帰る場所(現パロ)
夢か、現か。
ファイノンはぱちりと目を開けた。ふんわり柔らかなベッド、隣に残る微かな温もり。このような目覚めはいつぶりか、長らく旅の生活を続けているせいでまだ夢の中にいるような心地である。
「ふん、ようやく起きたか」
ベッドが軋んでゆらりと傾く。どうやら現実らしい、馴染みのある声が近くで聞こえた。その方へと顔を向けると、台詞回しのわりには穏やかな表情のモーディスがいてくれた。
「誰かさんが手加減してくれなかったからね」
「誰かさんが煽ったからな」
「だって、」
ちゅ、と言い合いは強制終了させられた。触れるだけで離れていったからその気になれば続けられたが、彼の意を汲んでファイノンは黙った。
「……ふふ」
「なんだ」
「目が覚めて、一番に見られるのが君の顔って、やっぱりいいなって思っただけ」
自分のやりたいことを見つけたいんだ——そう言って旅立ったのはファイノン自身なのに、ずっと待たせている恋人にそんなことを言うのは勝手だと思う。けれど幸福さに押されて、素直な言葉が口から出てきてしまった。
モーディスはふわっと眉を上げ、それから鼻を鳴らした。同じ気持ちだ、と思ってくれたなら嬉しい。いや、お前が言うな、と思っているかもしれない。
おもむろに、モーディスはファイノンの左手に触れた。手のひらを掬うように持ち上げて、親指の腹でファイノンの薬指の付け根を撫でる。
いつの間に、用意していたのだろう。ひんやりとした金属の感触が指先から付け根までを通っていった。
「意味はわかるな、ファイノン」
左手の薬指に渡された、高級そうな指輪。思わずその金色の輝きを凝視してしまった。しばらく会っていなかったのにどういうわけかピッタリのサイズである。
「……寝起きだから、頭が回らないな。ちゃんと言葉にしてくれないと誤解があるかもしれない」
とっくに嬉しいくせに実感を求めて欲張りな台詞を吐いてしまった。モーディスはふっと息を漏らし、気障ったらしい王子様のようにファイノンの指先へと唇を寄せた。
「どこにいてもいい。だが、お前の帰る場所は俺の元にあると、この指輪に誓おう」
ぎゅっと、胸が苦しくなる。思い切り抱き締められた時のように、幸せすぎて息ができない。
「モーディス」
返事の代わりに名前を呼び、彼の左手を掴んで指を絡める。
「君のは僕が選ぶよ。一緒に来てくれるかい」
モーディスの目が見開かれた。こちらの拒絶など想定していないような口説き文句だったくせに驚いてみせるなんて、ぐっと愛しさが込み上げてきてたまらない。
君が好きだ——言葉を唇に託して重ねる。触れるだけに留め、もう一つ大事な言葉を囁いた。
「ただいま、モーディス」
甘えるように抱きつけば、甘やかすように抱き返してくれる。そろそろ羽を休めてもいいのかもしれないと、変わらない温もりに安堵した。
「食事を買ってくる。もう少し休んでいろ」
柔らかな口付けを残して、モーディスは支度のために離れていった。今日からはあともう一つ、薬指の誓いも残っている。
質量としてもそこにあるのに、どうも実感が持てない。指を開いて、窓の光に透かすようにして見慣れない装飾を眺めた。ここにある、あるけれど、これは全て願望が作り出した都合のいい夢なのではないか。浮かれた心がバランスを取ろうと疑念を生み出す。
キラキラと光る金色の、その向こう側の金色が動いた。現実の輪郭を捉えるようにじっと見つめる。近づいてきた、着替え終えたモーディスがこちらの視線に気づいたようだ。
「行ってくる」
「待って!」
行かないでほしい、感情が咄嗟にこぼれた。そのあとのことは考えておらず、怪訝な表情のモーディスとただ見つめ合うだけの時間が過ぎる。
——ぐう、と。解決策が腹から鳴った。大きな音を聞かれたのは恥ずかしかろうと、今更見栄もなにもない。
「僕も一緒に行っていいかな」
「ふっ、そんなに腹が減ったか」
「そ……れも、あるけど」
ベッドから出て、モーディスの手を取る。何もつけていない、真っさらな左手を。
「君の傍にいたいだけだよ」
先ほどの仕草を真似るように、その薬指に口付ける。これは予約のつもりだ。指輪を贈るまでどうか空けておいてほしいと、祈るような想いを込めてもう一度触れる。
「ふん、少しは俺の気持ちがわかったか」
されるがままになってくれていたモーディスがそう呟いた。
「え」
「早くしろ。俺は気が長い方だが、お前の腹の虫が喚いているぞ。これ以上は待てんとな」
「そ、そんなに聞こえるかい? さすがにちょっと恥ずかしいな……置いていかないでくれよ、急ぐから」
あえて言わずとも待ってくれる確信があるのに引き留めて、急いで身支度を整える。その様子をモーディスは静かに見守ってくれていた。
「行こう、モーディス」
「ああ」
隣に並んで歩き出す——今目指している場所は近くとも、このままどこまでも行ける気がした。
けれど、もう答えは見つかった。
彼とならどこまででも行ける。それでも、旅の終着はきっと——彼の隣にあるのだろう、と。
1/1ページ