Tales of Bloody-Roger

※戦いを終え、再び旅立つ日の前のこと。
※捏造です。










 しんと、やけに静かな夜だった。共に眠る人々のいびきの一つくらい聞こえてきてもいいものだが、穏やかな寝息の他には何も聞こえてこない。小国は復興へと向かっていた、激しい戦いは終わったのだ。
 外はこんなにも静かだというのに、この体はドクンドクンと騒がしい。ジョバンニは胸に手を当てた。
 ――覚悟なら、とうに決まっている。
 しかしそんなものは虚勢だと、笑うように心臓は跳ねた。けれど、このままではいられない。
 そろりと部屋を出た。トン、トン、トン、と廊下を軋ませる。向かう先は、秘密を抱え慣れた仲間の元。


「………誰ですか?」

 扉を軽くノックすると、中から声が返ってきた。こんな時間に一体誰だと怪訝そうな声だった。無理もない、みんなが寝静まった頃を選んだから。彼は起きているだろうと、経験則から訪れた。
 ここは、アルベールの部屋。一足先に黙って戦っていた彼は、ジョバンニたちよりも傷が深かった。だからこうして一人、傷が癒えるのを待っている。最近はこちらの方へと顔を出しに来るようになってきたから、具合は良いようだ。
 ジョバンニは目を瞑り、ゆっくりと息を吸った。それを全部吐き出してから、不自然にならないように明るい声を作る。

「僕だよ、ジョバンニ。入ってもいいかな?」
「ジョバンニ? ええ、今開けます」
「ごめんね、ありがとう」

 用心深い彼は、敵を討った今もきちんとこの扉に鍵をかけているらしい。しばらくして鍵の開く音が聞こえ、扉の隙間からアルベールが顔を覗かせた。

「こんな時間に、珍しいですね」
「……君に、話しておかなきゃならないことがあるんだ」
「話しておかなくてはならないこと?」
「そう。だから、……どうか、聞いてほしい」
「……わかりました。どうぞ、中へ」

 ああ、とうとう。とうとうその時がやってきた。その時を訪れさせた。覚悟は決めたはずだった、何を怖気付いている、ただ、ただ打ち明けるだけだのに。
 部屋の中へと入り、案内された椅子へと腰掛ける。アルベールはベッドへと腰掛けた。話を聞こうと、そういう姿勢だ。

「具合は大丈夫? 辛かったら横になって」
「いえ、大丈夫ですよ」
「そう? よかった」
「………それで、話というのは」

 アルベールの視線は鋭かった。王子であるクリスたちを守るために失ったという片目、しかし残された目の持つ力は強い。ひと睨みで大騒ぎする船員たちを黙らせるくらいだ。
 今も。彼は睨んでいるつもりはないだろう。睨まれているとも思っていない。だが、真っ直ぐ見据えられるのは、睨みつけられるよりも居心地が悪かった。

 ああ、覚悟を、改めて。
 真実を。
 ずっと秘密を抱えてきた君に、僕の秘密を。


「僕は、雇われてたんだ」
「……雇われて……いた?」
「そう。この国の……王様に。僕たちが討った王様に」

 アルベールの目が見開かれる。ジョバンニは構わず続けた。

「真実を、君に。僕たちがどうしてこの国へ戻ったのか」
「………」
「この国の近くの航路を選んだのは僕だ。雇い主と、同じように雇われた奴の指示で」

 アルベールは黙っていた。続きを促されているようにも、もうやめろと言われているようにも感じられた。どちらにせよ、全てを語ると決めたのだ。続けるしかない。
 けれど、もうアルベールの顔を見ていることはできなくて、ジョバンニは目を伏せた。

「首を差し出せ、と。目の前で殺せ、と。そのために雇い主の近くへ」
「………」
「ずっと、機会を狙っていたんだ。君たちが王族の生き残りだと確信してから。機会を……狙っていたんだと、思っていた」
「………」
「迷った。悩んだ。なにを迷うことがあるんだと、金さえ貰えればなんだってするんじゃないのかと。それでも悩んだんだ。その迷いが、みんなの船を襲わせた」
「………」
「君が船を降りたのは、嬉しい誤算だったよ。計画としては、ね。ずっと待ってた時がきた――はずなのに、僕の心は迷ったまま」
「………」
「でも、振りかざした。剣を! クリスに……僕はクリスに刃を向けた」
「!」


 そこで区切り、ジョバンニは息を吸い込んだ。伏せていた目を上げ、アルベールの方へと向き直る。

 ああ、この目が。
 この目が、怖いのだ。

 声を絞り出す。止めてはならない。


「僕は……、僕は、ずっと一人だった。生まれた日から、ずっと。物心つく前にはたった一人で生きてきた。育ててくれる親も、共に笑い合う兄弟も、支え合う仲間もいなかった」

 祖国を追われ、父と母を弔うこともできずに逃げ出した王子様たち。真実を知らず自由に生きる王子様。それこそが幸せだと微笑む幼かった家臣。
 全てを奪われた、けれど、彼らには家族がいた。辛い時、苦しい時を支える家族が、仲間がいた。

「僕は……、君たちが羨ましかった。家族や仲間のいる君たちが羨ましかった。僕だけが本物の仲間でないことが、息苦しかったんだ。僕なんかを信じて、なんて可哀想なんだとも思った。信頼されて、喜ぶべきなのに、喜べなかった」

 可哀想――誰に向けた言葉だったのか。哀れなのは誰なのか、自分自身ではないのか。一人ぼっちの自分自身ではないのか。

「僕も――君たちの、家族になりたかった」
「………」
「それが僕の心だったんだと、教えてくれたのはアンリ。アンリが止めてくれなかったら、僕はどうしていただろう……今になって考えるんだ。計画通りに事を進めていたかもしれない」
「……………」
「アンリが、こんな僕のことを、大事な家族って言ってくれたんだ。クリスも、ティエラも。僕が本物の仲間になりたがっていた時、君たちはとっくに僕のことを仲間だと思ってくれていた」
「………」
「あの時、僕はクリスのことを王子様と呼んだ。どういうことなのかと真実を知りたがったクリスに、ティエラが君たちの秘密を話した――それからは、あの決戦の日の通り」

 ジョバンニは口を閉じた。ティエラが秘密を語ったのは、決して、君が姿を消したからではないのだと。この告白にはそういう意味もあった。そういう意味の方が強かった。ジョバンニ自身の願望はどうでもよくて、ずっと共に隠してきた秘密を暴露せざるを得ない状況だったのだと伝えたかったのだ。そうさせたのは、他でもない自分だったから。
 ついに、アルベールが口を開いた。


「――その場に、私がいなくてよかった」


 残された片目が、銃口のような視線を向ける。


「アンリから、大事な家族を奪うことになっていたでしょうから」


 心臓を撃たれた――そう錯覚してしまうほどに、アルベールの目は強かった。
 一瞬は止まっていたような気がする心臓が、バクバクと動き出す。今まで対峙した誰よりも恐ろしい男だと感じた。これが、国を、王子を守るための信念というもの。

「私は、クリスを守るためなら躊躇はしませんから」
「……だろうね」

 アルベールは短く息を吐き、目を伏せた。

「………これは、結果論ですが」

 視線を落としたまま、アルベールは続けた。

「あの時、国に近づいたから。私は、この国の惨状を、レジスタンスの存在を、武装蜂起の決行を知ることができた」

 静かな声が語る。

「幼かったあの頃、立ち向かうことができなかったあの頃、背を向けて逃げざるを得なかったあの頃。クリスとアンリを連れて生き延びた今を悔やんだことはありません。けれど、この国を愛する民として。国王陛下、女王陛下、それから父と母を弔うこともできず、国を捨てて、逃げた自分を許したこともなかった」

 声に、当時の怒りが滲む。

「私は一体何者なのか。悩むこともありました。ただの海賊として生きるには、祖国を想う私の気持ちは強かった」

 声が柔らかくなる。

「今、命があるから言えること。そのことには違いありません。けれど、たとえ命尽きようとも、私は最期の瞬間も悔やむことなく戦ったでしょう。国のために剣を振るう、銃を向ける、同志とともに。この戦いで、私は、この国の民になれたのだと思います」

 アルベールが顔を上げた。

「生まれがどこであるかよりも、私にとっては大切なことだった」

 秘密を抱えてきた彼の辛さを、知ることはできないのだと思う。託された命を守ることを第一としながら、守るべき民に背を向けて海賊として生きることの後ろめたさ。
 それでもジョバンニは、やはり羨望の眼差しを向けてしまうのだ。自分のこの身以外に大切なものがある、それが羨ましかった。守るべき家族、愛すべき家族、信頼できる仲間、それから、故郷。ジョバンニが欲しいと望んでも手に入らなかった全てを、彼らは持っていると思っていた。

「そんな状況にでもならなければ、ティエラは何も語らず、黙って私を行かせたでしょうね。どんなにクリスに問い詰められようと、アンリが悲しもうと」
「……」
「やはり、結果的に今があるから、という話ではありますが。そのおかげで、我らレジスタンス軍は討つべき王の軍勢を散らすことができた。平和を取り戻すことができた」

 アルベールの視線が戻ってくる。もう、鋭さはなかった。

「それにしても、君は優秀な密偵だったのでしょうね」
「……え?」
「今、こうして打ち明けられるまで、君を疑ったことは一度もなかった。そういう輩が現れてもおかしくはないと思ってはいたのに、突然仲間になった君のことを信じていた」
「……」
「君が来てから、アンリに笑顔が増えたんです。あんなに海での生活を嫌がって、泣いて、ふて腐れていた彼が、よく笑うようになった。ジョバンニ、君が励ましてくれていたから。私たちには上手くできなかったことです」
「……それは」

 ジョバンニは、笑みを浮かべた。心のままに、自然な笑みを。けれど泣いているようだった。

「君たちが、僕のことを疑わず、受け入れてくれたから。もしも僕を怪しむ人間の方が多ければ、僕はさっさと仕事を済ませていただろう」
「……」
「一人で寂しそうにしているアンリを励ます気持ちに嘘はなかったんだ。僕と違って、アンリには仲間も家族もいるだろう? だから放ってはおけなかった」
「……君がクリスに刃を向けたこと。そのことを私は許しはしません」
「ああ」
「ですが、あえて今、改めて言いましょう」

 アルベールも、笑みを浮かべた。柔らかく、優しい笑みだった。

「君は、ブラッディーロジャーの大事な仲間です。私たちの家族です」


 ――嗚呼。
 ああ、きっと。
 迷いが生まれた頃にはとっくに、この心は仲間になったつもりだったのだろう。

 だから、僕からは、感謝を。



「――ありがとう、アルベール」


 この船の一員なのだと。どんなに心が変わって自分がそう思っても、雇い主に逆らっても、君たちが認めてくれなければそうはなれない。ずっと裏切ってきたのに、みんなが受け入れてくれたから。
 この戦いでこの国の民になれたのだと語った彼の気持ちなら、こんな自分でもわかるような気がした。生まれがどこであるかよりも、きっかけが何であるかよりも、誰に認められるか。
 これから、何食わぬ顔で船に戻ることはできない。けれど、彼らは確かに仲間で家族なのだと、そう思えばこれからの人生は悪くないものだと思えた。どうすべきかは、歩み始めてから考えてもいいだろう。

「おやすみ、アルベール。ゆっくり体を休めて」
「おやすみなさい、ジョバンニ。君も、良い夢を」

 初めて、心の求めるままに。
 空っぽだったこの体を満たしてくれた彼らに報いることができたのかもしれない。
 自分の思うように前に進めばいい。ジョバンニは立ち上がり、歩き出した。明日へと、未来へと。
 おやすみ、僕の大事な、仲間たち。家族たち。君たちの門出を、見届けよう。

 
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