のところを先に。
 一度、手を止めて。男は何かを呟いたようだった。ふるふると首を振り、じっと黙って、たっぷりと間を空けてから、はっきりと頷いた。そうして、とうとう、彼の顔の上にも土をかける。優しく、ふわっと、布団をかけてやるように。
 トントン、トン、トントン。スコップで土を押し固める。また土をかけて、押し固める。それを繰り返していると、掘り返した土の山が消えていた。全てを戻したのだ。
 男は、雪の積もっていないその地面を見つめた。そこには、彼が埋まっている。穏やかな顔をした彼が、埋まっている。近くの雪を散らせば境目はぼやけた。
 行くよ。そんなような声が聞こえた気がした。男は彼から視線を外した。ギュッとスコップを握る。それから湖のほとりまで歩き、思い切りスコップを投げ入れた。バシャアンと、それまで聞こえた中では一番大きな音が響く。
 しかし、その音を聞いたのは、投げ入れた本人と彼だけだった。
 身軽になった男が、来た道を戻っていく。行きの足跡はもう消えていた。新しい足跡をつけて歩く。男は静かだった。行きよりも速く、歩いて去っていった。
 しんしんと雪が積もる。時折強い風が吹く。ざわざわと木々を揺らし、水面が揺らぐ。不自然に残されていた跡は、それらがみな隠してくれたのだった。




















「あ、オンエア今日だったんだ?」

 ひょっこりと、埋められていた青年──南條聖が顔を出した。髪がしっとりと濡れている。どうやら風呂上がりのようだ。

「あ? 聖、いねーと思ったら風呂かよ」

 彼を埋葬した男──北原廉が顔を上げる。ソファにどっしりと腰掛けて、テレビを眺めていたようだ。画面には、月明かりの中に雪の降り積もる森と湖の全景が映し出されている。

「うん。ちょっと冷えちゃってね、シャワーで温まっちゃった」
「湯冷めしても知らねーぞ」
「大丈夫、ホッカイロ帰ってきたから」
「あぁ? 俺のことかよ。ったく、髪くらい乾かしてこい」
「えー、廉が帰ってきたのがわかったから先に来てやったのに。俺的には、髪を乾かす暇も惜しんで出てくるなんて可愛い恋人だなあ、って感動してほしいところなんだけど〜?」
「ハッ、言うと照れるくせに自分で言うのかよ。俺はテメーのそういうとこ、わりと気に入ってるぜ」
「………、……さて、乾かしてこようかな」
「おい、聞いてんのか?」

 南條は照れ隠しのように踵を返し、洗面所の方へと姿を消した。ハッと笑い飛ばしながら、北原は画面へと視線を戻す。
 映し出されていたのは、一枚のハガキ。それをくるりと裏返し、内容を黙読する。それまで鬱々としていた表情がパッと明るくなり、その内容が嬉しいものだということを伝えてくれた。懐かしそうに目を細め、狭い部屋の中を一巡する。作業台代わりらしいダンボールの上にそのハガキを置き、青年は丸めていた布団を敷いてのそりと横になった。
 腕を組んだり伸ばしたり、寝返りをうってみたりと落ち着かない様子だったが、とうとう起き上がり、再びハガキを手に取った。差出人の名を見る。決めたぞ、といった風に頷き、そっとハガキを置いた。電気をつけていても薄暗い部屋の中で、ごそごそと準備を始める。窓の外は真っ暗だった。

「あーあ、うっかりしてたなあ」
「聖、おせーぞ」
「これでも急いだ方だけど〜? やっぱり今やってるんだよな、これ」

 南條が戻ってくる。ごく自然な流れで北原の隣に座り、同じように画面に視線を向けた。
 青年はすっきりと明るい朝の日差しの下を歩いていた。電車やバスを乗り継ぎ、ハガキの住所を見ながら片田舎の山道を進んでいく。最後のバス停からは民家もなにも無いような道だったが、とうとう山の奥に一軒の家があるのを見つけた。車が一台だけ停まっている、どうやら人が住んでいるようだ。
 呼び鈴はない。トントン、ドンドン、強めにノックする。
 はーい、と間延びした声が聞こえ、間もなくドアが開いた。

『ああ……、来てくれたんだ、ありがとう』
『リョウ! 変わってないな。元気そうで何よりだ』
『そっちこそ。こんな山奥まで歩いてきたの? すごいな、相変わらずの体力だな』
『今は貧乏だからな、タクシーを使う余裕がなかったんだ』
『はは、だからって歩いてきて、明るい内に着くなんて、そうそうできることじゃないと思うぞ? 寒かっただろう、まあ今は暑いかもしれないけど……立ち話もなんだから、中に入りなよ。今日はゆっくりできるの?』
『ああ。いくらでも』
『それなら泊まっていくといい、この辺りには何もないから。夜までゆっくり、思い出話をしようじゃないか』
『いいのか? それならお言葉に甘えさせてもらおうかな。ああ、ゆっくり話そう』

 北原と南條が、似合わぬ口調で会話をしている──画面の中で。

「撮影始まったの、いつだったっけ? んー……確か大学卒業する頃だったから、五年前?」
「あー、もうそんなか」
「あはは、なんだか懐かしいな〜」
「だな」
「──それにしても」
「あ?」

 北原と南條が、普段の口調で会話をしている──ソファの上で。

「俺たちの初共演、ダブル主演。まさかその映画の地上波初放送を、二人揃って見られるなんてね」

 週末の、午後九時過ぎ。
 南條は北原の肩に寄りかかった。なんとなく、人肌のぬくもりを求めて。北原の体は、シャワーで温まったはずの南條よりも温かかった。筋肉の恩恵、生きてるホッカイロ。寒くなるこの季節はこうして南條が擦り寄る頻度が高くなる。
 北原は当然のようにそれを受け入れ、むしろ肩に手を回して抱き寄せた。視線はテレビの画面を向いたまま、ごく自然に。体温が心地よくて、南條はこっそり小さなあくびをした。

「ん……地上波で放送されるのは聞いてたけど………まさか見られるとは思ってなかったから、今日のこの時間からっていうことまでは把握してなかったなあ。俺、なんだかんだ言って試写会以来見てないんだよね〜、これ」
「聖、うるせー。台詞が聞こえねーだろーが」
「はいはい。んじゃあ、CMまで黙っててやるよ」

 北原の声色から真剣な表情を想像して、南條は少しだけ拗ねたように口を閉じた。せっかくこんな時間から一緒にいるのだから映画を見るよりも会話をしたいと思わなくもないが、きちんと見たい気持ちもわかる。南條も、北原と同じように画面を見つめた。
 寄り添う二人とは異なり、青年たちは向かい合って座っている。場面はリョウ──南條の役柄だ──が、こう提案しているところだった。

『一緒に住まないか』

 リョウはおもむろに立ち上がり、北原の演じる青年に歩み寄る。怪しく笑う様が不気味だと評判の良かったシーンだ。

『一緒に……?』
『ああ。逃げよう、という提案さ。君が父親の借金に苦しめられていることは知っているよ。借金取りがとうとう君のところにも来るようになったんだろう?』
『なんで、それを……』
『どうして君の住所を知っているのか、その答えと一緒さ。調べたんだ、僕の欲しい答えを求めて』
『ど……どうしたんだ、リョウ。なんだか、お前じゃないみたいだ』
『最後に会ってから何年経つと思ってるんだ? 君は僕を見て変わってないなと言った、だけど人は変わるよ。僕は変わった、あの日から』
『あの日……?』
『僕の──、僕の家が燃えた、父さんと母さんが焼け死んだ、あの日から!』

 リョウが掴みかかるような勢いで彼に迫る。怒りをあらわにした表情から一変して、ニコリと唇を歪めて微笑む様は恐ろしく、画面越しでもゾクッとしてしまう。

『僕の家を燃やしたのは、誰だと思う?』
『燃やした……? あれは、事故じゃなかったのか?!』
『疑ったのは僕だけだった。みんな、警察もみんな、事故だと片付けた。でも納得できなかったんだ、どうしても。だから調べた──そして、ようやくたどり着いたんだ』

 リョウは静かに泣いていた。涙は流していない、だから正確には泣いていないのだが、まるで泣いているかのような雰囲気で、静かに語っていたのだ。
 そうして、再び笑みを浮かべる。不気味な笑みだ、まるで今から君を殺すとでも言いそうな、そんな不気味さだった。

『君に拒否権はないよ。今日、ここに来てしまったから』

 キスでもしてしまいそうな距離で、リョウは囁いた。窓の外はすっかり暗くなっていて、聞こえてくる鳥の声がさらにリョウの不気味さを増長させている。
 と、そこで画面がパッと明るく切り替わる。コマーシャルだ。
 チラリと、北原は視線を下げた。あの不気味な青年、リョウ──もとい南條は、眠たそうな顔をして肩にもたれかかっている。くぁ、と小さな欠伸をして、なんとも可愛らしい様子だ。画面の中とおんなじ顔をして、この差。あまりのギャップに思わず眉間にシワが寄ってしまった。

「……聖、テメーここ最近だらしねーぞ。もっとシャキッとしろ」
「ええー? いいだろ、別に」
「映画とギャップありすぎだろーが」
「そんなこと言われても、映画はフィクションだし。そしてこの俺はリアル、ってね。あはは」
「演技力がありますね、っつっときゃいいか? フン、有罪だ」
「なんで〜? こんなだらけてる俺、お前しか知らないんだから……俺的には優越感に浸ってどうぞ、ってところなんだけどな〜」
「テメー、夏は寄りつかねーくせに、寒くなるとすぐこれだからな。俺のことわかりやすいっつーけどな、テメーも大概だぜ」
「お前、筋肉ダルマだからあったかいんだよねえ。そりゃ、夏は近寄りたくないって。それともなに? 夏でもイチャイチャベタベタしたいってこと?」
「ハ? わかってんだったら年中甘えろ」
「あ……そう。ふーん」
「おい、なんで離れんだよ」

 コマーシャルはまだ続いていた。体を起こした南條はというと、北原の視線を無視して画面を見つめている。照れ隠しだろうか、以前はこんな風に逃げるようなことはしなかったのだが、近頃は素直すぎる北原相手にマウントはとれないと諦めたらしく、図星を指されるとこうして離れるようになった。さっき髪を乾かしに行った時もそうだ。
 そういう傾向があることはもうわかっているのだが、北原も学ばない奴だから、こうして離れられてはムッとしている。なんでだよ、と。
 じっと見つめる、気づいているくせに前ばかり見ている横顔を。コマーシャルに笑ってないで、早くこっちを向けばいいのに。

「……ギャップ、なくしてやろうか?」
「は? ッ!」

 不意に、その横顔がこちらを向いた。それから間もなく南條は立ち上がり、北原の正面にやってきてぐいと肩を押さえつけた。背もたれに倒れ込む、南條を見上げると、つい先ほどまで画面に映し出されていたような不気味な笑みを浮かべていた。

「『僕の死体を、埋めてくれ』」
「おい、聖」
「『僕はもう死んでいるんだ、君が今話している僕、触れている僕はもう、死んでいるんだ。僕自身は寝室にいる』」
「聖、」
「『──ああ、その顔は信じてないな? どうして触れられるのかって? 君が、そう望んでくれたから。君が他人のぬくもりを求めてくれたから、僕はこうして君に触れられる。いいから寝室へ行ってくれないか、すっかり冷たくなった僕がいるから』」
「おい」
「『拒否権はない、って言ったけど。実のところはそうでもない。第一発見者になるか、死体遺棄犯になるか、それは君次第なんだよ、優。ただ……、僕は、嫌なんだ。こうして意識が残ってしまった以上──焼かれる自分を見るっていうのが』」
「テメー、」
「『もう一度、お願いだ。僕の死体を、埋めてくれ』」
「五年も前の台詞、よく覚えてんな…」

 まるで画面から出てきたかのようにリョウそのものを演じる南條に対して、北原は北原のまま、的外れな反応をしてみせた。普通に、感心したような、そんな反応。
 こらえきれず、南條は吹き出した。こんなに面白い反応があるだろうか。あっはっはっと笑うと、北原はしかめっ面になった。南條の笑いに拍車をかける。ああ面白い、何年経っても飽きない奴だ。

「あー……ははっ、くく………お前さあ、ここは普通、豹変したって怖がるところだって思うけど〜?」
「アァ? どこの世界の普通だよ。テメー的にはだろ? 俺的には別にどうってことねーよ。まあ、多少は驚いたけどな」
「俺的には、聖がリョウに乗っ取られた〜とかそんな感じで怖がってほしかったんだけどねえ」
「どっちかっつーと、テメーは乗っ取る方なんじゃねーの? 聖」

 ニヒ、と北原が悪戯っぽく笑う。南條もつられて似たような笑みを浮かべた。

「それ、どういう意味?」
「セーカク有罪っつー意味」
「俺はただの人間だから、乗っ取ることなんてできないけどねえ」

 と言いながら、肩を押さえつけていた手を退かし、北原の膝の上に座る。首に抱きついてぴったりくっつけば、毛布にくるまるよりも暖かかった。

「聖、重い。乗っ取る方とは言ったけどな、乗っかれとは言ってねーだろーが。退け」
「甘えろとは言っただろ? 甘やかしてよ」
「アァ? 極端な奴だな。キスしてやろうか」
「CMとっくに終わってるけど見なくていいの?」
「……テメー…、さっきから全部わざとだろ」
「んー? なんのこと〜?」
「とぼけるな、有罪。人をおちょくりやがって…テメーは、」
「廉、うるさい。台詞が聞こえないだろ?」
「………」

 さっき聞いたような台詞を放った南條は、とぼけたように前を向いた。ジロジロ突き刺す視線は無視される。今度は北原が少し拗ねたような顔をして、テレビに向き直った。場面は昼間、先ほどとは違って小さな家の前。似たような山奥で、庭には小さな畑があった。何かを育てているらしい。
 家の中から、北原の演じる青年──優が出てきた。半袖のTシャツにラフなパンツ、首にはタオルをかけたスタイルだ。続いてリョウが出てくる。こちらは先ほどまでと大差ない格好、シャツのボタンを開けている程度の差だ。優と比べると少し暑そうに見える。

「……つか、今なんも喋ってねえだろーが」
「まあね」
「だいたいテメーのさっきの台詞、あれ最後の方だろ。まだ早えっつーの」
「はは、時系列的にはあそこだよ? というか、お前もちゃんと覚えてるんだね」
「それくらい、覚えてるもんだろ」
「……そっか。まあ、そうだよな〜。いくらお前が脳筋でも、初主演の映画のストーリーくらいは、覚えてられるか」

 くるりと、南條の顔が北原の方を向く。首疲れちゃった、とそんなようなことを言って、北原の肩口に頭を乗せた。すりすりと甘える仕草がくすぐったい。
 一応さ、南條がポツリと呟く。首に回された腕の力が強くなる。北原も南條の腰に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。温かい、生きているから。

「思い入れがある作品、だからね。廉は俺より芸歴長いから映画の出演経験もあったけど、俺は初めて。主演も含めて、ね」
「おう」
「あと──共演も、初めて。お前と、って意味じゃないよ、まあそれもだけど……、綾薙の奴と、初共演」

 画面には、リョウと優が楽しそうに笑っている様子が映し出されていた。畑仕事をして顔に泥がついてしまった優、それを見て笑うリョウ。手伝ってくれと言われて身を翻し、リョウが家に戻る。優は、おい、と声を荒げたが、すぐに仕方ない奴だと柔らかな笑みを浮かべた。

「あの時、俺の綾薙の同級生ってことは聞かされてたんだけど、名前は教えてくれなかったんだよねえ」
「ハ? テメーの第一声、『や、廉。昨日頼んどいたもの持ってきてくれた?』だっただろーが」
「あはは、よく覚えてるなあ。だって役柄的に、お前か空閑の二択だろ? 大穴で戌峰かな。で、仕事のジャンル的に……映画だから、廉だろうな〜って」

 フーン、と北原が少し面白くなさそうな声を返した。当時、南條は賭けとして顔合わせの前日に北原へ連絡していたのだ。そして予想は大当たり、ただの思いつきだったから何を頼んだかまでは覚えていないが、イタズラが成功したことだけは確かだ。北原も情報量は南條と同じだったようだが──、脳みその出来の差をあらわにしたあの間抜け面は、五年も経った今でもよく覚えている。
 思い出してクスッと笑うと、笑うなとばかりにバシッと背中を叩かれた。南條が笑った理由には見当がついたらしい。痛いなあ、と文句を漏らしてもフンと鼻を鳴らされただけだった。

「──まあ、俺的には……、初共演がお前でよかったな、って思うよ。一応俺の初めて尽くしな作品であるわけだから、それなりに思い入れがあるのも当然って感じかな」
「……テメーだけじゃねーよ。俺も、この作品には思い入れがある。だから今日は間に合うように調整した」
「え……そうなんだ」
「見ようと思えばいつでも見れるけど、地上波で放送してんのをリアルタイムで見るっつーのは、今日逃したら次があるかわかんねーだろ?」
「まあ、そうだね」
「んで帰ってきたら電気ついてるから……テメーも同じかと思ったら、違うみてーだし。有罪」
「……」

 平和そうな日常の風景がフェードアウトし、再びコマーシャルが始まる。

「初ってのは一度きりだからな。テメーの言う通り、思い入れがあんのも当然だ」

 ──けど、一番の理由は違え。

 北原が、ほんの少し拗ねたような、けれど優しく温かな声で言葉を紡いだ。

「初なんとかっつーのは、この世界で生きてりゃそれなりにつきまとうもんだし、大抵は一番印象に残る。初仕事、とかな。けど、俺がこの作品を特別に思ってんのは、芸能人の北原廉としてじゃねーよ」
「………」
「俺は俺として──っつーか、完全に私情だけどな」
「…………」
「この作品に思い入れがあんのは……聖、テメーが理由だ。テメーの理由は俺じゃねーのかよ」
「……………」
「……おい、聞いてんのか、聖? 寝たふりすんな、有罪」

 南條は死んだように動かなくなっていた。けれど、ぴとりと首筋につけられた頬は熱い。ハッ、と笑い飛ばす。

「これのおかげで、テメーが手に入った。だから特別なんだよ」
「………」

 はぁ、と南條がため息をついた。

「手に入った、って。人をものみたいに言うなよ」

 ぎゅう、と南條が腕に力を込める。

「……ね、廉」
「なんだよ」
「もしも俺が死んだら、俺のこと埋めてくれる? 優みたいに」
「アァ? んなことしたら有罪だろーが」
「フッ…、アハハ! まさしく。いくら死人からのお願いでも、死体遺棄には変わりないからなあ」

 馬鹿げたもしもの話をしてクククと揺れる背中を、もう一度バシッと叩く。またの文句も無視だ、無視。
 コマーシャルが明けた。のんびりとした日常はまだ続く。優は買い物をしに一人で出かけていた。近所の老人と談笑したり、畑仕事を手伝ったり、家に戻ってリョウに報告したりして、穏やかに笑っていた。
 北原は目を細めて、楽しそうな演技をする自分を見つめた。いや、これは演技だけじゃない。本当に楽しかったのだ。場面としては奇妙な同棲生活──人間と幽霊の、ひっそりとした日常だ。幼い頃にお互いを一番の友として過ごしていた彼らの、空白を感じさせない楽しい夢だ。映画の演出としては、リョウが死んでいることはまだ明らかにされていない。だからこのシーンは、純粋に楽しい日常として描かれている。
 北原と南條が出会ったのは彼らが別れた年齢の頃の話だが、久しぶりにべったりと行動を共にして、それで改めていいものだと思ったのだ。綾薙学園を卒業して、しばらく隣に南條がいない生活をして、それからまた隣に戻ってきたこいつを手離すのが惜しくなった。一緒に住まないか、劇中でそう提案したのは南條だったが、現実では北原がそう言った。

「……つーか」
「ん?」
「テメーが死ぬ頃には、俺ももうジジイだろーが。ジジイに無茶させようとすんな」

 と、それだけ付け加えて、北原は黙った。映画を見たい、という理由で。
 南條は、耳で楽しむことに決めた。顔を上げられる気がしない、という理由で。そもそもふざけてやったとは言えこの体勢がミスだ。さっさと退いて隣に戻ればよかったものを、居心地がよかったせいで長居したら、今はもうがっしりと北原の腕に支えられてしまっている。戻るにはこれを退かさなければならない。そこまでして戻る気にもなれなかった。
 さらっと、爺さんになっても一緒にいることを前提に語ってくれる北原のことを、改めて好きだと思ってしまった。この、予想の斜め上な奴ってところ、昔から変わってない。リーダーをやらせた頃には、たぶん、おそらくは、好きって気持ちが芽生えていたんだろうなあ、と思った。

「……ちなみに俺的には」
「……あ?」
「廉はきっとスーパーおじいちゃんになるだろうから、俺くらい余裕で運べるって思うよ」
「はっ、なんだそれ。つかテメー、勝手に俺より先に死ぬのは有罪だからな」
「許可取ればいいの?」
「ハァ? 許可するわけねえだろーが。……あ、台詞聞き逃した……おい聖、ちょっと黙ってろ。またCM入ったら聞いてやる」
「はいはい」

 離せばいいものを、しっかりと南條を抱きしめたまま真剣に見入っているらしい。足が痺れたりしないのだろうか、乗ったのは自分のくせに余計な心配をしてみせる。
 この共演以降、コンビが気に入られていろんなところで共演できるようになったんだよなあ、とぼんやり考える。宣伝でバラエティとか、コンビ復活と謳ってドラマ共演とか、いろいろ。この放送でまたオファーが増えそうだな、と緩んだ頬は引き締めない。
 物語は進んでいく。なんて楽しそうな声だろう、役を抜きにすると楽しい日々だったが。結末を知っていると少し虚しく聞こえてしまう。ハッピーエンドなんかじゃない、だけどリョウにとっては、幸せな結末なのかもしれない。
 ぎゅう、北原の腕に力が込められた。隙間がないくらいにぴったりとくっついている。温かくて、うっかりこのまま寝てしまいそうだ。ついでに南條もぎゅっと腕の力を強くした。
 映画の結末は知ることができても、人生の結末はどうしたって知ることができない。知った時はもう終わりの瞬間だ。最期まで、こいつの傍にいられるのだろうか。

「……ははっ」
「……なに笑ってんだ」
「いや? なんでも。気にしないで」

 ──最期まで、いる羽目になりそうだ!

 そう確信めいている。何故って、北原の方が、南條がいつまでも隣にいるものだと思い込んでくれているから。ならきっと、どっちが先に死んでもずっと隣にいるんだろう、死してなおこの世に存在してしまうリョウのように。
 そう思ったら可笑しくて、そう思えることが可笑しくて、南條にそう思わせてしまう北原のことが可笑しくて、思わず笑ってしまったのだ。ああ飽きない、飽きない奴だ。
 北原は静かに見ていた。単純にストーリーも気に入っているのかもしれない。ちなみに俺的にもわりと好きだけど、と思いつつ、早くCM入らないかなあ、とほんの少しだけ、映画にヤキモチを妬いたのだった。
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