傍にいる人

 




 依頼人の新居が無事に完成した――それはいい。とてもいいことだ。むしろ物分かりのいい依頼人で、修正はたった一回で済んだくらいだ。そこまでは素晴らしかったんだ。
 だから僕も、新居に飾る花を選んでほしいなんていう専門外の依頼も請け負ったんだ。インテリアとして飾るなら造花を勧めたが、どうしても生花で、それも束でほしいんだと。
 僕は真心を込めて選んださ。僕の作品たる住居が家になるお祝いだぞ? 当然だろ。しかし難しかった。室内の装飾に合う色で、もちろん香りもよくなくちゃならないし、少しでも長持ちする、できれば手のかからない花の方がいい。あんまり希少なものもダメだ。わかってないな、特別すぎるのも問題なんだ。枯れてしまっても、また次が飾れる方が嬉しいだろ!
 そうして出来上がった花束を持って、僕は彼らの家を訪れたのに――まさか、持って帰る羽目になるなんて!


 ペラペラと捲し立てている金髪の男は、どうやら既に酔っているようだった。空になったグラスにおかわりを注ぎ、ぐいぐいと飲み干している。
 その愚痴を聞かされている銀髪の男は、件の花束を見つめていた。スメールローズをメインとし、他は小さな花や葉でまとめられた花束は、今は高級そうな花瓶に生けられている。調和が取れているためか、派手さがないわりに目を引く仕上がりだ。リビングに飾っても邪魔にならず、薄暗い部屋であっても、華やかな香りのおかげで存在感を放つことができるだろう。

「僕が花束を差し出した時――ああ、受け取ろうとした瞬間の、あの笑顔で依頼が終わってくれたらよかったんだ」

 その後のことを思い出したらしい、金髪の男の顔がぎゅうっと歪んだ。思い切り眉間に皺を寄せ、目を吊り上げている。
 ダンッと、可哀想な程の勢いでグラスが置かれた。

「あろうことか彼は跪いて……僕の手を取って、甲に口付けて、何て言ったと思う?! おいアルハイゼン、聞いているのか?!」
「それ程の大声を出されれば、たとえ遮音機能をオンにしていても聞こえるだろう」

 金髪の男は目を閉じ、ムッとした気持ちを吐き出すような深いため息をついた。額に手を当て首を振り、片目だけ開けて花を睨みつける。

「『ありがとう、プロポーズなんて、嬉しいよ』」

 バンッと、今度は彼の手のひらが机に叩きつけられた。痛かったらしい、無事な方の手でさすりながら彼は怒鳴った。

「信じられるか?! あの家は、彼が彼の奥さんと住むためのものなんだぞ?! ゾッとしたよ!」
「それがこの花がここにある理由か」
「いいや、まだ続きがある。全部話すまで、今夜は寝ないぞ!」

 ぐるると息巻きながら、彼はグラスに酒を注いだ。それを飲み干していく様を、銀髪の男は片眉を上げて見ていた。語り終えるのが先か、寝落ちるのが先か、と考えながら。

「はぁ……信じ難いことに、それは彼の奥さんの目の前で行われたんだ……」

 ふらふら、と持ち上げた頭を両手で抱え込み、恐ろしいものを目にして怯える子供のように震えながら彼は話を続ける。

「もっと信じ難いことに、彼女はこう言った……」

 悪夢を忘れようという風に、彼は頭をブンブンと横に振った。

「『あなたばっかりズルい! カーヴェさん、私と結婚して!』」

 彼は両手で顔を覆って絶望を隠した。指の隙間からそれはもう深い深いため息が漏れる。

「どうしてこんなことになったんだ……」

 そこから先はボソボソと、話を聞いてもらうためというよりは、とりあえず口に出して整理するためという風に語り続けた。

「僕はただ、頼まれたから用意しただけなのに……飾るためだと言うわりに、花束がいいとしつこいから、妙だとは思ったが……それがまさか、あんな形で利用されるなんて予想できるか? 少しでも長く楽しんでもらえるように、手入れの方法も調べたってのに……。彼らは僕のデザインに惚れ込んでくれて、それで依頼したんだと言っていた。それはとても有難いことだ。だからこそ、僕自身に惚れてどうする!?」

 ガバッと顔を上げた直後、彼は机に伏せった。忙しないその様子を、銀髪の男はじっと観察している。顔を上げずにぶつぶつと呟かれる文句を聞き流しつつ、発端の花を見遣った。

「せっかく、祝いのつもりで花瓶まで用意したのに。僕は家庭を壊してしまったのか? いいや……」

 金色の髪が揺れる。ゆっくりと体を起こした彼は、頬杖をついて唇を尖らせた。

「最終的に、彼らは幸福そうだった。『同じ人を好きになるなんて、やっぱり気が合うね。最高のパートナーだ』とかなんとか言って……僕を巻き込む必要がどこにあったんだよ。そんなの、僕の建築を隅から隅まで褒めてたらいいだろ。仕事の話しかしてないってのに、どうやったら僕に惚れるんだ?」

 こくり、こくりと、首が揺れるのに合わせて、ふわり、ふわりと、金色も揺れる。眠たそうに落ちていく瞼を縁どる睫毛は長く、こんな風に疲れが出ている表情でも、一般的には美しいと分類されるものだろう。それがくるくると色を変えて、優しく微笑みかけてくるのだから、勘違いする輩がいるのも頷ける。加えて中性的な容姿だから、勘違いに性別を問わなかった。

「思わず……報酬は要らないから返せ、と……それがこの花がここにある理由さ」

 なんとか語り終えた彼も、眠気の限界らしい。再び机に伏せってうつらうつらと舟を漕いでいる。

「カーヴェ。寝るならちゃんと横になれ。そんな姿勢で吐いたらどうする」
「吐くもんか……」
「酔っ払いの言うことは当てにならない。俺の手が借りられる内に横になるんだ」
「うん……」

 半分くらいは眠っている状態の彼は素直に返事をした。差し出された腕に抵抗することもなく、おとなしく寄りかかる。
 寝台にもなる大きなソファーに彼を寝かせると、銀髪の男は酒で赤らんだ顔の彼を見下ろした。しばし眺めたのち、彼の人柄が詰まった花へと視線を移す。

「せっかくだ、この花を長持ちさせる方法を聞いてやろう」
「うん? あぁ……雑菌を繁殖させないことだ。水を替えることと……時々、茎の先端を切り直すこと」
「それで、この花はどうするつもりだ」
「どう……ってそりゃ、この家に飾るしかないだろ。花に罪はないんだ……責任は取るさ……」

 むにゃむにゃと答える彼の瞼はもうくっついていて、おそらく数秒もしないうちに返事は寝息しか期待できなくなるだろう。
 この家の主である銀髪の男は、ルームメイトの彼によって勝手に飾られることが決定した花に手を伸ばした。

「この家――なら、どこに飾っても同じだな」

 そう言った、という実績のためだけに呟くと、花瓶ごと持ち上げて自分の寝室へと共に向かった。近くで嗅ぐと強い香りだが、ベッドから少し離れた棚の上なら丁度いいだろう。
 こうして、奇妙な事件がきっかけでこの家にやってきた花は、家主の寝室に飾られることとなった。美しさへのこだわりは理解できずとも、部屋に花があるのは悪くない、とは思えるのだから。



 
3/4ページ
スキ