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4. 堕ちてゆく眼
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ところ変わって、城内の廊下。
(ん~、もう
ミシャは音と匂いを頼りに、自分の部屋に向かって歩いていた。
視界は暗く、目を開いても瞑っても何も変わらない。
(今、階段を登って、右に曲がったとこだから…)
「よぉ! ミシャ! …ん? 何だ何だ? 泥だらけじゃねぇか! はははっ」
廊下の向こうから、知り合いの衛兵がやって来た。
たまにお菓子をくれる、仲のいい衛兵だ。
「にゃははっ、いろいろあったんにゃよ」
「宮廷楽師なんだから、ピシっと上品にしてねぇと。あんまりオテンバすんなよ? じゃあな」
「またにゃ~」
ミシャは、目を閉じたまま笑顔を浮かべ、目が見えていないことがバレないよう誤魔化した。
衛兵が立ち去ると、くるりと向き直る。
……が。
「あれ…?」
方向が、分からなくなっていた。
(しまった…)
ミシャは基本的に、耳と鼻だけで城の中を歩ける。
が、要所要所、廊下が十字に交差している場所などでは、方向を見失いやすいのだ。
今、衛兵に話しかけられたことで、自分がどの方向から来たのか分からなくなってしまった。
(まずい……音も匂いも混ざって、どっちがどっちにゃんだか…)
ミシャは、手探りで近くの壁に寄りかかる。
(誰かに道を聞かにゃーと……今一番近くに居るんは…)
「あれ、ミシャ?」
「!」
一番近くに聞こえた足音。
その主は…
「オビ…」
…だった。
スンと動いた鼻が、最近覚えたばかりのその匂いを感じ取る。
オビはため息混じりにミシャに歩み寄った。
「いつもの時間になっても部屋から出てこないし、呼んでも返事ないし、どこ行ったかと思えば…。……ん?」
オビは、ミシャの様子がおかしいことに気づいた。
自分を見上げてくる緑色の瞳と、視線が合わないのだ。
「まさか、目が…」
ミシャはぎこちなく笑う。
「にゃははっ……薬、切れちゃって…」
オビの瞳が、真剣な色を宿した。
「部屋にあるんでしょ?」
「え? あぁ、うん。悪いんにゃけど、部屋の方向だけ教えてもらえにゃ―――
ふわりと、体が浮き上がる感覚がした。
「オ、ビ……?」
ミシャは、見えない目を大きく見開く。
…匂いが近い。
どうやら、オビに抱き上げられたようだ。
「にゃに、を…」
「部屋まで連れてく」
「んにゃ、いいよ! 方向だけ教えてくれればあとは自分で「ダメだ」
肩と膝裏を支えているオビの手に、ぎゅっと力が籠る。
「…いくら耳と鼻が良くても、見えなきゃ怖いだろ」
「そにゃこと「ちょっと黙って。舌噛むよ」
いつも飄々としている姿からは、想像もできない暗い声。
オビはミシャの部屋の方へと歩き出した。
「……」
規則正しい揺れを感じながら、ミシャは戸惑い気味に縮こまった。
「はい、到着。……ごめん、怖がらせたね」
人のいない裏道を通ってやってきた、ミシャの部屋の前で。
オビはミシャを降ろそうとする。
けれど…
「…待って」
「?」
ミシャはオビの服を掴んだ。
「…部屋ん
オビは、目を伏せているミシャを見下ろし、まばたきを繰り返す。
「いいの? 入って」
「別に、見られて困るようにゃもんはにゃーから」
「……」
オビはミシャを抱えたまま、部屋の扉を開けた。
"ガチャ…"
「!」
部屋の中を見て、目を見開く。
寝泊まりするだけの、小さな部屋。
そこは、壁も天井も床も棚も、物で溢れていた。
「え……何この部屋…」
木彫りや陶磁器の置き物に、鮮やかな織物。
まるで
「床に転がってる置き物、踏まにゃーでね。正面、ベッドのとこに降ろして」
「あ、あぁ…」
オビは言われた通り、物を避けながら、ベッドまでミシャを運んだ。
ベッドの上も、物で溢れている。
物と物の間に、僅かなスペースを見つけ、そこに座らせるように降ろすと、ミシャは目を閉じたまま、慣れたようにサイドテーブルに手を伸ばした。
手探りで、昨日ガラクに渡された薬の袋を開け、1回分を、テーブルに置いてあったコップの水で飲み込む。
毎朝薬を飲むため、前日の夜に、水と薬をテーブルに置いておくのだ。
「はぁ……ひと段落。ありがとにゃ、オビ」
ミシャは、顔をオビの方に向けて、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「正直、助かったにゃ。1人で部屋に帰ってたら、絶対どれか踏んで壊しちゃったにゃろうし」
ミシャは、まだ薬が効かず、全く見えていない目で、床を見下ろした。
オビは部屋を見渡す。
「けど、何でこんなに物で溢れてんの?」
「仕事で行った先で買ってくるんにゃ」
「収集癖でもあるのかよ…」
「にゃはは、そんにゃもんよ。…こいつらは全部、ミーの記憶」
「記憶?」
「行った先で見た景色を、そこで買った物にさわって、思い出すんにゃ」
ミシャは、ベッドの上に転がっていた、木彫りの置き物を手に取る。
「…いつか、この目は見えんくにゃるけど、こうやってさわれば、これを買った場所の景色を思い出せるにゃろ?」
「……」
オビは絶句した。
瞼の裏に浮かぶ。
失明したミシャが、1日中この部屋で、物に触れて追憶している姿が。
―――決して抗えない未来。
ミシャはそれを、自分に出来る精一杯の努力をして、受け入れようとしている…
「……ミシャ」
「うん?」
「強いな」
「え…」
「強いよ、ホント」
「……」
ミシャは手中の置き物をきゅっと握った。
「にゃはは…。そんなん言われたんは、初めてにゃ…」
強い。
果たしてそうだろうか…
ミシャは手中を見下ろし、目を開く。
「あ、見えてきた」
薬が切れてから10分も経っていなかったことが幸いして、視力はすぐに回復してきた。
まだ視界は薄暗いが、ぼやっと置き物の輪郭が見える。
ミシャは顔を上げた。
「にゃははっ、やっとオビが見えた」
パァっと浮かび上がる、笑顔。
オビは目を見開いてから、フッと微笑んだ。
(…何だよ、俺が見えたって)
そんなことで喜ばれるなんて、思いもしなかった。
「あ、そうだ。にゃんかお礼しにゃーとね。オビ、欲しいもんある?」
「欲しいもの? ……ん~、そうだな。ミシャの笛が聴きたいな」
「笛?」
「前に街の広場で即興で吹いただろ? いきなりでもあれだけ吹けるってことは、自分の笛を持ってて、いつも吹いてるんじゃないかと思ってね」
「まぁ、持ってるけど…」
「それが聞きたい」
「そんにゃんでいいの?」
「うん。それがいい」
「変にゃの」
ミシャは、自分の隣に積み上がった置き物を押しやって、スペースを作った。
そこに座るよう、オビを手招く。
オビが隣に座ると、ミシャはベッドの枕元を探り、銀色の横笛を取り出した。
「へぇ、綺麗だな」
笛には、草花の模様が刻まれている。
「純銀製にゃって。売ればそこそこの値段ににゃるんじゃにゃーか?」
「買ったのか?」
「んーにゃまさか。これはミーの
ミシャは横笛を唇に当て、目を閉じた。
風がそよぐような、やわらかいメロディが滑り出す。
やはり高価な笛だからか、街で吹いた木の笛とは音質が違った。
「……」
オビは自分の膝に頬杖をついて、笛を吹くミシャの顔を、じっと見上げる。
伏せられた長いまつ毛、かろやかに動く白い細指。
窓から差す朝日の中、ミシャの全てが、輝いて見えた。
やがて、曲を吹き終わったミシャは、目を開く。
「……ん? にゃっ!?」
口角を上げたオビと、目が合った。
「ず、ずっと見てたんかっ」
「そうだけど?」
ミシャの顔がみるみる赤くなる。
「お、音聞くのにっ、ミーの顔見てる必要はにゃーろぉ!」
「なぁに? 見られてると恥ずかしいわけ?」
「あたっ、当たり前にゃ! アホ!」
「ははははっ!」
「笑うとこじゃにゃーわ!」
「はいはい。…くくっ、はははっ」
やわらかい朝日の中、オビの笑い声とミシャの怒声が、しばらく響き渡っていた。
→ 5. 従者お試し期間