いつか会えたらいいなって

※中等部時代の捏造編
※2017.10.21時点での解釈
※pixivより















 パラリ。その雑誌を手に取りめくったのはただの気まぐれだった。何かしらの待ち時間が暇で、そこにそれなりに興味を引く雑誌があれば読んでみようという気になるのは大抵の人間において当てはまることだろう。

 南條聖もまた例外でなかった。待ち合わせの相手から時間に遅れると連絡があったのは十五分ほど前のこと。残念ながら出発した後だったために、近くのコンビニに立ち寄って雑誌を手に取った、というわけである。
 若い男性向けのファッション誌。時代遅れも好かないが、流行を気にしてそればかり追いかけるのも馬鹿馬鹿しいと考えている南條にとって、それは普段から読むようなものではない。だから、暇が潰せればいいか、程度の考えだった。
 パラリ、紙をめくる。十四歳の少年が参考にするには少し大人びた内容だったが、南條聖という少年もまた十四歳とは思えないほどに大人びた容姿であったから、それを手に持っていること自体に違和感はなかった。──もしも彼が、私服であったならば。

 パラリ、パラリ。特別な興味を持って読んでいないため、南條のペースは速い。文章など読まず、写真集を眺めているような感覚で。パラリ、パラリ、パラリ──ページをめくっている手が、不意に止まった。

 そのページには、挑発的な目でカメラを見据え、唇の端をニッと吊り上げながらポーズを決めている少年の姿があった。同い年くらいだろうか、他のモデルに比べて幾分か幼く見える。しかし他のモデルよりも存在感があった。決して扱いが大きいわけではない、十代向けの全身コーディネートを披露する特集でマネキン代わりのモデルたちの中の一人。それなのに酷く惹きつけられた。モデルに興味を示したことなどなかったから、南條が彼のことを知っているはずがない。しかしどうしてか初めて見たという気がしなかった。
 異性に惹きつけられた経験があるわけではないが、同性に、それもモデルのような住む世界の違う、手の届かない相手にここまで惹きつけられたのは当然初めてである。せめて名前くらい載っていないものかと誌面を探し始めたその時、南條のスマートフォンが震え始めた。

「…はい、もしもし。あはは、目の前のコンビニにいますよ。……ああ、俺が出ますよ、目的地はここじゃないですし。ちなみに俺的には、生徒会長が遅刻なんてどうかと思いますけど……あ、お詫びにジュース? なら、コンビニで待ってますね〜」

 綾薙学園中等部、文化祭目前。生徒会は日曜日でも忙しかった。











 それから普通に、南條は日常を送ろうとしていた。イベント事の前で慌ただしい生徒会というのも、要領のいい南條にとっては退屈しないための適度な刺激である。そんな忙しい生活の中でもどうしてか、名前も確認できなかったあのモデル──特に挑発的な視線──が忘れられずに残っていたが、それが芸能人ってものなんだということでだんだん記憶も薄れていく、はずだった。
 そう、それは前日。生徒会副会長として、各クラスの様子を確認するために廊下を歩いていた時のこと。


「はっ、やるからには完璧に。各学年毎に最優秀クラスが決められんだろ? トップで当然、勝たなきゃ有罪だ」


 ──あれ。

 同じ学年の、とある教室。ざわつく放課後の最終準備をする中からそんな声が聞こえてきた。よく通る低めの声だった。指揮を執る生徒がいるのは当然と言えば当然で、珍しい存在ではない。けれどなんとなく気になって、確認ついでに覗いたそこに立っていたのは──引っ張り出すまでもない場所に記憶されていた、彼の姿。

「あっ、副会長。視察?」
「や。まあ、そんなとこ。──ねえ、あいつは?」

 ふと、その教室を装飾していた生徒と目が合った。確か昨年同じクラスだったような、と考えているうちに話しかけられたからちょうどいいと彼のことを尋ねる。

「あいつ? あー、北原か。北原廉、クラス委員ってわけじゃないんだけど、何かとまとめてくれる奴だよ」
「へえ」
「あ、なんかモデルとかやってるらしくて、こないだ雑誌で見かけたんだよな〜。この学校、音楽コースの方は芸能人多いけど、普通科じゃちょっと珍しいよな。高等部に入ったら、あのミュージカル学科の入科オーディションを受けるって言ってた」
「ふぅん、聞いてないことまでわざわざありがとう」

 ──ビンゴ。実際に会うことなどない芸能人、と思っていたのに、まさか同じ学校、同じ学科の生徒だったとは。なんとなく初めて見た気がしないと思った理由もわかった。おそらく、廊下かどこかで見かけたことがあるからだろう。なるほど。
 情報提供してくれた元クラスメイトに一言余計なお礼を述べれば、微妙な顔をされた。呼ぼうか、という提案はひとまず断る。特に話題がないし、活動の確認はこのクラスだけすればいいというものでもない。ヒラヒラと手を振って、南條はその場を離れた。



 芸能界、か。全く考えたことがないわけではない。中学生にしてこの高身長、顔もそれなりに整っているらしいから、人目を引く自覚はある。二年生で副会長というこのポジションも、それで手に入れたようなものだ。人当たりが良くて要領のいい奴、なんていうのはいくらでもいる。それに加えて目立つから、気に入られるというものだ。
 けれど芸能界、安定した職ではないこともよくわかっている。今こうして面倒な生徒会の副会長なんてものを務めているのも今後を考えた内申点稼ぎのようなものだ。アピールポイントは多いに越したことはない。芯のないテキトーな生き方でも底辺を歩むなんてことはせず、何事もそれなりに高水準で、というのが南條聖である。
 このまま行けばそれなりにいい職に就いてそれなりに安定した人生を歩んで死んでいくんだろう。それはちょっと、つまらないかもしれない。どうせ同じ人生なら、面白い方がいい。苦手なことを挙げろと言われてもすぐに思いつかないくらいには大抵のことをこなせる南條は、歌も上手い方で、運動能力も人並み以上だ。このまま一般人として終わるのは勿体ない、とも言える。手に入れたくても手に入れられるわけではないこの器用さも、一種の才能だろう。演技だってやってみればこなせるはずだ。

 と、まあ、決まってしまった心を納得させて。だって、同じ高等部へ進学して──彼、北原廉が、ミュージカル学科の入科オーディションを受けるなんて情報を、知ってしまったから。言わずと知れた綾薙学園高等部ミュージカル学科、その界隈では名門中の名門だ。ダメだったらその程度、受かったら芸能界入りのいい踏み台になるだろう。
 同じ学校、同じ学年、話す機会はいくらでも設けられるとは思う。しかし今のなんでもない立場のまま話しかけるのは、なんとなく平等でない気がして。どうしてか惹かれる彼と出会うため──それで芸能界を目指してみようかなんて、浅はかにもほどがある気もするけれど。せっかくの宝を腐らせないためだと言い訳をして。




 まあ、もしも会えたらいいな、くらいの気持ちではあった。本当に受けるかどうかも定かではない情報で、それに縋るほど南條は愚かではない。それでもオーディション内容の噂は簡単に集められたから、それなりに対策はしておいて、見事入科オーディション通過──に加えてスター枠入りというベストな結果を得たのだが、結果発表の掲示を見て目を疑った。まさか受かってるなんて、というような茶番ではなく。

 南條聖、という自分の名前の隣に、北原廉、という名前。ご丁寧に顔写真付きだ。もしかして、とドキドキさせてくれる隙も与えてくれない。一方的に気にしていた彼と、同じチームでの合格──らしい。

 そう、あくまで、もしも会えたらいいな、くらいの気持ち。住む世界が違うと思っていた相手は案外近くに住んでいた。
 期待以上というか、なんというか。顔合わせの稽古場に向かおうと歩き出したところをあのよく通る低い声で呼び止められた南條は、ほんの少しの動揺を悟られないようにニッコリと笑みを浮かべた。

「よぉ、同じチームだな」

 くるりと振り返る、彼を見下ろす。並んでみると案外身長差があるものだと思いながら、ただ笑って声の主である北原を見つめた。

「まさかこんなところでお会いするとはな。正直意外だぜ? 副会長サマ」

 こちらの一方的な認識である、と。南條はそう思っていた。しかし考えてみればそうだ、副会長ともなれば何かと全校生徒の前に立つ機会も多い。だから中等部出身である北原が南條のことを知っていても何も不思議ではないのに、なぜかすっぽりと抜けていた。自覚しているよりも彼のことを気にしていたのかもしれない。
 北原は、南條の頭からつま先までじろじろと眺めて、ニヤリと口角を上げた。ずいっと、いつかの誌面のように挑発的な笑みが目の前に現れる。


「正確には、元・副会長サマ、か」


 と、そんなことを言いながら細められる、その、



「──目が、可愛い」



 は? と、北原はその可愛らしい目をぱちぱちと瞬かせた。声に出ていたようだ、らしくないことをしてしまった。幸い、それとなく誤魔化すことは得意分野である。

「って、言われない?」
「初めて言われたな……」
「へえ、そう。俺のこと知っててくれたみたいだけど、改めて名乗るよ。俺は南條聖、よろしく」
「ああ。北原廉だ、よろしく」
「北原も稽古場に向かうところなんだろ? 一緒に行こうか、目的地同じなんだしさ」

 ほら、上手く誤魔化せた。ただ、これは北原がテキトーに誤魔化しやすいタイプの人間であるという気もする。それならそれで都合がいいから構わない。
 また前を向いて歩き始めた南條の隣に、北原が並ぶ。


「ああ。行こうぜ、聖」


 ──聖、とは、南條の名前である。

 他人にどう呼ばれようと自分自身が変わるわけではないから気にしないが、言葉を交わすのはこれが初めてだというのにいきなりファーストネームを呼ぶ奴というのも珍しい。思わず見下ろすと、こちらを見上げる視線と交わった。

「……急だね」
「あ? 何がだ」
「北原って呼び方で距離詰めるタイプ? 出会い頭で名前呼んでくる奴は初めてだなあ」
「第一声が『目が可愛い』の奴に言われたくはねえな」

 それもそうだ。

 くくっと笑った北原に合わせて、南條も笑った。北原が前を向いたので、南條も前を向きまた足を進める。

「いいだろーが。これから一年、同じチームでやってくんだからな」
「そうだね。俺的には別にどう呼ばれても構わないし、北原の好きにしなよ」
「つーわけで、お前も北原はお終いだ」
「え?」

 ズンズンと大股で歩いていく。いつの間にか一歩先を行っていた北原が振り返り、ピッと南條を指差した。


「廉。その方が呼びやすくていいだろ」


 ──廉、とは、北原の名前である。

 思わずきょとんとして北原を見つめてしまった。まさかこちらにまで強要してくるとは。それなりに親しい友人は多いが、こちらから踏み込むような仲の相手はいなくて──つまり、名前で呼んだり、呼ばれたり、というのは、南條にとってしたことのないことである。
 断られることを想定していないというような、その目はやっぱり、可愛らしくて。

「──廉」

 ぽつり、呟くようにその名を、呼んでしまった。
 途端に、北原が満足そうにニヤッと笑う。あ、すごく、可愛い。

「おう」
「廉」
「なんだ」
「……いや、うん、…行こっか、廉」
「そうだな、聖」

 柄にもなく、それが心地よいなどと感じてしまった。聖、という自分の名前の響きを好きだと感じる日が来るとは思わなかった。そしてそれ以上に、廉、という北原の名前の響きが、どうしようもないくらいに気に入ってしまった。
 上機嫌で前を行く背中も、可愛く見えて。ちっぽけな動機で受けてみてよかったなあ、なんて、思ってしまった。

 これから一年、同じチーム。過ごす時間は他の同級生に比べたら長く、深く、濃いものになるのだろう。知っていけたらいい、知られていったらいい。北原の背中を追いかけるように、南條は稽古場へと向かったのだった。
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