第3幕 改めて、覚悟しとけよ?




 千秋貴史とは、どんな人だろう。

 今、入夏の頭を占めているのはこのことだ。
 恋愛始めない? とは、慌てる千秋をからかって吐いた台詞ではない。自分ではアリだと確信できたから、言ってよかったと思っている。というか、考えれば考えるほどハマっている気がする。
 やっぱり、恋愛のきっかけは相手への興味だ。異性が普通だと思って過ごしてきたが、同性でも同じことが言えるのだと知った。千秋だから、かもしれない。あの反応が可愛くて、ついついつつきたくなってしまう。

 と、千秋のことを考えていたら、千秋の姿を見つけた。
 放課後、華桜館で一つ仕事を片付けようか、試験前ラストの稽古期間に教え子のところへと顔を出そうか。そんなことも考えながらとりあえずそっちの方面へと歩く途中、稽古棟の方へと向かう千秋の後ろ姿を捉えたのだ。燕尾をはためかせて歩く姿はいつ見ても格好良い。
 じゃあオレも。後をつけるわけではないが、目的地を同じところに設定して。



「あっ! 千秋先輩!」
「おう、お前ら。調子はどうだ?」


 一人、千秋の元にジャージ姿の奴が駆け寄ってくる。そこからワラワラとプラス四人。team千秋の奴らだ。最初に駆け寄ってきたのは確かリーダー。
 一年たちはキラキラと顔を輝かせ、先輩に会えて嬉しいという気持ちを前面に出している。千秋も嬉しそうに顔を綻ばせていた。そういえば、教え子の話をする時の声はいつも弾んでいたことを思い出す。新稽古棟ができるまではteam千秋の稽古場は旧校舎だったこともあって、指導風景を見たことはないが、きっといい指導者なのだろう。それくらいは普段の様子を見ていても想像がつく。


「最近、顔出せてなくて悪かったな」
「いえっ、先輩がお忙しいのはわかってますし」
「今準備してるの、千秋先輩には知られたくないですしね〜」
「あー、卒業セレモニーか。なら、オレは顔出さねえ方がいいか?」
「おいっお前余計なこと言うなよっ。そんなことないです! むしろ来てほしいです!」
「真に受けんなよ、冗談だ。ちゃんと行くから安心しろ」
「ホントですかっ? よかった〜!」
「来週から試験前で稽古自粛になるからな。明日は来れねえし、最後に見とく。お前ら、ちゃんと勉強もしてるかぁ?」
「僕らはバッチリですよ。リーダーは心配だけど」
「だからっ、余計なこと言うなって! 千秋先輩にバカだと思われたら困るだろっ」
「ははっ、心配しなくてもお前の成績は耳に入ってるぜ? 低空飛行だってな」
「そっ、そんな……あっ赤点は! ギリギリ取ったことないですよ!」
「それも知ってる。ちゃんと勉強も頑張ってんだな、偉い偉い」
「え、へへっ……」
「あーズルイ! 先輩オレも! オレこいつより成績いいです!」
「はいはい、偉い偉い。ほら、行くぞ」


 よしよし、と。自然な流れで頭を撫でているのは、妹や弟たちにもしているからだろうか。嬉しそうにはにかんだ子に続いて自分もと出てきた頭にもポンポンと手を置いて、稽古場の方へと身を翻す。千秋が顔を上げて。
 目が、合った。


「げっ」
「おっす、チアキちゃん。と、team千秋!」
「入夏先輩、こんにちは!」
「はいはい、こんちは〜。チアキちゃん、さっすが兄ちゃんって感じ! 妹弟にもこんな感じなの?」
「うるせえな、お前には関係ねえだろ。さっさと教え子のとこ行けっての。さっき走り込みしてんの見かけたぜ」
「うっそ、マジ? 稽古場かと思ったら外か〜。サンキュー、チアキちゃん」
「ノーセンス、たまたま見かけただけだ。じゃあな」
「うん、またね〜」
「もう来なくていいっつってんだよっ」


 兄ちゃんの顔から同級生の顔へ。その転換に気分がよくなる。頼れる兄貴分ではなくて、あえて悪態をつく子どもみたいな可愛らしい顔。教え子相手にでれっと甘い顔もいいけれど、後輩だけでは見られないこの態度に、なんとなく優越感を抱かせてほしい。
 教え子たちを引き連れて立ち去る後ろ姿を見送って、自分の教え子たちを探しに外へ出る。たぶん、いつものコースを走っているだろう。稽古を見つつ、試験明けに約束した課外授業の話もしておきたい。ちょうどいい日に両親の関わる公演があったから、team春日野の分も合わせてチケットを手配してもらったのだ。
 いつか、千秋とも行けたらいい。課外授業として教え子を連れて行ってもいいが、できればデートで。その時は両親の力は借りず、二人で決めたものを観に行きたい。昨日はさらってしまったが、話し合いからデートを始められるようになりたいな、と思った。








「キャンプ?」
「ちょうどいい季節だし、どうなったかと思ってね」


 五月。ゴールデンウィークが明けて、梅雨が顔を見せようかと考え始める前の頃。
 入夏は少し伸びてきた髪を整えに、いつもの美容院を訪れていた。そういえば誰か見つかった? と、一ヶ月くらい前の話題の続きから始まったのだ。


「うーん、空振り! みんな忙しいし行ったことないから気軽には無理ってさ〜」
「はは、やっぱりそうか。初心者だけでキャンプってのもハードル高いからなあ。将志くんみたいに興味がある子ならともかく」
「そーなんですよね〜! ま、確かに、季節的にはよくっても、オレらはオーディション準備中の大事な時期だから、断られても無理ないかな〜」
「そっか、じゃあ俺が誘うのも困るかな?」
「いえいえ! あっ、でもオレ、見つけちゃったんですよね〜! へへっ」
「見つけちゃった?」


 シャキン、シャキンとハサミが入れられる音が心地良い。その音が止んで、鏡越しに目が合った。
 だからとびきりの笑顔でこう言い放つ。


「絶対キャンプ向いてるって奴! オレ、そいつと行くって決めたんで、報告待っててください!」










「それじゃ今日はここまで! 各自チェックしたい奴は残ってもいいけど、期末試験も近いからほどほどに」
「はいっ」


 教え子の相談を聞いたり、ステップやフォーメーションを見てやったり、雑談をしたり。
 稽古を終えて、爪先を帰路ではなく華桜館へと向ける。後回しにしようかと思ったが、書類の確認だから今日済ませてしまってもいいだろうということで。
 会議室に顔を出し、自分の名札をくるんと返す。すぐに済むとは思うが、用のある奴がいるかもしれないので。他のメンバーはみんな帰ったようだ。もちろん千秋の名前も赤いまま。
 自分の執務室で書類を広げる。これは教え子たちに渡す予算案用の提出書類、これは一般枠から許可願が来た卒業セレモニー用のポスター、などなど。それぞれ四季のサインが要るもの、要らないもの、締め切りが近いもの、まだ先のものと仕分けてまとめておく。あんまり溜め込むとまた冬沢に怒られてしまうから。おっと、これは明日まで。
 そんな雑務をさくっと片付けて、ノートパソコンを開いた。昨日の朝、千秋にチョッカイを出した後に軽く打ち込んでおいた曲を開く。自分の作業部屋の方が設備は整っているが、外の方が限られている分集中できるので、パッと閃いた時こそ外に出ることもままあるのだ。それがたまたま功を成し、早朝から千秋と会うことができて今に至る。
 ちょっぴり大人びたメロディに耳を傾ける。大人っぽいのではなく、背伸びしたような感じの。特に提出先もない、自由な曲だ。
 この続きは、それからここに歌詞を乗せるなら。


「………このまんまじゃ、ラブソングになりそうじゃんね」


 なんだか急に照れ臭くなって。
 入夏はプロジェクトを一旦閉じた。続きはまた、インスピレーションが訪れ次第。
 君のための歌だよ、なんていうのはさすがにサムイ気がする。いや、一周回ってアツイのか。千秋はどうなんだろう、もしもできてしまったら受け取ってくれるだろうか。なんだかんだ言いそうだが受け取ってはくれそうである。
 気分転換、というか帰ろう。さっさと荷物をまとめて立ち上がる。今日はもう千秋に会えなさそうだな、と思ったら少し寂しい。
 また会議室に顔を出し、名札をひっくり返そうと手を伸ばす。


「──あれっ」


 異変に気がついた。来た時は全員赤かったのに、一人だけ黒くなっている。

 千秋貴史。その文字が黒く。

 ぶわっと体が熱くなった。いるんだ、たぶん、執務室に。会いたい、と思った時にはもう千秋の執務室の方へと足が動いていた。走ってしまいそうになるのを堪えて、その分速く足を動かして。
 たどり着いたドアの前で一呼吸。いいかげんノックを覚えないと嫌われそうだ。

 コンコン。

 コンコンコン。


「………? ここじゃねーのかな」


 強めにノックをして待ってみても返事はなかった。華桜館は広い、別の場所にいるのかもしれない。
 とは思ったものの、いるかもしれないからとドアに手をかけて開けてみた。

 答えは正解、出迎えてくれたのは長い足。


「チアキちゃん……、もしかして、また寝てる……?」
「……スゥ……」
「ありゃ、寝てる」


 あの時と同じ本を手に。眠っているところまで同じだ。違うのは姿勢だけ、あの時は座っていたが、今日は足を投げ出して横になっている。
 まさか、また寝顔を拝めるとは。
 さすがにその気がある今は手を出すような真似はしないが、見るだけならセーフだろう。一人分くらい空いたスペースに腰を下ろし、すやすや眠る寝顔を見下ろす。


「………」


 そうして、ハッと気がついてしまった。
 珍しいな、とは思ったのだ。四季みたいにいくら寝てもすぐに寝てしまうような人ならともかく、千秋がこんな風に寝こけるなんて。しかも、最近やらかしたという直後に。
 見下ろした先、よくよく見れば目の下にはクマがあって、顔色もそんなによくない。あれからあまり眠れていないのだろう、そういう顔だ。だからこんなところで居眠りなんてしてしまうのだ。本との相性もよくないのかもしれないが、この顔色の原因は間違いなく本じゃない。

 どう考えても、入夏のこと、だろう。

 千秋はどうも考えすぎる質だから、ずっと考えて、入夏の考えの及ばないところまで考えて、悩んで、ぐっすり眠れていないのかもしれない。それでも授業中はしゃんとして、他の人には悟られない気丈な振る舞いをしているのだからすごい。こっちも浮かれていて、今の今までちっとも気づかなかった。
 そっと、そーっと、手を伸ばす。起こさないように、触れたか触れないかギリギリの力で、頬を撫でる。


「………ごめん、チアキちゃん」


 起きないのを確認して、手のひらをぴったりと頬に添わせる。耳を挟み、すりすりと撫でる。
 久しぶりの恋に、浮かれていた。誰かのことを考えて、誰かのことでいっぱいで、その誰かに会えるととびきり幸せになれる。それが楽しかった。だから千秋の様子にまで気を回すことができていなかった。こんな風にうっかりさせてしまうほど、千秋の睡眠時間を奪っていたとは。
 おそらく、入夏が思っている以上に千秋は悩んでくれているのだろう。意識してくれているのだろう。好きになったら一気にアプローチしていく入夏とは正反対の恋愛スタイルに違いない。悩むなと言っても無理なのだろう。勝手に好きになった片想いを、二人のものにしてくれてしまう。

 ──自分の心は、いつまでも独り占めして抱え込んでるくせに。


「……ん………」
「っと、いっけね。起こしちゃったかな?」


 千秋が身動いだので、パッと手を離す。また寝込みを襲ったと勘違いされたら困るから。
 しかし千秋は身動いだだけで、まだ起きる気配はなかった。代わりに寝言だろうか、もごもごと口が動く。


「ねえ……って……」
「ん?」
「言ってんだろ……」


 眉をひそめて、とてもよく見慣れた表情で。


「なんべん……ても……キャンプは……」
「……え」
「おい、いりなつ……聞いてんのか……」



 ──そんなことってある?!


 ぶわわっと、体から火が出そうになった。熱い。
 なんてことだ、まさか夢の中でまで悩ませているとは。どれだけしつこいのか、確かに今もまだキャンプを実現させる気満々だが。
 というか。

 ──オレ、チアキちゃんのこと、考えすぎちゃったかも。

 だってこうして夢に見てくれている。どうしよう、すごく嬉しい。自分がずっと千秋のことを考えていたのは事実で、千秋がおそらく入夏のことで悩んで睡眠不足になっていたのも事実だから、相乗効果かもしれない。
 たまらなくなって、また手を伸ばす。眉間の皺を伸ばすように、口付けた額を撫でた。髪が柔らかくて気持ちいい。千秋の表情がやわらいで、やわ──らいだのはよかった。


「ち、チアキちゃん……」
「ん……」


 ──なんでそんな、人の手に甘えるかなあ!

 すりすりと、小さな子どもが喜ぶように。こっちの手にすり寄ってきたのだ、どことなく嬉しそうな顔をして。
 むらむらと湧き上がる感情を必死で押さえつける。ギャップ萌えとはなんたるかを説いてやろうかと思ってしまった。もしかして長男だから頭を撫でられるのに弱いとか。あり得る、背も高いし、どちらかというと甘やかすタイプだから甘え下手なのは間違いない。
 アリかどうか、改めて考えていた自分がバカバカしくなってきた。あれこれ考えるより、今こうして熱くなったこの気持ちの方がずっと信頼できる。始まりだってそうだった。


「……チアキちゃん。チアキちゃーん」
「んんっ……」
「そんな無防備に寝てっと、今度こそ寝込み襲っちゃうよ?」
「んー………ん……?!」


 不貞を働いてしまう前に。肩を揺さぶって起こしてやった。
 薄っすら開いた目とバッチリ視線が合った瞬間、その目は信じられないものを見たように大きく開かれた。実際、なんでここにいるんだ?! と、まず思うだろう。


「いりな……はっ? なんでここに、つか、オレはなにを……」
「チアキちゃん、その本読むと眠くなんの?」
「あ? あー……それはそうかもしんねえ……じゃなくてっ、なんでお前がまたここにいるんだよっ」
「好きなコのとこに来ちゃだめ?」
「はっ? ノーセンス! かわいこぶっても無駄だぜっ」


 慌てて起き上がってソファの端へと逃げる千秋に迫ってやる。逃がさねーよ、という意味を込めて手首を掴んで。


「なあ、チアキちゃん」
「なんだよっ、離せっ」
「夜、あんま寝られてないんじゃん?」
「はぁ? 誰のせいだと思ってんだよ」
「やっぱオレのせい? オレのこと考えて寝らんなくなってんだ」
「っ……その言い方やめろっ」
「事実なんじゃん? 悪いね、そんなに悩ませるつもりはなかったんだけど」


 黙ってしまった千秋の目を、じいっとまっすぐ見つめる。まばたきもせずに。


「この際、オレと付き合っちゃわない? そしたら悩み、減るかもよ?」
「なっ……ノ、ノーセンス! どう考えても余計に悩みが増えるだけだろっ」
「そっかな〜、オレがどんな奴でどんなつもりでどんなこと考えてるかわかればホッとするかもじゃん? まあ、オレはオレの心の赴くままに行動してるだけだけどね!」
「………」
「あ、でも、付き合ったら……別の意味で、夜は寝かせてやれねーかも」


 はあ? と、怪訝な顔をしてみせたのは一瞬。遅れて意味を理解したらしい千秋の顔がボッと真っ赤に染まった。ナニ想像したの、と問いかけるのは意地悪が過ぎるだろうから黙っておこう。
 いいかげん離せと暴れられる前に、掴んだ手首を引っ張ってぐんと千秋に近づく。吐息が触れ合うくらいの距離にまで。


「チアキちゃん」
「っ」
「オレ、本気になっちゃった。だから、今フられてもスッパリ諦めてやれる気しねーや」
「は……? ……っ!」


 頬に手を添えて、顔を傾けて。唇に、と見せかけて寸止めする。
 ぎゅっと瞑られた瞼が怯えているようで可愛い。しかし本当に怯えているのかもしれないと思うと少し申し訳ない。怖がらせたいわけではないのだ。ただ、意識してほしいだけ。
 だからまだ、キスはお預け。応えてくれたらそこにしよう。唇から離れて、囁くために移動した耳元に口付ける。


「チアキちゃんがオレのこと好きになってくれたら、そん時はキスさせて」
「っ、っ?!」
「ふはっ、チアキちゃん声出てないよ? びっくりしちゃった? さすがのオレでも、いきなり口にはしねーって」
「っ……」


 こりゃ、余計に寝つきを悪くさせちゃうかも。
 そうは思っても、ついついやってしまう。こんな反応されたら誰でも燃えてしまうんじゃないかとちょっと心配になった。
 千秋が固まっているうちにパッと手を離してソファから降りた。一歩二歩、もう一歩、それから振り返る。


「んじゃ、チアキちゃん。また明日な」


 パチリとウインクをして、怒号が飛んでくる前に退散だ。早く安眠させてやれるように頑張ろう、惚れさせる方向で。
 だからもう来んな!! と叫んだ顔は、きっと真っ赤!


 
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