ハッピーバースデー、トゥユー。

 ハッピーバースデー、トゥユー。

 聞き馴染んだフレーズが頭の中に流れる。ハッピーバースデートゥユー、ハッピーバースデーディア、……、………。
 南條は、枕元にスマートフォンを置いた。時刻は23時58分、あと2分で日付が変わる。日付が変わると、どうなるか。

 ──北原の、誕生日になる。

 スマートフォンの画面が一段階暗くなる。起動しているのはメッセージアプリだ。ぼんやりと、そのまま自動ロックされるまでずっと眺めていた。ふう、と短く息を吐き出して、それからもう一度スマートフォンを手に取る。ボタンを押して、ロックを解除しようとして、やっぱりまた置いた。
 悩むほどのことではなかった。別に変なことを言うわけではない、ごく当たり前のことを言うだけだ。そう、言葉そのものは当たり前。誕生日を迎える友人に『誕生日おめでとう』と言う。当たり前だ。問題は、言うタイミング。
 チームメイトの間で、派手な誕生日会をしよう、という話は挙がっていなかった。ただ、北原は4月生まれ。1年の頃はまだ顔合わせをしたかしないかくらいの頃で、チームメイトの誕生日なんて当然知らなかった時期である。誕生日いつ、という話題になる頃にはもう過ぎてるという答えだった。だから去年は誰も当日に祝ってやれなかった。
 そういうわけで今年は、当日のミーティングの時にケーキでも食べよう、というくらいの提案はされている。その時に誕生日会風に。わざわざ大掛かりなことはしなくても、軽くサプライズはしたいよな、というのは満場一致だった。主役以外はみんな第2寮だから打ち合わせは楽ちん。と言っても、前述の通り、ケーキを食べるだけだ。一応サプライズ、予約はしてある。予約だとバレないように、南條があとから北原を連れて行くという算段だ。

 誕生日おめでとう。

 簡単な言葉だ。へえ今日誕生日なのおめでとう、そんなのは親しかろうが親しくなかろうが簡単に言える。タイミングで悩んだこともない。やっぱり、悩んでいるのだ。いつ、言おうか、と。
 スマートフォン曰く、現在4月21日23時59分。北原の誕生日までに残された時間は60秒足らずだ。悩んでいる暇もなくなってきた。とりあえず、ロックを解除してみる。メッセージアプリは起動したまま、表示されてる相手も北原のまま。

 誕生日、おめでとう。

 北原の誕生日を知っている人間が、北原に会ったら。おそらく言うだろう。それを最初に言うのは誰になるかわからない。南條かもしれないし、違うかもしれない。
 なんとなく、一番に言いたかった。きっと、北原と最も親しいのは自分だから。なんとなく、人に先を越されるのが嫌だった。なんとなく、なんとなく。とっくに気がついている気持ちには蓋をして。
 しかし、だからと言って日付が変わった瞬間に送るというのはどうなのか、と。確かにそうすれば、他に同じことをする奴がいなければ、ほぼ確実に一番になる。北原が既に寝ていたとしても、朝起きて最初にスマートフォンをチェックすることは知っている。そこまでして一番に拘りたいのか、と問われると別にと言いたくなるが、完全には否定できない。南條的には驚きだ。
 なら、送ればいい。という問題でもなかった。蓋をしていても、そこに蓋があることは知っているのだ。日付が変わった瞬間に送る──ということは、日付が変わるのを今か今かと待って、その瞬間に送った、というのがバレるということ。

 誕生日おめでと、廉

 一応までに打ち込まれていた文字列。送信ボタンをタップすれば簡単に向こうに届いてしまうわけだが。
 どうしたものか、と南條は唸った。小さな小さな声で。ルームメイトに聞かれてしまったら嫌だから。さて、悩んでられる時間はあとどれくらいか──と、ディスプレイに表示されている時刻を確認した瞬間、だった。

 0:00、日付が4月22日に変わった。

 あっ、と思った。思った時に、置いた指の先に、送信ボタンが、あった。もう一度、あっ、と思った──向こうに届いてしまった、おめでとうって。
 ドキドキ、ドキ、ドキドキ、心臓が変な音を立てる。どうしよう、日付が変わった瞬間に送ってしまった。タイムラグは秒単位、いやそれ以下か。せめて、せめて寝ていてほしい。とは言え、高校生的には、これくらい夜更かしでもなんでもないのだけれど。

 既読。

 既読がついてしまった。
 ああ、まだ0:01にならない。
 ああ、バレてしまった。
 一般的にはどれくらいまでが普通なんだろう、俺的にはこれって特別なことなんだけど、と慌てた脳みそがそんな言葉をぐるぐる回す。
 ポコン。表示された、メッセージ。それがそんな思考をかき消した。つまらねーこと考えんなよ、って具合に。思わず顔が綻ぶ。送ってよかった、掌返し。





『一番乗り。無罪』



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