第2幕 覚悟しとけよ?
「へえ、学園の近くにこんなとこあったのか」
「そーなんだよね〜、最近オープンしたらしくってさ。前に通りかかった時、いつか行ってみたいって思ってたんだよな! 最初がチアキちゃんなんて、なんか嬉しいじゃんね」
「別に誰と来たって同じだろ。けど、落ち着いてていいとこだな」
連れてこられたのは、学園から徒歩圏内の距離にある小洒落たカフェだった。席と席のスペースが広く取られていて、近くの席の客の会話が気にならない。何か作業を持ち込めば集中できそうな空間だと思った。ざっと見た感じ、軽食からドリンクまで何かと豊富そうなのもいい。
こちらの反応がお気に召したらしい、入夏は満面の笑みを浮かべていた。なんとなく居た堪れなくなり、メニューで遮る。
「オレは……ティーフロート。お前は?」
「えっ、チアキちゃん早いね! オレ、まだちょっとしか見てないよ!? 待たせちゃうと思うから、先頼んでていいよ」
「あっそ。んじゃあ、お先に。あ、すみません、注文いいですか?」
「はーい、どうぞ」
「ティーフロート一つ、以上で」
「かしこまりました、ティーフロートをお一つ。以上でよろしいですか?」
「とりあえずは。また後で注文します」
「かしこまりました。ありがとうございます!」
こちらがオーダーを済ませ、店員が立ち去ってからも、入夏はまだメニューと睨めっこしていた。意外と優柔不断なのか、前に甘味処へ行った時にはすぐにいつものやつと答えていたのに。どうせそこへ連れて行かれるものだと思っていたが、こんな店も知っていたとは侮れない奴だ。正直、あそこでは甘味も甘く感じなさそうだから、助かったが。
ティーフロートが運ばれてくるまでの数分、暇潰しに観察でもしてみるか。うーんうーんと唸っている入夏をじっと見つめる。こんな間食程度で真剣に悩んでいる姿は、少し可愛いかもしれない。
──って、何考えてんだ、オレ。
まさか絆されてるのか。思わず眉間に皺を寄せる。
視線に気づいたらしい、顔を上げた入夏と目が合った。
「えっ、チアキちゃんどしたっ? うわ、オレってばメニューばっかで放ったらかしにしちゃって悪いじゃんね……」
「別に。それとは関係ねえよ」
「そう? あっ、ねえねえチアキちゃん、どっちがいいと思う? アイスか、季節のケーキセットか!」
「どっちでも好きな方にしたらいいんじゃねえの」
「決めらんないから聞いてるんじゃん? チアキちゃんが決めてよ〜」
「なんでオレがお前の食うもの決めなきゃならねえんだよ。どっち食おうとオレの胃袋には入らねえんだから、関係ねえだろ」
「そういう問題っ? なんか斜め上の理由じゃんね……」
「失礼致します、ティーフロートのお客様〜」
「あ、はい」
注文の品が運ばれてきて、会話は一時中断。入夏の視線はまたメニューの方へと戻った。
カラン、と氷の揺れる音がする。季節的には冷たすぎるような気もするが、どうせ店内は暖房が効いているからちょうどいい。フロートの乗ったドリンクはなんでも好きだ。アイスと飲み物、両方いっぺんにあるのが贅沢な感じがして。フラッペ入りのドリンクみたいに混ざっているのではなく、別々なのがだんだん溶けて一緒になっていくのがいい。
ストローを差し、一口啜る。甘すぎず、紅茶の香りとバニラの香りがふわりと鼻に抜けていく感じがいいと思った。美味しい。デザートスプーンでアイスも一口。クリーミーさが安っぽくなくて美味しい。思わず顔が綻んだ。
「…………なに見てんだよ」
「ん?」
メニューの方にあるとばかり思っていた視線がこちらに向いているのに気づき、楽しんでいたドリンクから手を離す。入夏はいつの間にかメニューを置いて、ニコニコと上機嫌にこっちを見ていた。
「ティーフロート、好きなの?」
「あ? あー、まあな。別に紅茶じゃなくてもいいんだけどよ、こういう飲み物好きなんだよな」
「フロート乗ってるやつ? いいよな! オレもたまに飲む!」
「たまにかよ。つか、なんでそう思ったんだ? 珍しい注文でもねえだろ」
「ん? だって、そういう顔してたよ?」
そういう顔。
美味しい、と思って緩んでしまったあの顔のことか。
カッと頬が熱くなるよりも先に、入夏がアイスよりも甘ったるい声を出す。
「オレ、美味し〜! って顔するコ、好きなんだよね」
「は……」
ニカッと笑った顔に、どんな表情を返していたのかわからない。入夏はもちろんお構いなしに続ける。
「素直で可愛いじゃんね! ちょっと意外な発見。チアキちゃん、クールぶってるからそういう顔しないと思ってた」
「別にぶってるわけじゃねえよっ。んなことより、いつまで迷ってんだ、さっさと注文しろっての!」
「へっへへ、んじゃあ決〜めた。すみませーん、注文いいですか?」
「はい、お伺いします」
コーヒーアフォガードとハムチーズサンド、お願いします! と、入夏。デザートは食後と同時どちらにお持ちしますか? と、店員。んー、同時で! と、入夏。
かしこまりましたと店員が立ち去ってから、じっとりとした視線を向けてやる。
「ハムチーズサンド、ってお前……夕飯前だろ。一人暮らしだからいいかもしれねーけどよ、こんな時間に食ったら微妙じゃねえ?」
「オレ、す〜ぐ腹減るんだよね〜。見てたら食いたくなっちゃった!」
「そーいや、会議中にもしょっちゅうなんか食ってるよな。亮の視線が痛えからやめといた方がいいぜ」
「それねー! グーって盛大に鳴るのとどっちがマシだと思う?」
「どっちもどっち。会議前にたっぷり食っとけ」
「うーん、今度試してみよっかな〜」
ふぅ、と入夏が短く息をつく。会話の切れ目だと判断して、ティーフロートの方へと意識を戻した。危ない、アイスが垂れそうになっている。
一方の入夏はそのつもりではなかったらしく、続けて口を開いた。意識はティーフロートに向けたまま、すくいとったアイスを舐めながら聞いてやる。
「しっかし、やっぱこの季節だとかき氷はないよな〜。だからスゲー迷っちゃったよ」
「この季節じゃなくても、この店には置いてなさそうだと思うけどな」
「あー確かに! 洋風だもんな〜、ここ」
「つーかかき氷って。さすがに冬に食ってたら、見てるこっちが冷えてきそうだぜ。置いてる店、あんのかよ?」
「いつも行く甘味処なら置いてる! いつでも食べれて感謝じゃんね」
いつも行く甘味処、というフレーズが引っかかって。まだかな〜とせっかちに揺れる入夏の方へと視線を戻す。
ワン、ツー、スリー、少しだけ間を空けて。口を開く。
「だったらなんで、いつものところにしなかったんだよ」
「え?」
「オレはそこに連れてかれるかと思ってたぜ。まあ、どこでもよかったけどな」
こちらの言葉に返ってきたのは、うーん、と苦笑い。あまり予想しなかった表情だ。理由があるとしても、デートだから雰囲気変えたくて! とか、その程度かと思っていたのに。
「聞かれちゃったから、正直に答えるけどさ」
「おう」
「一回、一緒に行ったことあるじゃんね。あの時はほら、シキちゃんとリョウちんのことがあったじゃん? せっかくのデートなんだし、チアキちゃんには楽しんでほしいからさ。だったらいっそ、なんの思い出もないとこの方がいいかと思って、ここにしたの」
──ああそうだ、こいつは、こういう奴だった。
頭がよくて、場の空気を読んださり気ない気遣いができるタイプ。そうだった、寝込みを襲ったり気障ったらしくいきなり額にキスなんかしてきたりする奴だが、その前にちゃんと気遣いのできる奴だった。
苦い思い出が、あの場所に残っていることは確かで。そこに連れられていたなら、内心悪態をついていたかもしれない。ここかよ、とか嫌味っぽく文句たれていたかもしれない。
無性に悔しくなって、顔が歪む。誤魔化すように頬杖をついて口元を隠した。
「………そーかよ」
「はいっ、この話はお終い! チアキちゃん、アイス溶けてるよ?」
「……別に」
「ん?」
「次は、いつもの甘味処でもいいぜ。注文迷って待たされるよりな」
え、と入夏が目を見開いた。途端に、パアッとこの上なく嬉しそうに破顔する。
そんなにかき氷が嬉しいかよ、と思ったのも束の間。
「またオレとデートしてくれんのっ? やった!」
「…………」
墓穴。掘ったかもしんねえ。
入夏はフンフン鼻歌を歌って上機嫌だ。墓穴、完全に墓穴だった。どうして自ら『次』なんて言ってしまったのか、次を望んでいたのか。どうせ懲りずに誘ってくるだろうと思っていた自分が恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたい、墓穴ならあるが。
こちらが黙り込んでもなんのその、入夏は疑問になるくらいに嬉しそうで。
「へへっ、んじゃあ、楽しい思い出で上書きしようじゃん!」
「ハ。できるもんならやってみろってんだ」
「人を楽しませることには自信あるよ? オレ。チアキちゃんのこと絶対笑かすもんね! くすぐってでも!」
「おい、くすぐんのは反則だろ」
「いーのいーの、笑かしたらオレの勝ちだから」
「なんだそれ。睨めっこかよ」
癪だが。非常に癪だが。
まあ確かに、楽しくないわけでもないか、と思ってしまった。むっと唇を尖らせて、悔しさを悟らせないようにストローを咥えて紛らわす。ティーフロートは美味しい。
不意に、んー、と入夏が唸った。ついさっきまで自信たっぷりに笑っていたくせに、今は少し自信なさそうに眉を下げている。
「一回じゃ無理かもしんないけどさ。オレ、何回も誘うから。二人っきりのデートもいいけど、あそこはいつか、五人揃って行けたらいいじゃんね!」
「………いつになるかねえ、そんな夢物語」
「目標は卒業まで! 叶ったらアツイじゃん? それに……オレも、あそこは楽しい思い出の店! って、胸張って言いたいからさ」
四季と、冬沢と、春日野と、入夏と、それから、自分と。
あの座敷に肩を並べて狭苦しく甘味を食べているところを思い浮かべて、想像できねえ、と笑い飛ばすことはできなかった。
「……そーかよ」
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、協力してやってもいいかな、と思った。