四季と千秋が街でバッタリ会う話
(時系列的には綾薙祭後〜体育祭前、11月頭くらいのイメージ)
※千秋の妹出てきます。四季の趣味を捏造してます。いろいろ捏造これぞ二次創作。
「………よぉ」
げっ。
頭に浮かんだリアクションをそのまま出さなかった自分を褒めてやりたい。
なんという偶然か。休日のこの人混みの中で鉢合わせたそいつは、その偶然を喜ぶようにふわりと笑った。
「奇遇だな、こんなところで会うなんて。お前も絵を見に来たのか? 千秋」
*
「美術館?」
そう! と、兄の問いかけに、妹は大きく頷いてにこっと微笑んだ。
夏の終わりの頃から走り回っていた一大イベント、綾薙祭を終えたばかりの頃だった。いつもより幾分か早く帰宅できたところ、出迎えてくれた妹にパンフレットを渡されたのだ。なんだと思って読んでみると、どうやらそう遠くはないところにある美術館のものらしいことが見て取れた。
どうしたんだこれ。と、問うと、授業で行ってきたの、という答えが返ってきた。芸術の秋ということで美術鑑賞の授業だったらしい。みんなで行ってきて楽しかったんだ〜、と語る妹の表情は柔らかく、有意義な時間だったことがわかる。しかし土産話が目的ならパンフレットを見せるだけでも十分なところ、真っ先にこれを渡された意味がわからずに首を傾げると、妹が小さな声ではにかみながら言った。
お兄ちゃん、最近ずっと忙しいでしょ。と。
今日、すごく楽しかったから……お兄ちゃんもお友だちと一緒に息抜きしてきてほしいな、って思って。と。
千秋は目をしばたかせた。そして、思い返す。
言われてみなくても、このところ確かにずっと忙しかった。華桜会というのはそもそも業務過多ではないのかと思ってしまうような役職だが、今期は誰かさんたちが『改革』を掲げたせいでおそらく例年よりも忙しかった。加えて(元はと言えばこちらの改革に巻き込まれたせいではあるが)、二年MS組の暴走とも呼べる行動の数々。それと誰かさんの暴走。最終的にパフォーマンスという形で丸く収まったものの、その前後の埋め合わせには骨を折ったものだ。まだ余波は続いているが、一時に比べれば大したことではない。
しかし、妹にそんな気を遣わせてしまうとは。
「……ありがとな」
くしゃりと頭を撫でてやると、妹は嬉しそうな笑顔を返してくれた。おうちのことは私に任せて、あっ行くのは忙しくなくなってからでいいからね! と最後まで気遣いを忘れずに。
*
そんな風に渡された優しさを無碍にすることなどできず、素直に受け取った千秋は美術館に出向いたわけなのだが。
「お前も絵とか見るんだな、四季」
お友だちを誘って、と妹に言われた通り、誰かを誘おうかとも思った。元チームメイトとか、華桜会のメンバーとか。しかしなんとなく一人になりたい気分だったので、妹には誰と行くなどとは言わずにそれとなくぼかし、一人でぶらりと赴いてみたのだ。ゆったりと静かな場所で休みたかったのかもしれない。
それだというのに、いったいどういう巡り合わせか。美術館の入り口付近で現地集合よろしく出会したのは、四季斗真──正直、今の千秋にとって少し気まずい相手である。
げっ、と思ったことを悟られぬよう、笑って誤魔化す。悟ったところで気にするような奴でもないと思うが。
「はは、俺も絵くらい見るさ」
案の定、四季はまるで気にしていない様子だった。むしろ、思わぬところで知り合いに会ったことを心から喜んでいるようにさえ見える。子どものようなものさ、と、いつか冬沢が四季を形容した言葉がよぎった。
「どっちかっつーと、絵に囲まれて居眠りしてるところの方が想像しやすいぜ?」
「確かに、美術館は静かだから眠くなるな」
「まさか歩きながら寝るなんて器用なことはしねえだろうな」
「さすがにそれはしたことはない……と思うぞ」
「自分のことだろ、言い切れよ」
軽い小突き合いのような会話を交わしていると、ふと四季の視線がこちらから外れ、美術館の中の方を向いた。
「絵を見るのは嫌いじゃない。俺たち役者と似たようなものだからな。絵は喋らない、けど作者の意図はそこにある。それを考えながら見ていても、昨日見た絵が今日は違って見えることもある。勝手にいろんなものを受け取って帰るのが好きなんだ」
そう語った横顔はどこか遠くの世界を見つめているようで、見知らぬ他人のように思えたが、かえって見慣れた風でもあると感じた。不思議な奴なのだ、四季斗真という男は。
──王、か。いつも千秋を見下ろしている男の隣に並び、一歩追い抜いた男。
「へえ、結構なご趣味だこと。ここにはよく来るのか?」
「ああ。今年に入ってからはあまり来れてなかったが……もうすぐ高校生活も終わる。綾薙祭が終わって少し暇ができたことだし、入場料がかからないうちに楽しんでおこうと思ってな」
「なんだそれ。案外ケチくさいこと言うじゃねえか」
「気軽さはバカにできないぞ? 財布を持っていなくても入れるんだ」
「学生証がありゃあな」
「学生証。そうか……今日は持っていたかな」
こんな奴が首席なのかと不安になるようなことを言いながら、四季は自分の体をペタペタと触り、あった、とパスケースを取り出して微笑んだ。
そうしてさも当然のごとく、
「じゃあ、入るか」
と、こちらを振り返って誘ったのだった。
「おい四季、勝手に決めるな。オレは一人で来たんだよ」
声を潜めて、千秋はようやく文句を言った。止める間もなくどんどん受付へと進み、中へ入っていく背中を思わず追いかけて一緒に入ってしまったのだ。四季が常設展に行くと言うなら企画展を見に行くとでも言って別れようと思っていたのに、これでは逃げられない。
「だいたい美術館なんて、男二人で見て回るようなとこじゃねえだろ」
「いいんじゃないか? ダメだとは言われてない」
「そういう問題じゃねえっての。お前、オレがついてこなかったらどうする気だったんだよ」
「そうしたら、いつも通り一人で回ったさ」
してやられた。千秋は顔をしかめたが、全く悪びれる様子のない四季に毒気を抜かれる。これ以上なにか言ったところでなんの効果もなさそうだ。
引き下がった千秋に、だけど、と四季が悪戯っ子みたいに笑って言った。
「お前なら、追いかけてきてくれると思ったんだ」
ノーセンス! ……と、大声を上げそうになったのをぐっと堪える。食えない男だ。
代わりにため息をつき、楽しそうにしている四季を見遣った。
「ったく……どうせ絵を見るペースなんざバラバラなんだ、すぐに別行動になるだろうよ」
「かもな。けど、せっかく入り口で会えたんだ。最初くらい、一緒でもいいだろ?」
「はぁ……今更だ、付き合ってやるよ。最初だけな」
満足げな笑みを尻目に、さっさと歩き出す。最初だけ、というのを示すために。こんなとこでまで足並み揃える気はねえぞ、と。
しかしやっぱり四季は気にした風ではなかった。相手にされていないようにも感じてしまうが、そういうつもりがない奴だということはいいかげんわかってきている。本当に気にしていないだけなのだ。今だったら、一緒についてきてくれるならそれでいい、という具合に。
いつの間にか並んでいた横顔を、気づかれないように盗み見る。
チームメイトだった連中に声をかけなかったのは一人になりたかったからだが、華桜会のメンバーを誘わなかった理由はそれだけじゃない。それほどの仲ではないから、だ。
仲が悪いわけじゃない。険悪なのは冬沢くらいで、四季を含めた他のメンバーとは普通に上手くやってきた。しかし、プライベートで会うような間柄にはなっていない。入夏には未だしつこくキャンプに誘われているが、妹弟たちを置いて行く気も連れて行く気もないので実現する日はこないだろう。春日野と出かける自分は想像もできない。
四季もそうだった。外で会おうと誘う相手の選択肢には入らない人間だ。理由は挙げた通り──に加えて、千秋には後ろめたさもあった。
不信任決議の件、だ。
彫刻の並んだ広間を通り抜け、順路に従い階段をのぼる。その先に並んでいるのは絵画だ。常設展だけでもかなり充実したラインナップらしい。四季はまだ千秋の視界にいた。
あの時、冬沢のことを切り捨てられず、結果として捨てた相手。冬沢を選んだ、ということの結果であり、四季個人のことが憎くて陥れようとしたわけではない。しかし結果は結果、四季派の入夏には謝った。春日野には謝ってからもチクチク刺されている。だが、四季本人にはまだ何も言えていない。そのことが、気まずさの一番の理由だった。
謝らなくていい。と、四季に言われたこともある。あの時のわだかまりが胸につかえて気持ち悪いというのが千秋の事情なら、それを気にしていないと笑うのは四季の事情だ。あの選択に後悔はない、というより、あの選択をしなかった自分のことを、今となっては想像できない。どちら側にもつかないと白票を入れるほどはっきりとした想いもなかった。冬沢にトドメを刺すことはできない、という答えがあの選択だ。それでも、裏切りのようにも取れる行動が引っかかって、ちょうど現れた入夏には謝ったのだ。
もちろん、いつもこんなことを気にしながら華桜会の業務をこなしているわけではない。元凶はあくまで冬沢だから。あいつの暴走が導いた結果だ。間接的にではあるが謝罪はした、四季本人ももう終わったことだと気にしていない。だから普段は千秋も気に病んだりはしてないのだが、こうして二人きりになるのであれば話は別である。
何か言うチャンスと捉えるべきか、過ぎたことを掘り返すような真似は控えるべきか。結論が出る前にはぐれることを願う。
絵を見上げた。おそらく宗教画と思われる絵画が並んでいる。ここにあるのは作者の意図なのか、信仰心だけなのか、入り混じった何かなのか。推し量るには、絵画に向き合うという経験が足りなかった。考えてみれば、こんな風に美術鑑賞をするなんていうのはいつぶりだろうか。芸能の分野に身を置いている以上、芸術全般に興味がないわけではないが、どうしても舞台関係の方に傾倒しがちだ。静と動、全く違うようでいて、自分の内側を外側に出す行為だと考えれば案外似たようなものなのかもしれない。
止まっていた足を動かす。ちょうど四季も歩き始めたところだった。会話はもちろんない。コツコツと、静かな空間にまばらな足音だけが響いていた。
「…………」
「はぐれなかったな」
四季が振り返ったのは、常設展の出口の目の前だった。トン、トン、トン、とステップを踏むように軽やかに進み、出口とのその境目からくるりと顔だけこちらに向けてそいつは笑った。賭けに勝った、そんな風な顔だ。
「ノーセンス。お前、わざわざオレに合わせてたんじゃねえか? 偶然にしちゃタイミング合いすぎだろ」
「いや? 千秋こそ、俺に合わせてたんじゃないのか」
「合わせてねえよ、全部オレのタイミングだっての。視界にいやがるから、つられた可能性は否定できねえけどな」
「そうなのか。気が合うんだな」
「気が合う? オレとお前が? なんか共通の話題とかあったかよ」
鉢合わせた時と似たようなテンポで会話をしながら、鉢合わせた場所の方へと歩いて行く。薄暗い通路を抜けたところで、そいつはまたトントントンとリズミカルに歩み出て、こちらを振り返った。今度は踊るようにターンをして、体ごと。
「冬沢……じゃないか?」
「はぁっ?」
そうして飛び出してきたのは予想もしなかった固有名詞で、思わず目を見開いてしまった。言い逃げのように再び歩き始めた四季を追いかけ、背中に食ってかかる。
「なんでそこで亮が出てくるんだよ。確かに共通の知り合いだけどな、お前と亮の話なんてしたことねえだろ」
「共通の好きなもの、という意味では相応しいかと思ってな」
「好……!? ノーセンス! オレはあいつが嫌いだって言ってるだろ。つーかその言い方、語弊があるぜっ」
「俺は冬沢のことが好きだぞ? 俺にはない視点を持っている。尊敬してるんだ」
「なんか反論するのがバカバカしくなってきたぜ……お前はそういう奴だよな、四季。そんな小っ恥ずかしいこと、よく言えるぜ」
「そうか? ……ああ、そうだ」
そこでピタリと四季が止まる。
「千秋、せっかくだから何か甘いものでも食べていかないか?」
と、言うが早いか、四季はこちらの返事も聞かずにまた歩き出す。おい待てよと踏み出した直後、いらっしゃいませと出迎えられて驚いても後の祭り。館内にカフェがあったらしい、またしてもまんまと誘導されてしまった。ちゃっかり二名ですと答えている四季を置いて出て行くわけにもいかない。
「お前なあ……今度こそ、オレがついてこなかったらどうする気だったんだよ」
席に案内されてから、千秋はようやく文句を言った。眉をひそめて、不機嫌そうな顔の演出つきで。
もう慣れてきたが、四季は悪びれる素振りさえ見せない。
「でも、ついてきてくれただろ」
「拒否権あったか? 全部勝手に決めやがって。ノーセンスだぜ」
「悪いな。もう少し、お前と話がしたいと思ったんだ」
「そーかよ。オレは特にないぜ」
悪いな、と言うわりには強引な奴だ。はあ、と大袈裟にため息をついてやりながら、メニューを手に取る。残念、フロートの乗ったドリンクは置いていないらしい。カフェオレにでもしておくか。そういえばこいつ、さっき財布がなくても入れるとかどうのと言っていたが、ちゃんと財布は持っているんだろうか。
チラッと視線を向ける。頬杖をついてこちらを見ていたらしい四季と目が合った。
「………」
「ん?」
「……いや、何見てんだよ」
「別に? 特に意味はないが」
「やりづれえ奴だな……オレは決めたけど、お前は?」
「そうだな……ショートケーキ……いや、チーズケーキ、モンブランも悪くないな」
「ケーキ……へえ、うまそうだな。んじゃ、オレはモンブラン」
「なら俺はチーズケーキにしよう」
決まりだな、とメニューを置くと、察したらしい店員がやってきたので、ケーキとドリンクセットのオーダーを伝えた。店員が立ち去った後、正面を向くとまた四季と目が合う。
「安心しろ、財布ならちゃんと持ってきてる」
そんな風に、見透かされたようなことを言われてギクッとしてしまった。読めない奴だ。何を考えているのかさっぱりわからない。だからあんな揉め事も起きるんだ、と思い出しそうになったところで視線を逸らし、考えるのをやめにする。
ふぅ、と軽く息を吐き出して、未だニヤニヤとこちらを見つめている四季に向き直った。
「お前はなんでそんなに嬉しそうなんだ? こっち見ながらニヤニヤして。気持ち悪いぜ」
「ん? ニヤニヤ……はは、ニヤけていたか。いや、ちょっと考え事をしていただけだ。……千秋と冬沢は少し似ているな、と思って」
「はぁ? オレと亮が……似てるっ? どこがだよ」
「こうして俺についてきてくれるところ……かな」
思わず眉をひそめた。四季の意図するところが見えなくて。
「ついてきてくれる……って、ついてくるようにお前が仕向けたんだろうが。つーか、だったら春日野や入夏だってついてくんだろ」
「いや? あいつらは、あそこで偶然会った時点で一緒に行こうって言ってくれると思うぞ」
「それは……確かにそーかもしんねえけど。逆に亮はついてこないんじゃねえのか」
「そうか? 冬沢なら、きっと俺を追いかけてきてくれる」
そんな風に自信有り気に語られても、冬沢が振り回されるようについていく姿は想像ができない。眉間のシワが深くなってしまった。
四季は相変わらずこちらの反応にはお構いなしで言葉を続ける。
「冬沢は、いつも俺を起こしに来てくれるんだ」
続いた言葉が続きのように思えなくて、ますますわけがわからなくなった。同じ言語を扱っているように思えない。
「そりゃ……お前が寝過ぎだからだろ。チームメイトがどっかで昼寝してサボりそうになってるってわかってりゃ、オレだって起こしに行くぜ」
「ほら、そういうところ」
「どういうとこだよ」
「チームメイトは他にもいる。けど、決まっていつも俺を見つけ出してくれたのは冬沢だ」
「リーダーだったからじゃねえの」
「お前もリーダーだっただろ? 千秋」
「そーだけど……それとこれとは話が違くねえか?」
「似たようなものさ。リーダーにはいろんなタイプがいるが……お前たちは、俺みたいな奴を放って置かないで、甘やかさないでくれる」
少しだけ申し訳なさそうに四季が笑った。
「だから、俺は安心して寝られた」
ふっと、四季は窓の方へと目を向けた。つられてそちらを見遣る。木枯らしか、中庭の木々が寒そうに佇んでいる。
「頼りにしている、と言えば聞こえはいいが……俺は甘えてたんだ、あいつのしっかりしているところに」
四季の方に目線を戻したが、四季はまだ外を見つめていた。その目がスッと細められる。
「冬沢は俺と違っていろんな視点を持っていて……俺の思い描く理想のリーダーだった。俺は前を向いて歩いている時は前しか見えていないが、冬沢はちゃんと左右も、時には後ろも確認して歩ける。実力も確かだし、何より冬沢自身に上に立つ覚悟と野心がある。俺よりもずっと首席に相応しい奴だと、今でも思う」
「………それ、亮が聞いたらまた暴れそうだぜ」
「そうか。……そうかもしれない。俺はそんな冬沢を頼りにしていて……甘えていて……その強さを、利用していたとも言える。冬沢なら大丈夫だ、と……そういう俺の態度が、冬沢を傷つけてしまったんだな……」
四季がゆっくりと目を閉じる。次に開いた時はまたこちらを向いていた。突き飛ばされるかと錯覚するくらい、真っ直ぐに。
ニッと、四季の口角が上がった。
「俺は冬沢と仲直りしたい。言葉にするというのは難しいことだと思うが……これからはちゃんと伝えていくつもりだ。俺のことを知ってもらいたいんだ」
そーかよ。と、唸るように返事をした。俺のことを知ってもらいたい、か。随分と純真無垢な目で言ってくれる。
四季とこんな風に長いこと二人で話したのは初めてだった。これもその『ちゃんと伝えていく』の一環だろうか。冬沢のことを傷つけたのだと、それを知って、他のことも知りたいと願って、自分のことも知ってもらいたいと願う。おかしなことのように思えて、実は当たり前にするべきことであって、なかなかできないことだと思う。
オレのことを知ってもらいたい、と。思ったことはあっただろうか。あいつとわかり合いたいと。あいつとはわかり合えない、そう決めつけてきた気がする。けれどどこかにわかり合いたい気持ちがあって、でもわかってもらえないだろうという諦めのせいで、ついぶつかって文句ばかり言ってきた気がする。
ふと、記憶が重なる。勝ち取りたかった役を代わってあげようかと言い放った冬沢と、幼かった自分と、あの時感情を爆発させた冬沢と、その影に見えた四季の姿と。
──王、か。
思わず、笑みをたたえる。
「四季」
「なんだ」
「お前はオレと亮が似てるっつったけどな。オレは、お前と亮の方が似てると思うぜ」
「俺と冬沢が……? ピンとこないな……どこがだ?」
「ハッ、そこがわかるようにならねえと、仲直りなんざできねえよ」
「教えてくれ、千秋」
「自分で考えろ、王様」
参ったな、とちっとも参ってなさそうな声色で四季は言った。実際の気持ちは四季本人にしかわからない。千秋は黙って笑みだけを返した。
束の間の沈黙の隙に、お待たせ致しました、こちらモンブランとカフェオレのセット、こちらはチーズケーキとオレンジジュースのセットでございます。と、店員が音もなくテーブルに置いて、静かに去っていく。写真よりも美味しそうなケーキだ。
四季がケーキを見つめて、嬉しそうにふわりと笑う。
「ニヤニヤしてた理由。本当に嬉しかったから、かもな。千秋、お前とこうしてゆっくり甘いものでも食べながら話をできることが」
急に何を言い出すんだ、と思わず向けた目を見つめられる。
「前は、有耶無耶になったからな」
前。
不信任決議の投票前の時の話だ。
思わず顔をしかめたことは許されたい。
「……四季。お前、デリカシーねえって言われるだろ」
「ん? どうだったかな」
「ノーセンス! いいか、お前はまた必要ないっつーかもしんねえけど、言わせてもらうぜ。………悪かったな、お前を落とすようなことして」
とぼけるように傾げていた四季の頭がピンと持ち上がり、目が見開かれる。なんのことか理解したらしい四季が、眉を下げて笑った。
「謝らなくていい、って言っただろう? 俺は気にしてないさ」
「お前が気にしなくてもオレは気にすんだよ」
記憶と今が、また、重なった。
気にしているのはいつだってこっちばかりだ。あるはずのない幼い自分が隣にいるような錯覚に陥る。
向こうにとってはなんの悪気もない言葉が、厄介なトゲになって心に刺さっていつまでも抜けずに──否、とっくに抜いてあっても、そのトゲを突き返すべきか捨て去るべきかわからずに、矛先を向けているだけに過ぎない。握り締める手が血だらけになろうと、なかったことにはできなかっただけだ。
じゃあ、向こうが気にして、歩み寄ってくれたなら。
仲直りしたいと言い放った四季のように、こちらを振り返ってくれたなら。
それでも今更なかったことにはできない、とは思う。けれど、トゲが丸くなってくれるかもしれない。置くことができるようになるかもしれない。
互いが、変われるのなら。
「そういうものか。……どうした、千秋。ニヤニヤして」
「いや? 別に」
ピンとこなかったらしい、四季が首を傾げた。それが少し可笑しくて、フッと笑い飛ばす。
「亮との仲直りの道は長そうだと思っただけだぜ」
「卒業までには難しいか?」
「あいつは手強いぜ。覚悟するんだな」
「ああ、覚悟なら決まってるさ」
「そりゃ頼もしいことで。んじゃ、いただきます」
パク、とモンブランを口に入れる。栗の香りが豊かに広がり、仄かな洋酒の苦味がいい塩梅で美味しい。四季もこちらに倣ってチーズケーキを食べ始めていた。
オレも、いつか。
ダチだった。追いかけていた。目指していた。隣に並ぼうと懸命に走ったら、随分と高いところまできてしまった。あの日の痛みは忘れない。今も嫌いだと思う。だけど、あの頃友だちとして笑い合った日々も忘れられない。目指して走ったあの努力も無駄じゃない。
いつか、お前のことが嫌いだったよ。と、そう言えるようになれたら。
あいつのことだ、『嫌い……だった? 今も、の間違いじゃないか?』などと嫌味ったらしく言ってくるだろうから、結局無理そうな気もする。と、想像してみたら笑えてきた。
そんなことを考えながら食べたのに、ケーキは妙に美味しくて。今度妹たちも一緒に連れてきてやろうかな、と、そう思った。
※千秋の妹出てきます。四季の趣味を捏造してます。いろいろ捏造これぞ二次創作。
「………よぉ」
げっ。
頭に浮かんだリアクションをそのまま出さなかった自分を褒めてやりたい。
なんという偶然か。休日のこの人混みの中で鉢合わせたそいつは、その偶然を喜ぶようにふわりと笑った。
「奇遇だな、こんなところで会うなんて。お前も絵を見に来たのか? 千秋」
*
「美術館?」
そう! と、兄の問いかけに、妹は大きく頷いてにこっと微笑んだ。
夏の終わりの頃から走り回っていた一大イベント、綾薙祭を終えたばかりの頃だった。いつもより幾分か早く帰宅できたところ、出迎えてくれた妹にパンフレットを渡されたのだ。なんだと思って読んでみると、どうやらそう遠くはないところにある美術館のものらしいことが見て取れた。
どうしたんだこれ。と、問うと、授業で行ってきたの、という答えが返ってきた。芸術の秋ということで美術鑑賞の授業だったらしい。みんなで行ってきて楽しかったんだ〜、と語る妹の表情は柔らかく、有意義な時間だったことがわかる。しかし土産話が目的ならパンフレットを見せるだけでも十分なところ、真っ先にこれを渡された意味がわからずに首を傾げると、妹が小さな声ではにかみながら言った。
お兄ちゃん、最近ずっと忙しいでしょ。と。
今日、すごく楽しかったから……お兄ちゃんもお友だちと一緒に息抜きしてきてほしいな、って思って。と。
千秋は目をしばたかせた。そして、思い返す。
言われてみなくても、このところ確かにずっと忙しかった。華桜会というのはそもそも業務過多ではないのかと思ってしまうような役職だが、今期は誰かさんたちが『改革』を掲げたせいでおそらく例年よりも忙しかった。加えて(元はと言えばこちらの改革に巻き込まれたせいではあるが)、二年MS組の暴走とも呼べる行動の数々。それと誰かさんの暴走。最終的にパフォーマンスという形で丸く収まったものの、その前後の埋め合わせには骨を折ったものだ。まだ余波は続いているが、一時に比べれば大したことではない。
しかし、妹にそんな気を遣わせてしまうとは。
「……ありがとな」
くしゃりと頭を撫でてやると、妹は嬉しそうな笑顔を返してくれた。おうちのことは私に任せて、あっ行くのは忙しくなくなってからでいいからね! と最後まで気遣いを忘れずに。
*
そんな風に渡された優しさを無碍にすることなどできず、素直に受け取った千秋は美術館に出向いたわけなのだが。
「お前も絵とか見るんだな、四季」
お友だちを誘って、と妹に言われた通り、誰かを誘おうかとも思った。元チームメイトとか、華桜会のメンバーとか。しかしなんとなく一人になりたい気分だったので、妹には誰と行くなどとは言わずにそれとなくぼかし、一人でぶらりと赴いてみたのだ。ゆったりと静かな場所で休みたかったのかもしれない。
それだというのに、いったいどういう巡り合わせか。美術館の入り口付近で現地集合よろしく出会したのは、四季斗真──正直、今の千秋にとって少し気まずい相手である。
げっ、と思ったことを悟られぬよう、笑って誤魔化す。悟ったところで気にするような奴でもないと思うが。
「はは、俺も絵くらい見るさ」
案の定、四季はまるで気にしていない様子だった。むしろ、思わぬところで知り合いに会ったことを心から喜んでいるようにさえ見える。子どものようなものさ、と、いつか冬沢が四季を形容した言葉がよぎった。
「どっちかっつーと、絵に囲まれて居眠りしてるところの方が想像しやすいぜ?」
「確かに、美術館は静かだから眠くなるな」
「まさか歩きながら寝るなんて器用なことはしねえだろうな」
「さすがにそれはしたことはない……と思うぞ」
「自分のことだろ、言い切れよ」
軽い小突き合いのような会話を交わしていると、ふと四季の視線がこちらから外れ、美術館の中の方を向いた。
「絵を見るのは嫌いじゃない。俺たち役者と似たようなものだからな。絵は喋らない、けど作者の意図はそこにある。それを考えながら見ていても、昨日見た絵が今日は違って見えることもある。勝手にいろんなものを受け取って帰るのが好きなんだ」
そう語った横顔はどこか遠くの世界を見つめているようで、見知らぬ他人のように思えたが、かえって見慣れた風でもあると感じた。不思議な奴なのだ、四季斗真という男は。
──王、か。いつも千秋を見下ろしている男の隣に並び、一歩追い抜いた男。
「へえ、結構なご趣味だこと。ここにはよく来るのか?」
「ああ。今年に入ってからはあまり来れてなかったが……もうすぐ高校生活も終わる。綾薙祭が終わって少し暇ができたことだし、入場料がかからないうちに楽しんでおこうと思ってな」
「なんだそれ。案外ケチくさいこと言うじゃねえか」
「気軽さはバカにできないぞ? 財布を持っていなくても入れるんだ」
「学生証がありゃあな」
「学生証。そうか……今日は持っていたかな」
こんな奴が首席なのかと不安になるようなことを言いながら、四季は自分の体をペタペタと触り、あった、とパスケースを取り出して微笑んだ。
そうしてさも当然のごとく、
「じゃあ、入るか」
と、こちらを振り返って誘ったのだった。
「おい四季、勝手に決めるな。オレは一人で来たんだよ」
声を潜めて、千秋はようやく文句を言った。止める間もなくどんどん受付へと進み、中へ入っていく背中を思わず追いかけて一緒に入ってしまったのだ。四季が常設展に行くと言うなら企画展を見に行くとでも言って別れようと思っていたのに、これでは逃げられない。
「だいたい美術館なんて、男二人で見て回るようなとこじゃねえだろ」
「いいんじゃないか? ダメだとは言われてない」
「そういう問題じゃねえっての。お前、オレがついてこなかったらどうする気だったんだよ」
「そうしたら、いつも通り一人で回ったさ」
してやられた。千秋は顔をしかめたが、全く悪びれる様子のない四季に毒気を抜かれる。これ以上なにか言ったところでなんの効果もなさそうだ。
引き下がった千秋に、だけど、と四季が悪戯っ子みたいに笑って言った。
「お前なら、追いかけてきてくれると思ったんだ」
ノーセンス! ……と、大声を上げそうになったのをぐっと堪える。食えない男だ。
代わりにため息をつき、楽しそうにしている四季を見遣った。
「ったく……どうせ絵を見るペースなんざバラバラなんだ、すぐに別行動になるだろうよ」
「かもな。けど、せっかく入り口で会えたんだ。最初くらい、一緒でもいいだろ?」
「はぁ……今更だ、付き合ってやるよ。最初だけな」
満足げな笑みを尻目に、さっさと歩き出す。最初だけ、というのを示すために。こんなとこでまで足並み揃える気はねえぞ、と。
しかしやっぱり四季は気にした風ではなかった。相手にされていないようにも感じてしまうが、そういうつもりがない奴だということはいいかげんわかってきている。本当に気にしていないだけなのだ。今だったら、一緒についてきてくれるならそれでいい、という具合に。
いつの間にか並んでいた横顔を、気づかれないように盗み見る。
チームメイトだった連中に声をかけなかったのは一人になりたかったからだが、華桜会のメンバーを誘わなかった理由はそれだけじゃない。それほどの仲ではないから、だ。
仲が悪いわけじゃない。険悪なのは冬沢くらいで、四季を含めた他のメンバーとは普通に上手くやってきた。しかし、プライベートで会うような間柄にはなっていない。入夏には未だしつこくキャンプに誘われているが、妹弟たちを置いて行く気も連れて行く気もないので実現する日はこないだろう。春日野と出かける自分は想像もできない。
四季もそうだった。外で会おうと誘う相手の選択肢には入らない人間だ。理由は挙げた通り──に加えて、千秋には後ろめたさもあった。
不信任決議の件、だ。
彫刻の並んだ広間を通り抜け、順路に従い階段をのぼる。その先に並んでいるのは絵画だ。常設展だけでもかなり充実したラインナップらしい。四季はまだ千秋の視界にいた。
あの時、冬沢のことを切り捨てられず、結果として捨てた相手。冬沢を選んだ、ということの結果であり、四季個人のことが憎くて陥れようとしたわけではない。しかし結果は結果、四季派の入夏には謝った。春日野には謝ってからもチクチク刺されている。だが、四季本人にはまだ何も言えていない。そのことが、気まずさの一番の理由だった。
謝らなくていい。と、四季に言われたこともある。あの時のわだかまりが胸につかえて気持ち悪いというのが千秋の事情なら、それを気にしていないと笑うのは四季の事情だ。あの選択に後悔はない、というより、あの選択をしなかった自分のことを、今となっては想像できない。どちら側にもつかないと白票を入れるほどはっきりとした想いもなかった。冬沢にトドメを刺すことはできない、という答えがあの選択だ。それでも、裏切りのようにも取れる行動が引っかかって、ちょうど現れた入夏には謝ったのだ。
もちろん、いつもこんなことを気にしながら華桜会の業務をこなしているわけではない。元凶はあくまで冬沢だから。あいつの暴走が導いた結果だ。間接的にではあるが謝罪はした、四季本人ももう終わったことだと気にしていない。だから普段は千秋も気に病んだりはしてないのだが、こうして二人きりになるのであれば話は別である。
何か言うチャンスと捉えるべきか、過ぎたことを掘り返すような真似は控えるべきか。結論が出る前にはぐれることを願う。
絵を見上げた。おそらく宗教画と思われる絵画が並んでいる。ここにあるのは作者の意図なのか、信仰心だけなのか、入り混じった何かなのか。推し量るには、絵画に向き合うという経験が足りなかった。考えてみれば、こんな風に美術鑑賞をするなんていうのはいつぶりだろうか。芸能の分野に身を置いている以上、芸術全般に興味がないわけではないが、どうしても舞台関係の方に傾倒しがちだ。静と動、全く違うようでいて、自分の内側を外側に出す行為だと考えれば案外似たようなものなのかもしれない。
止まっていた足を動かす。ちょうど四季も歩き始めたところだった。会話はもちろんない。コツコツと、静かな空間にまばらな足音だけが響いていた。
「…………」
「はぐれなかったな」
四季が振り返ったのは、常設展の出口の目の前だった。トン、トン、トン、とステップを踏むように軽やかに進み、出口とのその境目からくるりと顔だけこちらに向けてそいつは笑った。賭けに勝った、そんな風な顔だ。
「ノーセンス。お前、わざわざオレに合わせてたんじゃねえか? 偶然にしちゃタイミング合いすぎだろ」
「いや? 千秋こそ、俺に合わせてたんじゃないのか」
「合わせてねえよ、全部オレのタイミングだっての。視界にいやがるから、つられた可能性は否定できねえけどな」
「そうなのか。気が合うんだな」
「気が合う? オレとお前が? なんか共通の話題とかあったかよ」
鉢合わせた時と似たようなテンポで会話をしながら、鉢合わせた場所の方へと歩いて行く。薄暗い通路を抜けたところで、そいつはまたトントントンとリズミカルに歩み出て、こちらを振り返った。今度は踊るようにターンをして、体ごと。
「冬沢……じゃないか?」
「はぁっ?」
そうして飛び出してきたのは予想もしなかった固有名詞で、思わず目を見開いてしまった。言い逃げのように再び歩き始めた四季を追いかけ、背中に食ってかかる。
「なんでそこで亮が出てくるんだよ。確かに共通の知り合いだけどな、お前と亮の話なんてしたことねえだろ」
「共通の好きなもの、という意味では相応しいかと思ってな」
「好……!? ノーセンス! オレはあいつが嫌いだって言ってるだろ。つーかその言い方、語弊があるぜっ」
「俺は冬沢のことが好きだぞ? 俺にはない視点を持っている。尊敬してるんだ」
「なんか反論するのがバカバカしくなってきたぜ……お前はそういう奴だよな、四季。そんな小っ恥ずかしいこと、よく言えるぜ」
「そうか? ……ああ、そうだ」
そこでピタリと四季が止まる。
「千秋、せっかくだから何か甘いものでも食べていかないか?」
と、言うが早いか、四季はこちらの返事も聞かずにまた歩き出す。おい待てよと踏み出した直後、いらっしゃいませと出迎えられて驚いても後の祭り。館内にカフェがあったらしい、またしてもまんまと誘導されてしまった。ちゃっかり二名ですと答えている四季を置いて出て行くわけにもいかない。
「お前なあ……今度こそ、オレがついてこなかったらどうする気だったんだよ」
席に案内されてから、千秋はようやく文句を言った。眉をひそめて、不機嫌そうな顔の演出つきで。
もう慣れてきたが、四季は悪びれる素振りさえ見せない。
「でも、ついてきてくれただろ」
「拒否権あったか? 全部勝手に決めやがって。ノーセンスだぜ」
「悪いな。もう少し、お前と話がしたいと思ったんだ」
「そーかよ。オレは特にないぜ」
悪いな、と言うわりには強引な奴だ。はあ、と大袈裟にため息をついてやりながら、メニューを手に取る。残念、フロートの乗ったドリンクは置いていないらしい。カフェオレにでもしておくか。そういえばこいつ、さっき財布がなくても入れるとかどうのと言っていたが、ちゃんと財布は持っているんだろうか。
チラッと視線を向ける。頬杖をついてこちらを見ていたらしい四季と目が合った。
「………」
「ん?」
「……いや、何見てんだよ」
「別に? 特に意味はないが」
「やりづれえ奴だな……オレは決めたけど、お前は?」
「そうだな……ショートケーキ……いや、チーズケーキ、モンブランも悪くないな」
「ケーキ……へえ、うまそうだな。んじゃ、オレはモンブラン」
「なら俺はチーズケーキにしよう」
決まりだな、とメニューを置くと、察したらしい店員がやってきたので、ケーキとドリンクセットのオーダーを伝えた。店員が立ち去った後、正面を向くとまた四季と目が合う。
「安心しろ、財布ならちゃんと持ってきてる」
そんな風に、見透かされたようなことを言われてギクッとしてしまった。読めない奴だ。何を考えているのかさっぱりわからない。だからあんな揉め事も起きるんだ、と思い出しそうになったところで視線を逸らし、考えるのをやめにする。
ふぅ、と軽く息を吐き出して、未だニヤニヤとこちらを見つめている四季に向き直った。
「お前はなんでそんなに嬉しそうなんだ? こっち見ながらニヤニヤして。気持ち悪いぜ」
「ん? ニヤニヤ……はは、ニヤけていたか。いや、ちょっと考え事をしていただけだ。……千秋と冬沢は少し似ているな、と思って」
「はぁ? オレと亮が……似てるっ? どこがだよ」
「こうして俺についてきてくれるところ……かな」
思わず眉をひそめた。四季の意図するところが見えなくて。
「ついてきてくれる……って、ついてくるようにお前が仕向けたんだろうが。つーか、だったら春日野や入夏だってついてくんだろ」
「いや? あいつらは、あそこで偶然会った時点で一緒に行こうって言ってくれると思うぞ」
「それは……確かにそーかもしんねえけど。逆に亮はついてこないんじゃねえのか」
「そうか? 冬沢なら、きっと俺を追いかけてきてくれる」
そんな風に自信有り気に語られても、冬沢が振り回されるようについていく姿は想像ができない。眉間のシワが深くなってしまった。
四季は相変わらずこちらの反応にはお構いなしで言葉を続ける。
「冬沢は、いつも俺を起こしに来てくれるんだ」
続いた言葉が続きのように思えなくて、ますますわけがわからなくなった。同じ言語を扱っているように思えない。
「そりゃ……お前が寝過ぎだからだろ。チームメイトがどっかで昼寝してサボりそうになってるってわかってりゃ、オレだって起こしに行くぜ」
「ほら、そういうところ」
「どういうとこだよ」
「チームメイトは他にもいる。けど、決まっていつも俺を見つけ出してくれたのは冬沢だ」
「リーダーだったからじゃねえの」
「お前もリーダーだっただろ? 千秋」
「そーだけど……それとこれとは話が違くねえか?」
「似たようなものさ。リーダーにはいろんなタイプがいるが……お前たちは、俺みたいな奴を放って置かないで、甘やかさないでくれる」
少しだけ申し訳なさそうに四季が笑った。
「だから、俺は安心して寝られた」
ふっと、四季は窓の方へと目を向けた。つられてそちらを見遣る。木枯らしか、中庭の木々が寒そうに佇んでいる。
「頼りにしている、と言えば聞こえはいいが……俺は甘えてたんだ、あいつのしっかりしているところに」
四季の方に目線を戻したが、四季はまだ外を見つめていた。その目がスッと細められる。
「冬沢は俺と違っていろんな視点を持っていて……俺の思い描く理想のリーダーだった。俺は前を向いて歩いている時は前しか見えていないが、冬沢はちゃんと左右も、時には後ろも確認して歩ける。実力も確かだし、何より冬沢自身に上に立つ覚悟と野心がある。俺よりもずっと首席に相応しい奴だと、今でも思う」
「………それ、亮が聞いたらまた暴れそうだぜ」
「そうか。……そうかもしれない。俺はそんな冬沢を頼りにしていて……甘えていて……その強さを、利用していたとも言える。冬沢なら大丈夫だ、と……そういう俺の態度が、冬沢を傷つけてしまったんだな……」
四季がゆっくりと目を閉じる。次に開いた時はまたこちらを向いていた。突き飛ばされるかと錯覚するくらい、真っ直ぐに。
ニッと、四季の口角が上がった。
「俺は冬沢と仲直りしたい。言葉にするというのは難しいことだと思うが……これからはちゃんと伝えていくつもりだ。俺のことを知ってもらいたいんだ」
そーかよ。と、唸るように返事をした。俺のことを知ってもらいたい、か。随分と純真無垢な目で言ってくれる。
四季とこんな風に長いこと二人で話したのは初めてだった。これもその『ちゃんと伝えていく』の一環だろうか。冬沢のことを傷つけたのだと、それを知って、他のことも知りたいと願って、自分のことも知ってもらいたいと願う。おかしなことのように思えて、実は当たり前にするべきことであって、なかなかできないことだと思う。
オレのことを知ってもらいたい、と。思ったことはあっただろうか。あいつとわかり合いたいと。あいつとはわかり合えない、そう決めつけてきた気がする。けれどどこかにわかり合いたい気持ちがあって、でもわかってもらえないだろうという諦めのせいで、ついぶつかって文句ばかり言ってきた気がする。
ふと、記憶が重なる。勝ち取りたかった役を代わってあげようかと言い放った冬沢と、幼かった自分と、あの時感情を爆発させた冬沢と、その影に見えた四季の姿と。
──王、か。
思わず、笑みをたたえる。
「四季」
「なんだ」
「お前はオレと亮が似てるっつったけどな。オレは、お前と亮の方が似てると思うぜ」
「俺と冬沢が……? ピンとこないな……どこがだ?」
「ハッ、そこがわかるようにならねえと、仲直りなんざできねえよ」
「教えてくれ、千秋」
「自分で考えろ、王様」
参ったな、とちっとも参ってなさそうな声色で四季は言った。実際の気持ちは四季本人にしかわからない。千秋は黙って笑みだけを返した。
束の間の沈黙の隙に、お待たせ致しました、こちらモンブランとカフェオレのセット、こちらはチーズケーキとオレンジジュースのセットでございます。と、店員が音もなくテーブルに置いて、静かに去っていく。写真よりも美味しそうなケーキだ。
四季がケーキを見つめて、嬉しそうにふわりと笑う。
「ニヤニヤしてた理由。本当に嬉しかったから、かもな。千秋、お前とこうしてゆっくり甘いものでも食べながら話をできることが」
急に何を言い出すんだ、と思わず向けた目を見つめられる。
「前は、有耶無耶になったからな」
前。
不信任決議の投票前の時の話だ。
思わず顔をしかめたことは許されたい。
「……四季。お前、デリカシーねえって言われるだろ」
「ん? どうだったかな」
「ノーセンス! いいか、お前はまた必要ないっつーかもしんねえけど、言わせてもらうぜ。………悪かったな、お前を落とすようなことして」
とぼけるように傾げていた四季の頭がピンと持ち上がり、目が見開かれる。なんのことか理解したらしい四季が、眉を下げて笑った。
「謝らなくていい、って言っただろう? 俺は気にしてないさ」
「お前が気にしなくてもオレは気にすんだよ」
記憶と今が、また、重なった。
気にしているのはいつだってこっちばかりだ。あるはずのない幼い自分が隣にいるような錯覚に陥る。
向こうにとってはなんの悪気もない言葉が、厄介なトゲになって心に刺さっていつまでも抜けずに──否、とっくに抜いてあっても、そのトゲを突き返すべきか捨て去るべきかわからずに、矛先を向けているだけに過ぎない。握り締める手が血だらけになろうと、なかったことにはできなかっただけだ。
じゃあ、向こうが気にして、歩み寄ってくれたなら。
仲直りしたいと言い放った四季のように、こちらを振り返ってくれたなら。
それでも今更なかったことにはできない、とは思う。けれど、トゲが丸くなってくれるかもしれない。置くことができるようになるかもしれない。
互いが、変われるのなら。
「そういうものか。……どうした、千秋。ニヤニヤして」
「いや? 別に」
ピンとこなかったらしい、四季が首を傾げた。それが少し可笑しくて、フッと笑い飛ばす。
「亮との仲直りの道は長そうだと思っただけだぜ」
「卒業までには難しいか?」
「あいつは手強いぜ。覚悟するんだな」
「ああ、覚悟なら決まってるさ」
「そりゃ頼もしいことで。んじゃ、いただきます」
パク、とモンブランを口に入れる。栗の香りが豊かに広がり、仄かな洋酒の苦味がいい塩梅で美味しい。四季もこちらに倣ってチーズケーキを食べ始めていた。
オレも、いつか。
ダチだった。追いかけていた。目指していた。隣に並ぼうと懸命に走ったら、随分と高いところまできてしまった。あの日の痛みは忘れない。今も嫌いだと思う。だけど、あの頃友だちとして笑い合った日々も忘れられない。目指して走ったあの努力も無駄じゃない。
いつか、お前のことが嫌いだったよ。と、そう言えるようになれたら。
あいつのことだ、『嫌い……だった? 今も、の間違いじゃないか?』などと嫌味ったらしく言ってくるだろうから、結局無理そうな気もする。と、想像してみたら笑えてきた。
そんなことを考えながら食べたのに、ケーキは妙に美味しくて。今度妹たちも一緒に連れてきてやろうかな、と、そう思った。
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