第1幕 寝た子を起こすな!?

※入夏は非童貞解釈で書いています。匂わせあり。
※ただのセクハラ!












「チ〜アキちゃんっ! ………っと、あれ?」


 トントン、と律儀にノックすることなくドアノブを回すと、いつも通り抵抗なく開いた。
 そのドアの先は自分の執務室ではなく、同じ華桜会メンバーである千秋の執務室である。ここへ来るようになったきっかけは四季と冬沢のことだったが、今は単純に居心地がいいからという理由の方が大きい。文句を言いながらもいつも相手をしてくれるので、仕事の手が空いたときにはキャンプに誘いがてら雑談をしに訪れるのだ。
 また来たのかよ、入夏。と、いつもだったらそんな風に呆れ半分諦め半分の表情が出迎えてくれるのだが、今日は違った。


「……スゥ……スー………」
「……チアキちゃん、寝てる? ちょ〜っと意外じゃんね」


 出迎えてくれたのは、無防備な寝顔。千秋はソファにくったりと寄りかかり、座ったまま眠っていた。だらりと垂れた手の先には読みかけの本がある。どうやら読んでいる途中で寝落ちてしまったらしい。
 疲れてるなら帰っちゃえばよかったのに。と、思ったが、千秋は実家暮らし。小さな弟や妹も多いと聞くから、家よりも執務室の方が休めるのかもしれない。
 それなら起こしてしまうのも悪いか、と今日は大人しく帰ろうかと思ったところ。


「あ……こら………」


 千秋が眉根を寄せて、叱るような声を上げる。しばらく見ていると表情が和らぎ、また規則正しい寝息が聞こえるだけに戻った。ん、と少し満足そうな笑みをたたえて。

 あ、これ、見てるのちょっと面白いかもしんない。

 寮生活を離れた今、四季ならともかく同級生の寝顔なんてなかなか見かける機会はない。ましてや警戒心やや強めの千秋の寝顔なんて、初めて立ち会う貴重なシーンだ。睡眠妨害をする気はないから、少しくらい眺めていてもバチは当たらないだろう。
 抜き足、差し足、忍び足。音を立てないように千秋の正面へと移動し、じっと見下ろす。
 こんな風に、じっくりと顔を見つめるのは初めてかもしれない。起きている時に観察など始めようものなら、おそらく一言目には、なんだよ。二言目には、じろじろ見んな。最終的には、しつこいぜ! と追い払われるだろう。しかめっ面しか見られそうにない。
 穏やかな寝顔だ。良い夢なのだろう、凛々しい眉毛が少しだけ垂れて、頬もちょっぴり緩んでいる。長く伸びた前髪が顔にかかっているが、透き通るような髪質のおかげで表情はよく見えた。スッと通った鼻筋や、閉じられた瞼を縁取る、存外長い睫毛だとか、そういった造形も。
 観察していたことがバレたら千秋に怒られそうだ。ノーセンス、いつから見てたんだよ! とか。悪趣味だな、とか。勝手に人の執務室に居座んな、とか。ごもっともである。起きる前に退散しておいた方がいいだろうか、でも、もう少しくらい。


「……んん………」
「んぉっと」


 ずるり、と千秋の体が半分ずり落ちた。肘掛けの方から落ちそうになった体を咄嗟に支えて背もたれの方へと戻してやる。
 さっきよりもやや仰反るような姿勢、広めに開いた襟元から覗くは引き締まった胸筋。
 むくむくと、悪戯心が湧いてきた。


「ん、っ……」
「チアキちゃん、やっぱ良い体してるじゃんね〜」


 つん、と人差し指で。谷間のようにも見える胸元をつついてみた。程よい弾力に押し返される。悪くない感触だ。起こしてしまいかねないので、パッと手を離す。
 しかし千秋は眉を潜めただけで、起きる気配はなかった。ほっと息を吐き出し、もう一度向き直る。

 じゃあ、もうちょっとだけ。

 つんつん、とまた人差し指で。起きてしまうかもしれないというスリルも含めてなかなか悪くない。千秋はよく眠っていた。もう少し大胆にしてもよさそうだ。
 両手のひらをそっと千秋の胸に重ね、起きないのを確認してから優しく押してみる。
 服越しでもわかる、いい肉付きだ。これは間違いなくアウトドア向きの肉体、入夏の見立ては間違っていなかった。またパッと手を離す。


「んん……、……スー……」
「……チアキちゃん、全ッ然起きないじゃんね。オレ、逆に心配になってきちゃったよ……」


 小さく呟くこの声も聞こえていないらしい。触ると眉は潜めるものの、手を離せばこの通り。寝顔は穏やかそのものだ。

 じゃあ、もっと。

 好奇心がエスカレートする。どのくらいまで起きないのだろう、という。
 入夏は両手を広げ、そろりと近づいた。いざ、チャレンジ。


「……おお〜っ……!」


 わしわし。制服の上から、とうとう胸を揉んでみた。かなりの弾力、これはおっぱいと呼んでも差し支えないレベルではないかと思ってつい声を上げてしまった。慌てて手を離す。


「ん……? うーん………スゥ」
「せ、セーフ?」


 まだ、大丈夫らしい。ここらでやめておいた方がいいだろうとは思うのだが、今の感触をもう一度堪能したいという欲が顔を出す。できれば、素肌で。
 入夏は、無防備に眠りこける千秋を見下ろした。胸元はだいぶ広く開いている。あと一つくらいボタンを外してやれば、手を差し込めるかもしれない。

 そんなことをしたらさすがに起きる、いやいや一回くらいなら、いやいや、いや、いや。

 葛藤したのは、ほんの一瞬。
 ぷつりとワイシャツのボタンを外し、そーっと手のひらを差し入れる。ぴっとりと這わせ、ふにっと揉んでみる。


「……!!」


 おっぱいだ。
 これは、おっぱいである。

 いや、もちろん胸筋だから柔らかさよりもハリと弾力だが、硬いか柔らかいかだったら間違いなく柔らかい。
 恋しかった、あの感触だ。一応、自慢ではないが、これでもモテる方である。中学時代なんかは結構いろいろあった。この性格だから後腐れなく、一対一よりはハーレム状態を楽しんでいた。
 しかし今、共学ならば気軽にスクールラブのチャンスもあったが、綾薙は男子校。芸事に専念したい気持ちも強かったから、わざわざ出会いを求めて積極的に動くこともしなかった。特に華桜会のメンバーに選ばれてからは忙しく、ずっとフリーである。

 つまり、ご無沙汰というわけで。

 相手は千秋であるとか、男の胸であるとか、そういうのは一旦置いておこう。
 なかなかすぐに揉める代物ではない。もっと触りたいという気になってしまうのは、男子高校生として健全な欲求ではないだろうか。と、もっともらしい理由を並べて。
 ぷつり、ベストのボタンを外す。ワイシャツのボタンももう一つ。ソファに膝を乗せ、千秋に覆いかぶさるような体勢になって。
 そっと広げた制服の隙間から、両手を差し込む。ぴったりと胸に沿わせて。揉みしだく、ぐにぐにと、ひと思いに。


「………」
「んっ、ぅ……」
「………」
「ん……っ、んんー……」
「………」


 ゴトリ、千秋の手から本が滑り落ちた。


「…………あ」


 視線を感じて、胸ばかり見ていた顔を上げる。
 千秋と、目が合ってしまった。入夏の両手は、まだ千秋の胸の上に置かれている。
 おぉっと、とおどけて離れてみせた。これは当然怒号が飛んでくる。まずはノーセンス、それから何してんだ、とか、人の体で遊んでんじゃねえ、とか。
 しかし予想に反して、わなわなと震える唇から出てきたのは蚊の鳴くような声だった。


「なに、なっ……なに、して……おまえっ……入夏、いま、オレの……いやっ……はぁっ?」


 みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。


「ひっ、人の……寝込み襲うとか、サイッテーだろ、おまえ……!」


 はだけた胸元を押さえつけ、ソファの角で怯えるように縮こまり、今にも泣き出しそうな顔でそう言った。
 まるで生娘のような反応に戸惑いを隠せない。
 えっと、と呟いた声に肩がビクッと跳ね上がった。


「ご、ごめんね?」
「………」
「おわっ」


 ドン、と蹴飛ばされる。思い切り蹴飛ばせばいいものを、妙に遠慮した力加減で。それでも体勢を崩され、床に尻もちをつく。
 その頬を染め上げているのは怒りか、羞恥か、どちらもか。両手で胸を隠すようにしている千秋に見下ろされる。


「えーっと……チアキちゃん?」
「ノーセンス! 出てけ!」


 怒号とともにシッシッと追い払われて、バタンと部屋から締め出されてしまった。無情にも、鍵までかけられて完全に。ドンドンとノックして、チアキちゃ〜んごめんってば、と言ってももちろん無駄だった。
 うーん、と首を捻る。


「………よしっ、とりあえず明日謝るしかないじゃんね!」


 今日のところは帰るしかない。おそらく何度ノックしても開けてもらえることはないだろう。ならば明日、締め出される前に入ればいい。
 切り替えも大事だ、と。幸い今日やるべき仕事は終わっているから、春日野あたりに声をかけて帰るとしよう。
 感触の記憶を思い起こすように、自分の両手のひらを見つめる。もう一度、触らせてくれたりなんかしないだろうか。あの様子では無理そうだが。
 ぐんと伸びをして、歩き出す。ドアを閉められる直前、目に涙を溜めて耳まで真っ赤にしていたあの表情──チアキちゃん、ちょっと可愛かったな。と、思いながら。

 
1/2ページ
スキ