Viaje

「わあ、小っちゃくて可愛い!」


 とある港町──食料を調達するために船を着けた地。海賊たちは自由に町を歩いていた。真面目に買い出しへ行く者、大地の感触を懐かしむ者、酒場へ繰り出し女を口説く者。
 そして──仲間とはぐれ、ぐすぐすと泣く者。

「きみの名前は? 僕はジョバンニ」
「う……っ…、アンリ……」
「アンリって言うんだね。アンリ、どうして泣いているの?」
「……みんなと…、はぐれちゃったから……」
「迷子? それは大変だ! 寂しいね、僕が一緒に探してあげよう」
「えっ、で、でも……うわあ!」
「僕は大きい、だからこうすれば、きっとアンリの家族がアンリを見つけてくれるよ」

 たまにはどうだと誘われて降り立った港町、物珍しい店に目を奪われたのはほんの一瞬だったが、前を向いた時にはもう仲間たちの姿は見えなくなっていた。海賊と言えど、アンリはまだ子ども。不安で仕方なくて、一人うずくまり泣いていたのだ。
 そこへ現れたのは、ジョバンニと名乗る青年。彼はとても明るく優しく、太陽のような満面の笑みで曇ったアンリの顔を照らした。聞かれるがままに答えていると、体がふわっと宙に浮く。狼狽える間も無く肩に乗せられて、顔を見なくても晴れやかな笑顔だとわかる明るい声が言った。

「さあ、アンリの家族を探そう。アンリは一人じゃない、今は僕がついてるし、アンリの家族だってアンリを探しているはずさ」
「こ、怖いよぉ、きみ、大きすぎ!」
「怖い? それじゃあ歌おう。不安な時、悲しい時は笑えばいい、歌えばいい!」
「ええっ」

 あっはっはっ、ジョバンニは高らかに笑った。そしてピョンと跳ねる、アンリは落っこちそうになってしまった。ジョバンニはしっかりと支えてくれているが、怖いものは怖い。アンリは振り落とされないように、ジョバンニの頭に必死でしがみつく。
 それに気がついているのかいないのか、ジョバンニはステップを踏んだ。鮮やかにターン、そしてスキップ。

「踊っちゃおう!」
「うええっ」
「歌っちゃおう!」
「バカなのぉ?! おち、落ちるっ、キャーッ!」


 ──そうして、ジョバンニによるパレードは続いた。頭の上で参加させられるショーは激しくて、怖くて、早く終わってほしくて。でも、うずくまって泣いていた時のような寂しさは、もうなくなっていた。



「──アンリ!!」

 トン、トトトン。ジョバンニが緩やかに止まる。パレードを中断させたのは、聞き焦がれた声だった。

「無事でしたか…!」
「うう…」

 くるん、ジョバンニはダンスの続きのように振り返り、声の方を向いた。声の主は、ジョバンニと同い年くらいの青年と隻眼の青年。彼らはアンリを見上げ、ホッとしたような表情を浮かべている。

「きみたちはアンリの家族? アンリを見つけてくれたの?」
「ああ、そうだ。お前は?」
「僕はジョバンニ! きみたちの名前は?」
「私はアルベール。こちらは」
「ティエラ。こいつの保護者みてえなもんだ。お前はどうしてアンリを?」
「アンリが泣いていたから。放っておけないよ、悲しいよりも楽しい方がいい。アンリ、楽しかった?」
「こ、怖かった……」
「はは、目を回してらぁ。お前はそれでも海の男か? だらしねえ」

 へへっと笑いながら、ジョバンニはアンリを下ろしてやり、ティエラたちへと引き渡した。──海の男、というワードは聞き逃さない。

「アンリたちは、……海賊、なの?」

 ジョバンニの笑顔が僅かに強張ったこと──アンリの視線に合わせて少ししゃがんでいるティエラとアルベールは、気がつけない。

「そうだぜ、オレたちは海賊。今は買い出し中だ。オレは酒場へ行こうとしてたってのにアンリ、お前が迷子になったって泣きつかれたんだよ」
「う……あっちがボクを置いてったのも悪いと思うんだけどっ」
「あーあー、別にはぐれたことを責めたいわけじゃあねえよ。お前はいつも船で留守番、町へ降りることは滅多になかったもんな、仕方ねえさ。子どもらしくお手手繋いで歩いてもらやぁよかったんだ」
「そんなに子どもじゃないもんっ!」
「泣いてたところを保護してもらったくせに」
「ティエラ、それくらいになさい。アンリ、一人にしてしまいすみません。無事に見つかってよかった」
「アルベール…」
「あーっと、ジョバンニっつったか? ありがとうな。お前がアンリを肩車していてくれたおかげですぐにわかったぜ。落ちるんじゃねえかってヒヤヒヤしたけどな」
「ほらね、アンリ。僕の言った通り。よかった、きみにはちゃんと家族が──仲間がいて」

 ニコッと、ジョバンニは晴天のような笑みを浮かべた。一瞬の曇りも感じさせない、眩しい笑顔。ティエラもアルベールもつられて微笑む。アンリも、うん、と小さく頷いて微笑んだ。
 ぽんぽん、とティエラがアンリの頭を撫でた。それからジョバンニの顔を見上げる。

「ジョバンニ、改めて礼を言う。お前がついていてくれたから、アンリも寂しくなかったみたいだ」
「お安い御用さ。楽しいのは、僕の一番得意なこと。みんなで歌って踊れば楽しいでしょう?」
「はは、お前面白い奴だな。うちの船に乗るか?」
「ティエラ」
「冗談だって。じゃあな、ジョバンニ。また縁があれば」
「──いつ、港を発つの?」

 身を翻し、立ち去ろうとする海賊たちを、ジョバンニは引き止めた。三人は歩みを止める。ティエラが顔だけ振り向かせ、短く答えた。

「明日、太陽が昇る頃」
「早いんだね。せっかくの出会い、お見送りさせてくれない?」
「そうか、オレたちは夜明けと共に発つ。待たねえから、早めに来いよ。船はあの岬の方にある」
「ありがとう、きっと行くよ」

 今度こそ歩き出した背中を、ジョバンニは見つめた。小さく、見えなくなるまで。ああ、彼らだ、きっと彼らがそうなのだ、と。

 ジョバンニは雇われていた。ある、噂のために。ここは平和な国、かの凶悪な大国の毒牙にはかかっていない。しかし忍び寄る魔の手、ジョバンニはその指先だ。目的はこの国ではない、この国を訪れる海賊──それが、ジョバンニの探していた者たちであった。
 いつか滅ぼした国の王族が、海賊として生き延びているらしい。そんな噂が真実の色を濃くさせてきた。海へ出ろ──大国の情報網は広く、この国に海賊が訪れるだろうと予測されていた。探し出せ──海賊に気に入られ、共に船に乗ること。討つべき命は海にある、ならば海賊になれ、と。そして、殺せ──それらが、ジョバンニに課された使命。
 殺した国王によく似た少年のいる海賊団がある、その海賊団がこの国を訪れる、と。それも聞かされていた情報だ。なんとしてでも乗り込め、隙を突けるように溶け込め、と。それも課された使命だ。
 ジョバンニがアンリを助けたのは、まったくの偶然であった。子どもが泣いていたから、声をかけた。それが、たまたま海賊だった。またとないチャンスだ、向こうにとっては捨て駒でも、一度は拾ってくれた雇い主。きっと報いることができるだろう。
 キィ、ジョバンニは古ぼけた木のドアを開けた。ここは酒場、知らない顔は入れてもらえない。情報を交換するための、仄暗い酒場だ。

「海賊と会えたよ。声をかけた迷子が、たまたま海賊の子でね。明日、夜明けと共に発つらしい。きっと上手くやれるさ、笑うのは得意だから──」











「アンリ、まだ拗ねているのか?」
「………拗ねてない」
「じゃあ、不貞腐れている」
「おんなじでしょ」
「とにかく、俺にはそう見えるってことさ。アンリ、ここはもう海の上だ。寂しいかもしれないけど……」
「……きっと行くよ、って、言ったのに」

 夜が明けて、赤く染まっていた空がすっかり青くなり、海との境界が曖昧になった頃。アンリたちを乗せた船は港町を発っていた。誰にも、見送られることなく。
 船は飛沫を上げてぐんぐん進んでいく。朝日が波を煌めかせ、轟音とともに跳ねる水たちのステージを作り出している。その明るさとは反対に、アンリの表情は曇っていた。船尾に座り込み、陸の方を睨みつけ、泣きそうな顔。
 出発の予定はこんなに明るくなってからではなかったが、発とうとする船をアンリが引き止めたのだ。もう少しだけ、もう少しだけと。しかし、誰もやって来なかった。
 それからずっとこの調子である。それを心配した兄貴分のクリスが、アンリに穏やかな声をかけた。その隣に腰を下ろし、アンリに倣って陸を見つめる。

「誰を待っていたの?」
「……うるさい人」
「ああ、アンリを助けてくれた人。ティエラが言ってた、少し喧しいけどいい奴だった、って。アルベールもおんなじようなことを」
「見送りさせてって言ったのはあっちなのに………っわ」
「ティエラ」

 二つ並んだ小さな背中を、まとめて抱きしめたのはティエラだった。同じように陸の方を見つめる。船は速く、かの町はもう殆ど見えなくなっていた。

「アンリ。出発を遅らせても来なかったんだ、諦めろ」
「………」
「さ、あっちでアルベールが茶菓子の用意をしてくれている。オレの愛しい恋人たちに教えてもらった菓子だ、きっと気に入るぜ」
「行こう、アンリ。アルベールは紅茶も淹れてくれているんじゃないかな。アルベールの紅茶は美味しい、ティエラ、どんなお菓子?」
「甘〜い菓子さ、オレが愛を囁くくらい」
「なら、ダージリンがいいな。アルベールにお願いしに行こう」

 クリスが立ち上がり、みんなのいる方へと歩くティエラについて行く。アンリにもわかっていた、彼らの優しさが。慰めようと、励まそうとしてくれている。それでもアンリは、立ち上がれなかった。
 ──こういう時は、どうすればいいんだっけ。
 彼に、教えてもらったこと。悲しい時、寂しい時はどうすればいい? 笑えばいい、歌えばいい。

「……そんなの、できるわけないじゃん…!」


「なにが?」
「っ?!」


 ──パレードを再開させたのは、待ち侘びた声だった。


「アンリ、すごく寂しそう。また一緒に笑おう、歌おう? さあ、僕の手を取って」
「な、なっ、なななっ」
「みんながいるんでしょう? 一人になんてならないで、パーティーを始めよう」
「──なんでっ、きみが、ここにいるのぉ?!」

 突然大声を上げたアンリを、きょとんとした顔で見つめる青年──ジョバンニ。昨日、別れたきりのはずの、彼。
 アンリの声に何事かと走って戻ってくるクリス、そしてティエラが声を上げる。

「ジョバンニ?!」
「やあ、ティエラ! お見送りに来たよ」
「見送りって……ここはもう海の上だぞ?! どうやって乗り込んだんだ?!」
「あれっ? わぁ、本当だ。ティエラ、夜明けと共にって言ってたでしょう? 僕、寝坊しちゃったら大変だって思ってね。夜のうちに船の近くまで来てたんだ」

 ジョバンニがステップを踏む。静かで、滑らかなダンス。ティエラとアンリは驚きを隠せずに口を開け、クリスも目をぱちくりさせている。

「そして、お見送りのダンスの練習をしていたんだ。夜だから、こうやって、静かに。それで疲れちゃって──さっきまで、そこでぐっすり」
「そんなことが…ありえるのか…?」
「きみが、昨日アンリを助けてくれた人?」
「僕は、アンリを乗せて踊っていただけさ。きみは?」
「俺はクリス。きみの名前を、改めて教えてほしい」
「僕はジョバンニ!」
「ジョバンニ、昨日はありがとう。きみは面白いね、船に乗り込んじゃうなんて! それに、ティエラとアルベールの言っていた通りだ。とても賑やか」

 クリスは微笑んだ。ジョバンニも微笑む。ティエラは呆れたように、それからつられて微笑んだ。アンリはまだ開いた口が塞がらないらしい。
 ティエラがアンリに歩み寄った。悪戯っぽくニッと笑って、ぽんと帽子を押さえつける。

「お前が見送りが来ねえから、こいつはまためそめそ泣いてたんだぜ、ジョバンニ」
「ちょっとティエラ、言わないでよ! 泣いてないし!」
「そうなの? ごめんねアンリ、約束を守れなくて」
「べ……別に、いいけど…」
「これから僕はどうしよう、陸からは随分と離れてしまったみたいだし…」

 ジョバンニは困ったように眉を寄せた。顎に手を当てて、うーんと考え込む動作をしている。
 それを見て、アンリは立ち上がった、ティエラの手を跳ね除けて。そしてツーンとそっぽを向いて、むくれ面。

「……ついてくればいいんじゃない」
「アンリっ?」
「どーせしばらく陸には上がらないんでしょっ。それともこの人海に放り出すの?」
「そういうわけにもいかねえが……」
「はははっ! いいじゃないか、ティエラ。彼にはアンリを助けてもらった恩がある」
「まあ…、そうだな。海賊船にうっかり乗り込んじまうような奴だ、度胸もある。ジョバンニ、お前の家族は?」
「僕? 僕は一人さ」

 ジョバンニは笑顔だった。それは今までアンリたちに見せていた晴れやかなものではなく、少し曇った影のある笑顔。
 ティエラとクリスは顔を見合わせた。それからアンリの方を向き、三人で頷いた。

「──決まりだ、歓迎のパーティーにしよう。アルベール!」

 クリスが高らかに声を上げる、ティエラが手を叩いてそれに続く。そしてアンリが、ジョバンニに手を差し伸べた。

「行こう、ボクがきみの、家族になってあげる」

 ジョバンニは目を見開いて、それから少し照れたようにニコッと笑った。これは、心からの笑顔だった。
 ジョバンニは手を取る、アンリの小さな手を。

「うん!」

 アンリが笑う、はにかみながら。その様子を見ていたティエラが声を張り上げた。

「おい、野郎ども! 新しい仲間を紹介するぜ、ジョバンニだ!」
「おや、きみは昨日の…!」
「やあ、アルベール。やあ、みんな。僕はジョバンニ! よろしくね」

 ──願わくば、奪わなければならない命が、ここにはありませんように。
 笑顔を仮面に貼り替えて、密偵は祈った。その願いが、叶わぬものと知りながら。

「歓迎するよ、ジョバンニ」

 両手を広げ、迎え入れてくれるこの少年がきっと──

「ありがとう、クリス」

 ──クリス、王の風格を備えた少年。彼がそうなのだと思ったのは、ジョバンニの直感であった。まだ、確信ではない。証拠は何一つないのだ。それを探すための、潜入。
 ジョバンニは静かに宴の輪から離れた。どうせ裏切る仲間、仮に彼らがそうでなかったとしても、任務を遂行すれば海にいる必要はなくなるのだ。ジョバンニは、本当の仲間ではない。
 ジョバンニの歓迎パーティーは盛り上がっていた、主役が姿を消しているのにも気がつかずに。そういう頃合いを見計らったのだ。海を見つめるジョバンニの表情は暗く、その視線は鋭かった。
 それも、ほんの一瞬。ジョバンニはすぐにニッコリと笑った。これは仮面だ、明るく能天気な賑やかし。密偵であると悟られてはいけない。

「こんなところで、なにしてるの?」
「──アンリ。海を見てたんだ、僕は航海をしたことがないから。少しだけ、町が恋しくて」
「船酔いは大丈夫?」
「平気、僕の体は頑丈なんだ。みんなのところへ戻ろうか」

 幼い子どもの手を取って、彼を仲間の輪へと返してやった。アンリの居場所はこの中だ、ジョバンニの傍じゃない。
 任務を全うし別れるその日まで。短くなるか長くなるかはわからない、けれど、どうかその日まで。楽しそうに笑い合うクルーたちを、ジョバンニは眺めた。少しだけ、羨ましそうに──……
 
 
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