演じて魅せよう

※team柊の単独レビュー公演を見た空閑くんと、その公演を終えた虎石くんの話。
※公演の時期を『綾薙祭以降3月までの間だろうから寒い季節だ』と決めつけて書いてます。











 ──いつも心に、Caribbean Groove!



「……ティエラ」


 空閑は寮の外で待っていた。夜風に当たりながら、一人で立って待っていた。駐輪場、よく、あいつと話す場所。
 今日は、幼馴染──虎石和泉の所属しているチーム、team柊の単独レビュー公演が行われていた。演目は、Caribbean Groove。かの有名なミュージカルを五人で演じられるようにアレンジを加えたものだ。初演は綾薙祭──あの時は、空閑のチームもいろいろとあって、見ている暇などなかった。
 だから、ちゃんと見たのは初めてである。無事に迎えられた千秋楽、数少ない公演の中に詰め込まれた情熱に魅せられた。さすがはスター・オブ・スター、そんなありきたりな言葉が思い浮かんでしまう。スター・オブ・スターの名に恥じぬ努力を惜しまないことを、ちゃんと知っているのに。それほどに圧倒される演技であった。

「はあ……ったく、お前さ〜、こっちにも打ち上げってもんがあんのに……待ってる、ってなんだよ」
「だから、この時間だろ。早く切り上げさせたなら悪かった」
「別に……ちょうどみんな解散だけどよ」
「ならいいだろ」
「余韻ってもんがあんの」
「俺じゃ不満か」
「……愁、今日、観に来てくれたんだよな。サンキューな」

 空閑が、『待ってる』と送信してから三十分。『は?どこで』『駐輪場』『なんで』『待ってる』『返事になってねえんだけど!わかった、おとなしくしてろよ』と、そんなようなやり取りをして、虎石はようやく現れた。これでも急いで来てくれたんだろう、少しだけ息が乱れている。
 虎石は前髪を整えながら、空閑の方に向き直った。空閑は自分のバイクに寄りかかり、ただ黙って虎石を見つめる。

「で、今、オレのことティエラって呼んだよな? なんで?」
「……お前、ここでも女好きか、と思ってな」
「イケメンだから仕方なくねえ?」
「それ、関係あんのか?」
「オレに魅了されちまう子猫ちゃんたちの愛に応えんのが、男ってもんだろ」
「さっぱり理解できねえ」

 つれない空閑の返事に虎石は、やれやれ、と肩を竦めた。やれやれと言いたいのはこっちの方だが、こいつが女好きなこと、そしてこの意味のわからない主張は昔から変わらないので半分諦めている。それ以上何も言わず、空閑は虎石をじいっと見つめた。
 虎石も、何も言わなかった。何見てんだよ、と普段なら言いそうなところだが、今は黙って視線を受け入れていた。舞台でたくさんの視線を集めていたせいだろうか、今日は空閑もその中の一つであった。しかし空閑の視線というのは唯一であるのに、今はその他大勢と同じ括りになってしまっているらしい。
 何も言われないのをいいことに、じいっと見つめた。こいつ、舞台に立っていたんだよな、と考えながら。板の上でも虎石和泉は虎石和泉であった。いや、確かに"ティエラ"という役を演じていて、その演技ができていなかったわけではない。同じく女好きなど共通点はあっても、そこに生きるのは"ティエラ"という別人で、しかし、それでもあの"ティエラ"は紛れもなく"虎石和泉"であった。虎石和泉にしかできない、ティエラ。
 Caribbean Grooveは有名な演目。ティエラを演じた役者は数知れず、それぞれにそれぞれの良さがあるのだろう。顔も違えば声も違う、歌もダンスも、クセも技量もそれぞれ異なり、誰一人として同じティエラは存在しない。あの役に限ったことじゃない、どの役にも同じことが言える。どのような色で演じるか、それはその役者次第だ。
 虎石和泉の色で描かれたティエラは、空閑の心に火を灯した。唯一無二のライバルとして。芸事は勝ち負けではない、しかし負けたくないのだ。それと同時に、讃えたくなった。共に同じ夢を目指し歩んでいる幼馴染として。
 そんな感情が混ざり合ってしまって、気がつけば虎石を待っていた。とりあえず会いたくなったのだ。関係者として会いに行くこともできたが、チームの中にいる虎石ではなく、虎石ただ一人に会いたかった。

「……しゅーう、さすがに見過ぎ。なんか話あるんじゃねえの? それとも、オレに見惚れてる?」
「それはねえ」
「否定早えなっ」
「……お前、よく泣かなかったな」
「なっ…! あったり前だろ、あそこに立ってんのはオレじゃねえんだから……ティエラは泣かねえだろ」
「お前は台本読んで泣いただろ。お前、ああいうの弱いもんな」
「るっせ! 愁、お前何が言いてえんだよ、んなこと言うために人を走らせたのかよ? マジありえねー」
「走って来いとは言ってねえけどな」
「はあ? 愁……喧嘩売るために呼び出したのか? いいぜ、買ってやる」
「違えよ」

 なんだよ、と怒った声が言った。じとっとした視線が向けられる。空閑は虎石から視線を逸らし、空を仰いだ。よく晴れた空、月が綺麗に光を跳ね返している。
 空閑に代わって、今度は虎石が空閑を見つめていた。見られているのがよくわかる。視線は戻さず、ただ見つめられていることにした。
 おそらく、虎石には空閑が何をしたいのかわかっていないだろう。しかし残念ながら、空閑自身にもわかっていない。ただ会いたくなって呼び出して、それだけならばもう目的は達成してしまっているのだが、もう少し何か話したいような気もするし、こうして黙って一緒にいたいような気もする。

「……なあ、愁」
「なんだ」
「もし、team鳳がCaribbean Grooveを演るとしたら……誰が誰を演じると思う?」
「俺たちが、Caribbean Grooveを…?」
「そ」

 ふふん、と虎石は得意げに笑った。意外な切り口だったが、言われてみればそうだ、いつか演じる日が来るかもしれない。話の軸となる五人を、team鳳が演じたら──クリス、アルベール、ジョバンニ、ティエラ、アンリ。 誰が誰を演るのか、考えてみるのも楽しいものだ。

「やっぱクリスは星谷か〜? 那雪ちゃんはアンリだよな。アルベールはサラブレッド……天花寺がジョバンニを演じたら、うちのイヌとは全然違うジョバンニになりそうだよな」
「だろうな」
「愁は……生まれながらの海の男、ティエラ! ──ってとこか」

 ニヤリ、虎石が口角を吊り上げる。他にも選択肢はあるのに、これしかねえだろ、と言いたげな顔だ。ティエラ──虎石の演じていた、役。

「……俺は、女好きじゃねえけどな」
「ばっか、これは役だろ〜? 愁がティエラを演ったら……」
「……『今日ばかりは』」

 虎石は、ティエラをお求めらしい。空閑は虎石の方へ顔を向けた。手を伸ばし、その頬へと手のひらを添える。そのまま一気に近づいて、額と額がぶつかりそうな距離──目の前にある双眸を真っ直ぐに見つめた。

「『人魚の歌声も、情熱的な夜の幕開けを告げるオーバーチュアだ』」

 ニヤッと、虎石がさっきやったみたいに、唇の端を吊り上げて笑って、残りの台詞を吐き出した。そのまま数秒静止して、パッと手を離す。

「こんな感じか」

 元の位置に戻り、虎石を見遣る。虎石はポカーンと間抜けな表情を浮かべていた。口が半開きである。それが可笑しくて、空閑はふっと軽く口元を緩めて笑った。
 愁、と呼ばれた。虎石の手が伸びてくる、手首を掴まれた、虎石が空閑の手を持ち上げる、その手のひらを自分の頬に当てた。

「愁の手、冷たくてきもちい」
「……」
「お前さ、どんくらい外にいたわけ? スゲー冷えてんじゃん。まさか、待ってるっつった時には外にいたのかよ?」
「……まあ、だいたい」
「はあっ? オレが気づかなかったらどうする気だったんだよ……確かに寮には帰ってくるけど、チームでもっと盛り上がってたら帰ってこなかったかもしんねえだろ」
「帰ってくるだろ、柊先輩のチームだからな」
「まあ…そうか」
「それに、気づいただろ。すぐに」
「だーから、それは結果論だろ? もし気づかなかったら、」
「どうもこうもねえよ、お前が来るまでずっと待ってるつもりだった」

 ぐっと、虎石が言葉を飲み込んだ。手は離さずに、そのまま自分の頬に当てている。空閑もされるがままになっておいた。じんわりと手のひらを温める熱が心地好い。

「……楽屋、来ればよかっただろ」
「お前に会いたかった」
「はあ? 楽屋でも会えんじゃん」
「楽屋で会えんのは、team柊の虎石和泉だろ」
「今のオレもそうだけど?」
「……お前は、虎石だ」
「なに、愁ちゃん。オレのチームメイトに妬いてんの? どっちみち、オレは虎石和泉だけどな」
「わかってる」

 ははっと虎石は笑った。虎石の頬と、虎石の手のひら。それに挟まれた手がだんだん暖かくなってくる。しかし虎石は離そうとしなかった。頬をすり寄せ、むしろくっつける。

「……手、いつまでそうしてる気だ」
「……オレを待ってて、冷えちまったんだろ。だからあったまるまで」
「……そうか」
「それと、……オレは、愁のせいであつくなっちまったから、冷やしてんの」
「……」
「走ったから、なっ」

 空閑はなんとも思っていないのに、虎石は勝手に言い訳のようにそう言った。じゃあ、もっと冷やしてやろう。ぴとりと、空いている反対側の頬へ、まだ冷たいままの手のひらをくっつける。虎石の頬は熱く、空閑の体を温めた。

「……さみー」
「お前、もう冷えたのか。相変わらず寒がりだな」
「愁の手が冷たすぎんだよ。……な、二人であったまろうぜ」

 虎石が、空閑の手の上から自分の頬を挟み込んだ。ニイッと目を細め、見せつけるように唇を舐める。
 夜のこの場所に人が通りかかることは、滅多にない。とはいえ、外であることには変わりない。そんな場所でねだってくるこいつは、役が抜け切っていないのだろうか。

「……随分、甘えん坊だな。役が抜け切ってねえのか?」
「ばーか、あいつのどこが甘えん坊なんだよ。ちゃんと抜けてるから……愁に、甘えてんだろ」
「なら、たっぷり甘やかしてやるか。添い寝でいいか?」
「添い寝だけかよ」

 ふはっと笑って、虎石は目を閉じた。そうしたくなるように仕向けているのだとわかっていても、おあずけは苦手な方だ。目の前に餌があったら齧り付く──顔を近づけて、空閑を待つその唇にキスをした。
 触れるだけのキス、ここが外であるという自覚は、お互いにあるから。
 虎石の手が一度離れ、空閑の頭をくしゃりと撫でる。少しばかり寂しそうに笑って、仕方なさそうに、あーあ、と呟いた。

「違う部屋だからなぁ、オレら」
「……ここでするか?」
「はっ? するわけねえだろっ!」
「冗談だ」
「愁……お前のその真顔で冗談ってのは、相当タチ悪いぜ」
「半分な」
「半分本気かよっ、油断も隙もあったもんじゃねえ…」

 虎石が、パッと離れていく。そのまま方向を変え、寮の方へと歩き始めた。顔だけチラリと向けて、そろそろ戻ろうぜ、と言った。その背中を追いかけて、すぐに隣へ並んで歩く。

「そういや愁、結局何の用だったんだよ」
「……わからねえ」
「なんだよそれ、ウケる」

 のんびりと歩きながら、そんな会話をする。虎石は笑い、空閑はいつも通りの無表情ながらも少しだけ頬が緩んでいた。やっぱりこいつは虎石和泉だ、と噛みしめる。

「……さっきの話は、ちょっとした雑談だけどよ。来年はマジで、役の取り合いだよな」
「……二年生育成枠、か」
「そ。オレとお前、たぶん同じ役取りに行くだろ。負けねえからな、オレも、チームも」
「こっちの台詞だ。相手がスター・オブ・スターだろうが、俺たちは負けねえ」

 部屋と部屋の、別れ道。突き出した拳と拳をこつんと合わせて、睨むように見つめ合う。ああ、やっぱり、こいつは虎石和泉だ。空閑の幼馴染でライバルの、虎石和泉だ。
 そうして、部屋に戻ろうとした。体の向きを反転させようとした瞬間、虎石が一歩踏み出して、胸ぐらをぐいっと掴んできた。

「──愁のティエラ、悪くなかったぜ」

 ちゅう、と。触れると言うには乱暴な、ぶつかると言うには柔らかな感触だった。何が起こったのかと一瞬理解できなくて、立ち尽くしてしまう。じゃあな、と手を振り去って行く背中を見つめながら、空閑は唇を指でなぞった。
 やっぱり、こいつは虎石和泉だ。
 舞台の上でも、そこから降りても、虎石和泉は虎石和泉だ。空閑の幼馴染で、ライバルで、──それから、恋人。見慣れない姿を見たせいか、そんなことを確認したくなったのかもしれない。なんとなくではあるが、ようやく自分の行動の意味を理解したような気がした。

「……おやすみ」

 とっくに見えなくなった背中に向かって、そう呟いた。今夜だけでなく、走り抜けた今日からしばらく、ゆっくり休め──そんな、気持ちで。
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