日頃の感謝を君に

※初めて書いた愁和(2016.03.14)
※ホワイトデーネタです
※pixivより
















「もしもし? あ、編集のオネーサン。久しぶり〜……え? バイト? んー……そうだなぁ……ま、ちょうどいいか。OK、引き受けるぜ。……ん、じゃあ今日の六時に。またな」

 チュッ。軽いリップ音を響かせ、電話を切る。雑誌のモデルをやらないか、というお誘いの電話だ。普段なら仕事は断ってデートだけするところだが、今は少し事情が違う。ちょうどまとまった金が欲しいと思っていたところであった。
 何故かというと──そう、もうすぐホワイトデーだから、だ。
 虎石和泉は、自慢ではないが、ものすごくモテる。整った顔立ちに、細身でありながらほどよく筋肉のついた抜群のスタイル、それに加えて何の恥じらいもなく甘い声で甘い言葉を囁くような、幼馴染には呆れられるほどの女性好き。逆にモテない要素が見当たらない。バレンタインには抱えきれないほどのチョコレートをもらったものだ。
 つまり、それだけお返しの量も多いということである。さすがに三倍返しはできないが、手渡ししてくれた分くらいは全員に返すつもりだ。女性を泣かせない、それが虎石のポリシーである。
 だから誰か一人だけという特定の相手は作らないのだが、裏を返せば常に違う女性と共にいるということ。それが女遊びの激しい奴だと思われる理由らしい。
 いくらチャラいと言われようとも、自分の人生だ。虎石にはまるで気にした様子はない。お返しはどこで買おうか、何を買おうか、そんなことを考えながら虎石は学校へと向かったのだった。






「ん? よぉ、愁ちゃん」
「……虎石」

 前を歩いているよく知った人影に、虎石は声をかけた。ゆっくりと振り返った人物は、思った通り幼馴染で腐れ縁の空閑愁であった。
 朝から不機嫌そうな顔をして見えるが、別に機嫌が悪いわけでも怒っているわけでもなく、これが空閑の普通の表情なのである。勘違いされやすい幼馴染だが、自分と合わせてバランスがいいと虎石は思っている。

「一人か? 仲良しのチームメイトは一緒じゃねーんだな」
「朝から一緒にいるわけじゃねぇよ。別にいいだろ、どうせ練習で会うんだ」
「は、そりゃそーだ。んじゃ、久々にオレと二人で登校しようぜ、愁」
「まあ、どうせ目的地は同じだからな」
「素直に一緒に行こう、くらい言えよな〜、ったく」

 そんな応酬も楽しくて、虎石は笑った。空閑も口元を緩めている。中学生の頃に戻ったような気分で、たまにはこうして誰かと一緒に学校へ向かうのも悪くない。その隣を許せるのはきっと、この寡黙な幼馴染だけなのだろうが。













「お疲れ様でしたー」
「ん。どう?」
「バッチリよ! さすが虎石くんね。ねぇ、やっぱりうちの雑誌の専属になる気はない?」
「何度も言ってんじゃん、臨時だって。オレがなりたいのはモデルじゃねーしな。仕事抜きならいつでも付き合うよ、オネーサン」
「もう、虎石くんたら口が上手いんだから!」
「そりゃどーも」
「はいこれ、今日の分。明日もお願いできるのよね?」

 もちろん、と返事をする。撮影は今日と明日の二日間の約束だ。ヒラヒラと手を振り、現場を後にする。外はもう暗くなっていた。

「……あ、もしもし? オレ、虎石だけど。うん、これから泊まりに行ってもいい? ……さんきゅ! ……ん、了解………わかったわかった、買ってくよ。じゃな」

 なんだか寮に帰るのは面倒で。女友だちに電話をかけて、ケーキを土産にすることを条件に泊まりの承諾を得る。念を押されたイチゴのショートケーキと、もう一つオマケのタルトが入った箱を手渡しながら、明日も頼むとウインクすれば、友人は仕方ないと言いたげなため息とともにいいよと言ってくれた。いつも急に訪れる自分を泊めてくれる彼女へのお返しは少し奮発しよう、と決めた虎石であった。











 最近、虎石の姿を見ない。最近と言っても、つい昨日の朝会ったばかりではあるのだが。
「空閑〜? どした?」
「……何がだ」
「いつも以上にむつかしー顔してるからさ。何かあったなら、オレ、相談に乗るよ!」
「あぁ、悪ぃな。でも、大丈夫だ」
「そう? 本人がそう言うならいいけど…」

 いつもの練習の休憩中。なかなか目敏いチームリーダーが声をかけてきた。しかし、相談するほどのことでもないのは事実だ。
 まず、一日や二日幼馴染が顔を見せなかったからと言って何を悩むことがあるのかわからない。むしろ普段が多すぎるのだ。現国の教科書を貸せ、数学の教科書を貸せ、消しゴムを貸せ、などと毎日現れる方がおかしい。

「そういえば、昨日と今日は珍しく虎石が教科書を借りに来なかったな」

 と、月皇。
 さすが、同じクラスで毎日見てるだけはある。浮かない顔の原因を言い当てられ、内心ギクリとしながらもため息混じりに声を上げる。

「アイツもようやくしっかりしてきたんだろ」
「一年も終わるって時期にかぁ? ったく、だらしない幼馴染さんなこった」
「最近授業も少なくなってきたしね」
「元々虎石は空閑に甘えすぎだろう。いい傾向じゃないか?」
「そうだな」

 短い休憩時間の話題が自分の幼馴染である状態が、妙に居心地悪くて。それが何故かはわからない。

「あ、もしかして空閑……寂しい、とか?」

 ──そんな核心を突くような星谷の発言に、上手い反論の言葉を考える間も無く、無情にも休憩終了の電子音が鳴り響いた。誤魔化すように息を吐き、立ち上がる。

「別に、どうでもいいだろ。練習再開しようぜ」









 そんな空閑の気も知らず、チーム練習を終えた虎石は今日もまた撮影へと向かっていた。明日はちょうど休みだからプレゼントを買いに行こう、などと考えながら。
 撮影は滞りなく進み、今日もバッチリの出来だ。掲載される雑誌は来月発売らしい。見本誌が出来たら渡すわね、と言った編集の女性に、行きがけに買ったマカロンの詰め合わせを渡す。一瞬驚いたような顔を見せたあと、納得したように笑った。

「モテる男も大変ね」
「まぁね」

 外へ出てすぐ、昨日の女友だちにこれから行くと連絡を入れる。特にケーキは頼まれなかったが、虎石は迷わず行きつけのケーキ屋へと入った。ちょっぴり豪華な、ホワイトデーのお返しを買うために。彼女のくれたバレンタインのチョコレートはどう見ても義理だったが、日頃の感謝を伝えるためだ。
 サプライズプレゼントは、どうやら気に入ってくれたらしい。なかなか付き合いの長い友人だ、好みも知っている。

「ほんと、チャラいよね」
「褒め言葉か?」





 と、そんな調子で寮にも帰らずふらついていた。朝起きて女友だちに別れを告げ、そのままプレゼントを買いに出歩く。バイク借りてくりゃ良かったな、と思いつつ、空閑にはバイトがあるので泊まりでは借りられない。
 そういえば、この前登校中に会ったきり空閑の顔を見ていない。ふと気がついた。毎日のように何か借りに行っていたが、珍しく忘れ物をしなかったため借りる必要がなかったのだ。基本的に教科書は机に置きっ放し、課題も授業も少ない年度末だから忘れようがなかっただけだが。
 久々に愁誘って遊びにでも行くかな、と思ったのも束の間、ピリリリと鳴る電子音に思考を遮られる。

「もしもし? どうしたの、子猫ちゃん。明日? もちろん、空いてるよ。OK、オレも渡したいもんあるから……んじゃあ、ランチでも行こう。またな」

 ピリリリ。

「もしもし……あ、オネーサン! 元気? ……明日の夜? あー……うん、大丈夫。会えるぜ。……はは、オレも楽しみにしてるよ。じゃ」

 ピリリリ。

「もしもし、ああうん、なぁに? 子猫ちゃん。オレに会えなくて寂しかった? ……ごめんごめん、ちょっと忙しくてさ。…明日? ごめーん、先約があってさ……明後日の夜なら、オレを独り占め出来るぜ。……OK、じゃあ明後日の夜に」


 立て続けにデートのお誘いの電話がかかってくる。虎石にとっては日常茶飯事だ。最近は仕事のせいで遊べなかったから仕方ない。
 店で真剣にお返しを考えていれば、カウンターの向こうの女性が羨ましそうに頬を染める。

「このセットと詰め合わせを三つずつ……あとこのクッキーも」
「プレゼント用ですか?」
「もちろん。あ、別々にお願いできる?」
「かしこまりました」

 手際よくラッピングされたプレゼントを受け取り、クッキーだけを店員の女性に手渡した。

「これ、オネーサンの分。ハッピーホワイトデー!」

 ウインクを一つ置いて店を出る。虎石の去った店内には羨ましい! という声が響いたのだった。


 さてと、と口の中で小さく呟く。あの後もいくつか店を回り、目的は果たした。そろそろ昼の時間だ。誰かを誘ってもいいが、いいかげん寮に戻ってゆっくりとしてもいいかもしれない。
 ふと、店先にある箱が目に留まった。深い紫色の包装紙で、上品なシルバーのリボンがかけてある。中身はビターチョコらしい。どことなく誰かを思い出すその箱は、日頃の感謝を形に、などという宣伝文句で置いてあった。

 ──日頃の感謝、ねぇ。

 それは気まぐれで。なんとなく。虎石はその箱を手に取り、会計を済ませた。税込六百円、なんとも安い感謝だ。











「愁いる?」

 トントン、という軽いノックを響かせると、部屋のもう一人の主である月皇が戸を開けた。ドアの隙間から部屋をチラリと覗いても、人の気配はない。

「空閑ならさっき昼を買いに出かけたぞ」
「マジか。入れ違いかよ」
「中で待ってるか? 俺は構わないが」
「あー、いいって。いないんならまたにするわ。別に大した用事じゃねーし」

 月皇の返事も待たず、虎石は背を向けて去った。歩きながら、別に月皇に預けてもよかったのではないかということに気づく。
 いや、でも。特に深い意味はないのだ。ホワイトデーとしての贈り物を同性に渡そうなどという行為をその通り変に勘ぐられたくはない。それに、仮にも感謝の気持ちだ。直接渡した方がいいだろう。
 軽く渡そうと思っていたのに、調子が狂う。誤魔化すように大きめな欠伸をして、虎石は部屋に戻ったのだった。





「虎石、いるか?」

 トントン、トントンという繰り返されるノックの音で目が覚める。いつの間にか寝入っていたらしい。シャツが少しよれている。

「はいはい……お、愁じゃん。どした?」
「どした? じゃねぇよ。お前だろ、俺んとこ来たのは」
「あー……そうだっけ……?」
「虎石……お前寝てたのか?」

 まだ動きの鈍い頭をなんとか働かせて、そういえばさっき空閑の部屋を訪れたのだったということを思い出した。ふわ、ともう一度欠伸をする。

「……お前のその顔、ぜひキャーキャー言ってる女子たちにも見せてやりてぇもんだな」
「ばーか、お前以外じゃ男の前でも大欠伸なんざしねーよ。ま、立ち話もなんだ、入れよ」
「ああ」

 腐れ縁の男を招き入れ、コーヒーの用意をする。インスタントくらいしかないが、ないよりはいいだろう。

「久しぶりだな」
「そうか〜? あー……そう……そうだな、そういや。一昨日だったか?朝会ったの」
「そうだな」
「最近特に忘れ物しなかったからなー。もう授業少ねーし、課題なきゃ教科書持って帰らねーからな」
「お前は忘れ物しねぇと俺んとこには来ねぇのか」
「……あ、なに? オレが会いに来なくて、愁ちゃん寂しかった?」
「そうじゃねぇ」

 拗ねたような物言いを茶化すと、さらに拗ねたような顔をする。無愛想な腐れ縁の顔を崩すのはなかなか面白い。
 月皇から聞いたのだろう、わざわざ訪ねて来てくれたのだ。今日のように空閑の留守中に部屋を訪れることは今までも何度かあったが、こうして空閑の方から改めて来るのは珍しい。虎石は空閑の前にコーヒーを置き、向かいに座った。

「で、用ってなんだ」
「あ……そう、用な。別に大したもんじゃねーよ。あー……えっと、ほら、これ」
「……?」

 何故空閑の部屋を訪れたのか。その理由を思い出し、虎石は少し気まずそうに机を見上げた。おもむろに立ち上がり、カラフルで可愛らしい包みの中から一つだけシックな色合いの箱を、ポイ、と投げるように渡す。何なのかわかっていないらしい空閑は不思議そうな顔でキャッチした箱を見つめている。
 今更ながら気恥ずかしくなって、なんでこんなもの買ってしまったんだろうと頭を抱えたくなる気持ちを抑えた。

「ホワイトデー。いや、別にお前からは何ももらってねーけど……日頃の感謝っつぅか……その、いつも色々貸してくれて、あんがとな」
「虎石……」

 照れ隠しにコーヒーを飲む。ブラックのはずなのに何故か少し甘いような気がした。気持ち悪がられたりはしないだろうかと、チラリと空閑の方を窺うと、目を細めて嬉しそうな表情を浮かべていた。

「お前もかわいいとこ、あるじゃねぇか」
「わ、ちょ! 撫でんな! 髪崩れんだろ!」
「さっき寝てたんだろ? 今更気にすんな」
「気にするわバカ! つーかかわいいってなんだ!」

 まさか撫でられるとは。手櫛で髪を整え、すまし顔の空閑を睨む。けど、そんなやり取りもやっぱり楽しくて。悔しいが、笑ってしまった。

「そうだ愁、今日バイトないんなら久々に遊びに──」

 ピリリリ。

 二人の時間を引き裂くように、虎石のスマホが鳴る。

「あ、もしもし? どうしたの、子猫ちゃん。……え? 今日? これから? もちろん! ……最近会えなくて寂しかったって? オレもだよ、子猫ちゃ──ッいってぇ!!! ──あ、ごめんごめん、こっちの話」

 バシン、と。いい音が鳴る程度に思い切り頭を叩かれる。いきなり何すんだ、と睨みつけると、睨み返された。意味がわからない。

「……うん、じゃ、また迎えに行くからーー痛ッ! んだよ愁さっきから! やめろよ! ──ああうん、気にしないで。ん? ああ、腐れ縁の……幼馴染。そ、男。オレが構ってやらねぇからって拗ねてんの」
「誰が拗ねてる、だ」
「うぉッ!? だからやめろ! 子猫ちゃんが心配してんだろうが──ってコラ返せ!」
「悪いな、虎石は俺が借りていく」
「ちょっ」

 プツッ。無情にも、勝手に通話は切られてしまった。この幼馴染は時々、口で言っても聞かねぇから……などと言って、なかなか強引な手を使うことがある。

「今日はバイトねぇんだ。遊んでくれんだろ? チャラ男」
「てめっ……」

 虎石は諦めてわざとらしく大きなため息を吐いた。確かに、先に誘いをかけたのは自分の方である。

「わぁーったよ、で? どこ行く?」
「そうだな……」

 まあ、たまにくらいなら、許してやろう。ホワイトデーは明後日、プレゼントを渡すのは明日からでも遅くはない。
 そのたまに、を許せるのも、間違いなくこの寡黙な幼馴染だけだろう──ぼんやりとそんなことを考えながら、虎石は空閑の後について部屋を出たのだった。
 
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