泥田坊と初授業
結局、授業時間になっても晴明のメンタルは回復しなかった。
すんすん泣きながらノロノロと黒板にチョークを走らせる晴明の背中は、見るからにジメジメしていてキノコでも生えてきそうだ。
そんなぐだぐだと授業をしようとした晴明に痺れを切らしのか、立ち上がった佐野が近づいていく。
そして晴明のネクタイを掴んで引き寄せるとコソコソと耳元で何か言う。するとハッとした顔をした晴明が急にキリッとカッコつけて立ち直った。
なんと言うか、単純でわかりやすい人間である。
「とりあえず今日は初授業だし、まずは百人一首の現代語訳の授業してみようと思うんだ。みんな壱年の時習ったって聞いたから復習もかねてね!!」
「じゃあ1番から…秋の田の借り穂の庵の苫をあらみっ!!!」べちょっ
「あらみ…?」
「何コレ泥団子!?」
顔面に泥田の泥団子を喰らった晴明は奇声を上げる。
「よりによって人間の歌の授業かよ!やってらんねぇよ」
そう文句を言いながらもまた泥団子を作り出す泥田に、意味なく泥だらけにされた晴明は泣きそうになりながらも授業を続ける。
「これの訳を…歌川さんお願いします…」
「は…はい…」
「えっと…秋の田んぼの近くの小屋は屋根の作りが荒く隙間だらけなので私の着物の袖は夜露に濡れ続けています」
「まるで僕の授業がおざなりすぎたもんだから泥田君に泥団子なげられグダグダになった授業に困惑するみんなを表してるようだね」
晴明は黒板に書かれた短歌の隣の略に大工仕事しろと書き加える。
「じゃあここでちょっと飛んで八十九番。秋雨君読んでみて」
「玉の緒よ。耐えなば耐えね、ながらへば、忍ぶることの弱りぞする」
「これも今の僕を表してるようだね」
略は死にたいだった。
そんな晴明のあまりの落ち込み具合に豆が立ち上がる。
「晴明君!頑張って!!!後10分!!!授業をやり切るんだ!!」
「!!」
「俺馬鹿だから授業内容はさっぱりだけど晴明君の授業面白いよ!!」
「じゃ…じゃあ狸塚君に45番あたりを呼んでもらおうかな…!!!」
「え、何この恩を仇で返された感」
励ましたはずなのに…と勉強が苦手な豆はスンッと真顔になる。
「…れとも…」「哀れ」「哀れともいふべき人は田心ほえて」「思な」「身のいたづらにあれはジョンですか?いいえ飛行機です」
漢字が読めなすぎて飛び飛びの豆。佐野が隣から修正を入れるが遂に国語の教科書を脱した豆に「えっドコ呼んでんのお前…」とついていけなくなって豆を見る。
震えながら教科書を読もうとする豆に晴明が「だ…大丈夫だよ狸塚君よく読めてるよ!!」と逆に励ましている。
「で、この訳は…馬鹿な!!!」
そして豆のおかげで少し落ち着いたはずの晴明は、突如真下に現れた泥沼にズボーッと落っこちて消えた。
「ちょ…っ!何この泥沼!!!」
「泥田の妖術だ!!」
「ひ…ひどいよ泥田君…」
ズルズルと泥沼から這い出る様は泥田より泥田坊している。
「僕が何したっていうんだ!!恨むなら義兄を恨んでよ!僕は無関係だよ!!!」
まぁそれはそう。
「俺たちは妖怪だ!!人間化かして何が悪い!!!嫌なら人間の学校に帰れよ!!!」
うん、授業中にやることじゃないけど妖怪的には普通に正論というやつだな。
正直いって人間の授業に興味のない空狐は頬杖をついて話だけは聞いていたが、これはろくな授業にならなそうだと教科書の余白に落書きしながら思った。
「…脱線してごめん…授業続けるね」
「この歌はね…好きな人に振り向いて貰えない悲しさから生まれたって言われてるけど…そんな事で何一々ネガってんだって正直思っちゃうよね」
メンタル弱かったんだろ。知らんけど。
「僕なんて…ッ哀れんでくれる人はおろか、生まれてこの方友達すらできた事ないってのに!!!人間社会にも馴染めないみじめな人間だったのに!!!」
言い過ぎじゃない?両親くらいは哀れんでくれるだろ流石に。
「3日に一回はチンピラに絡まれ、時には小学生に泣かされ、プライドないのかとかよく聞かれるけどプライドはあるよ!!!ないのは度胸だよ!!!そんな僕でもやっと教師になれたよッ」
むしろよく教師になろうと思ったなコイツ。
「でもやっと教師になれたと思ったらでもこの様だよ!!!初日から変態扱いだよ!!!まさか人生生きてて妖怪から変態って言われると思ってなかったよ!!!それでもギリギリ生きてるよ!!!」
バッと勢いよく振り向いた晴明は静まり返る生徒達に気がつき「だからもっと僕に優しくー」と声を落とし…
「…という…訳です…」
青ざめた顔で無理矢理授業内容に戻した。
いや、無理がありすぎるだろ。
「こ、国語ってただ文を読んで理解するだけじゃなくそこから何を学んで生かすかが大事だと思います。みんなもこれらの歌から学びとって、もっと他人に優しくしてあげてくださいね。い…以上です」
なんかいい感じにまとめよったけど、彼が要らぬ醜態晒したことに変わりはない。
生徒達にも気まずい空気が流れる。
その後散々な授業だったと教卓の下に引き篭もる晴明に泥田が近づいた。
「オイ」
「あ…泥田君…」
「…悪かったな…色々と邪魔して…」
素直に謝る泥田に晴明は「え」と声をあげる。
「姉貴の結婚でイライラしてたモンだから…つい八つ当たりしちゃってさ。ちょっとガキすぎた。義兄やその親族の幸せいっぱいな人間ばっか見てたからさ…こんな気の毒な人間もいるんだな…」
まるで捨て犬を見るような優しい目で晴明の肩にポンっと手を置く泥田に、哀れまれてる事に気がついた晴明の顔色がまた悪くなる。
そうしてメンタルに追い打ちをうけた晴明を励まそうと豆が立ち上がった。
「大丈夫!!晴明君の授業楽しかったよ!!」
同意を求めるように「ね?」と生徒達を振り返った豆に成り行きを眺めていたみんなが「「「えっ」」」と固まる。
「あ…あぁ、案外面白かったぜ」
「そうね…」
「熱意は伝わったし…」
「そーか?グダグダだったじゃん」
「空気よめアフロ!!」
それぞれ前向きに聞こえる感想を言うが誰一人として晴明に目を合わさないあたり、本音が透けて見える。
「本当…!?」
そして生徒達のお世辞に気をよくし、調子に乗った晴明はチラリと佐野を見る。
「俺は言わねぇぞ」
「なんだよケチんぼ!!ケチんぼ妖怪!!ケチんぼ妖怪!!!」
コイツに学習能力はないのだろうか。
今度は怒った佐野にチョークスリーパーを喰らっている晴明を見ていた空狐は知ってる奴はこんなに間抜けじゃなかったから人違いだなと結論づけた。
それはそうと、あいつとは一度話をしたほうがいいだろう。
一体なにを企んでいるのやらわかったものではないのだから、余計な事しないように一回太めの釘を刺しておかねばならない。
空狐は予定を思い出しつつ、とりあえず今日は放課後晩御飯の材料買って紅子ちゃんの部屋に行こう、と晩御飯何がいいかスマホでメッセージ送りながら生徒の輪から離れて席に戻った。
後日、佐野の約束の品であるわんちゃん用のセーラー服をもらって喜んでいる晴明を見て泥田は静かにドン引いていたと言う。