Tell me your name!

※小学生の時にもしも出会っていたら…というifストーリー
※家族喋ります、捏造注意
















「あつい………」


 その日は、酷く暑い日だった。そんなに張り切らなくてもいいのに太陽はこれでもかというほど照りつけて、セミもノリノリでミンミンジージーと己の存在を歌っている。
 夏は、迷子の小学生にも容赦なかった。

 北原廉は、迷子だった。避暑地として連れてこられた田舎で虫捕りに出かけたのだが、あちらこちらに珍しい虫がいてはしゃいでいたらいつの間にか知っている道を外れてしまっていたのだ。
 避暑地と言えど、夏。歩き回って疲れた体に降り注ぐ日差しが痛いくらいだ。子ども一人で歩いて行ける程度の距離のはずなのに、ちっとも民宿の近くの道が現れない。すっかり日が昇った今は信じられないくらいに暑かった。
 それでも虫捕りに夢中だった時は暑さもさほど気にならなかった。道に迷っていることにも気づいていなかったから。そろそろ帰ろうと振り返ったら、全く知らない道だったのだ。そもそも慣れない土地で一人、水筒はとっくに空で、他の持ち物は虫捕り網と首にぶら下げた虫カゴくらいしかない。せっかくのカブトムシもセミもみんな自慢できる相手がいなくて悲しそうだ。
 はあ、と廉はため息をついた。暑いし、喉が渇いた、それに心細い。はあ、ともう一度ため息をつく。見渡す限り木か道かの二択だ。民宿のある、この辺りでは大きな道路沿いには一軒だけコンビニがあるが、他には何もない。あったとしても持ち物はさっき挙げた通りだから、せいぜい涼めるだけだが。
 はあ、とまた無駄なため息をついた。ふらふらとぼとぼ、せめて日陰を歩きたい、ああ、あの辺り。

「なにしてるの」
「っだれだ!?」

 不意に、声をかけられて。バッと顔を上げると、そこには同い年くらいの子どもが木に寄りかかって立っていた。人がいることには全く気がつかなかったから、廉は驚いた。その子はこんな日差しの毎日だというのにやたらと白い肌をしていて、髪も白っぽく、目だけが赤紫に色づいている。
 その周りだけは空気がひんやりとしていそうな、そんな不思議な雰囲気の子だった。ふわっとしたショートヘアで小綺麗なシャツとハーフパンツという出で立ちは、男の子なのか女の子なのかもわかりにくい。

「すごい汗だね。タオルは?」
「もってねえ…」
「じゃあ、ハンカチかしてあげる」

 その子はポケットからハンカチを取り出して、廉の目の前にやってきた。思ったよりも背が高くて、一つくらい年上なのかもしれない、と思った。
 少し屈んで、汗だくの顔を拭ってくれる。されるがままの廉に、その子はニコッと微笑みかけてくれた。それがとても綺麗だったから、ドキッと心臓の音がうるさくなる。
 一通り拭いてもらったら顔がサッパリした。その子はまたポケットにハンカチをしまう、廉の汗で汚れているのに。洗濯して返す、と言いたかったが、相手はどこの子かわからないし、廉もこっちに住んでいるわけじゃない。

「ありがとう」
「いーよ、気にしないで。迷子?」
「……そうみたいだ」

 ふぅん、とその子はため息のような声を出した。ニコ、と笑ってみせる。その笑顔は少し幼いようで、人をむやみに踏み込んでこさせないような大人っぽさがあった。
 しょぼん、と下がった頭を、ぽんぽん、と撫でられる。さっきまで一人で心細かったから、ホッと安心する。見上げると、今度は優しい笑顔だった。

「虫とり?」
「うん……あっ、見ろよ、カブトムシ!! デケーだろ?」
「あーうん、すごいね。そんなにいろいろ入れて大丈夫なの? カブトムシだけじゃなくてセミとかも入ってるけど」
「知らねー! おまえも虫とりか?」
「いや、べつに」
「じゃあなんで」
「……ここ、静かだろ?」
「静か…? セミがうるせえぞ?」
「あーおまえアホそうだもんなあ、わかんないか」
「んだと?!」

 ニヤ、とその子は意地悪な顔で笑った。優しいのとの差が激しくて、どっちが本当かわからない。どっちも、だろうか。
 それにしても、意外と言葉遣いが男っぽい、もしかすると男の子なのかもしれない。ムカッとしてふくれっ面の廉とは対照的に、その子はニコニコしている。

「おれ的には、それもふくめて静か、って思うよ」
「はあ? イミわかんねーな、おまえ。男?」
「あれ、そこから? あは、もしかして女の子かと思ってドキドキしちゃってた? ザンネンでした」

 ドキッとしてしまったこと、バレているらしい。廉はむーっと頬っぺたを膨らませた。あはは、と可笑しそうに笑われる。
 おれ、と言ったその子は男の子だった。淡い気持ちはそのまま消えていって、でも優しそうな笑顔はやっぱり綺麗だったな、と、それだけが残った。どんな奴なんだろう、もっと知りたい、好奇心が湧いてくる。

「おれは廉。おまえは?」
「なんで教えなきゃなんないの?」
「なっ、おれは教えただろーが!」
「勝手に名乗ったんだろ」

 ツン、と澄ました顔でそう言われた。確かに聞かれてもいないのに名乗ったのは廉だが、普通は返してくれるものだと思う。捻くれた奴だ。
 せめて名前くらい教えてくれたっていいのに。何て呼べばいいのだろうかと悩んでいたら、あははっと笑い声がしたので顔を上げる。

「ついてきなよ」
「は?」
「おまえ──レンが、おれを信じるならね」

 くるり、背を向けて。男の子は歩き出した。なにがなんだかよくわからないが、とりあえずついていくことにする。相手が捻くれ者でも、また一人になるよりはマシだから。
 ちょこちょことついてくる廉をチラッと軽く振り返って、あはっと笑った。

「知らない人についてっちゃだめ、って学校で習わなかった?」
「おまえも子どもだろーが」
「まあね。でもすごいね、名前も知らないやつのこと信じるんだ」
「それは、おまえが名乗んねーからだろーが」
「知りたい?」
「べーつーにー」
「あーらら、怒っちゃった? 有罪、かな」
「あ? ユーザイ? なんだそれ」

 ガサガサ、と曲がった道は草が茂っているが日陰だった。足場がいいとは言い難いが、日差しの下を歩くよりも暑くなくて助かる。スイスイ進んでいく彼はもしかすると地元の小学生なのかもしれない。
 有罪、と聞き慣れない言葉を吐いた彼にその意味を尋ねる。一歩、二歩進んでから止まって、体を半分だけこちらに向けて彼は口を開いた。

「おれの親、サイバンカンなんだけどさ。悪いことしたってやつが本当に悪いかどうか決めるって言ってた。悪い時は有罪、そうじゃない時は無罪。なんだって」
「へー……なんか、カッケーな!」
「そう?」
「ユーザイ!」

 と、声高らかにビシッと指差す。カッコいいつもりだ。男の子はフッと笑って、そうだね、と言って前を向いた。ククク、と肩を震わせている。何が可笑しいのだろう。
 ガサ、ガサと草を掻き分け進んでいく。ブォン、と車の音が聞こえた。──車?

「! この道、知ってる!」

 ダッと走り出す。林を抜けた先は、見知った道路だった。民宿の近くだ、コンビニが見える。

「どうせ虫追っかけてたら道まちがえちゃったって感じでしょ。一本まちがうと全然ちがう道になるからね」

 図星を突かれ、ウッと詰まって黙り込む。あはは、と笑われる。よく笑う少年だ、どこか距離を感じる笑顔ばかりだが。ジジッ、セミがカゴの中で暴れた。
 コンビニがあっち側にあるということは、民宿も道路を渡った向こう側。彼は横断歩道を指差した。行こうと言われたから虫捕り網を持っている手を挙げて、右見て左見てもう一度右を見て、止まってくれた車の人にぺこりと頭を下げる。のんびり歩いている男の子の手を、挙げたのと反対の手で掴んで走って渡った。

「せっかちだなあ」
「ばか、止まってもらったんだからいそぐのがれーぎってもんだろーが」
「はいはい、レンはエライね」
「だろ?」

 ふふん、と得意げな顔をしてやると、鼻で笑われた。ムッと唇を尖らせる。ここまで案内してくれたのは優しいと思うが、性格は結構やな奴かもしれない。
 手を掴んだまま、民宿の方向へ歩き出す。男の子は特に何も言わないで、黙って掴まれていた。ぶらぶらと自分の手のように振って歩く。それでも文句は言われなかった。
 ピタ、廉の足が止まった。コンビニの前に着いたから。あそこが寒いくらいに涼しいことは知っている。お金があったら飲み物を買って、あそこのベンチに座って一休みするのに。アイスも食べたい。じーっと看板を眺める。

「入れば? 暑いし、アイスでも買って食べようよ」
「! あ、けどおれ、金ない…」
「おれが持ってる」
「そ、それは、おまえにわるいからできねえ!」

 ぶんぶんと頭と網を振って遠慮する。なんともありがたい誘いだが、たった今さっき知り合ったばかりの、いや名前も知らない相手、それも同い年くらいの子に買ってもらうなんてことはできない。
 はあ、とため息をつかれた。やれやれと肩を竦めて、それ、と空っぽの水筒を指差される。

「カラだろ。のどもかわいてるんじゃない?」
「うっ」
「知ってる? 熱中症って。レンは熱中症かもしれない。こわいんだよ、死んじゃうよ」
「ねっちゅーしょー…聞いたことあるぞ……お、おれ、死ぬのか?!」
「うん」
「い、いやだ……」
「じゃあ、おれがジュース買ってあげる。レンが死んじゃわないように」
「ほ、ホントーか…?!」
「うん。だから入ろ、コンビニ」

 きゅっ、男の子が廉の手を握る。こちらの顔を覗き込みながら、行こ、と小首を傾げて微笑む姿はズルいと思った。男の子だとわかっていても、なんだかドギマギしてしまう。すぐに前を向いて歩き出した彼には見えていないはずだから、バレてはいないだろう。きゅっ、握り返す。
 虫捕り網は邪魔だから外に立てかけて、ギッとドアを押して入る。店内は思った以上に涼しくて、生き返るようだ。すーはー、と深呼吸。
 入ってすぐに立ち止まった廉の手を離して、男の子は奥へと進んで行った。手のひらまで急に涼しくてなってしまって、思わずその手を見つめる。廉より背は高いのに、手は少しだけ廉よりも小さかった。ぐっぱっぐっぱっと意味もなく指を動かす。いい加減入り口で止まっていると邪魔だろう、廉も奥へと進んだ。





「レン、行くよ」

 すっかり体が冷えてガタガタ震えそうになった頃、手首にレジ袋をぶら下げた男の子が廉を呼んだ。ベンチを指差す、頷く。外のムアッとした空気、今だけ歓迎。
 ドンッと腰掛けて、はあ〜っと息を吐く。座った振動でセミが暴れ始めた。カブトムシはのそのそと迷惑そうに歩いている。それを見ながら足をぶらぶら揺らしていると、はい、とペットボトルを渡された。スポーツドリンクだ、いつも飲むヤツ。

「ありがとな!」
「どういたしまして」

 喉がカラカラだ、大急ぎでキャップをひねって開ける。ゴクゴクゴクゴク、勢いよく飲めば一気に半分くらいなくなってしまった。
 プハーッ、と息継ぎをして、生き返る〜、と言ったらオヤジくさいと笑われた。当然だ、ビールを飲む時の父の真似だから。
 キャップを閉めて、横に置く。そのタイミングを見計らったように、男の子がレジ袋から青い袋を取り出した。

「アイスも買ったよ」
「マジか! いーのか?!」
「うん。レンは熱中症だからね」
「おまえ、意外といーやつだな。ムザイだな!」
「っふ、くくっ…」

 突然、男の子が吹き出して、クククと笑い始める。何か変なことでも言っただろうか、廉は首を傾げた。まったく心当たりがない。
 うーんと唸っていたが、そうだ、アイスは待ってくれない。溶ける前にビリッと袋を破ってアイスを取り出す。ソーダ味の、ガリッと固いアイス。安くて美味しい、よく食べるヤツだ。

「……あれ? おまえの分は?」

 ひとしきり笑った後、男の子は廉を見つめていた。何を飲むわけでも、食べるわけでもなく。レジ袋ももう空っぽのようだった。おかしい、と思ってあーんと開いた口を一度閉じる。

「おれはいいの。熱中症じゃないから」
「なんで?」
「なんで、って」
「なんでおれの分なんだ、これ。おれはもうジュースもらっただろーが」

 ん、とアイスを返そうと差し出すと、彼は困ったように笑った。それから前を向き、トン、とベンチに足を置いて膝を抱える。チラッと目が廉を向いて、すぐに下を向く。

「……お金足りなかったから」
「は?」
「おれの分も買おうと思ったら、お金足りなかったから。ジュースと、アイスいっこ。だからどっちもレンの分」

 ちょっと恥ずかしそうに、男の子は言った。しかし、ますますわからない。

「?? だったら、ジュースおれので、アイスおまえのにしたらいーだろーが」
「………アイス買って食べよ、って言ったの、おれだもん」

 男の子は、すごくすごく小さな声で言った。

「お金持ってる、って言ったの、おれだもん」

 ムッと、さっき廉がしてたように唇を尖らせて、ちょっぴり頬っぺたを赤くしてそう言った。はじめより小さくなって、よくよく耳を澄まさなければ聞き逃してしまうくらいの声だった。虫カゴのセミが静かになっててよかった。
 つまり、カッコつけたのにお金が足りなかったから、せめて廉の分にすることで最後までカッコつけたかった、ってことだろう。さすがの廉でもわかった。なんだ、カワイイじゃん。ニヒヒッと笑う。

「んじゃ、はんぶんこしよーぜ」
「えっ」
「いっしょに食えばいいだろーが」
「それ、おれ的には半分こするタイプのアイスじゃないって思うけど」
「おれもそう思う! けど、いっしょに食おうぜ」

 ほら、と改めて差し出す。早くしないと溶けてしまうから。すすっと近づいて急かして、それでも迷っているようだったから、頬っぺたをくっつける。そしてアイスを真ん中に持ってきて、あーんと口を開けた。おずおずと男の子も小さく口を開ける。

「……んー! つめたくてうめー!」
「……おれもういい、レン食べて」
「えっ、いらねえの?」
「さっき体冷えちゃったからいらない」
「……? うん? そっか」

 プイッと、男の子はそっぽを向いた。どんな顔をしているかは想像もつかない。半分こは叶わなかったが、とりあえず一口だけでも食べさせることに成功したので満足だ。ニッコリ笑って続きを食べ始める。
 ガリ、ガリ、シャクシャク。溶け始めたアイスが腕の方に伝ってきた、慌てて舐める。いつの間にかこちらを向いていた彼は廉を観察するようにじっと見つめていた。気にせず食べ進める。やっぱ欲しいと言われても、もうほとんど食べ終わってしまった。

「……ん、んっ? おい、おまえ! 見ろよこれ!」
「ええ、なになに?」
「当たり!! おまえの分、ゲットだな!」
「え、あ、ほんとだ。すごいなあ、当たりって初めて見た」
「おれもだ。まってろ、今食っちゃうから」

 最後の一口──にはまだ大きかったが、口の中に詰め込んでバッと立ち上がる。ぶらーんと虫カゴが揺れて、またジジジッとセミが暴れた。

「んむ、んぐんん」
「そんなにあわてなくても」
「んぐ、…ん、かえてくる!」
「あ、おれが──行っちゃった」

 アイスください、と当たり棒を差し出すと、優しそうな店員のおばちゃんが、まあ、と嬉しそうな声を上げておんなじソーダ味のアイスを出してきてくれた。これで一人一つ食べれるわね、と。おばちゃんには全部お見通しみたいだ。
 ドアを開けて、ベンチに座っている男の子の前に仁王立ち。見上げた彼の額に汗が滲んでいるのを見つけて、ニヤッと笑う。ん、と目の前にアイスを突きつけてやった。

「もう、あちーだろ? おまえの分」
「……ありがと」

 おとなしく受け取ったのを確認して、改めてニッコリ笑う。ラッキーの勝利だ。
 さっきと同じようにドンッと座って、同じようにセミが暴れて、同じように足をぶらぶらさせて、隣の男の子をじっと見つめた。小さな口でシャクシャク食べ進めている。
 飲みかけのペットボトルのキャップを開けて、ゴクッと一口流し込む。少し温くなっていた、今日は暑いから。続きを最後までゴクゴク飲んで、隣にあったゴミ箱に放り込んだ。ちゃんと、ペットボトル、という文字を確認してから。

「なーおまえ、このへんのやつか?」
「さあね」
「さあねってなんだよ」
「レンは?」
「おれか? おれはトーキョーから来た! 家族で!」
「……じゃあ、家族が心配してるんじゃない? いつから迷子だったのか知らないけど」
「………やべ、父ちゃんにゲンコツされっかも……て、手紙はおいてきた! 虫とり行くって!」
「ナイショで出てきたんだ」
「だって寝てんだもん、しょーがねえだろーが」
「え、そんな早くから?」
「虫は早起きだって聞いたからな!」
「……行こっか、アイスは歩きながらでも食べれるし」
「うん? おー」

 男の子が立ち上がった。忘れないようにね、と指差された虫捕り網を慌てて取りに行く。すっかり忘れていた。トトト、と小走りで追いかける。
 男の子は迷わず廉の泊まっている民宿の方へと曲がった。なんで知ってるんだろう、と思ったが、やっぱりこいつは地元の小学生で、民宿と言ったらあそこしかないんだろう、と自己完結させる。先を歩いていた彼の横に並んで、なんとなく空いていた右手で同じく空いているその左手を掴んでみた。

「……なに?」
「……そこにあった、から?」
「おれに聞かないでよ。……まあ、いいけどさ」

 ぷらぷら、また自分の手のように振り回す。ちょっと迷惑そうな顔をされたが、やめてとは言わずにそのまま歩いてくれた。どうせ民宿はもうすぐそこだ、屋根が見えている。
 廉より少しだけ小さな手を、ぎゅっと握る。同い年なのか年上なのかよくわからないが、こうしていると安心する。もうとっくに迷子ではなくなっているが、それが心地よくて、手を繋いでよかったと思った。しかし、目的地は目と鼻の先。あっという間に到着してしまった。
 男の子が立ち止まる、手を離す。アイスはまだ半分くらい残っていた。

「ここだろ、泊まってるの」
「おー」
「早く行きなよ」
「……いろいろ、ありがとな。あっおい、アイスとけてる」
「え? あ、あー」

 どろり、溶け出したアイスが男の子の肘に向かって流れる。それをペロッと、手首の方へと舐め上げた。さっき、廉もしたこと。それなのに、妙に、ドキドキする。舌はそのまま指の方まで舐め上げて、パクッとアイスにかぶりつく。その様子までじいっと見守ってしまった。
 チラリ、視線に気がついたらしい男の子が廉を見る。ニヤッとイタズラっぽく笑った。

「なぁに?」
「べっ、つに、なんでもねー!」

 なんとなくイケナイコトをしている気分になって、慌ててそっぽを向いた。しかしすぐに思い出して、パッと男の子の方を向く。

「なあおまえ、名前は?」

 どうしても、知りたかった。最後にちゃんと、名前を呼んでありがとう、って言いたかった。『ありがとう』は大事だって、学校でも言っていたから。ただありがとうと言うだけじゃ足りない気がして、名前を呼びたいと思った。
 うーん、と男の子は唸った。考えるように顎に手を当てて、それからフフッと笑って人差し指を立てる。それは廉の唇にふにっと触れて、その指の温度を教えてくれた。

「また今度ね」

 ニコッ、最初に見た、優しい笑顔だった。あのとびきり綺麗なやつ。指が離れていく。

「は──今度?」
「うん。あはっ、もしも会えたら、の話だけど」
「なっ、それって教えねーってことじゃねーか!」
「わかんないよ? レンがおれに会いたいって思ってくれてたら、いつか会えるかもしれない。ほら、早く行きなよ」
「……わかった。ぜってー、次会った時、名前教えろよ! たくさん呼んでやる」
「ははは、楽しみにしてるね」
「おー、まってろよ。んと、ジュースとアイス、あとここまでいっしょに来てくれて、ありがとな。じゃあ、またな!」

 ぶんぶん、と大きく手を振って、家族が待っているだろう部屋の方へと駆け出した。民宿の入り口のところで、女の人とすれ違う。なんとなく、さっきの男の子に似ているような──直後、降ってきたゲンコツで記憶が吹っ飛びかけた。
 今日はみんなで出かけると言ってあっただろう、と怒られて、道に迷ってたと必死の言い訳をする。男の子に案内してもらった、たぶんこのへんの子、と。はあ、と大きなため息をつかれて、そもそも知らない土地で一人で出かけるのはやめなさい、叩き起こしてもいいから、と置き手紙をぴらぴらと見せられた。姉に鼻で笑われる、腹立つ。
 ムスッとしたが、大きなカブトムシを褒められてすぐに上機嫌。王様捕まえたな、と言われれば悪い気はしない。ムザイ、だ。部屋に置いてくるように言われたから、走って部屋に行く。置いてきて、急いで着替えて、また家族の元へと走って行く。じゃあ行こうか、と車に乗って出発した。ぐんぐん、さっきのコンビニを通り過ぎて行く。
 また、会えるかな。いや、また会うんだ。ハンカチはすぐにしまわれたし、袋もペットボトルも捨ててきたし、当たりの棒も引き換えてしまったから、あの男の子の手がかりのようなものは何もない。だけど会うって決めた、だから会えるに決まってる。
 案内してくれた子の名前は、と聞かれて答えられなかったのが悔しかった。だから絶対に教えてもらうんだ、あの男の子の名前!












「あら聖、ちょうどよかった。戻ってたのね」
「うん」
「アイス? どうしたの? あ、お散歩はどうだった?」
「……迷子助けた」
「迷子?」
「うん、ここに泊まってた子」
「ああ、聖、同い年くらいの子がいるって言ってたねえ。それでアイス一緒に食べたのかあ。お話できてよかったね」
「うん。……また会えるかな」
「どうでしょう。あら、待って? もしかしたら北原さんちの息子さんかな」
「キタハラ…さん?」
「さっきロビーでお会いしたんだけど、娘さんの他に聖と同い年の息子がいるっておっしゃってたの。東京の方だったから、案外ご近所さんかもしれないね」
「東京から来た、って言ってたよ」
「じゃあ北原さんちの子ね、ふふ。あ、お父さん出てきた。じゃ、行こっか」
「うん。──キタハラ、レン…か」

 父を迎えに歩いて行った母の背中を眺めながら、男の子──南條聖はポツリと呟いた。父と母は間も無く聖のところへやってきて、帰ろうか、と言った。避暑地への旅行、今日が最終日。帰る前に散歩へ行ってくると出かけたのは気まぐれだった。
 また、会えるかな。いや、どうだろう。おんなじ日本、東京、そうは言っても広いから。せめて忘れないようにしよう、アイスの最後の一口を飲み込んだ。もし──もしも、会えたら。その時は言ってあげよう。
 俺の名前は、南條聖だよ。──と。
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