お前が好きだと言えたなら
◇
「つーわけで、乾杯!」
「乾杯」
ゴチン、と缶と缶のぶつかる音。誕生日会――というよりもただの宅飲みである。
約束していた集まりは、虎石の部屋で実行された。うちの方がスーパーとかコンビニ近えし、という虎石からの提案で。空閑と最寄り駅は同じ、ただし虎石の方は駅から徒歩五分圏内である。
「ん……うえっ、ビールってこんな味なのか…」
「ビールはのど越しを楽しむもんだ。って、オーナーが」
「はー…なるほど? まあ、飲めなくはねえな。コーヒーのが苦えし」
「だな」
慣れりゃ悪くねえかも、と虎石は言った。ビールの泡が唇の上についている。言おうかと思ったが、先に笑われたので黙っておく。こっちも同じ状態だったらしい。
ぐし、と雑に口元を拭う。ビールはまだ、ちょっぴり大人の味だった。虎石の言う通り、飲めなくはないが。これも慣れれば、一杯目はビールだと言う大人の気持ちもわかるようになるのかもしれない。
酒は、適当に買ってきた。缶ビール、缶チューハイ、手頃なものをガサゴソと、つまみと一緒に。洒落たカクテルなんてものも、きっと幼い頃から世話になっているカフェレストランのオーナーに聞けば、愁ももうそんな歳かと微笑んで教えてくれるだろう。今度尋ねてみようか。
それ。と、不意に虎石が言った。
視線の先にあったのは、虎石から贈られたグローブだった。いくら最寄りが同じでも距離はある、それと、ついさっきまで稽古だったので、買い物がてらそのままバイクで来たのだ。明日の午前は何もない、今夜は泊まる気だ。
「早速使ってくれてんだな」
「……まあな」
「つか、今日バイク? 泊まってけんの?」
「ああ」
「お。じゃあゆっくりできんな~。ま、歩きでも泊めてやる気だったけど。夜中に放り出すとか、いくら愁でも可哀相だろ」
そうか。と、短く答えた。お互い、都合のいい日を挙げて合わせただけで、翌日の予定までは把握していなかった。虎石が笑う、オレは明日オフ、と。
グローブ見して。伸びてきた手の上にそれを乗せてやった。サンキュ、と受け取るとすぐに自分の手にはめてグーパーと手の馴染みを確かめている。
「はー、やっぱいいなこれ」
「……」
なんとなく、嫌な予感がした。
「な、愁。今度バイクと一緒にコレ貸して♡」
――やっぱり。
まずはため息で返事をする。お前いいかげん自分のバイク買えよ、と寸前まで出かかった言葉を飲み込む。言っても無駄だからというだけではない。今、空閑のもので貸してやれるものは、それくらいしかないから。学生時代と違って教科書を貸す機会なんてないし、台本を見せてやることはあっても貸したことはない、同じ舞台に立つわけではないから。いや、もし共演したとしても、さすがに台本はきちっと管理している奴だ。物を借りるのもコミュケーション、とかなんとか言っていたことがあるから、本当は教科書だってきちんと自分のものを使うことくらいできたのかもしれない。
甘やかしすぎだ、とルームメイトにはよく言われていた。それが彼なりにこちらを気遣った発言だということはわかっている。負担じゃないのか、あいつはあのままでいいのか、と。けれど、これも、自分たちにしかわからない感覚があると空閑は思っていた。
空閑は誰にだって甘いわけじゃない。わりと、人によって扱い方を決めている方だ。あまり感情の起伏が激しいタイプではないからそんな風に見えないのかもしれないが、空閑の中では分けている。かつて青春時代をともに過ごしたチームメイトたちに対しても、それぞれ違ったコミュニケーションの取り方をしているくらいだ。
こいつは、みんなに平等だけどな。
チラッ、と虎石に視線を向ける。
「……お前、最初からその気だっただろ」
「いやいや、オレは純粋に愁のことを思って選んだぜ? まあほらあれだ、バイク借りる時についでに~ってのは、考えたけど」
「そういうの、最初からその気だったって言うんじゃねえか」
「そーとも言う」
自分でプレゼントしたくせに。ケラケラと笑う虎石には毒気がない。かえって腹が立つ。視線を缶に戻し、ぐっと煽った。今の気持ちが酒だったら、きっとこんな味だろう。
別に、最初から自分も使う気でプレゼントを寄越されたことに腹を立てていたわけではなかった。なんとなくそんな気はしていたから。学生時代よりもかなり頻度が落ちたとは言え、虎石は未だに空閑のバイクを我が物顔で使っている。明日貸して、夜までには返せよ、などと約束をして、返しにきたらそのまま上がり込んで喋っていく。女ものの香水をぷんぷん匂わせて、愁フロ貸してと勝手に泊まっていく。虎石の用事の方が先じゃなければ、ついでに乗せてってとアパートまで送らされた。おかげさまですっかり道を覚えてしまった。
こいつはまた、いつもと同じ調子でバイクを借りに来て、空閑に贈ったグローブをはめて、空閑のバイクに跨って、女を迎えに行くのだろう。事務所に迷惑かけんなよ、と苦言を呈すれば、今だけだって、とはぐらかされる。一応、虎石自身もリミットがあることはわかっているのかもしれない。今後メインの役どころを取れるようになって今よりファンが増えれば、デートによって悲しむ女も増える。女の涙は嫌う奴だから、そうなる前には二人きりで会うのをやめるようになるのかもしれない。手遅れのような気がしてならないが。
――こいつが女と遊ぶのをやめたら、俺は何を感じるんだろうか。
学生時代、ミュージカル学科候補生――スター枠としての最後のステージを控えたあの頃。スターオブスターなんて大層な肩書を背負った虎石たちのチームは、王者なりの苦労をしていたようだった。トップとしてのプライド、期待、重圧、そして空閑たちとも共通していた感情――先輩への想い。贈り物は最高のステージにしたいと、浮かない顔をしていた虎石に会った時に聞いた。デート断ちしてる、と。
他の奴が聞いたら、そんなのは当然だと思うだけかもしれない。けれど、他の奴より数年長く女好きの様子を見てきた空閑は違った。虎石の女好きは、もはや病気みたいなものだと思っている。だから、デートのように女と遊ぶことというのは、虎石にとっては必要不可欠な薬、あるいは呼吸みたいなものなのかもしれない、と心のどこかで思っていた。そんな虎石が、デート断ち。
大丈夫だろ、そんな言葉は自然と出てきた。ライバルとしてずっと競い合ってきた空閑だからすんなり出てきて、空閑だからそれが無責任な言葉にはならない。きちんと、確信から出てきた言葉だったのだ。
それが役者として、ライバルとして、虎石が派手な女遊びをやめた時に感じたこと。それとは別の場所で、感じたのは、感じるのは、一体何なのだろうか。
虎石がつまみに買ってきたピーナッツをポリポリと食べている。空閑が無口なのはいつものことだと、こっちの気も知らずにこの誕生日会を楽しんでいる。それで構わない。本当のところは、空閑にもよくわからないのだから。
「……虎石」
「ん?」
ふと、思い出して。こちらも誕生日プレゼントを用意したのに、次ん時に渡すと予告までしておいて、渡すのを忘れたら意味がない。レジ袋の中に突っ込んでいたプレゼントを虎石の前に突き出した。
「これが…、言ってたやつ?」
「ああ」
「開けてい?」
「勝手にしろ」
聞くや否や、虎石は小さな袋のリボンを解いた。大したものではない。いつもチャラチャラしているこいつが気に入るかもわからない。だけど、一目見た時、これがいいと思って選んだのだ。
「……へえ!」
虎石が感嘆の声を上げた。綺麗にラッピングしてもらった品は、チェーンのネックレスだ。中央にはリングがぶら下がっている。実はリボンがモチーフなのだと店員が語っていた。
ほうと目を開き、頬を緩める。虎石はチェーンを指にかけ、リングを手のひらに置き、いろんな角度に傾けて見ていた。
「いーじゃん」
少しばかり緊張してその様子を見守っていた空閑に、虎石が満面の笑みを見せた。きゅっと軽く握った手の中の、空閑にしては洒落た贈り物に目を落として。
「……大事にする」
そう言って立ち上がり、空閑に背を向けた。散らばった荷物をひょいと避けて進み、大事そうに引き出しの中へとしまい込んだようだった。今つけてみせてはくれないのか、とは思ったが、あえては言わなかった。
しばらくすると虎石はくるっと振り向いて、レジ袋を覗きながら、そーいや、と言った。
「ケーキは買ってこなかったんだな」
「ああ」
虎石は誕生日会ぽくねえなと笑いながら、また床の荷物をひょいひょい避けて空閑の隣に帰ってきた。空閑の家とは違ってちゃんとソファだ。ふかふかさなら、うちの布団も負けていない。
「まあ、前ん時食ったもんな。愁のお袋さんお手製! 料理も美味かったな~。お袋も張り切ってたけど、ありゃ愁のお袋さんと台所に立つのが楽しみだっただけだな」
「いつものことだろ。お袋たちが遊ぶためのようなもんだったしな、俺らの誕生日会」
「そーそー! いっつもダシにされて」
ほんの少し染まった頬は、アルコールのせいか。案外自分も同じような色をしているのかもしれない。
虎石が、ふはっと笑った。
「けど、なんだかんだ言って…オレも愁と一緒で楽しかったわ」
くくく、と喉を震わせる。昔のことを思い出しているのか、それともこの前の誕生日会の時に空閑の母が張り切りすぎて料理を作り出したことを思い出しているのか、いや、虎石の母が自作と空閑の母作の唐揚げを混ぜて出してきたのを、虎石がロシアンルーレットと笑ったら案の定しばかれたことかもしれない。いや、それを見て面白がっていたのは空閑の方だから、鼻で笑いながら食べたのがまさに虎石の母作で、予想外の塩辛さにむせたことの方かもしれない。
何にせよ、一緒で楽しかったと思っているのは同じだ。息子である自分たちが仲良くなったのが先で、むしろそれがきっかけで知り合ったというのに、まるで昔からの友人であるかのように見えるほど母たちは仲が良かった。息子のオレらより仲良いんじゃね、という虎石の言葉も事実であるように思う。女同士と男同士の差もあるのだろうけれど、それを抜きにしても向こうの方が仲が良さそうだ。
何故なら、ライバルじゃないから。あの二人は競い合う必要がない。
空閑と虎石は親友で、ライバルだ。勝ち負けのはっきりしない土俵のライバルだから、空閑はあまり勝っただの負けただのとは言わないが、虎石が勝敗を求めるのであれば負けてやる気はさらさらない。もっとも、虎石は表現の分野以外のこと――例えば、身長だとか足の速さだとかテストの順位だとかどっちの方がモテるかだとか、空閑がまるで気にしない分野さえも張り合ってきたが。
「愁もさ、今度ケーキとか…クッキーとか…作ってみりゃいいじゃん。ほら、絵ぇ描くの得意だっつってるだろ? トッピングもできんじゃね?」
「……それいいな」
「那雪ちゃんに頼んで指導してもらってさ~。あーつか、みんな成人するわけじゃん。みんなで飲み会したら楽しそうだよな。オレらのチームメイトだけじゃなくって、あん時のクラスメイト全員呼んで……揃うかどうかわかんねーけど」
「……那雪に酒飲ませるのだけは、やめといた方がいいぞ」
「え、なんで? あっ……あー、なんか聞いた気がする、酒乱だとかなんとか…一年の頃だっけ? 飲み会の時は気ぃつけねえと……」
「……だな」
これは空閑も聞いた話だが、当時の被害者(?)である星谷と天花寺曰く『那雪には絶対に酒を飲ませるな』というレベルらしい。怖いもの見たさはあるが、触らぬ神に祟りなしだ。飲み会の時は、那雪にはいつものオレンジジュースを飲んでもらおう。
「つーわけで、乾杯!」
「乾杯」
ゴチン、と缶と缶のぶつかる音。誕生日会――というよりもただの宅飲みである。
約束していた集まりは、虎石の部屋で実行された。うちの方がスーパーとかコンビニ近えし、という虎石からの提案で。空閑と最寄り駅は同じ、ただし虎石の方は駅から徒歩五分圏内である。
「ん……うえっ、ビールってこんな味なのか…」
「ビールはのど越しを楽しむもんだ。って、オーナーが」
「はー…なるほど? まあ、飲めなくはねえな。コーヒーのが苦えし」
「だな」
慣れりゃ悪くねえかも、と虎石は言った。ビールの泡が唇の上についている。言おうかと思ったが、先に笑われたので黙っておく。こっちも同じ状態だったらしい。
ぐし、と雑に口元を拭う。ビールはまだ、ちょっぴり大人の味だった。虎石の言う通り、飲めなくはないが。これも慣れれば、一杯目はビールだと言う大人の気持ちもわかるようになるのかもしれない。
酒は、適当に買ってきた。缶ビール、缶チューハイ、手頃なものをガサゴソと、つまみと一緒に。洒落たカクテルなんてものも、きっと幼い頃から世話になっているカフェレストランのオーナーに聞けば、愁ももうそんな歳かと微笑んで教えてくれるだろう。今度尋ねてみようか。
それ。と、不意に虎石が言った。
視線の先にあったのは、虎石から贈られたグローブだった。いくら最寄りが同じでも距離はある、それと、ついさっきまで稽古だったので、買い物がてらそのままバイクで来たのだ。明日の午前は何もない、今夜は泊まる気だ。
「早速使ってくれてんだな」
「……まあな」
「つか、今日バイク? 泊まってけんの?」
「ああ」
「お。じゃあゆっくりできんな~。ま、歩きでも泊めてやる気だったけど。夜中に放り出すとか、いくら愁でも可哀相だろ」
そうか。と、短く答えた。お互い、都合のいい日を挙げて合わせただけで、翌日の予定までは把握していなかった。虎石が笑う、オレは明日オフ、と。
グローブ見して。伸びてきた手の上にそれを乗せてやった。サンキュ、と受け取るとすぐに自分の手にはめてグーパーと手の馴染みを確かめている。
「はー、やっぱいいなこれ」
「……」
なんとなく、嫌な予感がした。
「な、愁。今度バイクと一緒にコレ貸して♡」
――やっぱり。
まずはため息で返事をする。お前いいかげん自分のバイク買えよ、と寸前まで出かかった言葉を飲み込む。言っても無駄だからというだけではない。今、空閑のもので貸してやれるものは、それくらいしかないから。学生時代と違って教科書を貸す機会なんてないし、台本を見せてやることはあっても貸したことはない、同じ舞台に立つわけではないから。いや、もし共演したとしても、さすがに台本はきちっと管理している奴だ。物を借りるのもコミュケーション、とかなんとか言っていたことがあるから、本当は教科書だってきちんと自分のものを使うことくらいできたのかもしれない。
甘やかしすぎだ、とルームメイトにはよく言われていた。それが彼なりにこちらを気遣った発言だということはわかっている。負担じゃないのか、あいつはあのままでいいのか、と。けれど、これも、自分たちにしかわからない感覚があると空閑は思っていた。
空閑は誰にだって甘いわけじゃない。わりと、人によって扱い方を決めている方だ。あまり感情の起伏が激しいタイプではないからそんな風に見えないのかもしれないが、空閑の中では分けている。かつて青春時代をともに過ごしたチームメイトたちに対しても、それぞれ違ったコミュニケーションの取り方をしているくらいだ。
こいつは、みんなに平等だけどな。
チラッ、と虎石に視線を向ける。
「……お前、最初からその気だっただろ」
「いやいや、オレは純粋に愁のことを思って選んだぜ? まあほらあれだ、バイク借りる時についでに~ってのは、考えたけど」
「そういうの、最初からその気だったって言うんじゃねえか」
「そーとも言う」
自分でプレゼントしたくせに。ケラケラと笑う虎石には毒気がない。かえって腹が立つ。視線を缶に戻し、ぐっと煽った。今の気持ちが酒だったら、きっとこんな味だろう。
別に、最初から自分も使う気でプレゼントを寄越されたことに腹を立てていたわけではなかった。なんとなくそんな気はしていたから。学生時代よりもかなり頻度が落ちたとは言え、虎石は未だに空閑のバイクを我が物顔で使っている。明日貸して、夜までには返せよ、などと約束をして、返しにきたらそのまま上がり込んで喋っていく。女ものの香水をぷんぷん匂わせて、愁フロ貸してと勝手に泊まっていく。虎石の用事の方が先じゃなければ、ついでに乗せてってとアパートまで送らされた。おかげさまですっかり道を覚えてしまった。
こいつはまた、いつもと同じ調子でバイクを借りに来て、空閑に贈ったグローブをはめて、空閑のバイクに跨って、女を迎えに行くのだろう。事務所に迷惑かけんなよ、と苦言を呈すれば、今だけだって、とはぐらかされる。一応、虎石自身もリミットがあることはわかっているのかもしれない。今後メインの役どころを取れるようになって今よりファンが増えれば、デートによって悲しむ女も増える。女の涙は嫌う奴だから、そうなる前には二人きりで会うのをやめるようになるのかもしれない。手遅れのような気がしてならないが。
――こいつが女と遊ぶのをやめたら、俺は何を感じるんだろうか。
学生時代、ミュージカル学科候補生――スター枠としての最後のステージを控えたあの頃。スターオブスターなんて大層な肩書を背負った虎石たちのチームは、王者なりの苦労をしていたようだった。トップとしてのプライド、期待、重圧、そして空閑たちとも共通していた感情――先輩への想い。贈り物は最高のステージにしたいと、浮かない顔をしていた虎石に会った時に聞いた。デート断ちしてる、と。
他の奴が聞いたら、そんなのは当然だと思うだけかもしれない。けれど、他の奴より数年長く女好きの様子を見てきた空閑は違った。虎石の女好きは、もはや病気みたいなものだと思っている。だから、デートのように女と遊ぶことというのは、虎石にとっては必要不可欠な薬、あるいは呼吸みたいなものなのかもしれない、と心のどこかで思っていた。そんな虎石が、デート断ち。
大丈夫だろ、そんな言葉は自然と出てきた。ライバルとしてずっと競い合ってきた空閑だからすんなり出てきて、空閑だからそれが無責任な言葉にはならない。きちんと、確信から出てきた言葉だったのだ。
それが役者として、ライバルとして、虎石が派手な女遊びをやめた時に感じたこと。それとは別の場所で、感じたのは、感じるのは、一体何なのだろうか。
虎石がつまみに買ってきたピーナッツをポリポリと食べている。空閑が無口なのはいつものことだと、こっちの気も知らずにこの誕生日会を楽しんでいる。それで構わない。本当のところは、空閑にもよくわからないのだから。
「……虎石」
「ん?」
ふと、思い出して。こちらも誕生日プレゼントを用意したのに、次ん時に渡すと予告までしておいて、渡すのを忘れたら意味がない。レジ袋の中に突っ込んでいたプレゼントを虎石の前に突き出した。
「これが…、言ってたやつ?」
「ああ」
「開けてい?」
「勝手にしろ」
聞くや否や、虎石は小さな袋のリボンを解いた。大したものではない。いつもチャラチャラしているこいつが気に入るかもわからない。だけど、一目見た時、これがいいと思って選んだのだ。
「……へえ!」
虎石が感嘆の声を上げた。綺麗にラッピングしてもらった品は、チェーンのネックレスだ。中央にはリングがぶら下がっている。実はリボンがモチーフなのだと店員が語っていた。
ほうと目を開き、頬を緩める。虎石はチェーンを指にかけ、リングを手のひらに置き、いろんな角度に傾けて見ていた。
「いーじゃん」
少しばかり緊張してその様子を見守っていた空閑に、虎石が満面の笑みを見せた。きゅっと軽く握った手の中の、空閑にしては洒落た贈り物に目を落として。
「……大事にする」
そう言って立ち上がり、空閑に背を向けた。散らばった荷物をひょいと避けて進み、大事そうに引き出しの中へとしまい込んだようだった。今つけてみせてはくれないのか、とは思ったが、あえては言わなかった。
しばらくすると虎石はくるっと振り向いて、レジ袋を覗きながら、そーいや、と言った。
「ケーキは買ってこなかったんだな」
「ああ」
虎石は誕生日会ぽくねえなと笑いながら、また床の荷物をひょいひょい避けて空閑の隣に帰ってきた。空閑の家とは違ってちゃんとソファだ。ふかふかさなら、うちの布団も負けていない。
「まあ、前ん時食ったもんな。愁のお袋さんお手製! 料理も美味かったな~。お袋も張り切ってたけど、ありゃ愁のお袋さんと台所に立つのが楽しみだっただけだな」
「いつものことだろ。お袋たちが遊ぶためのようなもんだったしな、俺らの誕生日会」
「そーそー! いっつもダシにされて」
ほんの少し染まった頬は、アルコールのせいか。案外自分も同じような色をしているのかもしれない。
虎石が、ふはっと笑った。
「けど、なんだかんだ言って…オレも愁と一緒で楽しかったわ」
くくく、と喉を震わせる。昔のことを思い出しているのか、それともこの前の誕生日会の時に空閑の母が張り切りすぎて料理を作り出したことを思い出しているのか、いや、虎石の母が自作と空閑の母作の唐揚げを混ぜて出してきたのを、虎石がロシアンルーレットと笑ったら案の定しばかれたことかもしれない。いや、それを見て面白がっていたのは空閑の方だから、鼻で笑いながら食べたのがまさに虎石の母作で、予想外の塩辛さにむせたことの方かもしれない。
何にせよ、一緒で楽しかったと思っているのは同じだ。息子である自分たちが仲良くなったのが先で、むしろそれがきっかけで知り合ったというのに、まるで昔からの友人であるかのように見えるほど母たちは仲が良かった。息子のオレらより仲良いんじゃね、という虎石の言葉も事実であるように思う。女同士と男同士の差もあるのだろうけれど、それを抜きにしても向こうの方が仲が良さそうだ。
何故なら、ライバルじゃないから。あの二人は競い合う必要がない。
空閑と虎石は親友で、ライバルだ。勝ち負けのはっきりしない土俵のライバルだから、空閑はあまり勝っただの負けただのとは言わないが、虎石が勝敗を求めるのであれば負けてやる気はさらさらない。もっとも、虎石は表現の分野以外のこと――例えば、身長だとか足の速さだとかテストの順位だとかどっちの方がモテるかだとか、空閑がまるで気にしない分野さえも張り合ってきたが。
「愁もさ、今度ケーキとか…クッキーとか…作ってみりゃいいじゃん。ほら、絵ぇ描くの得意だっつってるだろ? トッピングもできんじゃね?」
「……それいいな」
「那雪ちゃんに頼んで指導してもらってさ~。あーつか、みんな成人するわけじゃん。みんなで飲み会したら楽しそうだよな。オレらのチームメイトだけじゃなくって、あん時のクラスメイト全員呼んで……揃うかどうかわかんねーけど」
「……那雪に酒飲ませるのだけは、やめといた方がいいぞ」
「え、なんで? あっ……あー、なんか聞いた気がする、酒乱だとかなんとか…一年の頃だっけ? 飲み会の時は気ぃつけねえと……」
「……だな」
これは空閑も聞いた話だが、当時の被害者(?)である星谷と天花寺曰く『那雪には絶対に酒を飲ませるな』というレベルらしい。怖いもの見たさはあるが、触らぬ神に祟りなしだ。飲み会の時は、那雪にはいつものオレンジジュースを飲んでもらおう。