北原誕生日SS


 四月二十二日、北原の誕生日。
 今日は、二十歳の誕生日である。


 誕生日とはそれなりにテンションが上がるイベントだ。年に一度、生きていれば必ず巡ってくる。
 と言っても、普段は特に誕生日会を開いたり開かれたりするわけじゃない。もちろん子どもの頃、実家で暮らしていた頃は、親がケーキを買ってきてささやかな誕生日会というものはしてもらっていた。
 高校時代は寮生活。四月生まれ故に、チームメイトと誕生日の話題になった頃にはもう過ぎていた。ルームメイトの虎石とは特にそういう話はしなかったが、彼らのチームの様子は耳にしていた。メンバーの誕生日がくるたびに規模はともかくパーティーのようなものを開いていたらしい。スターオブスターのくせに暇人かよ、と冷めた目で見ていたことを覚えている。
 そんな風に、友人の誕生日なんていちいち覚えておいてまめったく祝ってやるなんて習慣のない北原は、祝われるということもそんなに多くはなかった。別に気にしたこともない。祝いたければ祝えばいいし、キリがないからと祝わないのもそれでよし。何故なら北原がそういうタイプだから。
 先に言った通り、それなりにテンションは上がる。年に一度しかないから。一応は生まれた日、特別な日ではある。しかしそれとこれとは別の話なのだ。完全スルーは癪だが、誕生日だから祝えなんてダサいことは言いたくないし、大勢に祝われることへの頓着もない。小学生くらいならともかく、今更誕生日会なんて開かれても──まあ、嬉しくは思うかもしれないが──いい年してダサい気もする。
 だから、誕生日に特別な何かをされる──それは、さほど重要なことではないと思っていた。

 今日は、二十歳の誕生日。節目の年。十九や二十一とか半端な年じゃなくて、『ハタチ』と特別な呼び方がある年齢。
 なんとなく、今までとは何か変わるのかもしれない。と、思っていた。二十歳、大人だ。酒やなんかも許される。大人になると他にもなんちゃらかんちゃらとややこしいことがあるが、とりあえずそれは置いといて。

 大人になる。ということは、特別なことなのかもしれない。──と、いうのは酷く子どもじみた発想なのだと悟った、それが二十歳の誕生日である。

 祝いの言葉はあった。まず、親から。誕生日おめでとう、たまには実家に顔を出しなさい、とそんなような内容だった。そういえば春休みにも帰省していなかった。高校・大学ともに学校からは離れているため一人暮らしを選んだのだが、同じ都内で、いつでも帰れると思うと忘れてしまうのだ。ちょうど週末はオフだから、父親と晩酌するというのも悪くない。そう返事をしておいた。
 次に、姉から。親に祝ってやれと言われて思い出したからおめでとう、と実に正直なメッセージだった。簡単に礼を言って、やり取りはすぐに終わった。
 そして友人たちから、ちらほらと。誕生日を覚えている、まめな奴らから。プレゼントなんか寄越した奴もいる。ちなみに、空閑からはナシだ。同じ四月生まれだというのに、つれない奴である。もちろん北原からは誕生祝いをしてやった。喜んでいたと思う。
 空閑から何もないことは想定内だ。一度も祝われた覚えがないから。問題は、あいつだ。

「あ、廉。誕生日おめでと~」

 と、だけ言って終わったのは南條聖──二十年を振り返ってみても家族以外では一番長いこと傍にいるのではないかと思っている奴だ。
 そんな奴なのに。『おめでと~』、それだけだった。たったそれだけ。二十歳の誕生日なのに。普段通り大学で会って、同じ講義で隣に座って、休み時間を過ごして、ふと会話の流れで思い出したとばかりに、おめでと~。間延びした声で。おめでと~。
 北原は顔をしかめた、電車の中であることにも構わずに。思いっきりしかめた。誰かに見られたなら何をそんなに怒っているのかと思われそうだが、ちょうど退勤するサラリーマンたちに埋もれる満員電車である。見られたとしても押し潰されて不満なのだと思われるだけだ。
 おう。その場での北原の返事はこれだ。礼も言った。さらに何かあるかと思ったが、残念ながらその直前までしていた話の続きが始まってしまった。おめでと~、で終わりだったのである。


 ──それだけかよ!


 正直そう思った。思ったが、声に出さなかったことは褒められたい。そんな、祝ってほしいみたいなアピールはダサすぎる。南條にダサい男だとは思われたくない。
 冷静に考えてみれば、毎年そうだったのだ。チームメイトとして出会ってから四年、四回目。一回目は過ぎていたので当日はナシ、二回目以降はおめでと~と今日と同じようなトーンで言われた記憶がある。
 去年までは気にしちゃいなかった。南條の性格をよく知っているから。師である漣の誕生日には何かした方がいいんじゃないかと言い出したが、チームメイトにはさっぱりだった。あいつとしてはこんなところだろう、『お前らの誕生日会してやったら、俺に何か見返りがあるの?』と。自分にメリットがないことはしない奴だ。そんなことはとっくに知っている。だからあいつに何かしてもらおうなんて期待はしないのだ。

 期待は、しない。していない。

 車内アナウンスが、事務所の最寄駅を告げた。いつの間にか到着していたらしい、開いたドアから人混みに流れて出ていく。半ば呆然としながら、しかしこんなところで急に立ち止まるのは有罪だからさっさか歩いた。

 なぜ呆然としなければならないのか。

 それは、少しだけ──期待していたことに、気がついてしまったから。

 誕生日を忘れずに、おめでとうと祝いの言葉を、当日直接言われた。相手が南條聖という人物で、対する自分は友人である、ということを考えれば、それだけで十分すぎる対応だ。師でも上司でも先輩でもなんでもない、対等な友人である奴に、特別な何かをしてくれる奴じゃない。要求されればきちんと喜ばれる品の一つや二つくらいはサラッと用意しそうだが、自発的にはやらないだろう。よく知った仲で、対等な立場の相手にまで媚びを売る必要性はないからだ。
 そんなことは、とっくに、知っている。南條がどういう奴かなんて、知っている。知った上でいつも一緒にいる。頭のいい南條の世話になった方が早いことが多いから。あとは単純に、居心地がいいから。

 北原はしかめっ面のまま歩いた。事務所まではそう遠くない、それまでには普通の顔にしておいた方がいいとは思う。思うだけでなんとかなればいいのだが、現実はそう甘くはない。だからしかめっ面のまま歩いた。

 期待、してしまっていたのか。二十歳だから。節目の誕生日だから。何かあるだろうと、どこかで思い込んでいた。自分がそのつもりだったからかもしれない。今年はなんかしてやろう、と。二十歳だし、あいつは友人の中でも少し特別な奴だし、と。具体的に何をするかまでは決めていなかったが、一緒に過ごすことだけは決めていた。勝手に。
 どうも、一方的な計画に巻き込んでしまっていたようだ。俺がそう思ってるから向こうもそうだろう、なんて思っていたようだ。するわけないのに。ただの友人相手にそんなこと。


 ──ただの友だち、か。


 事務所に到着。おはようございますと挨拶をして入っていく。仕事の予定があるわけではないが、今日は事務所に顔を出せとマネージャーから連絡があったのだ。呼び出した張本人のマネージャーをキョロキョロと探す。
 探しながら、考えた。南條にとって、自分はただの友人の一人に過ぎないのだと。よく一緒にいるだけの同級生。らしい。それなら『おめでと~』だけなのもわかる。わかるが、なんかこう、モヤモヤする。こっちはわからないから有罪だ。
 眉間に皺。口はへの字。お前のマネージャーならあっちの部屋だよと事務所の先輩が教えてくれた部屋の扉を開ける。






 パン! パンッ!


「──ハ?」


 クラッカーの弾ける音。飛んでくるヒモみたいなやつ。北原、誕生日おめでとう! というマネージャーの声。おめでとう! 続けて先輩や同期や後輩数名の声。
 目をぱちくりさせている北原に、ハ? じゃないだろと笑いかけてきたのは、場所を教えてくれた先輩だ。ついてきていたことには気づいていなかった。仕掛け人の一人だったらしい。
 事務所に在籍してから数年経つが、こんな風に祝われたのは初めてだ。近辺に仕事があって、ついでに祝われる、ということならあったが、用事もないのにわざわざ当日呼び出されてサプライズパーティーなんていうのは、これまでの経験全部を含めても記憶にない。
 状況が飲み込めていない北原に、説明をしてくれたのはマネージャーだった。二十歳だろう、と。だから今年は特別にお祝いだ、と。そうしたら、ありがとうございますと答えるほかない。他のタレント陣はたまたま居合わせた面子のようだ。
 けれど、皆、口々に。成人おめでとう、二十歳のお誕生日おめでとうございます、などと。いかにも二十歳の誕生日は特別であるという風に、祝いの言葉を述べてくれた。




 ──やっぱ、二十歳は特別だろーが!





「……決めた」
「ん? 決めた…って何をだ、北原」
「あ……いえ、こっちの話です。今日はわざわざありがとうございました」
「誕生日なんだから、気にするなって。そうだ北原、明日の授業は?」
「明日は……午後からです」
「お! じゃあ決まりだな、飲み行くぞ!」
「え──あ、はい」


 決めた。

 成人済みの先輩たちに捕まって、居酒屋へと連れられていく。抵抗は無駄だ、初めての酒を頂くとしよう。奢りだと言ってくれているから、お言葉に甘えて。

 決めたのだ。

 乾杯! 初めてにオススメと勧められたものを素直に注文し、全員分揃ったところで先輩が乾杯の音頭を取る。カチンと合わさったグラスの音が響く。カシスオレンジとかなんとかいうやつ、ジュースみたいでナヨナヨしてて、北原的には有罪だと思った。飲みやすいか否かで言えば飲みやすいが。

 決めたこと。それは、もちろん。

 今年の南條の誕生日は、しっかり祝ってやろう、ということ。

 南條がどう思っているかは知らない。好かれている自信はあるが、そもそもあいつに親友という立ち位置があるのかどうかも知らない。とりあえず、北原にとってはそれなりに特別な奴であるということが重要だ。
 そして、北原にとっては、二十歳を迎える誕生日というのは、やっぱりなんとなく特別なのである。
 試しに飲んでみろと勧められた日本酒が旨いと思った。酒臭いが、これくらいじゃないと酒を飲んでいる感じがしないからちょうどいい。なんだか気分もよくなってきた。特に何もしてくれなかった南條は有罪だが、今日という日は無罪にしておこう。







 ──昨夜、どうやって自分の部屋に帰ってきたのかは覚えていない。あの時の面子にここの住所を知っている者もいないし、着替えてはいないもののちゃんとベッドで寝ていたからおそらく自力で帰ってきたのだろう。珍しくタクシーでも捕まえて。
 二日酔いってやつか、寝起きの体調はよくないが。詳しいことは覚えていないが。酒を飲むとテンションが上がるということだけははっきりと覚えている。
 決まった。
 あいつの誕生日には、酒を持って行くとしよう。決まりだ。勝手にやることだから、許可も得ない。
 ぐんと伸びをした。まずはシャワーを浴びてシャキッとしよう。こんなにだらけているのは自分らしくないから。
 聖はああいう、ナヨッとしたカクテル好きそうだな、作り方知らねーけど。別に俺が飲みたいやつでいいか。俺が祝いてーからやるだけだしな。
 まだ二ヶ月も先の計画を立て始める。日本酒は確定だな、とか、一応好きそうなものも探しておくか、とか。シャワーを浴びながら考える。


 俺にとっちゃ、テメーはただの友人ってわけじゃねーよ。


 と。浮かれる心がそんな結論を導いた。
 じゃあなんだろう。そう考え始めると、なんかこう、モヤモヤするのでやめておく。とにかくあいつの誕生日を祝うことは決定だからなんでもいい。
 蛇口をひねる。パッパッと体を拭く。ガシガシと髪を乾かす。今日の講義はどれも南條と別々だ。なんとなく残念に思いながら支度をし始める。そういえば、昨日出された課題の範囲はどのへんだったか忘れてしまった。南條に聞かないとわからない。講義前に食堂来い、今日の予定も勝手に立てて。
 時計を見遣る。微妙な時間だ。ジムにでも行って体を動かして、スッキリしてから勉強するか。いい経験にもなるから大学は出ておけという家庭の方針で進学したものの、勉強が苦手なのは変わらない。大学は履修だのなんだの小難しいことだらけだ。先週、南條に組んでもらった履修を提出したばかりで、本格的に始まったのは今週からである。
 ポコン。新着メッセージを受信する。はいはい、食堂ね。南條からの返事だ。
 今日も、会える。そう思ったら自然と口角が上がった。
 昨日の範囲教えろ──と送ろうとして、やめた。そうしたら、画面上のやり取りで済んでしまいそうだから。なんとなく、今日は会いたいと思ったのだ。代わりに、自販機の近くの席、と送っておいた。食堂は広いから場所を指定しておいた方がいい。了解、短い返事がきた。よし、ジムへ行こう。タオルと飲み物と、簡単な荷物を持って部屋を後にした。







 二十歳の誕生日――北原が、なんとなく、他の友人と南條を区別した日。
 モヤモヤの理由を知るのは、もう少し先のこと!

 
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