第6幕 デートは真剣勝負!
◇
愉快、痛快、上手く行くもんだ。
千秋の口角がにーっと上がる。選んだ席は奥の方、仕切りに挟まれて個室っぽくなっている場所だ。もし場所取りに行かせていたら、入夏もここを選んだだろう。
このまま高笑いでもしたくなるのをぐっと堪え、千秋は足を組んだ。
今日のこのデートについて、千秋には一つだけ決めたことがある。
どんなプランだろうととことんノリよく付き合ってやろうじゃねえか、と。ただそれだけだ。
何故か? その理由も至極単純なものである。
──あの野郎は、最近、調子に乗ってやがる。
鬱陶しいくらいにぐいぐい来たかと思えば、嘘みたいに離れていって。そのくせ目が合うと必ずニヤッと細めてくる。
あまりにもノーセンスだ。こっちの反応を楽しんでいるに違いない。人をゲームか何かと勘違いしてやがるのだろう。
それは、面白くない。面白くなさすぎる。ここらであの野郎の鼻を明かしてやりたい。
というわけで、千秋自らクリスマスデートの日取りを提案してやったのだ。調子に乗ってられんのも今のうちだぜ、と。
結果、非常に気分がいい。今まで散々人を振り回しやがった奴を逆に振り回して狼狽えさせるプラン、ここまで完璧すぎるくらいに成功している。こんなに気分がよくなるとは、やろうと思っても失敗したことしかなかったから知らなかった。
先手を取られてオロオロする入夏の姿を思い浮かべる。やっぱり気分がいい、なんなら可愛いとすら思える。
今日の主導権は渡してなるものか──キョロキョロとこちらの姿を探す入夏に、こっちだと手を挙げる。
「いたいた。お待たせ〜」
「意外と早かったな」
「まあね! 前来た時に食べ損ねたやつあったからそれにしちゃった。チアキちゃんはゆっくり選んできなよ」
「そうさせてもらうぜ」
体勢を立て直したいのだろう、ゆっくり、が若干強調されていた。財布を持ち、向かうところからスローペースで行ってやる。これくらいのハンデはくれてやってもいいだろう。
ぐるりと店内を見回す。ダークブラウンを基調とした内装だが、差し色に選ばれた淡い黄色のおかげで暗くなりすぎていない。客入りもそれなりで、ざわざわとした話し声がいい具合に内容をぼかしてくれる。決して騒がしくなく、落ち着いた雰囲気が悪くない店だ。
ショーケースには迷うふりが必要ないくらいのケーキがあった。しかし、いかにもクリスマスらしいものはもうないらしい。シーズン前の期間は長くても、当日を過ぎてからの切り替えは早くなりがちだ。さて、どれにしよう。
ツヤのあるチョコレートでコーティングされた、あのケーキ。ラム酒が香る大人の味わいと書いてある。悪くない。しかしあっちの、シンプルなアップルパイも美味しそうだ。バニラアイスのトッピングもできるらしい。熱々のパイに冷たいアイスの組み合わせは捨てがたい。
いや待てよ、こっちのモンブランもいいかもしれない。あの栗の香りと甘いクリームがコーヒーに合うのだ。しかしこの、ショートケーキもシンプルながら造形のバランスが美しい。
そんな風にあっちのケーキ、こっちのケーキと視線を彷徨わせていると、ふと鮮やかな赤が目に留まった。イチゴのタルトだ。ちょこんと乗った飾りが緑色で、なんとなくクリスマスカラーになっている。
「お決まりですか?」
「あ……、はい。この、一番下の、イチゴタルトで」
「かしこまりました。お飲み物はご注文になりますか?」
「あぁ……それじゃ、コーヒー。ホットでお願いします」
かしこまりました、店内ですね、と定番のやり取りと支払いを終え、入夏がうんうん唸っているだろう席の方へと戻る。十分な時間は与えてやっただろう。
口角は上がったまま、足取りは軽やかだ。
「種類多いな。ちょっと迷ったぜ」
「お。おかえり〜、何にした?」
「イチゴタルト。お前は?」
「オレはチョコ!」
取り繕えたのか、ニカッと普段通りの笑顔が応じる。そうこなくては面白くない、まだ取り返せると思っていてくれた方がやり甲斐があるというものだ。向こうのペースもわかっていれば攻略できる──この期間、ただ振り回されていたばかりではないのだ。何事も、耐性というものはつく。
対して入夏は。こちらが素直に応じることについて、まるで経験がないわけだ。しつこすぎるキャンプの誘いからこのふざけた告白まがいの一連まで、一度だっていい顔をしてやった記憶はない。向こうだって断られる前提で動いている節さえある。
ならば。その利を、存分に活用させて頂こうじゃないか。
「へえ、チョコのやつか。そっちも気になってたんだよな。あとで一口寄越せよ。オレのもやるからよ」
まずは様子見のジャブ、こちらから積極性を見せてやる。このレベルで済むのだから楽なものだ。
期待通り、入夏の瞼が上がる。大袈裟な反応ではなく、よく見ていなければわからない程度に。
オレが食わせてやってもいいぜ、と。追い討ちをかけるのもいいが、ここはあえて話を逸らすとしよう。
「けどまあ、お前もよくこんな甘いもんの店なんか見つけるぜ。どっから探してくんだよ」
「んー? 気分転換にウロチョロしてる時とか? あとは中学ん時の名残りっつーか、よく放課後に寄り道してたからさ〜。女子と行くことも多かったし、シキちゃんもカスガちゃんもわりと甘いもん好きだし、なんか詳しくなっちゃった」
「そーかよ」
当たり障りのない会話のはずだった。単純に疑問に思ったことを投げかけた、さらっと返事が来た、それだけ。何かが引っかかる、何が引っかかる? ピクリと動いてしまった眉には気づかないでほしい。
──前来た時に食べ損ねたやつあったからそれにしちゃった、と。
こいつはそう言っていた。つまり入夏にとって、ここは初めて来る店じゃない。誰かと、行くことが多かったという女子の内の誰かと、あるいは四季や春日野と、来たのだろうか。それとも一人で、ケーキを買って帰ったのか。いいや案外、今日の下見に来ていたとか、さすがにそこまではしないだろうか。
カスガちゃんはケーキより餡子派だけどな、なんて、続く雑談はそっちのけ。妙な考えが千秋の頭を巡った。何かが引っかかる、なんで引っかかる? わからないならわからないままの方がいい気がしてきた。
「──あ、でもこの店」
と、入夏が声を上げる。こっちの様子に気づいているんだかいないんだか、ちょっぴり悪戯な笑みを浮かべて。
「誰かと来んのは、チアキちゃんが初だよ」
「……そーかよ」
相槌のバリエーションが乏しい奴みたいに、一瞬前と全く同じ返答をしてしまった。けれど、それしかできなかった。ぼわわんと、新たな疑問に頭を支配されてしまったから。
──なんで、ホッとしてんだ。
シンプルにそれだけ。なんで、何に?
頭がぐらぐらするようだった。混乱している。自分の脳みそで考え始めたことが、どうしてそんな考えが生まれたのかわからなくて、わかりたくなくて、混乱している。
どんなに考えても、結論を出したがらない頭じゃ意味がない。つまり無駄に使ったということだ。こんな時こそ甘いものが食べたい、ああちょうど、これからケーキが来るんだった。
タイミングを見計らったかのように、お待たせしました、と声が聞こえる。ツヤのあるチョコレートでコーティングされたドーム型のケーキと、なんとなくクリスマス気分を味わわせてくれるカラーリングのタルト、それからコーヒーが二つ。チョコケーキは入夏の方へ、タルトは千秋の方へと置いてもらい、店員が立ち去ったところでアクションだ。
しかし、そっちも悪くねえな、と千秋が言うよりも早く入夏の手が動く。
「はい、一口!」
整った形を躊躇なく崩したフォークがスッと差し出される。チョコレートと、スポンジと、クリームをバランスよく乗せて。背景には入夏の笑顔、BGMにはニヒッと笑う声。
怯んだ、いや、怯みそうになった。忘れるな、当初の目的を思い出せ、ここで押されてはいつものペースだ。ケーキの前にまずはうっかり出そうになった拒絶のノーセンスをぐっと飲み込み、ぱくりと口を開ける。
「!」
「……ん、美味いな」
食べてもらえるのは想定外、そんな風なリアクションに気分が良くなる。そうだ、これだ、この味だ。今日はとことん振り回されろ──千秋は唇についたクリームを舐め取りながら、まだ固まっている標的に微笑みかけた。この追撃のチャンスを逃してたまるか、ということで。
サクッと一口分、自分のフォークにタルトを乗せる。そうして、さっきやられたのと同じように、スッと差し出す。
「ほらよ」
オレのもやるって言ったからな、と。そう言ってやると、入夏の視線がケーキと千秋の間を泳いだ。おろ、おろと、カウンターが来るのはもっと想定外という風に。
遠慮がちに、入夏が口を近づける。じっと見つめて、意を決したようにパクリと。向こうは想定外、こっちは思い通り。どことなく悔しそうに黙る入夏を見つめ、満足げな笑みをたたえる。なんて気分の良い日だ、千秋は口の中に残る甘味を楽しんだ。
入夏の選んだケーキは、千秋が最初に目をつけたものだった。ビターで、ラム酒の香る大人の味わい。けれど気取りすぎず、クリームがなめらかに苦味を包み込んで、やっぱりケーキというものは。
「甘いな」
「……そーかもしんない」
コーヒーに手を伸ばしたのはほぼ同時。豊かな香りとスッキリした苦味でリセットしたら、次の一口を頂くとしよう。
自分のケーキに手をつける。入夏はまだコーヒーを啜っていた。