花葬
暖かくて清潔な客間に通された僕は、ステーシャが僕の向かいに座るのを見ていた。
「スイさんはこの屋敷で働いているのですよね」
「ただの下働きですよ。呼び捨てでいいですし」
「同じ場所で働いていることには違いありません、スイ。私も長くここに勤めていますから、同僚の顔くらいは大体覚えています」
そりゃご苦労なことで。
「あなたがここに来たのは、ちょうど今から十年ほど前でしたよね?」
僕はステーシャの目を見つめた。
「よく知ってるんですね」
「ええ」
ステーシャはあくまで穏やかな表情を崩さない。
「お母様は確か、事故で」
部屋に沈黙が下りた。
僕は目を逸らすことなく、笑顔を浮かべたまま答えた。
「そうですね。足を滑らせて、真冬の川に落ちて」
先に目を逸らしたのはステーシャだった。
「ごめんなさいね。失礼なことを聞いてしまいました」
「いえ」
僕は心の内でステーシャへの警戒レベルを高めながら、にっこり笑った。
「お嬢様とは、いつ?」
ようやく本題だ。
「何日か前、フローリア…お嬢様が屋敷を抜け出したことがあったでしょう」
「ありましたね」
ステーシャが頷く。
「その時僕は、ちょうど街に買出しに行っていて」
ステーシャが続きを促す。
「街まではずっと平原になってるでしょう。あの朝は雪で真っ白でしたけど。そこに一人でいたんですよ」
ステーシャは頬に片手を当てて溜息をついた。
「まったく困ったお嬢様だわ。いつまでたってもお転婆が治らなくて。それであなたが声を掛けてくれたのですか?」
あれはお転婆のうちに入るのかという疑問はさておき、僕は答えた。
「声を掛けられたのは僕のほうです」
「それで街まで一緒に行ってくれたのですね」
ステーシャは再び溜息をついた。
「大変だったしょう」
「いえ…」
僕は言葉を濁した。
「お嬢様はすっかりあなたを気に入ってしまっているようだけど、お嬢様のご病気のことは?」
僕の脳裏に小さな桃色の花が浮かんだ。
「聞きました」
「そう。ならお嬢様がもう長くはないということも知っている?」
「…はい」
「それでも、お嬢様の気まぐれに付き合える?」
その言葉に引っかかって僕は眉をしかめた。ステーシャは穏やかな口調のまま言った。
「お嬢様はあの通りの性格よ。気まぐれで、やることに一貫性がない。極端な飽き性といってもいいかもしれませんね。生まれてからずっと限られた部屋の中で、限られた人間としか関わってこなかったせいでしょう」
黙ったままの僕に向かって、ステーシャは続ける。
「あなたのことだって、今は気に入っていても暫くしたら簡単に忘れてしまうかもしれないわ。例えそうでなくても、お嬢様は…」
「平気だ」
僕はステーシャの言葉を遮って言った。
「平気です。フローリアがそうしたいって言うなら、僕は」
少女の白い首筋に這う根と、どこか作りものめいたあの笑顔を思った。彼女がこの屋敷の主人の娘だと知った時から、もしかしらもっと前から、僕がこうなることは決まっていた。ステーシャの瞳に一瞬だけ憐れむような色が浮かんだのを、僕は気付かないふりをした。
「そう…、それでしたら、私がこれ以上何か言うことはありません」
席を立ちながら、ステーシャが言った。
「お嬢様のところへ案内させましょう。旦那様には私からお伝えしておきます」
目を伏せたままステーシャが部屋を出ていき、入れ替わるように入ってきた誰かの言葉をぼんやりと聞きながら、僕は死んだ母親の顔を思い出していた。
「スイさんはこの屋敷で働いているのですよね」
「ただの下働きですよ。呼び捨てでいいですし」
「同じ場所で働いていることには違いありません、スイ。私も長くここに勤めていますから、同僚の顔くらいは大体覚えています」
そりゃご苦労なことで。
「あなたがここに来たのは、ちょうど今から十年ほど前でしたよね?」
僕はステーシャの目を見つめた。
「よく知ってるんですね」
「ええ」
ステーシャはあくまで穏やかな表情を崩さない。
「お母様は確か、事故で」
部屋に沈黙が下りた。
僕は目を逸らすことなく、笑顔を浮かべたまま答えた。
「そうですね。足を滑らせて、真冬の川に落ちて」
先に目を逸らしたのはステーシャだった。
「ごめんなさいね。失礼なことを聞いてしまいました」
「いえ」
僕は心の内でステーシャへの警戒レベルを高めながら、にっこり笑った。
「お嬢様とは、いつ?」
ようやく本題だ。
「何日か前、フローリア…お嬢様が屋敷を抜け出したことがあったでしょう」
「ありましたね」
ステーシャが頷く。
「その時僕は、ちょうど街に買出しに行っていて」
ステーシャが続きを促す。
「街まではずっと平原になってるでしょう。あの朝は雪で真っ白でしたけど。そこに一人でいたんですよ」
ステーシャは頬に片手を当てて溜息をついた。
「まったく困ったお嬢様だわ。いつまでたってもお転婆が治らなくて。それであなたが声を掛けてくれたのですか?」
あれはお転婆のうちに入るのかという疑問はさておき、僕は答えた。
「声を掛けられたのは僕のほうです」
「それで街まで一緒に行ってくれたのですね」
ステーシャは再び溜息をついた。
「大変だったしょう」
「いえ…」
僕は言葉を濁した。
「お嬢様はすっかりあなたを気に入ってしまっているようだけど、お嬢様のご病気のことは?」
僕の脳裏に小さな桃色の花が浮かんだ。
「聞きました」
「そう。ならお嬢様がもう長くはないということも知っている?」
「…はい」
「それでも、お嬢様の気まぐれに付き合える?」
その言葉に引っかかって僕は眉をしかめた。ステーシャは穏やかな口調のまま言った。
「お嬢様はあの通りの性格よ。気まぐれで、やることに一貫性がない。極端な飽き性といってもいいかもしれませんね。生まれてからずっと限られた部屋の中で、限られた人間としか関わってこなかったせいでしょう」
黙ったままの僕に向かって、ステーシャは続ける。
「あなたのことだって、今は気に入っていても暫くしたら簡単に忘れてしまうかもしれないわ。例えそうでなくても、お嬢様は…」
「平気だ」
僕はステーシャの言葉を遮って言った。
「平気です。フローリアがそうしたいって言うなら、僕は」
少女の白い首筋に這う根と、どこか作りものめいたあの笑顔を思った。彼女がこの屋敷の主人の娘だと知った時から、もしかしらもっと前から、僕がこうなることは決まっていた。ステーシャの瞳に一瞬だけ憐れむような色が浮かんだのを、僕は気付かないふりをした。
「そう…、それでしたら、私がこれ以上何か言うことはありません」
席を立ちながら、ステーシャが言った。
「お嬢様のところへ案内させましょう。旦那様には私からお伝えしておきます」
目を伏せたままステーシャが部屋を出ていき、入れ替わるように入ってきた誰かの言葉をぼんやりと聞きながら、僕は死んだ母親の顔を思い出していた。