夏祭り

※2017.07.30開催スターライトスターダム6にて無料配布していた作品


















「聖、浴衣買いに行くぞ」
「は?」

 ──それは、あまりにも唐突な誘いであった。




 南條聖は目をしばたかせた。言い放った本人の北原廉はしたり顔で笑みを深めている。南條はうーんと唸りながら愛想笑いを浮かべた。

「これはまた急だなあ。なんで浴衣?」
「夏祭り行くからに決まってんだろーが」
「夏祭り? どこの?」
「愁の地元で夏祭りがあるらしい。和泉から聞いた」

 ああ、そういう。と目を細める。北原のお気に入りの空閑愁、彼絡みのこととなると北原のアホさに磨きがかかるのだ。やれやれ、と肩を竦める。

「廉は本当に空閑が大好きだよねえ…わざわざ行く? 人の地元に。俺的にはストーカーチック、って思うけど」
「んな言い方すんな、有罪。愁のルーツを辿るいいチャンスだろーが。強さの秘訣がわかるかもしんねえし」
「夏祭りじゃわかんないと思うけど……」

 繰り返すが、北原はそもそも脳筋だが空閑が絡むとさらにアホになる。まあ、北原はこういった祭りなどのイベント事でテンションが上がる子どもっぽいタイプだ、どこかしら夏祭りには行くつもりだったのだろう。どうせなら空閑の地元へ、と。地元と言ってもと都内のため、そう遠くはない。だから行く気にもなったのだ…と、思いたい、もしも地方出身だったとして、それでも行くと言い出したらさすがにその執念に呆れざるを得ないから。
 どうせ空閑と行く、などと言い出すのだろう。その浴衣選びに付き合わされる理由はわからないけど──と、思っていたら。

「だから俺たちも行こうと思った」
「──俺、たち?」
「ああ。俺と聖で、夏祭り。行くぞ」
「えっ」

 いや、なんで? と、再び北原のことをまじまじと見つめることになった。南條もついてくることを疑っていない目をしている。

「俺はてっきり、空閑と行くって言い出すかと思ってたんだけど」
「はあ? なんでだよ。和泉に聞いたっつったろーが。アイツが愁と地元の夏祭り行くって昨日帰省の支度しながら言ってたから日程聞き出した。先約あんのに割り込むとか有罪だろ」
「え…虎石も入れて三人とかは?」
「んだよ聖、俺と夏祭りに行きたくねえって言いてえのか?」
「いやそういうわけじゃ、ないけど」

 んー、と南條は唸った。正直、予想外。まさか北原の方からデートのお誘い──本人にそのつもりはないだろうが──をしてくれるなんて。北原は、南條のお気に入りだ──一年の時から同じスター枠に選ばれたチームメイトとして過ごしていく中で膨らんだ感情には見て見ぬふりをして。しかし思ったことは言いたいタイプなので、可愛いとかなんとかそれくらいはさらっと言っていたら、よくわからないことは深く考えないタチらしい北原は、男が男に可愛いなんてと怒ることもなくさらっと受け入れている。
 せっかくの夏休み中、どこかに出かけようと誘おうか誘うまいか悩んでさえいたくらいだったのに。おそらく北原の方も南條のことはチーム内で一番仲の良い奴という認識があるのだろう。いくら空閑に先約があるからと言って夏祭りに一人で行くのもなんだから、という理由だろうと予想してみて、だったら諦めればいいのになあと諦めずに自分を選んでくれたことを少なからず嬉しく思った。
 行くのか行かねえのかはっきりしろ、なんて言われたら、まあ行くよと答えてしまうに決まっている。北原はズルイ、これを全部無自覚でやってのけるのだから。

「決まりだな。よし、さっそく浴衣買い行くぞ」
「え、今から行くの? ちなみに俺的には、別に浴衣で行く必要はないって思うけど」
「何言ってんだ、やるからには完璧に、だろーが」
「廉って結構型から入るタイプだよね……着方わかるの?」
「…………道着と似たようなもんだろ」
「はあ、無計画だなあ。俺的には甚平の方が着やすくていいって思うよ。今時調べれば浴衣の着方くらいいくらでも出てくるだろうけど、付け焼刃で着つけて歩いてる途中で帯が解けちゃう、なんてのは勘弁」

 確かに、と北原が同意する。妥協、というのは完璧主義の彼の嫌うところだが、これは代替案だよ、とテキトーにそれっぽく言えば簡単に納得してくれるのが脳筋たる北原の可愛いところである。
 というか。夏祭りだけじゃなくてこれから買い物デートまで行けるなんて。すごくラッキーだなあ、と前を歩く北原の頭を眺めたのであった。








**








「廉は甚平が似合うね。子どもみたいで可愛いよ」
「だろ? ……ん? テメー、それは褒めてんのか?」
「褒めてる褒めてる」
「聖はやっぱ浴衣にして正解だったな。似合ってんぜ」
「あ…そう。ありがとう」

 夏祭り当日。二人は北原の部屋であの時買った衣装に着替えていた。北原は甚平、南條は浴衣である。
 買いに行ったあの日。試着を終えたらしい北原が、どれにしようかと商品を眺めている南條に『聖は浴衣にしろ』と急に言ってきて、ええーと言いつつもこれがいいと北原が選んだ浴衣に決めたのだ。ちなみに北原の甚平は南條が選んだ。これとかいいんじゃない、とかそんな程度だが。
 浴衣、着方、男性、なんて言葉で検索をかければすぐに方法は見つかった。案外簡単だな、と着つけた浴衣の袖を持ち上げ自分の姿を見下ろす。全身を見られる鏡などないが、北原が似合っていると言うのなら似合っているのだろう。こんなに簡単に着られるなら廉も浴衣でよかったかもな、と思いつつ、動きやすい甚平を気に入っている様子が可愛いからいいかと北原の方へ視線を戻す。
 北原は腰に手をあてて仁王立ちをしていた。ばちりと目が合った瞬間、行くぞ、と一緒に買ってきた草履を片手に、もう片方の手で南條の手首を掴んで。ちょっと、と引き留める南條の声など気にした風もなく駅へと一直線に向かって行った。



「夏祭りとか、やっぱテンション上がんな」
「廉はこういうの、好きだよねえ」
「お前は? 好きじゃねえのか?」
「んー、特別好きってわけじゃないけど、嫌いってわけでもないよ。廉と一緒なら楽しそうだしね」

 ガタンゴトン、と電車に揺られて。昼間から行っても暑いだけだから、と花火もあるらしいので日が落ち始めてからの出発だ。電車の中には二人と同じように浴衣や甚平を着ている人間がまばらにいる。夏祭り、普段と違う格好。少なからずテンションが上がる気持ちはわかるかも、と既に楽しそうにしている北原を眺めた。

「まず射的はやんだろ、そんで金魚すくい、輪投げもいいな、それから…」
「満喫するねえ」
「ったり前だろーが。あとは焼きトウモロコシとか焼きそばとか、チョコバナナとか、他に…」

 やりたいこと、食べたいもの。指折り数える北原は格好も相まって小学生のようだ。背が低いわけではないのだが、完全に雰囲気のせいだろう。昨日の夜もはしゃいだメッセージが遅くまで送られてきたくらいだ、楽しみ事の前に寝付けなくなるところもまるで小学生である。
 そういうところも廉の可愛いところだけどね、と肩を竦めて。

「食べるねえ…俺的には歩き食いとかしたくないけど」
「夏祭りの醍醐味を否定するかぁ? 有罪だな」
「はいはい。それで、どの駅で降りるの?」
「ああ、えっと……お、次だな」

 それから開いたドアの方へと、また手首を掴まれて引っ張られる。せっかちだなあ、と思いながら引きずられるのも楽しさの一つかな、なんて。しかし甚平に比べて浴衣は歩きにくいのだから少しくらいは気遣ってくれてもいいのに、と思わなくもない。大股でズンズン進む北原と、狭い歩幅でちょこちょこ歩かざるを得ない南條。ちょっとばかり滑稽だ。
 着崩れたら北原のせいにしようと勝手に決めて、祭り会場を調べたと言う北原に連れて行かれる。神社の祭りとかなんとか言っていた気がする。
 そんなに遠くはないらしい。だんだん人混みの中に浴衣姿が増えてきた。それでも男でこんな格好をしている者は少なく、それなりに目立っている。ましてや北原は既に芸能事務所に所属していてモデルとして雑誌に載っていることもあるし、南條も背が高いくて普通より整った顔をしている方だから、なんとなく視線が集まっているような気がしてきた。
 はあ、と一息ついて。

「れーん。俺的には、手を掴んでる必要はないって思うけど。一人で歩けるよ」
「ん? ああ、そういやそうだな」

 せめて注目の原因になっていそうな一つを解消しようと指摘すれば、あっさりと解放された。結構な力で握られていた手首にそっと触れる。ちょっと残念、とは思っていない。
 人が多いな、と南條は目を細めた。そもそも歩いての長距離移動は好きじゃない上に履き慣れない草履で少し足が痛い、人混みだって好きではない、けれど。予想するまでもなくわかりきっていたイベントへと赴いてしまったのは、やっぱり。

「おっ、聖! ヨーヨー釣りあんぞ!」
「あ、ちょっと廉、急に走らないで、ってうわっ」

 一人で行けばいいのに律儀に南條の手首をがっしり掴んで走りだす、この北原が可愛いから。急な動作に躓きかけても、まあいいけどさと言ってしまえるくらいには。
 早速財布を取り出して、腕まくりをしながらしゃがみ込む。南條は北原の様子を立ったまま眺める。北原が楽しそうにしているところを見るのが楽しい。北原はあの、赤いような紫色のようなヨーヨーを狙っているらしい。狙いを定めて、そっと釣り上げる。成功して小さくガッツポーズを収めるところまでしっかり観察していた。

「よし、次は……あれだな」
「ええ、一個でよくない? まだ取るの?」
「バカ、こいつはまだ死んでねえ」

 こいつ、とかぎ針付きのこより紙を指さして、北原はそう言った。それがあまりに真剣な表情だったから、南條は思わず吹き出してしまった。何笑ってんだ有罪、とお決まりの文句を言われて、ごめんごめんと咄嗟に謝ったものの再び目の前の獲物に集中しだした北原に笑いが込み上げてくる。口元を押さえてこらえながら、やっぱり廉は飽きないなあ、と思った。
 今度は青味がかった緑色のヨーヨーを狙っているらしい。それもそっと釣り上げて、三個目に引っ掛けた瞬間、ぶつりとこより紙が千切れてしまった。

「あーくそ! 有罪!」
「まあまあ、二個もあれば十分でしょ。腕は二本なんだからさ」
「それもそうだな。よし次行くぞ」

 と、忙しなく歩き出そうとした北原が、あ、と声を上げて振り返る。これやる、と押し付けられたのは、今しがた釣り上げた青緑色のヨーヨー。え、と声が漏れた。

「いや…別にいらないけど」
「はあ? 有罪」
「ええー、理不尽だなあ…」
「これ、お前の分のつもりで取った。から、受け取んねえと有罪だ」
「あ…そう…じゃあもらう」

 ヨーヨーなんて、いらないのに。どことなく北原の瞳の色に似たそのオモチャが、北原が南條の分として取ったものなのだと知ったら急に愛しく思えてきて、そっと受け取り落とさないようにゴムを指に通す。水風船のヨーヨーなんて、こうして触るのは何年ぶりだろうか。

「…なんか、廉の目の色に似てるね」
「そうか? こっちは聖っぽいよな。だから狙ったんだけどよ」
「え、あ、そうなの?」

 次は射的だな、と言いながら歩いていく北原の後ろ姿が、夜なのになんとなく眩しく見えて、南條は目を細めた。ふうん、へえ、そうなんだ。俺っぽいから、狙ったんだ。南條はんんーと唸った。そういうこと無自覚で言ってくれちゃって、ぽいものだけじゃなくて本物も釣り上げちゃってるけど気付いてる? なんて考えて。
 気付かないでいいよ、と眩しいままの背中を見つめる。このままでいい、このままでいい──んだけど、なあ。
 射的だ、輪投げだ、金魚すくいだ、と屋台を発見してはその度に南條の手を掴んで引っ張っていく。勝手に置いていけばいいのに、連れて行く。物理的にも精神的にも振り回されて、いつもの倍以上疲れて、それでもとても楽しそうな北原が可愛いから許せてしまって。はあ、と聞こえないようにため息をついた。言わなくてもいつか気付かれてしまいそうなくらいに膨らめないでほしい。なんていうのも、あっちは無自覚だから頼みようがないのであった。

「うし、遊びつくしたな。次は…おっ、たこ焼きあんじゃねーか。行くぞ聖」
「ああ、今度は食べるんだね…」

 食べ歩きとか、みっともないしそんなにしたくないけど。ほら聖の分、と手渡されて拒む術があるのなら教えてほしいくらいだ。熱いだろうな、と思ってふうふうと息を吹きかけていたら、熱っと隣で悲鳴が聞こえた。相変わらず警戒心が薄いと言うか、なんと言うか。

「焼きたてだろ? もっと気をつけなよ」
「はふ、これが、いーんだろーが、ふっほ、熱っ」
「火傷してない? 大丈夫?」

 おう、と返事をしているが、あまりの熱さで涙目になっている。うーん不用心、と南條は呟いた。火傷は御免だからもう少し冷めてから食べるとしよう。

「次はー…お、焼きそば」
「あ、ちょっと、たこ焼き落としたらどうすんの、待ってよ」

 と、まあそんな調子であちこち回って両手いっぱいの食べ物がなくなってきた頃。デザートだ、と言ってチョコバナナを一本ずつ手に持ってぶらぶらと歩いていた。そろそろ花火が始まる頃かな、とすっかり暗くなった空を見上げた。
 北原はいつの間にか食べ終わっていたらしい、そこら中にぶら下がっているゴミ袋の中に割りばしを捨てていた。すぐに食べるには少し腹がいっぱいで、南條はまだ口をつけていない。花火が始まってからでもいいだろう、と思いながら、ヨーヨーで遊び始めた北原を観察する。バシャバシャと音を立ててうるさいけれど、まあ楽しそうで何よりだ。
 不意に、北原が顔を上げる。それから、走り出した。


「愁!」


 ──と、言って。バタバタと駆け出して。片手には何も、持っていないのに。北原は一人で走って行った。愁、とお気に入りの彼の名前を呼んで、おまけのように和泉とその幼馴染の名を呼んだ。南條はその場に置いてけぼりだった。
 へえ、そう。と、人混みに紛れてしまいたい気分になった。はぐれたら、探しに来てくれそうな気がしたから。いや、それも都合のいい妄想かもしれない。
 少し離れたところから、なんでいんだ、お前マジで来たのかよウケる、愁の地元に行ってみたかったからな、オレの地元でもあんだけど、などと言う会話が聞こえる。ちらりとも見ないで。ああ、やっぱり雑踏に流されてしまおう、と思った時。

「まさか一人で来たのか?」
「いや、連れがいる。聖!」

 ──と、愛しい声が、手首を掴むよりも強く南條を引っ張ったから。ああ、連れ回されている時は置いていけばいいのにと思っていたくせに、いざ置いていかれると嫌だと思うなんて我儘すぎて反吐が出そうだ。眩しいなあ、とまた目を細めた。お望み通り隣へ並んであげて、やあと軽く挨拶。

「つーかお前ら、気合い入ってんな。甚平と浴衣かよ」
「そういう愁たちは洋服かよ。有罪だな」
「なんっでだよ! つーか男二人でわざわざ浴衣とか着なくね?」
「夏祭りっつったら浴衣だろーが。愁は浴衣似合いそうだな」
「あ、確かに。似合いそ~。オレはまあ、なんでも着こなしちまうからな」
「はいはい一生言ってろ」

 北原のお気に入りは黙々と焼きそばを食べていた。連れの虎石は気にした様子もなく北原と喋っている。北原は時々空閑の方を見ては、いい食いっぷりだな無罪、などと言っていた。腹の底が、スゥッと冷えていくのを感じた。ああ嫌だなあ、とさらに目を細める。嫉妬しているらしい自分が、嫌で仕方ない。
 北原が空閑に懐いていて、空閑の方へ行ってしまうのはいつものこと、なのに。ついさっきまで南條に構いきりだった北原が、一瞬でそっちへ行ってしまったことが気に食わないらしい。嫌だなあ、と目を瞑った。そして瞼を持ち上げる。ストレスは溜めたくないんだよね、と思って。

「そういや──んぐっ」

 ぽかりと開いたその口に、持ったまま口をつけないでいたチョコバナナをぐいっとねじ込んで会話は強制終了。大丈夫、言い訳はばっちり考えてあるから。

「廉、そろそろ花火、場所取りに行かないと見やすいとこなくなっちゃうんじゃない?」
「んお、ほーらな、行くか」

 もぐもぐ、と咀嚼しながら。特に気にした様子もなく、すぐに北原は南條の元へと帰ってきた。じゃあな、と手を振ってその場を離れる。自分でやっておきながら、あまりにあっさりしているものだから少し拍子抜けしてしまった。

「……空閑はもうよかったの?」
「あん? 愁はどうせ俺に構っちゃくれねえよ。それに、愁は和泉と来てんだ。で、俺はお前と来てる。悪かったな、放っといて」
「え…いや別に、そういうわけじゃないんだけどね。ほら花火、っわ」

 ぐい、と。思い切り引き寄せられて。前のめりになって近づいた耳元によく響く低音を吹き込まれる。周りはざわざわとうるさいはずなのに、その瞬間だけは周囲から色も音も消えていた。


「行くぞ、聖。和泉に特等席聞いといた。一番よく見えんだとよ」


 ──ああもう、これだから。はあ、と顔に集まってきた熱と一緒にため息を吐き出す。目を閉じて、片目だけ開いて。賑やかな風景が戻ってきていた。


「それ、あとで二人と鉢合わせにならない?」
「大丈夫だ、アイツらはアイツらで別んとこで見るっつってた。譲ってやるよ、ってな」
「へえ、虎石がねえ…」
「おう、デートで来んなら譲ってやる、ってな」
「──え?」

 それって、いやそれなら譲ってもらえないんじゃ、と言いかけたのを、悪戯っぽい瞳に止められる。


「デートだから邪魔すんなよ、っつっといた」


 くるり、身を翻して。掴んだ手首はそのままに、北原は歩き始めた。頭も体もついてこなくて、転びかけたのを慌てて誤魔化してついていく。


「でけー花火、見てえからな!」
「…ああ、そういう」

 別にがっかりとか、全然、してないけど。

 素直な発言に、廉らしいなあ、と笑った。デート、なんてそんなつもりないくせに、他人にはデートだなんて言って。残酷だなあ、とは言わないけれど。じゃあ俺的にはデートってことにしちゃうけどいいのかな、って。

「ここか? 人いねえじゃねえか、穴場だな。おっ」

 始まった、と嬉しそうにはしゃぐ頭越しに、空に咲いた花火を眺める。なんでもいいか、と思いながら、連れ回されたせいですっかり乱れてしまっていた浴衣を直した。それから隣に並んで。

「綺麗だね」

 その声にちらりと向いた目は、花火を見上げる南條の横顔を見つめたまま。ああ、と北原は呟いた。綺麗だな、と言った。ドーンと響いた重低音、一発ずつ上がる花火。特等席と言われたこの場所は確かに大きな花火がよく見える。
 ひと夏の、思い出に。しっかり目に焼き付けておこうかな、と思ってから、なんてね──と本心にまで照れ隠しをした。
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