花葬
屋敷に戻ると、何故だか屋敷が慌しいこと気付いた。よく話す女中にどうかしたのかと尋ねると、
「あたしもよくわからないんだけどね、何だかお嬢様が居なくなっちゃってたんだと。誘拐されたんじゃないかとか言って、大変だったんだよ」
「でもその様子じゃ、見つかったんだ?」
「ああ。今さっきひょっこり帰ってきたとかで、やれやれだよ」
「へぇー…」
妙な気分になった。
この屋敷と周辺の土地の地主でもある旦那様には、一人娘がいる。年は確か十五歳だ。けれど、娘を出産後にすぐ亡くなってしまった奥方に似て生まれつき体が弱い上、変わった難病に罹っているらしく、めったに部屋から出てこない。そのため、実際にお嬢様の顔を見たこのある者はごく少数の使用人だけだった。
旦那様は愛娘の病を治すべく大金を医者に費やしているそうだが、治療法は一向に見つからないまま、噂ではもう長くないのだという。
「どうしたんだい、変な顔して」
女中に不審そうな顔で見られたので、僕は曖昧に笑いながらとりあえずその場を退散することにした。
その後悶々としたまま数日が経ち、考えても仕方ないという結論をようやく出した頃、またもや僕は思いがけない場所から声を掛けられた。
僕はその時、中庭の掃除をしていた。
「スイ」
軽やかな声は空から聞こえた。正確には、二階の窓から。フローリアは笑顔で窓枠から身を乗り出し、手をぶんぶんと振っていた。
「危ないですよ、お嬢様」
「あはは、やっぱりバレちゃった?」
フローリアは屈託なく笑うと、とんでもないことを言った。
「そこに降りるから、受け止めてね」
どうせ拒否権なんてないんだろう。僕が慌てて腕を伸ばすと、フローリアが「落ちて」きた。
彼女はその年齢にしては小柄だし、実際とても軽いんだろうが、二階から落ちてきた少女をかっこよく受け止められるほど僕は大きくも力強くもなかった。僕はフローリアの下敷きになって地面に倒れた。
「受け止めてねって言ったのに」
「…降りてくるんだと思ったから」
顔中に不満を貼り付けて嫌味を言う僕とは対照的に、フローリアは心から楽しそうだった。その笑顔を見ていると、怒る気が段々と失せてくる。「いいのか、こんな勝手なことして」
「だってスイに会いたかったんだもん」
すっかり怒る気力が萎んでしまった僕は、体を起こすと彼女に言った。
「会いたかったって、僕たちまだ一回しか…」
会ってないのに、と言いかけた僕は、彼女が全く話を聞いていないことに気付き、諦めた。
「この間スイがくれたコートね、大事に持ってるよ」
あげた覚えは覚えはないんだけどね。
「大事に持っておくほどの物じゃないだろ。もっといい服がたくさんあるんじゃないのか?」
フローリアはきょとんとした。
「だってスイがくれたんだもん」
そんなに大切にしてもらってコートも幸せだろう。
溜め息をついてからふと彼女を見て、気が付くことがあった。
「その花の髪飾り、この前もしてたな」
フローリアの答えがあるまで一瞬間があった。微かに笑みを浮かべて、頭の花に触れながら彼女は言った。
「これ、飾りじゃないの」
「じゃあ、何?」
「生えてるの」
冗談を言ったのだと思った。だが、フローリアは真面目に言っているようだった。あどけない顔にはふざけた色は浮かんでいなかった。
「あたし病気なの。体がどんどん植物に変わっていくの」
そんな病は聞いたことがない。唖然とする僕に、信じていないと思ったらしいフローリアが続けた。
「嘘じゃないよ。いろんなところに生えてるんだから。見て」
彼女は自身の長い髪を持ち上げると、僕に首の後ろを見せた。そこには、クローバーが小さな群生を作っていた。
「この植物たちがね、あたしの体中に根を張って、そのうち歩いたり喋ったりすることもできなくなっちゃうんだって先生が言ってた」
他人事のように言いながら、フローリアは何故だか嬉しそうだった。
「でも、すごく綺麗でしょ?あたし、お花になるんだよ」
怖くはないのか。
「怖くないよ。だってこのお花たち、ママなんだもん」
僕は首をかしげた。
「どういう意味?」
「ママがね、『種』を持ってたの。でもママの中では目が出なくて、あたしのとこに来てから咲いたの。ママがあたしの体の中で生きてるの。これってとても素敵でしょ?」
フローリアの本当に嬉しそうな様子を見て、僕が体のどこかが突き刺されたように痛んだのを感じた。
指に長い金髪を巻きつけ、楽しい内緒話でもするように顔を寄せて、彼女は言った。
「あと一年くらいかなぁ」
何が、と聞こうとした時だった。バタバタという足音と共に大勢の人が中庭になだれ込んできた。ほとんどが『お嬢様』の侍女たちだ。
「お嬢様、こんな所に」
真っ先にフローリアに駆け寄った侍女が、僕を睨みつけながら言った。
「この者は誰です?」
フローリアはご機嫌に答える。
「おともだち」
面食らった様子の侍女を気にすることもなく、まるでいたずらを考え付いた子供のように楽しげな顔をして
「そうだ」
と僕の手を握るので、侍女たちは言葉を失った。
「あのね、スイはとっても優しいんだよ。一緒にいるとすごく楽しいの」
まだ一回しか会ったことがないくせに、という言葉は飲み込む。
「スイといると元気が出るんだ」
侍女たちは困惑してそしてどこか苦々しいような顔をしていた。それを見て、こういうことがよくあるのだと察する。この少女は今まで、自分の要求が拒否されたことなど一度もないのだろう(大抵の『お嬢様』がそうであるように)。
ただ一人、僕に警戒心を剥き出しにした若い侍女だけがフローリアに噛み付いた。
「そういうことを聞いているのではありません。私たちはお嬢様のことを旦那様から任されているのですよ。こんな得体の知れない、薄汚い少年をお嬢様に近づけるわけにはいきません」
すると今度はフローリアが驚いたような顔をした。
「あたしスイのこと知ってるよ?それにスイは汚くもないし」
ね、とフローリアが同意を求めるように目を合わせてきたので、得体の知れない薄汚い少年の僕はおとなしく曖昧に笑った。
それを見た若い侍女がますます苛立った表情をしたので、さすがにまずいかもしれないと首をすくめた時だった。
「よしなさい、みっともないですよ」
この集団の中では比較的年配な侍女が言った。
「お嬢様がもう決めていらっしゃるなら、これ以上何を言っても無駄です」
そして僕に向き直ると、
「あなたはスイというのですね」
と丁寧に尋ねた。
「はい」
「私はお嬢様お付のステーシャといいます。お嬢様とは仲がよろしいのですね?」
「そうだよ!」
嬉しそうにフローリアが答えたが、僕はためらった。
「一度…街を」
思慮深そうな年配の侍女は、僕の言いたいことを察してくれたらしい。
「分かりました。詳しいことは中で窺いましょう。ここは冷えますから、お嬢様の体にも良くありません」
さっきの若い侍女はまだ何か言いたそうだったが、ステーシャに一睨みされて押し黙った。
「ララ、お嬢様を部屋にお連れしなさい」
「…はい」
「えっ、スイは?」
空気を読めていないどころか、一人だけ真空状態のフローリアが無邪気に聞いた。
「心配なさらなくても大丈夫ですよ。フローリア様のお友達をとったりは致しませんからね」
ステーシャがにこやかに答えた。なるほど、扱い慣れている。
困惑顔の侍女たちに連れられて去っていくフローリアを見送りながら、ステーシャが言った。
「ごめんなさいね、彼女…ララはまだ新任なの。気も利くし、悪い子ではないんだけれど」
「別に平気ですよ」
応えてから、拗ねたように聞こえただろうかと少し後悔した。
「慣れてますから」
付け足して、おどけたように笑ってみせた。ステーシャも小さく笑うと、言った。
「寒いでしょう?どうぞ中へ」
「あたしもよくわからないんだけどね、何だかお嬢様が居なくなっちゃってたんだと。誘拐されたんじゃないかとか言って、大変だったんだよ」
「でもその様子じゃ、見つかったんだ?」
「ああ。今さっきひょっこり帰ってきたとかで、やれやれだよ」
「へぇー…」
妙な気分になった。
この屋敷と周辺の土地の地主でもある旦那様には、一人娘がいる。年は確か十五歳だ。けれど、娘を出産後にすぐ亡くなってしまった奥方に似て生まれつき体が弱い上、変わった難病に罹っているらしく、めったに部屋から出てこない。そのため、実際にお嬢様の顔を見たこのある者はごく少数の使用人だけだった。
旦那様は愛娘の病を治すべく大金を医者に費やしているそうだが、治療法は一向に見つからないまま、噂ではもう長くないのだという。
「どうしたんだい、変な顔して」
女中に不審そうな顔で見られたので、僕は曖昧に笑いながらとりあえずその場を退散することにした。
その後悶々としたまま数日が経ち、考えても仕方ないという結論をようやく出した頃、またもや僕は思いがけない場所から声を掛けられた。
僕はその時、中庭の掃除をしていた。
「スイ」
軽やかな声は空から聞こえた。正確には、二階の窓から。フローリアは笑顔で窓枠から身を乗り出し、手をぶんぶんと振っていた。
「危ないですよ、お嬢様」
「あはは、やっぱりバレちゃった?」
フローリアは屈託なく笑うと、とんでもないことを言った。
「そこに降りるから、受け止めてね」
どうせ拒否権なんてないんだろう。僕が慌てて腕を伸ばすと、フローリアが「落ちて」きた。
彼女はその年齢にしては小柄だし、実際とても軽いんだろうが、二階から落ちてきた少女をかっこよく受け止められるほど僕は大きくも力強くもなかった。僕はフローリアの下敷きになって地面に倒れた。
「受け止めてねって言ったのに」
「…降りてくるんだと思ったから」
顔中に不満を貼り付けて嫌味を言う僕とは対照的に、フローリアは心から楽しそうだった。その笑顔を見ていると、怒る気が段々と失せてくる。「いいのか、こんな勝手なことして」
「だってスイに会いたかったんだもん」
すっかり怒る気力が萎んでしまった僕は、体を起こすと彼女に言った。
「会いたかったって、僕たちまだ一回しか…」
会ってないのに、と言いかけた僕は、彼女が全く話を聞いていないことに気付き、諦めた。
「この間スイがくれたコートね、大事に持ってるよ」
あげた覚えは覚えはないんだけどね。
「大事に持っておくほどの物じゃないだろ。もっといい服がたくさんあるんじゃないのか?」
フローリアはきょとんとした。
「だってスイがくれたんだもん」
そんなに大切にしてもらってコートも幸せだろう。
溜め息をついてからふと彼女を見て、気が付くことがあった。
「その花の髪飾り、この前もしてたな」
フローリアの答えがあるまで一瞬間があった。微かに笑みを浮かべて、頭の花に触れながら彼女は言った。
「これ、飾りじゃないの」
「じゃあ、何?」
「生えてるの」
冗談を言ったのだと思った。だが、フローリアは真面目に言っているようだった。あどけない顔にはふざけた色は浮かんでいなかった。
「あたし病気なの。体がどんどん植物に変わっていくの」
そんな病は聞いたことがない。唖然とする僕に、信じていないと思ったらしいフローリアが続けた。
「嘘じゃないよ。いろんなところに生えてるんだから。見て」
彼女は自身の長い髪を持ち上げると、僕に首の後ろを見せた。そこには、クローバーが小さな群生を作っていた。
「この植物たちがね、あたしの体中に根を張って、そのうち歩いたり喋ったりすることもできなくなっちゃうんだって先生が言ってた」
他人事のように言いながら、フローリアは何故だか嬉しそうだった。
「でも、すごく綺麗でしょ?あたし、お花になるんだよ」
怖くはないのか。
「怖くないよ。だってこのお花たち、ママなんだもん」
僕は首をかしげた。
「どういう意味?」
「ママがね、『種』を持ってたの。でもママの中では目が出なくて、あたしのとこに来てから咲いたの。ママがあたしの体の中で生きてるの。これってとても素敵でしょ?」
フローリアの本当に嬉しそうな様子を見て、僕が体のどこかが突き刺されたように痛んだのを感じた。
指に長い金髪を巻きつけ、楽しい内緒話でもするように顔を寄せて、彼女は言った。
「あと一年くらいかなぁ」
何が、と聞こうとした時だった。バタバタという足音と共に大勢の人が中庭になだれ込んできた。ほとんどが『お嬢様』の侍女たちだ。
「お嬢様、こんな所に」
真っ先にフローリアに駆け寄った侍女が、僕を睨みつけながら言った。
「この者は誰です?」
フローリアはご機嫌に答える。
「おともだち」
面食らった様子の侍女を気にすることもなく、まるでいたずらを考え付いた子供のように楽しげな顔をして
「そうだ」
と僕の手を握るので、侍女たちは言葉を失った。
「あのね、スイはとっても優しいんだよ。一緒にいるとすごく楽しいの」
まだ一回しか会ったことがないくせに、という言葉は飲み込む。
「スイといると元気が出るんだ」
侍女たちは困惑してそしてどこか苦々しいような顔をしていた。それを見て、こういうことがよくあるのだと察する。この少女は今まで、自分の要求が拒否されたことなど一度もないのだろう(大抵の『お嬢様』がそうであるように)。
ただ一人、僕に警戒心を剥き出しにした若い侍女だけがフローリアに噛み付いた。
「そういうことを聞いているのではありません。私たちはお嬢様のことを旦那様から任されているのですよ。こんな得体の知れない、薄汚い少年をお嬢様に近づけるわけにはいきません」
すると今度はフローリアが驚いたような顔をした。
「あたしスイのこと知ってるよ?それにスイは汚くもないし」
ね、とフローリアが同意を求めるように目を合わせてきたので、得体の知れない薄汚い少年の僕はおとなしく曖昧に笑った。
それを見た若い侍女がますます苛立った表情をしたので、さすがにまずいかもしれないと首をすくめた時だった。
「よしなさい、みっともないですよ」
この集団の中では比較的年配な侍女が言った。
「お嬢様がもう決めていらっしゃるなら、これ以上何を言っても無駄です」
そして僕に向き直ると、
「あなたはスイというのですね」
と丁寧に尋ねた。
「はい」
「私はお嬢様お付のステーシャといいます。お嬢様とは仲がよろしいのですね?」
「そうだよ!」
嬉しそうにフローリアが答えたが、僕はためらった。
「一度…街を」
思慮深そうな年配の侍女は、僕の言いたいことを察してくれたらしい。
「分かりました。詳しいことは中で窺いましょう。ここは冷えますから、お嬢様の体にも良くありません」
さっきの若い侍女はまだ何か言いたそうだったが、ステーシャに一睨みされて押し黙った。
「ララ、お嬢様を部屋にお連れしなさい」
「…はい」
「えっ、スイは?」
空気を読めていないどころか、一人だけ真空状態のフローリアが無邪気に聞いた。
「心配なさらなくても大丈夫ですよ。フローリア様のお友達をとったりは致しませんからね」
ステーシャがにこやかに答えた。なるほど、扱い慣れている。
困惑顔の侍女たちに連れられて去っていくフローリアを見送りながら、ステーシャが言った。
「ごめんなさいね、彼女…ララはまだ新任なの。気も利くし、悪い子ではないんだけれど」
「別に平気ですよ」
応えてから、拗ねたように聞こえただろうかと少し後悔した。
「慣れてますから」
付け足して、おどけたように笑ってみせた。ステーシャも小さく笑うと、言った。
「寒いでしょう?どうぞ中へ」