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第六巻
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とある日の、昼間。
衆合地獄の主任補佐を務める敏腕獄卒・お香は、桃源郷の極楽満月を訪れていた。
"ガララ……"
店の戸を開け、扉の影に半分隠れながら、用件を伝える。
「ごめんください、冷え性のお薬くださいな」
こんな訪問の仕方をするのは、店主の白澤に飛びつかれないようにするためだ。
女性と見れば反射的に口説く彼から逃れるには、言葉での制止だけでは足りない。
こうして、物理的に距離を確保することが重要なのだ。
……しかし、
(……あら?)
今日は、珍しく飛びついてこない。
「あ、お香ちゃ~ん、いらっしゃ~い!」
緩んだ笑みで手を振ってくる白澤は、カウンターの向こう側だ。
代わりに、お香の元に駆け寄ってきたのは、薺。
「いらっしゃいませ! 冷え性のおくすりですね、いつもの調合にいたしますか?」
「……」
「お香さん? どうかなさいましたか?」
薺がきょとんとして首を傾げると、しばし呆けていたお香は、慌てて笑顔を取り繕った。
「あ、あぁ……いいえ、何でもないの。いつものお薬をお願いするわ」
「かしこまりました! すぐに調合いたしますので、ごじゆうに店内をごらんになって おまちください!」
「えぇ、ありがとう」
薺はパタパタと、店の奥の部屋にある作業台へ走っていった。
その後ろ姿を見送ったお香は、暇つぶしに、店内の生薬を見渡す。
すると、白澤が声を掛けてきた。
「薬が出来るまで、お茶でもどう?」
そう言って、茶器に茶葉を入れて湯を注ぎ、白磁の器に注いで差し出す。
お香は、きっと受け取る時に手を握られるんだろうな、と思いつつも、笑顔を作って手を伸ばした。
「あら、ありがとう」
……しかし、白澤の手は指一本として触れてこない。
「……?」
お香は受け取ったお茶を見下ろして、何度かまばたきを繰り返す。
白澤は相変わらずの緩い笑みを浮かべていた。
「今日は
「そ、そうなの……いい香りね」
お香は、若干ぎこちない返事をしつつ、お茶を口に含んだ。
(……白澤様、どこかお加減でも悪いのかしら。いつもなら、『冷え性は人肌で温めるのが一番』なんて仰って、手を握ってきたりなさるのに……)
息をするように女性を口説く白澤が、何もしてこないのは、それこそ病気のように思えてしまう。
一体どうしたのかと、お香が不思議に思っていると、不意に、白澤の視線が店の奥の方へと向いた。
「……待てよ、あの薬を調合するなら
「え? あぁ、はい」
僅かに焦ったような様子で、白澤は店の奥へと入っていく。
"キィ……パタン"
扉が閉まると、お香はゆるりと首を傾げた。
「ねぇ、桃太郎さん」
「あ、はい」
「白澤様、どこかお加減でも悪いの?」
「え? そんなことないと思いますけど」
「そう……。……私の思い上がりかもしれないけれど、白澤様って、女性とみればすぐに近づく方だと思っていたから、今日は距離が遠くて、少し不思議に思ってしまって」
「あー……」
桃太郎は思い当たる節があるのか、薬草の仕分けをしていた手を止める。
「俺にも理由は分からないんですけど、最近少し、女癖の悪さが落ち着いてきてるんスよね。代わりに、異常に薺さんにベッタリになってるんスけど……」
「そうなの……何かあったのかしら」
「さぁ……」
一方、時は数分
「ん~~~~っ、あとちょっと……」
生薬が並んだ棚の前で、
とはいえ、取りたい生薬は棚の一番上の右端にあり、
「もう、すこし……いっ!?」
背伸びで身を乗り出しすぎたようで、つるっと足が滑った。
顔から真っ逆さまに、床へと落ちていく。
薺はギュッと目を瞑り、身を縮めた。
"ガタタッ……ドサッ"
「~~~っ……。……え?」
体が、痛くない。
それに、薬の混じったこのいい匂いは……
「白澤……さま……?」
顔を上げた薺は、至近距離に迫った白澤の顔と匂いに、固まる。
「まったくもう、一番上の物を取る時は声掛けてって言ってるのに」
白澤は、間一髪で薺を受け止め、その場に尻餅をついていた。
穏やかな笑みで薺を見下ろし、もっちりとしたほっぺたを指の背で撫でる。
少し遅れて状況を察した薺は、慌てふためいた。
「ひぁっ、白澤さま!? すみません! お怪我はありませんか!?」
「僕は全然平気~。薺ちゃんは? 痛いところはない?」
「わたしもぜんぜん平気です!」
「ホントかなぁ。落ちる時、足が
「いえっ、ほんとうに大丈夫なので!」
「まぁまぁ。君は興奮すると痛みが分からなくなるから、ちょっと見せてご覧?」
「ひわわっ!?」
白澤は、器用に薺をくるりと回らせ、自分に背を向けさせた。
小さな体躯を後ろから抱き込むようにして、白い細足に両手を伸ばす。
探るような手つきで太腿を触られると、薺はぴくっと肩を揺らした。
「は、白澤さ「し~……」
白澤はわざと、薺の耳元で囁き、白い耳が赤くなるのを眺める。
そして、薺の太腿に添えた両手を、ゆっくり下方へと滑らせていった。
その途中……
「いっ……」
右の
白澤は呆れ顔で、小さくため息をついた。
「やっぱりね。何ともなってないように見えるけど、少ししたら痣になるかな」
「だ、大丈夫です! わたしも神獣のはしくれですのでっ、すぐに治ります!」
「何言ってるの、君は疫病・厄災を司る神獣なんだから、回復には時間がかかるでしょ?」
「そ、それは……白澤さまにくらべれば劣りますがっ、でもっ」
「軽度の内出血じゃ、薬を使ってもあまり効果が無いかな……うん、僕の力で予防した方が早そうだ」
そう独り
心なしか、部屋の空気が暖かくなり、窓も開いていないのに穏やかな風が吹き始める。
その風が白澤の前髪を揺らし、第三の眼をちらつかせた。
「おっ、おまちください白澤さま! そのようなことをしては疲れてしまいます! このていどの打撲っ、わたしは「もう力は発動してる。今さら止める方が力の無駄遣いだよ。……いい子だから、終わるまで動かないで?」
「……っ」
再び耳元で囁かれ、薺は耳だけでなく、頬まで赤く染める。
それが可愛くて仕方なく、白澤は軽い気持ちで、薺の頬に軽く口づけた。
「ひっ!? ぇあっ、えっ!?」
目を白黒させて振り向く薺。
白澤は120%悪戯心に満ちた笑顔で、驚きっぱなしの薺を見下ろしていた。