それは、お粗末な恋。


※いろいろねつ造してます。
※年齢操作してます。










「お前は変わってないよな、廉」










 ──誰かの隣は、楽ちんだ。


 もちろん、誰でもいいわけじゃない。そいつがそれなりに上等な場所を提供できるだけの人間でなければ、楽はできないから。二番手という立ち位置を嫌う人間も多いが、南條聖は違った。二番手、それが一番上等なポジション。もっとも、南條はトップより劣っているつもりなどなく、あくまでトップの隣を指す言葉としての『二番手』である。
 何でもやればできるという器用さ故に、あえてこの生き方を選んでいるような節もある。自らの実力でトップに立つことも不可能ではない、しかしトップを矢面に立たせておけばこちらは楽ができるのだ。一人ならば出る杭、出る杭は打たれる。組織なら、いっそのことそういうオブジェクトですよって顔して出っ張ってられる。群れなきゃ何にもできないわけじゃない、けれど数も力だ。言うなれば鬼に金棒、一人でも十分なところに組織という武器を持てば隙はなくなる、というわけで。
 トップの隣で足組んで、優雅に座って口を出す。へえ、と一度は受け入れるふりをして『ちなみに俺的には』と誘導する。決められたレールの上を走るのではない、トップのレールを走る電車にご一緒させていただくだけだ。乗り換えはいつでも南條のタイミング、すぐに次の電車はやってくる。
 なんとなく、自分がどういう人生を歩んでいくのか想像がついていた。いつも揺れが少なくて、安全で、誰もが知ってるようなわかりやすいレールの電車を乗り継いできたから。進行の妨げになるようなマナーの悪い乗客がいないか巡回して、そいつが暴れて本格的な遅れに発展する前に上手くやり過ごし、大抵は節目節目で乗り換える。物心ついた頃にはもうそんな風だった。クラスや学校の中心にいるような奴の隣、そこが南條の席だ。そうやって、起伏の少ないそれなりに上等な人生を歩んでいくんだろう、と。
 小、中学生の、ティーンエイジャーの仲間入りをしたかしないかくらいの少年が思い描く未来としては夢がなく、つまらない人生だと形容する者もいるだろう。けれど堅実で賢くて、損をしない生き方だ。トップを見極め気に入られるという特技、それは先の見えない人生という道を悠々と歩くために欠かせないものだった。
 そんな南條が、不安定な将来──芸能界を目指そうと思ったのには、大した理由はなかった。すらっと背の高い目立つスタイル、それなりに整った柔和な顔立ちで、

「南條って、芸能人みたい」
「モデルとかできそう」

 なんて、周りに言われることはよくあった。南條が通う綾薙学園には音楽コースだとかそういった、表舞台には限らずとも芸能界入りのためのようなものがあったせいもあるかもしれない。すでに芸能活動をしている生徒もちらほらいたくらいだから、一般的な学校よりかは芸能界というものが身近な存在だったように思う。当時南條を副会長にと推薦した生徒会長も音楽コースの人間だったから、そちら側の者との関わりもあった。
 お前ならいいところまでいくだろう、と会長に勧められた高等部には、もっと有名な科がある。ミュージカル学科──中等部の音楽コースの生徒たちだけでなく、全国各地からそこを目指す生徒が集まってくるほどの、名門。
 入科オーディションに資格はなかった。入学後に行われるものだから、強いて言うなら綾薙学園の生徒であるということくらいか。もっとも、オーディションの時点でレベルの高い集団。記念受験は恥をかくだけというものに挑む奴というのは、それなりに『本気』の文字が見えている奴らばかりである。

 ──まあ受けといて損はないか、受かれば箔がつくし。

 申込用紙にさらさらと必要事項を記入しながら考えていたのは、そんなようなことだった。綾薙のブランド名を手に入れるついで、くらいの気持ちで。もちろん、全く望みがなければその程度では受けない。しかし南條は器用なのだ、歌もダンスも演技もそれなりにこなせる。持ち前の身長だって舞台映えするというアピールポイント、最初のふるいで落とされない勝算はあった。
 それと、もう一つ。そもそも中等部の普通科から芸能や音楽の専門分野ばかりの高等部へと進学する者はあまりいないと聞くが、南條は一人、もっと稀有な奴を知っている。中等部の途中で普通科から音楽コースに編入した、って奴を。一年の時のクラスメイトだ。そういうことができる、という道を示した奴とも言える。そいつを知っていたから、高等部へと進学してオーディションを受けるということの敷居も低くなっていたのかもしれない。
 結果から言うと、南條は最初のオーディションを通過した。しかもスター枠──百パーセントではないが、限りなくミュージカル学科に近いポジションである。あの面接官の中の一人が、南條を気に入ったというわけだ。ベストなスタートラインといえる結果に、少なからず喜びを感じたことは覚えている。
 そこから先はチーム戦、いくら個人が抜きん出ていても上手くいかないという争いになる。しかし南條はチーム戦の方が得意だとも言える生き方をしてきた。個人戦でもそこそこいいところまでいける能力を持った上で、他者を利用する。並んだ名前を見てまず考えたことは、このチームでの立ち位置だった。
 ここでもまた、レールに乗っかる気だった。と言っても、自分を含めてたった五人のチーム、もしその気になれる者がいなければ自らリーダーになってやってもいいとも思っていた。そのために顔合わせよりも先にそれぞれの部屋を回ったのである。










「あ? どういう意味だよ」


 そうして南條が選んだレールの持ち主、北原廉が返事をした。眉をひそめ、じとっとした視線を南條に向けている。
 今夜は久々にチームメイトで集まり、近況報告をしていた。なんやかんやと盛り上がり、まるで当時繰り返していたミーティングのような雰囲気が懐かしいやら楽しいやら。
 都合がつく者だけ二次会、三次会と続けていって、とうとう残ったのは翌日がオフの者と翌日の午前がオフの者が一名ずつ──北原と南條だけになった。時間も時間で、五名中の二名だったらもう解散にしてもいいところだが、そうしなかったのはこいつだからである。
 南條はへらりと笑った。


「そのまんまの意味」


 安い居酒屋の酒を揺らし、ぐいっとあおった。薄くて味気ない、この店はハズレだったか。
 ハァ? と、なおも意味がわかっていないらしい北原が首を傾げた。説明しろ、と。そういう顔をして、そう言った。思ったことをそのまま言うのも変わらないところの一つだ。


「お前はどこ行ってもお前だ、ってこと。いろんなことやって、考え方や姿勢だって変わって……、そういう、変化してくとこも含めて、変わってないよな、って話」


 北原が反対側に首を捻る。予想通りの反応だ。南條はククッと喉を震わせた。きっと言うだろう。


「意味わかんねー。有罪」


 ほらね。

 ハハハッ、南條は笑った。はなから、この説明で伝わるとは思っちゃいない。けれど、これ以外の説明もなかった。
 今更になって、思うのだ。こうして酒を酌み交わしながら思い出話ができる歳になってようやく気がついた、とも言うべきか。

 ──俺はまだ、廉の隣にいるんだな。

 と。


「まあ、褒めてるから。一応」
「へえ」
「あれ、褒めてるように聞こえなかった? 悪いね〜」
「テメーが褒める時は大抵裏があんだろーが。なんだよ」
「あはは、特にないよ。酔ってるせいってことにしといて」


 アァ? 不良みたいに態度の悪い相槌も、変わってない。実際酔ってはいるのだ、今いるこの店は何軒目だったか、数えちゃいないくらいのはしご酒だから。褒めてるというのも、裏がないというのも、どちらも事実だった。それをこぼしてしまったのは、酔っているせいなのか否か。それはこの酔っ払いの脳みそじゃあ判断つかない。
 南條はグラスの酒を飲み干した。悪酔いしそうな味だ、ここではソフトドリンクを楽しむことにしよう。メニューを取り、ざっと眺めて店員を呼び止める。ウーロン茶ひとつ。あい、かしこまりやした。

 今日、楽しかったよな。

 店員が奥へ引っ込んだのを見てから、南條は独り言のようなボリュームでぽつりと呟いた。そーだな、北原が律儀に声を返す。ふっと口元を緩めて見つめる先は今夜の出来事か、それとも当時の思い出か。
 南條が見つめていたのは、当時の思い出の方だった。あの頃は楽しかったなあ、なんて惜しむわけじゃない。今だって楽しいから。
 これからするのは、今思えば、という話である。全部、今思えば。

 北原が変わってないのと反対に、南條は変わった。

 最初は小さな一歩、それが思い描いていた人生レ ー ルから外れていたらしい。その一歩がおそらくあの瞬間だったことに、当時は気がついていなかった。
 "上等"な"隣"を用意してくれる奴を見定めていた。その時の権力者を見極めるのが特技だった。シートの座り心地が悪ければさっさと乗り換える、誰か一人を上に立たせなくても好きなようにコントロールはできるだろう。それが、とりあえず同じ寮の三人と会っての感想だった。
 そして最後──第一寮の、北原廉。顔と名前と肩書きだけ知っていて、あとは何にも知らない奴だった。
 そう、やっぱり、今思えば。
 あいつの進む先にレールがあるとは思えないのに、うちのチームのリーダーやる? と、サポートしてやるよ、と。そんなことを言った、そこが変化の始まりだったんだろう。
 自分自身の変化には、当時もなんとなく気がついていた。柄にもないことをしてみたり、言ってみたり。それまでだったら躱すことに手を出したり。誰の隣にいようとも、あくまで自分は自分、権力者の威を借るだけ。誰かを変えることがない代わりに、誰にも変えられないつもりだった。けれど、変わってしまった。


「あいつらとも話して、お前とも話して。それで改めて思ったんだよね〜、お前は変わんないなあ、って」


 北原は、トロッコだった。辛うじてレールの上は走ってる、けれど乗り心地なんていいも悪いもあったもんじゃない。不安定で粗末で、油断していたら投げ出されそうになる。しかも急に、こっちの方が早え、とかなんとかそんな感じでレールを外れて歩き出す。かと思えば、いつの間にかレールに戻っている。
 それでいて、コントロールできないのか、と問われるとそうでもないのだ。操作方法は単純だから。そっちの方は熊が出るからこのまま進んだ方が早いよ、とテキトーな嘘を交えて誘導すれば、おーそうか、とピュアなチームメイトはついてきた。
 単純で、素直で、扱いやすくて暴れん坊。誘導はできても思い通りには動かない。ジェットコースターの方がまだマシなくらいだ。あれは緩急が激しいだけで安全バーがついてるし、決まったルートを走れば乗り場に戻れる。このトロッコは走りっぱなしだ。
 だから、乗り換えるタイミングを、逃した。接続してないのだ。電車とは違うレールを走っているのだから。

 ──なんていうのは言い訳で。

 その気になれば降りられた。レールを辿って戻ることもできたのだ。その気に"ならなかった"。これが、南條の"変化"である。
 心のどこかで、予想通りの人生はつまらない、と思っていたのかもしれない。何をやっても同じくらいできるなら何をやっても同じかな、と。損さえしなければ何でもよかったのだ。だから、損をしない生き方を選んでいた。ある意味、自分の能力を有効活用した楽な生き方である。
 北原の隣は楽じゃない。疲れる。コントロールしようと回した遠心力で振り回される。だから──退屈しない。面白いのだ。何をやっても同じ、誰といても同じ。それが覆された。


「……じゃあ、テメーは変わったとでも言いてーのかよ」


 つい繰り返してしまった言葉に、北原が質問で応じた。酒を飲む手を止め、こちらを見つめている。その視線があまりにも鋭く一直線で、逸らすことを許されていないような感じがした。
 ウーロン茶お待ち。あ、どうも。店員が時を戻す。つい一瞬前は別の時空に行っていたのかもしれない、なんて冗談のように考えた。なおもまっすぐ南條を見つめる視線に、やんわりと笑って応える。


「俺は変わったよ。変えられた。お前らにね。特に廉、お前に」


 グラスを持つ。よく冷えたウーロン茶だ、側面にはりついた水滴で指先が濡れる。ストローに口をつけて一口、二口、三口と、ごくごく飲む。思いがけずしてしまった告白に緊張でもしているのか、口の中がカラカラに渇いていた。
 さてどんな顔をしているか、また眉間にシワを寄せて解せないって顔でもしているんだろう。ウーロン茶に落としていた視線を戻すと、北原はきょとんとしていた。ええなにその間抜け面。



「俺は、そうは思わねー」



 え? と、漏れた。いきなり全否定?
 北原は構わず続ける。


「テメーが変わったかどうかはテメーにしかわからねえ。けど、俺はテメーを変えた気はねーよ。変えようと思ったこともねー、テメーはんなタマじゃねーからな」


 カラン。熱気がこもった店内で、氷が溶けた音がする。


「やるからには完璧に。俺は自分の主義を通してきただけだ。つーかなんだ、成長して変化して、それ含めて変わってねえって。意味わかんねー、有罪。それ言ったらだいたいみんなそうなるだろーが」


 ポタリ。置くタイミングを逃したグラスから、雫が垂れる。


「それでも、テメー自身が変わったって思うんなら──それは、成長した、ってことなんじゃねーの」


 ニヤリ。それまでムスッとしたような顔で語っていた北原が、勝気な笑みを浮かべた。それから自分のグラスを持ち、ほとんど氷が溶けたレモンサワーをあおった。味が薄かったらしい、有罪判決を下しながら顔をしかめている。

 あぁ。

 ──あぁ!

 俺の人生、こんなはずじゃなかった。もっと安定していて、わかりやすくて、イージーモードのはずだった。
 だけど結局選んで今なお進んでいるのはこいつの隣。とてもじゃないけど楽だとは言えなくて、不安定でわかりにくくて──とびきり面白い。
 やっぱり、北原廉はなんにも変わっちゃいない。北原廉が北原廉である根っこのところ、そこが変わらない。ちょっとくらい、降りる気にさせてくれたっていいのに。


「そう……かも、ね」


 誰だって、心臓掴まれてちゃ、離れらんないよな。

 言い訳するように湧き出た想いをしまい込んで、自然と動いた表情筋に任せて口元を歪ませる。ニッコリ、というよりは、にんまり。だらしない感じがする、俺的には。
 この後どうする? もう一軒くらい付き合えるぜ。なら行こうか、ここあんまりおいしくないし。ハッ、聞こえるぜ? 小さな声でそんなやりとりをして立ち上がる。割り勘にするのも面倒で、適当に同じくらい出して釣り銭を分けながら外へ出た。
 次どこ行こうか。つーか宅飲みでよくねーか、俺ん家近えし。いいの? ああ、その方がゆっくりできるしな。ならコンビニ寄ってこっか。だな。
 ポツンポツンと減っていく明かりの中をぐんぐん進む背中についていく。まだまだ運行中のこのトロッコ、相変わらずの乗り心地の悪さだけど、とっくに慣れたから。

 ──お前が俺の心臓離してくれるまで、乗っててやるよ、廉。

 いつの話になることやら、後ろでこっそり微笑んだ。やっぱり、お前らに人生狂わされたよ──いつか言ってやろう、狂わされた方の人生を楽しみながら、そう誓った。

 
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