第6幕 デートは真剣勝負!
「つかお前、こんなとこで一人暮らししてんのかよ」
「あー、一人暮らしっていうか……ある意味そうだけど。ここ、オレの親のマンションで、最上階がオレん家なんだよね。親も住んでるけど、オレはオレの部屋としてひと部屋もらってる感じ」
「……これだからブルジョアは………」
「ええ〜?」
連れてこられたのは、肩書きにお似合いのいかにも高級そうなマンションだった。最上階へと向かうエレベーターの中、気まずそうに落ち着かない様子の入夏を見兼ねてそんな話を振ったことを少しだけ後悔した。漫画みたいなブルジョアである。
そうして、最後の案内が始まる。ここがオレの部屋。入ってそこが洗面所。奥は作業部屋、こっちがリビング。入夏の後について、千秋はぐるりと部屋を見回した。
「へえ、案外片付いてんな。執務室からしてもっと酷いの想像してたぜ」
「そのへんはまあ、頑張った!」
「どーせどっかに押し込んだだけだろ」
「うっ」
「ハハ! 顔に図星って書いてあるぜ」
「根本的に解決すんのは無理があったんだって〜! とりあえず、そこ座ってよ」
気分がいいから素直に、促されたソファーに腰掛ける。入夏は千秋の隣に来ると、そのまま背もたれに沈んでいった。
「も〜、オレの負け!」
「何がだよ」
「今日のデート! そもそも、チアキちゃん相手に頭脳戦なんて勝てっこないじゃんね」
「ま、トランプも勝てねえもんな、お前」
「う〜……チアキちゃん、頭の回転速えんだもん」
「お前は出たとこ勝負っつーか、勢い勝負なんだよ。使える頭があるんだからちゃんと使ってやれよ」
「使った結果がこれ、惨敗」
入夏は肩を竦めておどけたポーズをしてみせた。形勢逆転は完全に諦めたようで、拗ねた子どもみたいにぷいっと背を向けて、背もたれとよろしくやっている。
千秋はそんな様子をじっと観察した。いつもと違って静かで、しおらしくて、可愛げがある。歳の近い弟のような気がして、こんな感じならもうちょっと構ってやってもいいとすら思えた。
ふと、入夏が背を向けたまま起き上がる。ちょっと待ってて、と奥の方へと姿を消した。間もなく、プレゼントらしき包みを持って戻ってくる。思わず呆れて目を細めてしまった、だって、鞄よりも大きな包みだったから。
「はいこれ! オレからのプレゼント」
「お前なあ……このサイズで忘れたら鞄の中探すまでもなくわかるだろ」
「そっ……れは……、その……、ここで、ネタバラシする気だったんだって!」
「へえ。忘れたのはわざとで、ここに連れ込むためについた嘘だよ、ってか? 狼さん」
「うぐっ……いやまあそう、なんだけどさぁ〜!」
「ハッ、計画が甘いぜ? 何べんお前のそういうアプローチ受けてきたと思ってんだよ。さすがにパターンが読めるぜ」
ぐぬぬと唸った入夏を見上げる。大きな包みのせいで表情は見えなかった。受け取ってやろうと手を伸ばすと、何故か入夏が包みを開け始める。
「おい、」
「これマフラーね! チアキちゃんいっつも胸元寒そうでセクシーだから、ガード!」
「はあ? 大きなお世話だぜ」
「まだ部屋暖まってねえし、似合うかどうか見たいし、今巻いちゃうよ」
「は? お、おい、むぐっ」
「おっやっぱ似合う似合う! 赤にして正解!」
ぐる、ぐる、ぐる、と。首だけではなく顔にまで巻きつけられて色も何も見えたもんじゃない。文句の一つや二つ言ってやろうとマフラーに指を引っ掛けた、その時体が傾いた。肩を背もたれに押しつけられている。
何も見えない視界と、突然の事態に混乱して、マフラーをほどくことができない。雑に巻かれたこんなもの、下ろすだけで視界くらいは取り戻せるはずなのに。
チアキちゃん。小さな、掠れ気味の声に呼ばれる。
「今日、楽しかった?」
ソファーが沈んで、入夏に覆い被さられたのがわかる。重みは肩にだけ、顔が目の前にあるのだろう、少しだけ暗くなった。
「今まで見た中じゃ一番楽しそうだった。今日、どういうつもりだったのかは、なんとなく予想ついてるけどさ」
真剣な声色だった。威圧する風ではなく、ただ静かで、ふざけた絵面に似合わないくらいの真剣さだった。
息が詰まる。口元を覆うマフラーのせいだけじゃないことは、わかっていた。
「面白がってた、よな」
オレもちょっとはやってたよ。入夏が、そのままの声で語る。
でも。入夏がほんの少し黙った。一秒あったかないか、ブレスのための一拍が五分にも十分にも感じられた。
「オレは本気だよ、チアキちゃんのこと。遊びでやってたつもりねえから。そりゃ、最初は様子見とかしてたけど、好きになるばっかだったし」
再び間が訪れた。続く言葉を想像して、身動きが取れない。
ハッと気づいてしまった、気がついてしまったのだ。今日の千秋の行動が、入夏にとってどういう意味になるのかを。こっち側から透けて見えていたように、こっちの思惑も向こうから丸見えのはずだ。
「チアキちゃんは……オレの気持ち、弄んだの?」
「っ……」
「それとも」
マフラーに引っ掛けていた指が、重力に従ってマフラーごと落ちてくる。眩しくなった視界に、入夏の顔が現れた。お気に入りのカップをうっかり壊してしまった時みたいに、悲しくて、寂しくて、どこか諦めたような、切ない笑みを浮かべて、入夏の言葉が続く。
「キス、させてくれんの?」
『チアキちゃんがオレのこと好きになってくれたら、そん時はキスさせて』
キス、の二文字で、記憶がフラッシュバックする。どういう意味かを本格的に理解する。
入夏は千秋に、今日の行動の理由を尋ねているのだ。前者だとわかりきっているくせに、後者だったら許してあげる、みたいな余地を与えて、千秋の返事を待っている。
キュウと胸が締めつけられるようだった。日頃の仕返しをすることしか考えていなかった浅はかな自分に気づかされたせいだ。本気だと言った入夏の気持ちを、本気にしていなかった。最初にあれだけ悩んで、その後も悩んで、戸惑っていたくせに、自分のことばかりだったのだ。ガツンと、頭を殴られたような錯覚に陥る。
──ゲーム感覚で楽しんでたのは、オレの方じゃねえか。
さっきまで苦しくて邪魔なばかりだったマフラーに感謝した。深い赤が頬を覆って、見られたくないものをみんな隠してくれている。
こちらを見つめる入夏の目が、泣き出しそうに見えた。ギクッと心臓が跳ねる。そんな顔すんなよ、とは言えなかった。させたのは千秋だから。
その顔が近づいてくる。マフラーはそのまま、けれど反射的に、キスをされる、と思った。でも、逃げよう、とは思えなくて──嫌じゃないことが、嫌だった。
──しかし。
「………ごめん!」
「んぐっ」
押しつけられたのは、手のひらだった。ぐいっと押され、入夏がパッと離れていく。
「ごめん。忘れて」
「……は?」
「オレ焦りすぎじゃんね。返事急かしたいわけじゃなくて……っあーもう、ホントカッコつかね〜!」
「なっ……おま……! どう考えても今の流れは──」
今の流れは──何って、言おうとした?
離れたところで頭を抱えて、うだうだやっている入夏に掴みかかりそうになった。そして、とんでもないことを口走ろうとした。
キョトンと真ん丸い目がこちらを向く。沈黙に耐えきれず、鞄を持って立ち上がる。
「チアキちゃ、」
「帰る」
「えっ? あっうん、うん?」
「邪魔したな」
そそくさと部屋を出る。入夏は追いかけてはこなかった。エレベーターを呼び出す。幸いなことに誰も使わなかったらしく、すぐに開いた扉に感謝した。降りる、降りる、降りる、そして。
八つ当たりするみたいに地面を蹴飛ばして、千秋は走り出した。走って走って、奇異の視線も置き去りにして、駅へと向かう。改札を通り抜けて、急いでいるふりをしてホームに駆け込む。空っぽの線路を見て、ようやく足を止めた。息が上がっている、当然だ、走ったのだから。
バクバクと、早鐘を打つ心臓も──走ったせいだ、と言い聞かせて。
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