また、来年。ずっとよろしく。
「聖ぃ、住所教えろ」
ぽつり。チームリーダーである北原が、急にそんなことを尋ねてきた。
んー? 問われた相手、南條は首を少し傾けた。何故聞かれたのかがわからなかったから。
二人はただ一緒に歩いて稽古場へと向かっていただけであり、特にそうした情報が必要となる話はしていなかった。例えば提出書類に記入しなければならないとして、北原の手には紙もなければ筆記用具もない。少なくとも住所を聞かれるタイミングではないことだけは確かである。
「住所? それは、実家の?」
「当然、寮の住所聞いたって仕方ねーだろーが」
「まあそうだよな。ちなみに俺的には、なんの前置きもなく急に個人情報差し出せって言われても、普通は教える気になれないって思うけど?」
「んじゃテメーはずっと寮に残んのかよ。聖も年末年始くらいは実家だろ?」
「……年末年始? 随分と先の話だね。まあその予定だけど。……ああ、それで住所ってことは……まさか俺に年賀状でも送ってくれる気?」
「おう。なんか不都合でもあんのか?」
「いや別に喪中とかではないけど。今時年賀状? って思ってさ。俺的には、メッセージのやり取りだけで十分って思うけど」
──年賀状。確かに一年の終わりが近づいてきて、用意の意識をし始める頃である。このくらいの時期に始めるのは少々せっかちな気もするが。
今や一人一台携帯電話やスマートフォン、パソコン端末を所持する時代。親は年賀ハガキを買って仕事関係の人間に送るということをしているが、小学生くらいまで遡ればまだしも友だちへの新年の挨拶なんていうものはみなメッセージだけで済ましてきた。それも基本的には返事だけ、だいたいは冬休みが明けて新学期に『あけましておめでとう』でおしまいだ。
だから、珍しいことを言うものだ、と思ってその通りを述べたわけだが。
北原は、はあ、とわざとらしくため息をついてみせた。肩を竦めてやれやれとオーバーリアクション。もちろんカメラは回っていない。
「わかってねーな、聖。この時代だからこその年賀状だろーが。漣先輩も言ってたぜ? 『どの世界においても人付き合いというものは大切だ』……あー…っと、なんつってたかな…まあとりあえず、メール送んのは楽だけど手紙とかそういう昔からあるもんも大切にしろ、みてーな感じだ」
「大事なところが省かれてるような…親しき仲にも礼儀あり、チームメイトのような近い存在にこそ敬意を払うべし──とか、そういうこと言ってたね、先週。それで年賀状、か……廉は影響されやすいなあ」
「いいだろーが。確かにって納得したから提案してんだ」
「ま、いいけどね。俺的にも漣先輩の言ってることはもっともだって思うし。あとで教えるよ」
──この学園生活に限ったことではない、どの世界においても人付き合いというものは大切だ。適切な距離を保って良好な関係を築くことにより生まれる機会もある。しかし親しくなってからのことも疎かにしてはならない。親しき仲にも礼儀あり、チームメイトのような近い存在にこそ敬意を払うべし。手書きの文字というのは書いた本人にしか乗せられない気持ちがこもる。近頃はメールやなんかだけで済ませがちだが、それらと違って手紙は実物として残るもの。学校などの場所で頻繁に会える人物には送る機会が少ないものだが、そういった相手にこそ改めて日頃の感謝の気持ち伝えるべきである──チームの指導者である漣は先週、そんなようなことを言っていた。
実力への自信故に驕ったような態度を取りがちな北原を転がしついでの説教だったと思うが、その発端の方は忘れていそうだ。
その話の中で年賀状というワードが出てきたわけではないが、ちょうど年賀ハガキの販売も始まっていることだ。初めてそういうやり取りをするにはハードルが低くて手頃だと思っての提案だろう。言われてすぐに実行しようと持ちかけるあたり、素直でよろしいというか可愛いというか。
稽古場に着いてから北原は他のチームメイトたちにも同じように住所を尋ね、やいのやいのと教え合っているのを南條は眺めていた。もちろん巻き込まれて、南條も実家の住所と引き換えに北原の実家の住所を手に入れたのだった。
「ちゃんと元旦に着くように用意しろよ。遅れたら有罪だ」
そんな文言付きで。
**
──というのが、最後のテストステージである綾薙祭を終え正式にミュージカル学科への入科が決まってしばらくしてからのことだ。
今は十二月、年賀状の話など全く出てこないないが、北原は覚えているのだろうか。そこまでアホな奴ではないと知ってはいるものの、北原も普段年賀状のやり取りなんてしているタイプではないだろう。例年通りのつもりでうっかり、ということはありえそうだ。いや、子どもっぽいところもある奴だから、案外毎年やっているかもしれないが。
南條はというと。文字だけ書き込めばいいかと、持ちかけられたその週には干支がプリントされた年賀ハガキセットを購入していた。浮かれているのか、と問われると、そういうわけではない、──と答えたいところだが、そわそわしている心は否定できない。年賀状送るから住所教えろと言われたのも、元日に届くようこんな風に準備したのも、いつぶりの話か。面倒に思えないのは初めてかもしれない。
トントン、机に広げた年賀ハガキを指で叩いた。何て書こうかな、と頭を悩ませながら。これは残るものだから、あまり変なことは書けない。元から書く気もないが。
とりあえず、宛名から。まとめておいたリストを見ながら、チームメイトたちの住所をさらさらと書き込んでいく。
まずは漣先輩かな。『昨年はお世話になりました。卒業まで僅かとなりましたが、本年も宜しくお願い申し上げます。』と。
次はチームの連中かな。『次は二年生育成枠だね。その前に卒業セレモニーだけど。今年もよろしく。』『背、伸びるといいね(笑)今年もよろしく。』『去年はお世話様。今年もよろしく。』と。
それから──『廉と同じチームになれてよかっ』
コトン。南條は、そこでペンを置いた。それからその年賀状を手に取りビリビリと破く。さらにハサミで細かく、仮にも芸能人である北原の個人情報がわからないように。それをまとめてゴミ箱へと落とす。
──廉と同じチームになれてよかった、って思うよ。
本心だ、改めて伝えてはいない、本心。けれど、ここに書くのは何か違うな、と思った。照れ臭いとか、そういうわけではない。残るから嫌だ、というわけでもない。
手書きの文字には書いた本人にしか乗せられない気持ちがこもる。その通りかもしれない。しかしこの言葉は、文字にした途端に嘘臭くなってしまうような気がした。同じチームになれてよかった、そう表現する他ないのになんて陳腐な言い回しなのだろうか。
新しいハガキを取り出して、ありきたりな挨拶と干支が印刷されただけの面と睨めっこする。北原に、チームリーダーに、相棒として一番隣にいた彼に。なんて書こう、どうしよう。こんなに頭を悩ませることになるとは想定外だ。すんなり出てきた言葉を破り捨てたこと、少しだけ後悔した。
先に書いた人たちが、どうでもいいはずがない。南條たちを選び教え導いてくれた恩師、そして共に選ばれ共に指導を受け共に歩んできた仲間。他人と一定の距離を保つ南條にとっても、彼らは他より特別な存在である。その顔を思い浮かべればすぐにするすると言葉が出てきたのだが。
北原もまた、共に選ばれた仲間の一人。違う点はチームリーダーであること、推薦したのは南條である。四月だから八ヶ月前、随分と前のような気もすればほんの一瞬のような気もする。ああ、あの時。それからあの時、この時、あれやった時、そういえば先月、ああ先週も、昨日だって。
同じように、北原の顔を思い浮かべた。しかし出てくるのはそんなような思い出ばかり。いいキャラしてるなあ、とは会話した時から思っていたが、ここまで飽きない奴だとは嬉しい誤算だ。来年も何してくれるのかな、確定しているクラス分けに頬を緩ませるなんて。
──廉と同じチームになれてよかった。
チーム戦じゃなかったら、個人戦だったら。北原と出会ってもこうはならなかったかもしれない。いや、ならなかった、なっていなかった。お互いにお互いのことを中等部の頃から知ってはいたのだ、名前と顔と簡単なプロフィールくらいのものだが。会話はしなかった、する気もなかった。それが同じチーム、チーム戦だったから。
漣先輩には特に感謝しなくちゃな、って。
思った。選んだのは漣だから。ミュージカルに特別な思い入れはないと言った北原と南條をミュージカル学科候補生のスター枠に選ぶなんて、漣なりの思惑があったのだろうとは思えどふと疑問に感じることもある。それを疑問に思ったところで、自分たちがスター枠でありミュージカル学科への正式な入科を決めた生徒であるということは事実として変わらない。だから、感謝だけ。
ああ、なんて書こう。スペースは空いたまま、可愛らしい干支のイラストがじっとこちらを見つめている。トントントン、南條はまた指でハガキを叩いた。
言葉が全く出てこない、というのは少し語弊がある。しかし年賀状をラブレターにしたいわけではないのだ。とすると、今浮かんでくる言葉はどれもみな書けないということになる。だから困っているのだが。当たり障りのない言葉、それも味気ない。けれどそうするしかなさそうだ。
さらさら。南條らしい少し捻くれた言葉と、ありきたりな挨拶を添えて。南條はようやく北原宛の年賀状を書き終えた。随分と時間をかけてしまったものだと軽く息をつく。
──これでもし、廉が忘れてたらどうしようかな。
どうしようもないんだけど。と、頭の中で続ける。もし他の奴らが忘れていたら、南條だけが浮かれていたようになってしまう。書いた以上は投函するが。漣からは確実に届くとしても、チームメイトは怪しいものだ。それとなく、そういえば年賀状の引受始まったよね、と用意をほのめかしておこうか。
南條は立ち上がった。出し忘れるということはなくても同室の奴の目に触れるのは嫌だから、さっさと出してしまうために。開始予定時刻まではあと三十分くらい、ミーティングは第二寮でやることになっている。今から行けばそれまでには余裕で戻ってこられるだろう。
書き終えた年賀状を手に取り、誤字脱字がないか軽くチェックする。ばっちり、問題なし。端を揃えたら出発だ。
帰りに第一寮へ廉を迎えに行こうかな、と考えながら南條は部屋を後にした。
*
「……聖?」
「あれ、廉。随分と早いお出ましだね。ミーティングの時間はまだだけど?」
「つっても、あと三十分くらいだろーが。テメーこそどこ行くんだよ」
「どこって…言うほどでもないけど。すぐ戻るよ」
「そーかよ」
第二寮の外に出ると。ちょうどこちらに到着したらしい北原の姿があった。南條が気がつくよりも先に北原が声をかけてきたから、少しだけ驚いた。さっきからずっと北原のことばかり考えていたせいで幻聴かと疑いそうになったくらいである。
なんとなく、年賀状をサッと後ろ手に隠す。会話で気を逸らすことも忘れずに。目敏く見つけられたら届く前に読まれてしまいかねない。読まれて支障のある内容ではないが、持っているのは北原宛の年賀状だけではないのだ。北原は気がついていないようだ。
「……って廉、ついてくるの?」
この場はこれくらいにしてまた後で。南條はそのつもりであった。しかし北原は体の向きを変え、一歩踏み出した南條の後をついてきた。北原はこちらの問いかけに、ハ? とお決まりの声を上げる。
振り返って見ると、北原は腕を腰にあててふふんと得意顔をしていた。今このタイミングで何故そのリアクションなのかはわからないが、可愛いからいいかと特にコメントはしない。
「俺はテメーんとこに行こうとしてたんだ、聖。テメーのいねえ部屋に行っても意味ねーだろーが」
「ああ、鍵かけてきたしね。確かに意味ないけど……俺の部屋? じゃあラッキーだったんだ。アポなしで来て、俺が出かけた後だったらどうする気だったの?」
「ハ? 有罪」
「ええー? 俺にも俺の都合があるんだけど。来る前に連絡してくれたらいいのに」
ニコニコ。南條の表情に効果音をつけるとしたらおそらくそれだ。そして、甘ったるい。南條の声色に味があったらおそらくそれだ。
言葉選びは相変わらずの捻くれ方だが、北原が相手だとそうなってしまうのだ。南條本人、自覚がないくらい無意識的に。 他とは違う好意を抱いた相手が目の前にいるという状況は、ポーカーフェイスも簡単に崩してしまうらしい。北原がミーティングのためだけでなく自分を目的にこちらへ来てくれたという事実も手伝って、普段の笑顔が三割増しでにこやかだ。
「それで、わざわざ来たくらいだし俺に用があったんだろ? ここで済むなら聞くけど」
違え。
北原の答えはこうだった。何に対する否定なのか、ここで済む用ではないという意味なのか、そもそも用はないという意味なのか。南條は首をひねった。
ピッ、北原が人差し指を向けてきた。ちょっと拗ねたようなシワが眉間にできる。
「ミーティングの前はだいたい遊びに来んだろーが。待ってても来ねーから俺の方から来てやった」
「え」
ニヤリ、北原の口角が吊り上がる。差し出された人差し指が、そのまま南條のおでこをツンと突いた。
「わ」
「聖と一緒の方が退屈しねーからな。待ちくたびれさせるなんて有罪。だからついてくに決まってんだろーが、テメーが目的だからな」
──テメーが目的だからな。
南條は目をぱちくりさせた。なんか、すごいこと言われた気がするから。
だって、ミーティングは第二寮。南條の部屋も第二寮、北原の部屋は第一寮。確かに行くことが多いとは言え、それで疑いなく南條が来るのを待っていたなんて。さらには痺れを切らして自分から来て、用があったのではなく南條自身が目的だと言い放つ。
──ああやっぱり、俺はヤバい奴に惚れちゃった。
「? 何ニヤニヤしてんだよ」
「んー? あはは」
笑って、誤魔化して。なんだか顔が熱いような気がしてきた。パタパタと手に持っていたもので頬を扇ぐ。そう、手に持っていたもので、南條らしくもなく。
お、と北原が声を上げた。そこで南條は、自分が何を手にしていたのかを思い出す。
「んだよ聖、年賀状出しに行こうとしてたのか? ちゃんと準備して偉いじゃねーか。無罪だな」
「あー……まあね。ほら、みんな忘れててお前のとこに一通も来なかったら可哀想だろ? 真心込めて書いてやったから届くの楽しみにしてな」
「忘れてたら有罪だろーが。二十五日までだからなって今日言うつもりだったんだよ」
「そうなんだ。へえ、あんまり話に出さないもんだからさ、お前の方こそ忘れてるのかと思ってたよ」
「ハ? 俺はボケ老人かよ。自分で言ったことだぜ? 忘れるわけねーだろーが。年賀状も、やるからには完璧に。もう出したぜ。元旦、楽しみにしとけ」
ゴトン。そんな会話をしながら辿り着いたポストに、年賀状を投函する。あ、と小さな声が聞こえた。他の奴宛の年賀状を盗み見る気満々だったようだ。生憎、南條はたとえ北原相手でもそんな隙は与えないタイプである。
クスリと笑って。
「残念でした。まあ、見せろって言われても見せないけど」
「仕方ねーな、年明けてから直接あいつらに見せろって言う」
「それ、有り? ま、いいけど。別に恥ずかしいことは書いてないし、向こうがいいならね」
「俺宛のが一番見たかったけどな」
「廉〜、俺的にはそれ、元日の楽しみが減るだけって思うけど? どうせお前のところに届くんだから、それを指折り数えて待ってな」
「もういくつ寝るとお正月〜ってか」
アッハッハッ! 二人で声を揃えて笑い出す。ああこれ、これが楽しい。
戻ろうぜ、戻ろうか。どちらからでもなく言い出して、元来た道を戻って行く。風強いな、寒いねえ、まあ冬だからな、マフラーしてきてもよかったかも、すぐ着くだろーが、まあね、つーか今日そんなに寒くなくねーか、ああー子どもは風の子って言うからなあ、だったらテメーも寒くねーはずだろーが、うーん?
一緒にいた方が退屈しない、その通りだと思った。やっぱり伝えたいな、隣で揺れる頭を見ながらタイミングを伺って、気がついたら部屋の前。今回は見送りだ。
同じチームになれてよかった──まあまたいつか、伝えよう。
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