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第七巻
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「ごめんくださ~い」
「はいは~い、いらっしゃ……あ、妲己っちゃ~ん、
ある日の昼過ぎ。
うさぎ漢方『極楽満月』は、いつも通りに三人で営業していた。
ちらほらと
仕事から察するに、明け方まで客の相手をし、昼前に起きてここへやって来たに違いない。
生薬の残存量を確認していた薺は、パッと笑顔を向けた。
「妲己さま! いらっしゃいませ!」
「こんにちは、薺ちゃん」
「どこか お体のぐあいがすぐれないのですか?」
「いいえ、前に薺ちゃんから頂いた栄養剤があるから、最近はとっても調子がいいの。ただ、そろそろ無くなりそうで……あのお薬って、飲み続けたら効かなくなっちゃうかしら」
手を頬に当て、ゆるりと上品に首を傾げる妲己を、薺は下から覗き込むように見上げる。
「まいにち お飲みになっていますか?」
「いいえ? 慣れてしまうのが怖いから、二~三日は空けるようにしてるわよ」
「二~三日、ですか……」
薺は華奢な両腕を組み、天井を見上げて唸った。
「あの栄養剤はなかなか強い調合なので、ときどき使われるのはいいのですが、常用するのはよろしくなくて……」
白澤がニンマリと自慢げな笑みを浮かべる。
「あれは薺ちゃんの最高傑作だもんねぇ。次の研究発表会で公表予定だし」
妲己の大きな瞳が瞬いた。
「まぁ、そんなに凄いお薬だったの? タダで頂いてしまって申し訳ないわ」
「い、いえいえ! ぐうぜん良い組み合わせが見つかっただけですので! ……ですが、やはり常用されるには効果が強すぎますから……少し効力を落としてみましょうか……いえ、それではお疲れが残ってしまいますし……」
どうしたものかと、薺は可愛らしい顔を苦悩に歪める。
その様子を見ていた白澤が、満面の笑みで小首を傾げた。
「妲己ちゃんは、最近 仕事忙しいの?」
「う~ん、そうねぇ、新しい店を立ち上げてるところだから、少し忙しいのかも」
「睡眠時間は減った?」
「いいえ? 私は残業なんて死んでもしないもの。いつもの接客に、少ォし開店準備の指示出しが入っただけよ」
「ハハッ、妲己ちゃんらしいね。それじゃあ、神経の興奮を和らげる作用を中心に、疲労回復と美肌効果を少しだけ追加しようか」
その処方を聞いた瞬間、あ、と薺は呆けた。
薺が開発した栄養剤は、疲労回復、栄養補給、美肌効果など、あらゆる効能を含む、まさしく万能薬に近い調合だ。
あらゆる人に広く効果が見込めるが、その分、副作用も強くなる。
(東洋医学の真髄は、患者に合わせた
一人ひとりに最適な調合を処方するのが、漢方医の役目だ。
必要のない成分まで入った薬では、患者に最適な薬とは……
「薺ちゃん」
「! ……は、はい!」
「奥の棚から、
「はいっ、ただいま! 砕いて持ってきます!」
薺は慌てて、店の奥の部屋へと駆けこんでいった。
その背中を、白澤は困ったような笑みで見つめると、薬草の仕分けをしていた桃太郎に声を掛ける。
「桃タロー君も薺ちゃんを手伝ってあげて? あれは砕くのに力が要るからね」
「あ、はい。分かりました」
桃太郎は手を止め、奥の作業場へと向かった。
一方、白澤は必要な道具と生薬をカウンターに集め、調合を始める。
一部始終を見ていた妲己は、大きな瞳をわずかに細めた。
「薺ちゃん、傷ついちゃったかしら。悪いことしちゃったわね」
白澤は笑顔で首を横に振る。
「いいや。これは研鑽を積む漢方医なら、誰もが一生つき合っていく葛藤だから。今までに何百回もあったし、これからもそうだよ」
上昇志向の高い者ほど、患者を想い、今以上によく効く薬を作ろうとする。
その過程で副作用の強い危険な薬が出来てしまっても、それはより多くの人を治せるのだから、医学の進歩として間違いではない。
……ただ、薬の進歩に囚われ、患者を診ることを忘れれば、最強の薬は処方できても、最善の薬は処方できなくなる。
「だから僕たちは、独りにならないようにするんだ。東洋医学の真髄から外れかけても、仲間に元の道へ戻してもらえるように」
「そう……ふふふっ、
「妲己ちゃんにも、そういうのあるんじゃない?」
「さぁ、どうかしら。……騙し、騙され、藻掻いているうちに、気付けば悪女だもの。……でも、そうね、悪友なら何人かいるわね」
「
「ところで、覚悟は決めたのかしら?」
「……」
ピタリと、白澤の手が止まる。
妲己はカウンター席に腰掛けると、頬杖をついて、楽しそうに白澤の顔を見上げた。
白澤は笑顔を貼り付けたまま、再び手を動かし始める。
「親になるか男になるかは、決めたよ。……でも、この気持ちを通すには、まだ少し時間が必要かな」
「そう……一歩は進んだようで何よりだわ。あのままじゃ薺ちゃんが可哀想だったもの。せっかく一歩進めたんだから、三歩下がるようなことの無いようにね? フフフッ」
「……はい」
妲己は、今後の二人がどうなるのか、楽しみに思いながら満面の笑みを浮かべていた。
一方、店の奥の作業部屋では。
「これを砕けばいいんスね?」
「はい。……桃太郎さんは、
「いえ、粉末になってるものを調合したことはあるんスけど、元の形は初めて見ました」
「あ、そうですよね、なかなか手作業でくだくこともないですし……さいきんは、便利な粉砕機がありますから。きょうは急ぎなので、少量を手作業でくだきますけど」
桃太郎は、小石のような
「……あの、大丈夫スか?」
「え?」
「いや、何ていうか……ショック受けたような顔してたんで」
薺はぎょっとして、両手を自分の頬に沿える。
「そ、そんなに顔に出てましたか!?」
「まぁ、はい……でも、顔に出てるのはいつものことなので、別に気にしなくてもいいと思いますけど」
「い、いつも出てるのですか!?」
あわあわと、薺は体をくねくねさせた。
桃太郎は、どうフォローしたものかと言葉を探す。
「いえ、あの、素直なところは薺さんのいいところだと思うんで、そこは長所ってことで。……それより、ショック受けてたみたいなんで、そっちの方が心配っスよ。……やっぱり、白澤様に敵わないって思うと、悔しかったりするんスか?」
薺はピタっと止まり、眉根を下げて笑った。
「……本当に、なさけないことです……800年も学ばせてもらいながら、まだまだ、白澤さまの足元にもおよびません」
「いやいや、白澤様と比べたら誰も敵いませんって。それに薺さんだって、俺からしたら凄い薬剤師だし、雲の上の存在なんスよ?」
「ふふ、ありがとうございます」
いつものように、可愛らしい微笑みを向ける薺だが、それが心からの笑顔でないことは、桃太郎にも分かった。
"ガチャ"
「薺ちゃ~ん、桃タロー君、できた?」
「あ、はい! もう終わります!」
桃太郎が、粉になるまで砕いた
三人で店の方に戻ってくると、白澤が薬を調合し始めた。
いつの間にか、店に保管されていた妲己のカルテも出されていて、それを参考に調合比率を微調整していく。
白澤の弟子である薺と桃太郎は、無意識にじっと白澤の手元を見つめていた。
薺の琥珀色の瞳が、少しだけ とろんとする。
(きれい……)
骨ばった、白く細い指が薬を混ぜ合わせていく様が、どことなく美しい。
最近では、白澤は
早くも調合が完了した白澤は、薬を包みながら、フッと吹き出す。
「二人してそんなにじっと見なくても」
薺と桃太郎は、ハッとして互いに目を見合わせた。
薺は慌てて両手を振る。
「す、すみません! お邪魔でしたよね……」
「まさか。……ただ、ちょっと懐かしくて。薺ちゃんがここに来たばかりの頃、毎回そうして僕の手元を見てたなぁって。今はその顔が二つに増えてるわけだけど」
ね? と、桃太郎を見てニコリと笑った。
桃太郎は若干照れながら、両手をひらひらと振る。
「いや、あの、似てるな~と思って」
「似てる?」
「白澤様の手つきが、薺さんが調合するときとそっくりだったんスよ」
薺は目を見開いて振り返り、しばらく桃太郎を見つめてから、嬉しそうに微笑んだ。
「それは、わたしの方が白澤さまに似ているのですよ。……でも、そうですか……そうですか……うれしいですっ」
勝手に緩んでしまう頬を、薺は照れくさそうに両手で包む。
その顔を見て、白澤も笑みを浮かべながら、薬の包みを処方箋の袋に纏めた。
「はい、妲己ちゃん。お待たせしました」
妲己は、天国らしい穏やかで可愛いものを見れた、と、口角を上げる。
「ふふ、ありがとう。……あぁ、そうだわ。これから地獄でお買い物に行こうと思っていたのだけど、三人とも、一緒にどうかしら。特に薺ちゃんには、貰ったお薬のお礼もしたいわ」
大きな瞳に見つめられ、薺はぶんぶんと両手と首を振った。
「い、いえいえそんな! このあいだ妲己さまのおみせでサービスしていただきましたし!」
「あら、あのくらいじゃ足りないわ。学会で発表するような凄いお薬を頂いちゃったんだもの」
「そんなたいそうなものではないので、本当にお気になさらずに!」
慌てふためく薺を見ていた白澤は、何かいいことを思いついたような顔をする。
「いいね、一緒に行こうか。薺ちゃん全く物欲ないから、必要なものすらちゃんと買わないし、これを機に沢山買ってあげるよ」
「ひぇっ!?」
「勿論、桃タロー君にも、妲己ちゃんにもね~」
「え、俺もっスか?」
「あら~、私までいいの?」
「あ、あああのっ、白澤さまっ……」
「さ、そうと決まればすぐに行こう!」
……その日の午後。
『極楽満月』の引き戸には、臨時休業の貼り紙が貼られた。