たぶんずっと

 もうそろそろ、退寮後の住処を考え始めた方がいい頃合い──だった、北原がこんなことを言い出したのは。


「部屋見に行くから予定空けとけ」




 北原と南條は、いわゆるお付き合いというものをしている。チームリーダーとサポート役、その延長線のような形で。
 だからこれは、突拍子もない発言だった。恋人同士、と呼べば甘い響きだが、実際のところは世間的に思い浮かべられる恋人のような関係ではなかった。前述の通り、リーダーとサポート役、その延長線。そもそも男同士だ。将来を誓い合うなんて夢見がちなカップルみたいな、そんな馬鹿げたことをしたことはなかった。
 愛してる、一生傍にいる──自分たちには似合わない台詞だ、と南條は思っていた。退寮すれば確かに一人暮らしなり実家に戻るなり生活拠点を変えなければならない。その中で『恋人と同棲する』という選択肢は、それほどおかしなものではないだろう。結婚を視野に入れて、とか、ずっと一緒にいたいから、とか。
 だからこそ、北原と一緒に暮らすという発想はなかった。男同士、まだ偏見も多くそもそも法律だって追いついていない世の中では結婚なんて視野に入れようがない。ずっと一緒にいたい──とは、まあ考えていないわけではないが、どちらかといえば、ずっと一緒にいるんだろうな、という確信めいた願望を抱いている。いつまでも、こうやって北原の部屋に遊びに行って、他愛もない話をして、たまにはキスやセックスもして、自分の部屋に帰るんだろうな、と。
 部屋を見に行く。北原が言ったのはそれだけだ。一緒に住む部屋、とは一言も言っていない。しかし、残念ながら南條は、一緒に見に行く部屋がイコール一緒に住む部屋であることを察せないような鈍い男ではない。だから、あえて南條はとぼけた笑みを浮かべた。


「廉、部屋って?」
「あ?」


 とぼけんなよ、と言いたげな声だった。あららバレてる、とまるで慌てずに笑った。どうせバレるだろうとは思っていたから。


「もうそろそろ退寮だろーが。一緒に住む部屋、探した方がいいだろ」
「ええ? 一緒に住むの? せっかく実家が東京にあるわけだし、実家でよくない?」


 ハァ? と、北原の視線が険しくなった。せっかくの可愛い目が台無しだよ、なんて。声には出さずにへらりと笑う。


「実家って…親の脛かじる気かよ」
「いやあ、使えるものは使えるうちにねえ?」
「テメー、ほんと性格有罪だな」
「それはどうも」
「俺と一緒に住みゃいいだろーが。付き合ってんだし」
「えー…あはは」
「んだよ」


 ──南條が渋るのには、理由があった。
 一緒に住みたくない、というわけじゃない。確かに同棲するという発想はなかったが、こいつがどうしてもと言うなら一緒に住んでやってもいいとは思う。ならさっさと返事をしてやれという話ではあるのだが、どうにもすっきりと返事はできなかった。
 北原の視線は相変わらずじとっとしている。はっきりしろ、と。はぐらかそうとしても無駄だということはわかっていた。北原は南條の性格についての諦めは早いくせに、自分が白黒つけたいことについてはしつこい奴なのだ。あまり言いたくないことをそれとなくぼかす性格なことはとっくに知ってるだろうに、まあ無駄と知りながら試したのだからお互い様か。

 ──こいつ、脳筋で単純なくせに、妙なとこ鋭いから厄介なんだよなあ。


「聖テメー、なんか有罪なこと考えてんだろ」


 ほら、こういうとこ。

 妙なところばかり鋭い。くだらない作り話は信じるくせに、どうして隠し事は嗅ぎつけるのか。普通だったら『有罪なこと』ってなに? と笑い飛ばしてやれるはずなのに、慣れというものは恐ろしい。どういう部類の思考を指すのか、わかってしまうから。
 嘘をつくだけ無駄、と確信した。それじゃあ仕方ない、白状してやろう。


「なに笑ってんだよ」
「ね、廉」
「あ?」


 自白、開始。部屋をぐるりと見回して、一周したら北原に視線を戻す。


「俺は、『廉の部屋』が好きなんだよね」


 ハ? 理解できません、みたいな相槌だった。なんだそれ、続いた言葉で確信。まあそうだろうと思っていたので、ご丁寧に説明してやる。


「正確には…、廉の部屋に遊びに行くのが好きっていうか」


 ──南條は、あまり自分の足で歩くというのが好きではない。
 無駄に疲れたくないから。例えば選択肢に車や電車やその他ゾウの背中だとか、乗っていればいいだけのものがあるのなら迷わずそっちを選ぶくらい。セルフサービスも面倒だから、誰かが立てばついでにお願いする。あ、飲み物取り行くの、じゃあ俺の分もよろしく、こんな具合で。

 そんな、南條が。


「だから、廉が一人暮らしするなら」


 第二寮から第一寮まで、『わざわざ』『自分の足で』『遊びに行く』。それもわりと頻繁に。


「また遊びに行ってやるよ」


 それが、南條にとってのささやかな愛情表現だった。北原と好んで一緒にいるのは恋人だからというよりも飽きないからだが、それでもわざわざ足を運ぶのは特別扱いしたいから。付き合い始める前からの習慣ではあるが、その頃からもそのつもりで通っていた。
 ──俺実は廉のこと好きなんだよね〜。
 ──なら付き合うか。
 そんな軽い冗談みたいに始まった関係、キスをするまで信じられなかった関係、セックスしてみたらむしろ信じられなくなってしまった関係。好きだなんて滅多に言えない言葉を、伝わりにくい行動で示したかった。そのささやかな愛情表現、一緒に住んだらできなくなってしまう──と、思ったから。
 南條はニッコリと笑った。得意の読めない笑顔で、お前と一緒には住まないよ、と改めて告げた。
 北原は黙っていた。少しだけ俯いて何かを考えるような素振りを見せて、ハッと思いついたように顔を上げる。


「テメーの部屋と、俺の部屋」
「ん?」
「ふた部屋は確実に必要ってことだな」
「…ん?」
「あとリビングも必要……ったく、売れる前から贅沢な奴だな。で、いつ空いてんだ」
「お前は人の話聞いてたのかな?」
「あ? 要するに俺の部屋がありゃいいんだろ」


 こっちの気も知らず、北原はニヤリと笑った。


「テメーがいつでも遊びに来れる、俺の部屋。鍵なし、隣で十分だろーが」


 北原の特技。本人が自覚しているかどうかは知らないが、紹介するとしよう。
 ──南條の、図星を指すこと。


「テメーは目の前のドリンクバーも人に取りに行かせるくらいだしな。第二寮から俺んとこ来るよりずっと楽になんだろ」


 まるで、全部お見通しだと言われているようだった。ニヤッと笑う顔が生意気で、憎たらしいのに愛おしい。

 ──ああどうか、全部がバレてはいませんように!

 自己満足、だった。密かに、この俺がわざわざ会いに来てやるなんてお前愛されてるね〜、と思うだけだった。秘密の愛情表現、伝わってるかもしれないと思うとこんなにも居た堪れないなんて。
 降参、白旗。転がされるのはあっちの得意分野のはずなのに、どうやら物理的にだけらしい。お前だけにしてやるんだから感謝しな、そんな風にひっそりと浸っていた優越感にまで気づかれていやしないだろうか。上に立っていると思っていた場所は、実は手のひらの中だったというわけだ。だめだ、こいつには敵わない。


「──来週」


 暇だよ、と呟いた。俺の負けだと手のひら振って。どうにもこうにも、そういうところに惚れてしまってる身だからそもそも勝ちようがないのだけれども。あーはい、お前のその笑顔にトドメ刺されました、と。
 満足そうにニイッと笑って。


「決まりだな」


 って、そんな顔をされたらまた別の方法探してやろうかって気が起きてしまうから勘弁してほしい。惚れた弱み、実感中。帰る場所が同じでも、だからこそできる自己満足な愛情表現ってやつがあるかもしれない。もう考え始めてる、ほんと敵わない。もはや勝負する気にもなれない。
 この際だから認めてやろう、本当はすごく嬉しかったと。嘘みたいな恋人関係、思ったよりも真剣に考えてくれてるんだ、って。北原と同棲するという発想がなかったのと同じように、南條が断るという発想がないって目をして、部屋見に行くぞと、一緒に住む部屋を見に行くぞと。本気では断れないということまで見抜かれていた可能性だってある。
 とりあえずこことこことここ。部屋の候補を見せられて、ほぼ事後承諾だよなあ、と笑った。来週までにもーちょい候補考えとくぞ、北原が言う。はいはい、と答える。それぞれの部屋がある、二人の部屋の候補。
 ルームシェアするって言ったら、両親どんな顔するかな。想像してみたらちょっと笑えてきた。ルームシェアするようなタイプじゃないということは友人はもちろん親だって知っていることだ。どんな子って聞かれたら、飽きない奴だよ、って答えてやろう。
 ここは駅遠すぎ有罪、ここは立地良さそうだな無罪。物件一覧を眺めながら判決を下す恋人の姿に、飽きない奴だなあ、と改めて感じたのだった。





















 トントントン、リズミカルにノックする。


「廉、いる?」


 おう、と中から返事。それを聞いて、南條はドアを開けた。


「や、廉。遊びに来たよ」


 ニコッと微笑みかけると、呆れたような視線が返ってきた。聖、と呼ばれる。


「テメーが部屋行けっつったんだろーが。いるに決まってるだろ」
「この方が遊びに来てる感じするだろ? 俺的には雰囲気って大事だと思うし」
「そもそも、んな風にノックして入ってきたことあったかよ。テメーだいたい勝手に居座ってただろーが」
「あはは、まあね。いるかどうかは先に聞いてたし」


 引っ越し初日、片付けはまだまだこれからだが、ようやくなんとか生活スペースの確保ができた頃。
 ちょっと廉、部屋行ってくれない? やりたいことがあるんだよね、と持ちかけたのがついさっき。それで実行したのがたった今。部屋に行かせて、わざわざ遊びに行くなんて遊びをしてみたのだ。呆れたような、というか事実呆れていたのだろう。無理もないけどね、と笑う。
 そんなくだらないやり取りも、南條にとっては必要なことだった。部屋に遊びに行くってことがまたできる、こんなくだらなくて最高に意味のないことをやる気になる、普通だったら面倒でなんのメリットもなさそうなことが、幸せになる。
 くだらないお遊びが、ほとんど毎日できるんだな。と、思ったら、あの時渋った理由の方がよっぽどかくだらないもののように思えてきた。代わりなんて、一緒にいればいくらでも見つけられる。例えば食事を用意してやるだとか、掃除や片付けをしてやるだとか。
 ほんの少しの沈黙の後、北原がこっちへ来いと手招きをした。断る理由もないのでおとなしく傍へと寄ってやる。隣に並んで、こいつの新しい部屋ってやつを見回すのもいいかな、と。


「わ、ちょっと廉、なに?」


 けれど座ったその瞬間、頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。頭を撫でるなんてこと自体、滅多にしないことだというのに。急になんだと見上げてみたら。


「……なんか、撫でたくなったからやった。聖、お前結構かわいい奴だな」
「は…?」
「嬉しくて仕方ねーみたいな顔、してんだよ」


 楽しくて仕方ないみたいな顔して、北原が言う。


「俺と住んで、よかっただろ」


 ──ご名答!
 
 
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