PROLOGUE
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放心状態になってしばらく経った頃、わたしはやっと平静を取り戻した。気づいた時には学園長と初めて会った図書館らしき場所にいて、困惑したわたしは側にいたユウに今までの事を訊ねた。
彼女曰く、自分の出身地が学園長にとって聞いた事がなかったので今調べている……らしい。それでわたしは納得した。何故なら、学園長がとても険しい顔をして分厚い本を読み漁っているから。彼といた時間は少ないが、それでもいつもとは違う様子でかなりピリピリとした雰囲気を纏っていた。
数分後、本をパタンと閉じた学園長は「やはりない」とため息混じりに呟いた。
「世界地図どころか、有史以来どこにもユウさんの出身地の名前は見当たりません。貴方、本当にそこから来たんですか? 嘘をついてるんじゃないでしょうね?」
ユウに顔をズッと近づけて睨む様は、無愛想な先生が叱る時と同じだった。ユウは鋭い視線に小さく悲鳴を上げながらも必死に否定する。それに納得したのか、はたまた諦めたのか、今度はわたしに視線を向けてきた。わたしも答えろって事か。
「わかりません」
わたしの返答に学園長は「ほう?」と口角を、ユウは「え⁉︎」と小さく悲鳴を上げた。
「わたしは、家から出た事が一度もありませんので」
「「…………え?」」
珍しく声が揃ったと思えば、二人はそれぞれため息をついたり、涙を流しながら手を合わせて拝んでいた。……何で?
首を傾げていると、学園長がわざとらしく大きな咳払いをした。
「フィルさんの事は置いておいて。こうなってくると、ユウさんはなんらかのトラブルで別の惑星……あるいは異世界から招集された可能性が出てきましたね」
「異世界⁉︎」
そんなものがあるのか。……何だか、ここに来てから自分の知識がどんどん変わっているような気がする。
わたしが少し混乱しているのとは対照的に、ユウは何故か目をキラキラと輝かせていた。どれくらいかと訊かれれば彼女の周りに星が見えそうなくらい爛々と。その様子に学園長は若干引き気味だ。
「そ、そういえば貴方達、ここへ来るときに持っていたものなどは? 身分証明になるような、魔導車免許証とか靴の片方とか」
見るからに手ぶらですけど、と付け加えられた言葉にユウは「あはは」と苦笑した。まぁ、学園長の仮説が正しければ、ユウもわたしと同じでいつの間にかこの服を着ていた事になる。なら手持ちなんて何もないはずだ。
それでも念のため、一応ポケットを触って確認するとカチャッと高い金属音がした。ポケットから取り出すと出てきたのは──眼鏡だった。それは金色に縁取られ、丸い形状をしている。
「おや、眼鏡ですか」
自分の持ち物かと聞かれ、わたしは首を横に振った。眼鏡は先生もしていたから知っているが、自分で付けた事は一度もない。形状からしても先生の物ではないはずだ。
「困りましたねえ。魔法を使えない者をこの学園に置いておくわけにはいかない。しかし保護者に連絡もつかない無一文の若者を放り出すのは教育者として非常に胸が痛みます。私、優しいので」
最後に付け加えられた言葉に、ユウはスンと冷めた顔をした。かなり露骨なそれに気づいているのかいないのか、学園長はうんうんと唸っている。
「そうだ!学園内に今は使われていない建物があります。昔、寮として使われていた建物なので掃除すれば寝泊まりぐらいはできるはずです。そこであれば、しばらく宿として貸し出して差し上げましょう!」
「ありがとうございます!」
ユウが頭を下げると学園長は自分への賛辞を言っていて、またしても彼女の顔がスンと冷めた。
「では善は急げです。寮へ向かいましょう。少し古いですが、趣のある建物ですよ」
そう言って学園長は颯爽と歩き始めたので、わたし達もついて行った。
*****
案内された先にあったのは古い……というより、廃墟寸前の建物。見るからに朽ちかけた庭の木々に錆だらけの門に、所々ヒビのある石造の外壁、ガタガタの屋根。学園長が『昔』とは言っていたけど、使われていたのは大昔の事のようだ。
「お、趣がありますね〜」
ユウの精一杯なお世辞に学園長は「そうでしょう、そうでしょう」と満足気に頷いて、わたし達を中へ招き入れた。
室内の様子は外よりも更に酷かった。椅子はひっくり返って蜘蛛の巣だらけで、カーペットも虫食いがあってボロボロ。床は歩くたびに抜けそうなほど軋んでいるし、絵画はひっくり返って床に落ちている。よく見るとガラスの破片まであった。暖炉は煤だらけで使えるのかもよく分からない。カーテンはかろうじてかかっているものの、当たり一面埃まみれだった。
学園長は辺りをぐるっと見回してから、早口で言った。
「ここであればとりあえず雨風は凌げるはずです。私は調べ物に戻りますので適当に過ごしていてください。学園内はウロウロしないように!」
そう言うや否や、学園長は引き止める間もなく去って行った。
さて……どうしようか。これだけ使われていないとなると、このまま過ごすのは得策ではない。……仕方ない、掃除でもするか。
ホウキを探そうと歩くと、ユウに引き止められた。
「せっかくだし、自己紹介しない?」
「…………」
いや、さっき入学式でそれぞれ名前言ったよね? もしかして聞いてなかった⁇
……とは思いつつ、わたしは鏡が間違えた名前をそのまま名乗った。それにユウは明るい声で反復すると、手を差し出して来た。流石に目も合わせずにするのは失礼だと思い、わたしは顔を上げた。
目に映ったのは、満面の笑みをこれでもかと浮かべた、少女とは言い難いくらい髪が短い子。仮説とはいえ、これが本当に見も知らぬ世界から来た時にする顔なんだろうか。
「よろしくね!」
顔を見て聞いた声はさっきと違って、太陽光に当たっているかのように温かった。おずおずと自分も差し伸べると、初めて会った時と同様に強く握りしめられる。力は相変わらず強いのに、不思議と不快ではなかった。
「ぎえー! 急にひでえ雨だゾ!」
突然聞こえた声にユウが振り向くと、学園を追い出された筈の黒ネコがいた。ずぶ濡れの体を振ってわたし達の顔を見ると吹き出した。
「ぎゃっはっは! コウモリが水鉄砲くらったみたいな間抜けな顔してるんだゾ!」
いや、どういう顔だよ。そもそも、コウモリって水鉄砲くらうの……?
そんな疑問を持っていると黒ネコは、「オレ様の手にかかればもう一度学校に忍び込むことくらいチョロいチョロい」と鏡の間を火の海にした時と同様な笑みを浮かべた。そして、あれくらいで入学を断念しないと胸を張る。……胸を張るような事だろうか。
「ずっと気になってたんだけどさ、何でそんなにこの学校入りたいの?」
そうユウが問いかけると、黒ネコは待ってましたと言わんばかりに自身の身の上話を始めた。
自分は選ばれし天才で、ずっと学園から迎えが来る事を待っていた。でも、どんなに待っても待っても来ない。だから直談判しに来た。
わたしは黙って聞いていたけど、途中からユウの顔は全く黙っていなかった。具体的に言うなら、学園長へ露骨に見せたスンと冷めた表情で、言いたい事がなんとなく伝わるくらいだ。
──ポタッ
頭に来た冷たい感触と共に、黒ネコは「に゛ゃッ!」と小さく悲鳴を上げた。
「天井から雨漏りしてやがるんだゾ!」
天井に向けてギロリと憎しみ気に睨む黒ネコと一緒にわたしも覗き込むが、距離もあってどこが雨漏れをしているなんて分かる筈もなく。水滴が再び落ちてきて、黒ネコは「チャームポイントの耳の炎が消えちまう~!」と騒ぎ出した。
「何箇所雨漏りしてるのかな〜。フィル、分かる?」
「……多分、三箇所以上」
そう答えると、ユウは頭をかきながら廊下へ向かう。すると、その動きを止めるかのように「こんな雨漏り、魔法でパパーっと直しちまえばいいんだゾ」と黒ネコが簡単そうに言った。そして、嫌味しか言えない先生のように底意地の悪い笑みを浮かべて続ける。
「そういやオマエら、魔法使えねえのか。ププーッ! 使えねえヤツだゾ!」
「…………はぁ⁇」
足を止めて振り向いたユウの顔は、今まで見てきたどんな表情より険しかった。眉や目はつり上がり、背後には赤い炎のような物すら見えそうなくらいに。流石に危険を感じたのか、黒ネコは目を泳がせながらピューピューと口笛を吹き始める。けど、そんな事でユウの表情は晴れやしない。ユウは大股で黒ネコに近づくと、ジリジリと詰め寄った。
「そんなにあたし達が『使えない』なら、『魔法が使える』アンタが手伝ってよ」
「や、やーなこった! オレ様はちょっと雨宿りしてるだけの他モンスターなんだゾ」
ドスが効いた声や顔から視線を逸らし、黒ネコは尻尾を巻いて近くのソファーへ逃げ出す。わざとらしい狸寝入りを立て、チラリとこちらを一瞥した。しかしそれが一瞬過ぎて気づかなかったのか、ジッと数秒見つめていたユウの目は姿を元に戻した。まぁ、その後天井に向けて叫びながら廊下に出て行ったけど。
******
ドタバタという足音が聞こえなくなった頃、黒ネコは狸寝入りを辞めて体を起こした。辺りを見渡し、わたしの姿を瞳に映すと大きく悲鳴を上げて素早く後退 った。
「な、何でオマエはいるんだゾ!」
『何で』と言われても。ユウが部屋から出る事とわたしが部屋にいる事に、何か関係があるんだろうか。ユウはユウだし、わたしはわたしだ。それぞれで行動して何が悪い?
そうは思っていても言うのは面倒で黙っていると、部屋の外から大きな悲鳴が聞こえた。振り向いてよく耳を澄ますと、どんどん音が大きくなっている。
バタン‼︎
「助けて〜〜‼︎‼︎」
勢いよく開いたドアから現れたのは、既に半泣き状態のユウ。何故だか幽霊も連れていた。それを見て、黒ネコも大声で叫び出した。
「ここに住んでた奴らは俺たちを怖がってみーんな出ていっちまった」
「俺たちずっと新しいゴースト仲間を探してたんだ。お前さん達、どうだい?」
「絶対に嫌ー‼︎」
「嫌なんだゾー!」
部屋から出て廊下で逃げ回るユウ達とそれを余裕そうに追いかける幽霊。……何だか、一種の喜劇でも見ている気分だ。二人とも鏡の間ではあんなにいがみ合っていたのに、今は反応がピッタリ揃っているし。
「うううっ、ううーーっ! 大魔法士グリム様はお化けなんか怖くないんだゾ‼︎!」
黒ネコは涙声で震えながらもお得意の蒼い炎で辺りを燃え広がせる。けど、それは廊下を焦がすだけで、幽霊にダメージを与えていなかった。燃やす場所が悪いのか、幽霊がいない所だけ炎が燃え上がっている。
「ちくしょー! 出たり消えたりするんじゃねー!」
「こ、このままじゃ火事になる〜‼︎」
黒ネコの炎で廊下は燃え、ユウは頭を抱えながら叫んでいる。こういう時の事を阿鼻叫喚って言うんだろう。まさに地獄絵図だ。
わたしが冷静に観察している間も炎はどんどん燃え上がっている。そして、黒ネコの何回目かの炎でわたしは気づいた。
──目、瞑っていない?
幽霊のせいなのか、炎を吹く度黒ネコは目を瞑っている。どうりで炎が幽霊に当たらない訳だ。けどこの事を伝えた所で、あの傲慢な獣は耳を貸すだろうか。鏡の間での騒動や自身の身の上話からして、十中八九聞かないだろう。顔を合わせれば言い争いをしているユウなんて、もってのほかだ。──なら、諦めるしかないか……。
──そう考えていた時だった。
「グリム、左!」
ユウの掛け声と共に、今まで全く当たらなかった幽霊に蒼い炎が当たったのは。当たった事が分かると、当人達はお互いを抱き合いながらぴょこぴょこ飛んでいる。
あまりにも突然の事で、わたしは開いた口が塞がらなくなっていた。さっきまで、あの二人はどちらも幽霊に怖がって動転していた筈だ。なのに、今ではユウの指示でどんどん炎が幽霊に当たっている。わたしが一番ありえないと思っていた『協力』をして。
目の前で起こった状況の情報量があまりに多くて、わたしは頭を抱えながら一人思案していた。
*****
「ヒ、ヒィ~~~! 消されちまう! 逃げろ~~っ‼︎」
幽霊達の情けない叫び声と共に、幽霊退治は終わりを告げた。夢中で戦っていた二人は幽霊がいなくなった事を確認すると、両手を挙げてはしゃぎ始めた。
「グリム、やるじゃん! 凄かったよ〜! ね、フィル!」
「え、うん……」
まさか自分に振られるとは思っていなくて口籠もってしまった。……わたしからすると、あんなに人の言う事を聞いていなかった黒ネコを協力させたユウに凄さを感じる。絶対にありえないと思っていた事だから尚更だけど。
「こんばんはー。優しい私が夕食をお持ちしましたよ」
玄関の扉が開き、よく知った声が聞こえた。予想通りそれは学園長で、彼は湯気の立ち昇る皿が置かれたお盆を抱えている。
「……って、それは先ほど入学式で暴れたモンスター! 追い出したはずなのに、何故ここに⁉︎」
黒ネコの姿を見つけた瞬間に眉を顰めた学園長は、一歩下がってジッと睨んだ。その様子に黒ネコが怯む筈もなく、反対に大きく胸を張った。
「フン! オレ様がお化け退治してやったんだゾ! 感謝しろっ!」
「……どういうことです?」
結論だけ先に伝えられた学園長に、わたし達は先程までの事を簡潔に話した。するとこの建物が使われなくなった経緯を思い出したようで、なんて事でもないようにボソッと呟いた。それにユウは顔を引きつらせていたけど。まぁ、わたしもまさか幽霊達のイタズラとは思わなかったし。
「それにしても貴方たち3人で協力してゴーストたちを追い出してしまうとは」
学園長はわたし達を品定めするかのように、ジッと凝視する。その視線があまりにも粘着質で、わたしの背筋に何かがゾッと走った。黒ネコは特に何とも思わなかったのか、「協力とは聞き捨てならねーんだゾ」と不満を漏らしている。
「ソイツらはほとんど見てただけだったし? オレ様はツナ缶が欲しくてやっただけだし? ……って、オレ様、まだツナ缶もらってねーゾ!」
黒ネコの発言にわたしは、なるほどと頷いた。あんなに仲が悪かったのに協力していたのは、物で釣ったからなのか。手懐けるにしてはかなり容易な方法だ。……という事は、動物を手懐けるには餌で釣るのが一番なんだろうか。本にも書いてなかった方法だし、帰れたら先生に質問でもしよう。
そう考え込んでいると学園長は、お三方、と声をかけて来た。
「ゴースト退治もう一度見せてもらえます?」
その発言に、わたしは目を何度か瞬きをして学園長を見つめた。ユウや黒ネコに至っては口が半開きになっている。数秒が経って放心状態から解放された二人は、幽霊がいない事を口実にして拒否した。それも当然だ。わたしはほとんど見ているだけだったとはいえ、元々は仲が悪い一人と一匹。もう一度協力するなんて、何があってもごめんだろう。
ただ、これまでの様子からも分かる通り学園長がそんな事で諦める筈もなく。「ゴースト役は私がします」と言って、何か怪しい液体をゴクリと飲み込んだ。
その直後に学園長の姿が光に包まれ、次の瞬間には仮面や帽子は着けたまま幽霊の姿へ変貌していた。
「私に勝てたらツナ缶を差し上げましょう。私、優しいので」
「嫌なんだゾ。めんどくせーし、またコイツらと一緒になんて……」
余程ユウと協力するのが嫌なのか、プイと黒ネコは顔を背ける。それにユウの口元がピクリと片側だけ上がり、部屋で再会した時と同様に詰め寄ろうと近づく。わたしはそうならないように、一か八かで黒ネコにとっての餌を振り撒いた。
「もしかしたら入学できるかもしれないけど、いいの?」
すると黒ネコはピンと真っ直ぐに耳を立て、「こ、これで最後なんだゾ!」と意気揚々と駆け出して行く。どうやら効いたようだ。さっきの仮説は正しいようだし、これからも活用していこう。
「フィル!」
突然耳元で声をかけられてビクッと肩が跳ね上がる。振り向くと、案の定ユウがいた。しかもやっぱり満面の笑みを浮かべている。
「……何?」
「グリムのやる気出させてくれて、ありがとう!」
当たり前のように出た感謝の言葉に、相変わらず花が咲くような眩しい笑み。それらは、まるで太陽のように輝かしい。でも、それだけだ。
わたしには理解できない。どうして、何もやっていないわたしにユウはそれらを向けてくるのか。どうして、自分がやってみせた事の方が凄いと思わないのか。分からない……分からないよ。どんなに考えたって、結論は出て来やしない。
「フィル?」
大丈夫かと訊かれ、わたしは我に帰った。そうだ、今は学園長の課題を解決しないと。
なんでもないと答えると、ユウはわたしの腕を引っ張って学園長と黒ネコが待っている場所まで向かった。
*****
ユウとわたしで指示を出して、黒ネコが炎を吹く。最初は人数が増えたせいで上手くいかなかったものの、最後は無事に学園長へ炎が当たった。
「これで、どうだあ!」
肩で息をする黒ネコはフラフラと数歩歩いた後、床にへばりついた。
対する学園長は息一つ乱さずに元の姿へ戻ると「まさかモンスターを従わせることが出来る人がいるなんて」と感嘆の声を上げていた。……やっぱり、わたしの考えは間違っていなかったようだ。
そう胸を撫で下ろしていると、学園長は「続きは座ってお話しましょう」と談話室へわたし達を誘った。
しかし、彼が手をかけた扉は開かなかった。
「ちょ、ちょーっと待ってください‼︎」
何故なら、ユウが汗をかきながら必死に引き止めたから。その行動に学園長だけでなくわたしも首を傾げたが、少し考えて察した。
……そうだ。わたし達──全く掃除していなかった。黒ネコや幽霊騒ぎですっかり忘れていた。あんな埃だらけの場所に学園長を招き入れたら……間違いなくとんでもない事になるだろう。あの人の事だ、容易に想像がつく。かと言って、この状況でどうすればいいか……。
頭を捻っていると、頭上からユウに呼ばれた。不意に顔を上げると、目と目が合った。ジッと目で何かを訴えられる。まさか……学園長をどうにかしてという事なんだろうか。
わたしはため息を一つつき、へばった獣を抱えて歩いた。行き先はもちろん、あの人の元だ。
「学園長、黒ネコをお願いします」
「……え?」
振り向いた学園長へ有無を言わせずに黒ネコを押し付け、わたしとユウは一瞬で部屋の中へ入った。一応近くにあった絵画達を置いた所で、やっと我に帰ったのか学園長が「開けてくださーい!」と言いながら扉をドンドンと叩いている。これでしばらくは時間稼ぎが出来る筈だ。
「フィル、ありがとう〜」
声をかけたユウは、何故かわたしに向けて両手を合わせている。……わたし、拝まれるような事をしただろうか。
口を開こうとすると、ユウからホウキと布巾を手渡された。それらはかなり古びているが、まだ使えそうだ。というか、いつの間に取ってきたんだろう……。
「じゃ、始めますか!」
そんなわたしの疑問は隅に置いて、タイムリミットのある掃除が始まった。
*****
掃除を始めてから十分程経ち、なんとか人が座れる程度には部屋が片付いた。ここで分かった事が一つある。それは、ユウの掃除の腕が結構ある事。今までの様子から、偏見で家事があまり出来ないのではないかと思っていたが違った。テキパキとした無駄のない動きに、効率的な段取り……わたしよりも手際が良かったくらいだ。今度、教えてもらおうかな……。
「失礼しますね」
扉が開き、学園長と黒ネコが彼らを呼びに行ったユウと共に部屋へ入る。少し待たせてしまったにも関わらず、彼らの表情から負のエネルギーは見えなかった。
二人がけのソファーにわたしとユウが座り、もう一つのソファーに学園長と黒ネコが向かい合うように腰をかけた。すると、突然先程の続きを話し始めた。
「実は、入学式騒動の時から私の教育者のカンが言っているんですよねぇ。ユウさんには調教師や猛獣使い的な素質があるのではないか、と」
学園長の言葉にわたしも頷いた。確かに、ユウには素質がある。犬猿の仲とも言える傍若無人な黒ネコを見事に協力させていたし。果てには、ほとんど何もしていないわたしにお礼を言うくらいだ。調教師云々以前に、お人好しが過ぎると思う。
そのお人好しは、口をポカンと開けて目を白黒とさせていたかと思えば、口元をキュッと真一文字に締めて学園長を見据えた。
「あの、グリムも一緒にこの寮に置いてもらえませんか?」
「……何ですって?」
ユウのまさかの発言にわたしは絶句した。遅れて言葉を発した学園長からしても、予想外だったのだろう。それもその筈だ。だって、数時間前まで自分を焼こうとした獣を、目が合えば言い争っていた獣を、彼女は追い出させなかったから。さっきはお人好しが過ぎると思ったが、これはもうそれどころの話ではないじゃないか。
そんなわたしの考えなんてつゆ知らず、ユウは学園長に「お願いします!」と頭を下げている。隣では黒ネコがうるうると目を潤ませて上目遣いをしていた。学園長はユウの願いを「うーん」と唸りながら思案している。そこでユウは、ここぞと言わんばかりに黒ネコを熱心にアピールした。そのおかげか、最後には仕方ないと認めた。
それに一人と一匹が両手を上げて喜んでいると、学園長は「しかし」と横槍を入れる。
「闇の鏡に選ばれなかった……しかもモンスターの入学を許可するわけにはいきません。ユウさんについても、元の世界へ戻るまでただ居候をさせるわけにはいかない。これは出身が分からないフィルさんも然りです」
続けられた言葉に、二人は分かりやすいくらいにショボンと背中を丸めた。……この二人、仲が良いのか悪いのか本当に分からない。
「お二人の魂を呼び寄せてしまったことに関しては、闇の鏡を所有する学園にも責任の一端はある。とりあえず、当面の宿についてはここを無料でご提供します。──ですが、衣食については自分で支払っていただかねばなりません」
その言葉にユウはごくりと唾を飲み込んだ。まぁ、自分でと言われたから仕方ないけれど。とはいえ、わたし達に持ち物なんてない(眼鏡はおそらく役に立たないので保留とする)。それにこの学園長の事だ、何かとんでもない提案をされてもおかしくない。
わたし達の反応を見て、学園長は少し笑いながら続けた。
「そんなに身構えなくても、学内整備などの雑用をこなしてもらうだけです。貴方達は見たところ掃除の腕はなかなかのようですし」
そう言って辺りを見回した学園長は「ひとまず3人1組で『雑用係』はいかがです?」と提案した。まるで決定権がこちらにあるかのような言い方だが、実際の所そんな物はないだろう。
断ればわたしとユウは無一文で追い出される事になって、黒ネコは入学式の時と同様に放り出されるのだから。
「そうすれば特別に学内に滞在することを許可してさしあげます。元の世界や出身地に帰るための情報集めや学習のために図書館の利用も許可しましょう」
私、優しいので。ニッコリと微笑んでそう締めくくった学園長を、わたしはジッと見つめた。
彼がどういった人間なのか、ここまでの時間でおおよそは分かったと思う。それに彼の立場や経歴を加味すれば……この言葉を信じてもいいと結論が出た。今のわたし達の状況を考えれば、むしろ好条件なのではないだろうか。
しかし、わたしの考えとは裏腹に黒ネコは、雑用は嫌だの制服が着たいだのと文句を垂れていた。もちろん、学園長は「不満ならば結構。また外に放り出すだけです」と切り捨てたけど。
一方ユウはというと、学園長から出された条件に不満はないらしく、すぐに承諾した。わたし達の反応を確認した学園長は「よろしい」とニッコリ微笑み、「では三人とも。明日からナイトレイブンカレッジの雑用係として励むように!」と高らかに宣言した。
*****
その後「今日はもう遅いから」という事でオンボロ寮を去った学園長の背中を見送って、わたし達は彼が持ってきてくれた料理を部屋で食べた。あの大雨の中で持って来たのに、料理は出来立てのようにホクホクだった。黒ネコはツナ缶に勢いよくかぶりつき、ユウは夢中でパンを頬張っていた。……やっぱりこの二人は似た者同士なのかもしれない。
食事が終わった後は、寝る場所を確保する為にオンボロ寮の中でも比較的大丈夫そうな部屋を自室にした。ちなみに、ユウと黒ネコが同じ部屋でわたしは別だ。理由は単純にユウから勧められたから。……何かやましい事でもあるのだろうか。まぁ、一日やそこらで分かる筈もないので一旦保留にしよう。
部屋に入ると、談話室と同様埃が雪のように積もっていて再び掃除をする事になった。今回はユウがいなかったので時間がかかってしまい、やっと終わった頃には彼女達は既に入浴を済ませていた。
ユウによるとお湯は出たらしいので心配はなかったが、一つ驚いた事がある。それは、着ていた服が大きくなった事。脱ぐまでは自分の体にピッタリだったのに、脱いだ瞬間他の人の持ち物ではないかと疑うくらい、服のサイズが変わっていたのだ。そして、不思議なことに再び着用するとサイズは元に戻っていた。首を傾げつつ、魔法の効果かもしれないという事でわたしは結論を出した。
部屋に戻ってまだ埃っぽいベッドに入ると、ドッと疲れが押し寄せて来た。もう一歩も動かせないくらいだ。……それも無理もないか。魔獣に、異世界人、残酷な一言、幽霊退治、そして学園の雑用係……今日一日で一生出来ないような体験をした気がする。
……もし、これが夢なら──次に起きた時、何もかも忘れているのだろうか。いつも通りあの日常に戻っていたら……その時は少し、物足りなくなるのかもしれない。
彼女曰く、自分の出身地が学園長にとって聞いた事がなかったので今調べている……らしい。それでわたしは納得した。何故なら、学園長がとても険しい顔をして分厚い本を読み漁っているから。彼といた時間は少ないが、それでもいつもとは違う様子でかなりピリピリとした雰囲気を纏っていた。
数分後、本をパタンと閉じた学園長は「やはりない」とため息混じりに呟いた。
「世界地図どころか、有史以来どこにもユウさんの出身地の名前は見当たりません。貴方、本当にそこから来たんですか? 嘘をついてるんじゃないでしょうね?」
ユウに顔をズッと近づけて睨む様は、無愛想な先生が叱る時と同じだった。ユウは鋭い視線に小さく悲鳴を上げながらも必死に否定する。それに納得したのか、はたまた諦めたのか、今度はわたしに視線を向けてきた。わたしも答えろって事か。
「わかりません」
わたしの返答に学園長は「ほう?」と口角を、ユウは「え⁉︎」と小さく悲鳴を上げた。
「わたしは、家から出た事が一度もありませんので」
「「…………え?」」
珍しく声が揃ったと思えば、二人はそれぞれため息をついたり、涙を流しながら手を合わせて拝んでいた。……何で?
首を傾げていると、学園長がわざとらしく大きな咳払いをした。
「フィルさんの事は置いておいて。こうなってくると、ユウさんはなんらかのトラブルで別の惑星……あるいは異世界から招集された可能性が出てきましたね」
「異世界⁉︎」
そんなものがあるのか。……何だか、ここに来てから自分の知識がどんどん変わっているような気がする。
わたしが少し混乱しているのとは対照的に、ユウは何故か目をキラキラと輝かせていた。どれくらいかと訊かれれば彼女の周りに星が見えそうなくらい爛々と。その様子に学園長は若干引き気味だ。
「そ、そういえば貴方達、ここへ来るときに持っていたものなどは? 身分証明になるような、魔導車免許証とか靴の片方とか」
見るからに手ぶらですけど、と付け加えられた言葉にユウは「あはは」と苦笑した。まぁ、学園長の仮説が正しければ、ユウもわたしと同じでいつの間にかこの服を着ていた事になる。なら手持ちなんて何もないはずだ。
それでも念のため、一応ポケットを触って確認するとカチャッと高い金属音がした。ポケットから取り出すと出てきたのは──眼鏡だった。それは金色に縁取られ、丸い形状をしている。
「おや、眼鏡ですか」
自分の持ち物かと聞かれ、わたしは首を横に振った。眼鏡は先生もしていたから知っているが、自分で付けた事は一度もない。形状からしても先生の物ではないはずだ。
「困りましたねえ。魔法を使えない者をこの学園に置いておくわけにはいかない。しかし保護者に連絡もつかない無一文の若者を放り出すのは教育者として非常に胸が痛みます。私、優しいので」
最後に付け加えられた言葉に、ユウはスンと冷めた顔をした。かなり露骨なそれに気づいているのかいないのか、学園長はうんうんと唸っている。
「そうだ!学園内に今は使われていない建物があります。昔、寮として使われていた建物なので掃除すれば寝泊まりぐらいはできるはずです。そこであれば、しばらく宿として貸し出して差し上げましょう!」
「ありがとうございます!」
ユウが頭を下げると学園長は自分への賛辞を言っていて、またしても彼女の顔がスンと冷めた。
「では善は急げです。寮へ向かいましょう。少し古いですが、趣のある建物ですよ」
そう言って学園長は颯爽と歩き始めたので、わたし達もついて行った。
*****
案内された先にあったのは古い……というより、廃墟寸前の建物。見るからに朽ちかけた庭の木々に錆だらけの門に、所々ヒビのある石造の外壁、ガタガタの屋根。学園長が『昔』とは言っていたけど、使われていたのは大昔の事のようだ。
「お、趣がありますね〜」
ユウの精一杯なお世辞に学園長は「そうでしょう、そうでしょう」と満足気に頷いて、わたし達を中へ招き入れた。
室内の様子は外よりも更に酷かった。椅子はひっくり返って蜘蛛の巣だらけで、カーペットも虫食いがあってボロボロ。床は歩くたびに抜けそうなほど軋んでいるし、絵画はひっくり返って床に落ちている。よく見るとガラスの破片まであった。暖炉は煤だらけで使えるのかもよく分からない。カーテンはかろうじてかかっているものの、当たり一面埃まみれだった。
学園長は辺りをぐるっと見回してから、早口で言った。
「ここであればとりあえず雨風は凌げるはずです。私は調べ物に戻りますので適当に過ごしていてください。学園内はウロウロしないように!」
そう言うや否や、学園長は引き止める間もなく去って行った。
さて……どうしようか。これだけ使われていないとなると、このまま過ごすのは得策ではない。……仕方ない、掃除でもするか。
ホウキを探そうと歩くと、ユウに引き止められた。
「せっかくだし、自己紹介しない?」
「…………」
いや、さっき入学式でそれぞれ名前言ったよね? もしかして聞いてなかった⁇
……とは思いつつ、わたしは鏡が間違えた名前をそのまま名乗った。それにユウは明るい声で反復すると、手を差し出して来た。流石に目も合わせずにするのは失礼だと思い、わたしは顔を上げた。
目に映ったのは、満面の笑みをこれでもかと浮かべた、少女とは言い難いくらい髪が短い子。仮説とはいえ、これが本当に見も知らぬ世界から来た時にする顔なんだろうか。
「よろしくね!」
顔を見て聞いた声はさっきと違って、太陽光に当たっているかのように温かった。おずおずと自分も差し伸べると、初めて会った時と同様に強く握りしめられる。力は相変わらず強いのに、不思議と不快ではなかった。
「ぎえー! 急にひでえ雨だゾ!」
突然聞こえた声にユウが振り向くと、学園を追い出された筈の黒ネコがいた。ずぶ濡れの体を振ってわたし達の顔を見ると吹き出した。
「ぎゃっはっは! コウモリが水鉄砲くらったみたいな間抜けな顔してるんだゾ!」
いや、どういう顔だよ。そもそも、コウモリって水鉄砲くらうの……?
そんな疑問を持っていると黒ネコは、「オレ様の手にかかればもう一度学校に忍び込むことくらいチョロいチョロい」と鏡の間を火の海にした時と同様な笑みを浮かべた。そして、あれくらいで入学を断念しないと胸を張る。……胸を張るような事だろうか。
「ずっと気になってたんだけどさ、何でそんなにこの学校入りたいの?」
そうユウが問いかけると、黒ネコは待ってましたと言わんばかりに自身の身の上話を始めた。
自分は選ばれし天才で、ずっと学園から迎えが来る事を待っていた。でも、どんなに待っても待っても来ない。だから直談判しに来た。
わたしは黙って聞いていたけど、途中からユウの顔は全く黙っていなかった。具体的に言うなら、学園長へ露骨に見せたスンと冷めた表情で、言いたい事がなんとなく伝わるくらいだ。
──ポタッ
頭に来た冷たい感触と共に、黒ネコは「に゛ゃッ!」と小さく悲鳴を上げた。
「天井から雨漏りしてやがるんだゾ!」
天井に向けてギロリと憎しみ気に睨む黒ネコと一緒にわたしも覗き込むが、距離もあってどこが雨漏れをしているなんて分かる筈もなく。水滴が再び落ちてきて、黒ネコは「チャームポイントの耳の炎が消えちまう~!」と騒ぎ出した。
「何箇所雨漏りしてるのかな〜。フィル、分かる?」
「……多分、三箇所以上」
そう答えると、ユウは頭をかきながら廊下へ向かう。すると、その動きを止めるかのように「こんな雨漏り、魔法でパパーっと直しちまえばいいんだゾ」と黒ネコが簡単そうに言った。そして、嫌味しか言えない先生のように底意地の悪い笑みを浮かべて続ける。
「そういやオマエら、魔法使えねえのか。ププーッ! 使えねえヤツだゾ!」
「…………はぁ⁇」
足を止めて振り向いたユウの顔は、今まで見てきたどんな表情より険しかった。眉や目はつり上がり、背後には赤い炎のような物すら見えそうなくらいに。流石に危険を感じたのか、黒ネコは目を泳がせながらピューピューと口笛を吹き始める。けど、そんな事でユウの表情は晴れやしない。ユウは大股で黒ネコに近づくと、ジリジリと詰め寄った。
「そんなにあたし達が『使えない』なら、『魔法が使える』アンタが手伝ってよ」
「や、やーなこった! オレ様はちょっと雨宿りしてるだけの他モンスターなんだゾ」
ドスが効いた声や顔から視線を逸らし、黒ネコは尻尾を巻いて近くのソファーへ逃げ出す。わざとらしい狸寝入りを立て、チラリとこちらを一瞥した。しかしそれが一瞬過ぎて気づかなかったのか、ジッと数秒見つめていたユウの目は姿を元に戻した。まぁ、その後天井に向けて叫びながら廊下に出て行ったけど。
******
ドタバタという足音が聞こえなくなった頃、黒ネコは狸寝入りを辞めて体を起こした。辺りを見渡し、わたしの姿を瞳に映すと大きく悲鳴を上げて素早く
「な、何でオマエはいるんだゾ!」
『何で』と言われても。ユウが部屋から出る事とわたしが部屋にいる事に、何か関係があるんだろうか。ユウはユウだし、わたしはわたしだ。それぞれで行動して何が悪い?
そうは思っていても言うのは面倒で黙っていると、部屋の外から大きな悲鳴が聞こえた。振り向いてよく耳を澄ますと、どんどん音が大きくなっている。
バタン‼︎
「助けて〜〜‼︎‼︎」
勢いよく開いたドアから現れたのは、既に半泣き状態のユウ。何故だか幽霊も連れていた。それを見て、黒ネコも大声で叫び出した。
「ここに住んでた奴らは俺たちを怖がってみーんな出ていっちまった」
「俺たちずっと新しいゴースト仲間を探してたんだ。お前さん達、どうだい?」
「絶対に嫌ー‼︎」
「嫌なんだゾー!」
部屋から出て廊下で逃げ回るユウ達とそれを余裕そうに追いかける幽霊。……何だか、一種の喜劇でも見ている気分だ。二人とも鏡の間ではあんなにいがみ合っていたのに、今は反応がピッタリ揃っているし。
「うううっ、ううーーっ! 大魔法士グリム様はお化けなんか怖くないんだゾ‼︎!」
黒ネコは涙声で震えながらもお得意の蒼い炎で辺りを燃え広がせる。けど、それは廊下を焦がすだけで、幽霊にダメージを与えていなかった。燃やす場所が悪いのか、幽霊がいない所だけ炎が燃え上がっている。
「ちくしょー! 出たり消えたりするんじゃねー!」
「こ、このままじゃ火事になる〜‼︎」
黒ネコの炎で廊下は燃え、ユウは頭を抱えながら叫んでいる。こういう時の事を阿鼻叫喚って言うんだろう。まさに地獄絵図だ。
わたしが冷静に観察している間も炎はどんどん燃え上がっている。そして、黒ネコの何回目かの炎でわたしは気づいた。
──目、瞑っていない?
幽霊のせいなのか、炎を吹く度黒ネコは目を瞑っている。どうりで炎が幽霊に当たらない訳だ。けどこの事を伝えた所で、あの傲慢な獣は耳を貸すだろうか。鏡の間での騒動や自身の身の上話からして、十中八九聞かないだろう。顔を合わせれば言い争いをしているユウなんて、もってのほかだ。──なら、諦めるしかないか……。
──そう考えていた時だった。
「グリム、左!」
ユウの掛け声と共に、今まで全く当たらなかった幽霊に蒼い炎が当たったのは。当たった事が分かると、当人達はお互いを抱き合いながらぴょこぴょこ飛んでいる。
あまりにも突然の事で、わたしは開いた口が塞がらなくなっていた。さっきまで、あの二人はどちらも幽霊に怖がって動転していた筈だ。なのに、今ではユウの指示でどんどん炎が幽霊に当たっている。わたしが一番ありえないと思っていた『協力』をして。
目の前で起こった状況の情報量があまりに多くて、わたしは頭を抱えながら一人思案していた。
*****
「ヒ、ヒィ~~~! 消されちまう! 逃げろ~~っ‼︎」
幽霊達の情けない叫び声と共に、幽霊退治は終わりを告げた。夢中で戦っていた二人は幽霊がいなくなった事を確認すると、両手を挙げてはしゃぎ始めた。
「グリム、やるじゃん! 凄かったよ〜! ね、フィル!」
「え、うん……」
まさか自分に振られるとは思っていなくて口籠もってしまった。……わたしからすると、あんなに人の言う事を聞いていなかった黒ネコを協力させたユウに凄さを感じる。絶対にありえないと思っていた事だから尚更だけど。
「こんばんはー。優しい私が夕食をお持ちしましたよ」
玄関の扉が開き、よく知った声が聞こえた。予想通りそれは学園長で、彼は湯気の立ち昇る皿が置かれたお盆を抱えている。
「……って、それは先ほど入学式で暴れたモンスター! 追い出したはずなのに、何故ここに⁉︎」
黒ネコの姿を見つけた瞬間に眉を顰めた学園長は、一歩下がってジッと睨んだ。その様子に黒ネコが怯む筈もなく、反対に大きく胸を張った。
「フン! オレ様がお化け退治してやったんだゾ! 感謝しろっ!」
「……どういうことです?」
結論だけ先に伝えられた学園長に、わたし達は先程までの事を簡潔に話した。するとこの建物が使われなくなった経緯を思い出したようで、なんて事でもないようにボソッと呟いた。それにユウは顔を引きつらせていたけど。まぁ、わたしもまさか幽霊達のイタズラとは思わなかったし。
「それにしても貴方たち3人で協力してゴーストたちを追い出してしまうとは」
学園長はわたし達を品定めするかのように、ジッと凝視する。その視線があまりにも粘着質で、わたしの背筋に何かがゾッと走った。黒ネコは特に何とも思わなかったのか、「協力とは聞き捨てならねーんだゾ」と不満を漏らしている。
「ソイツらはほとんど見てただけだったし? オレ様はツナ缶が欲しくてやっただけだし? ……って、オレ様、まだツナ缶もらってねーゾ!」
黒ネコの発言にわたしは、なるほどと頷いた。あんなに仲が悪かったのに協力していたのは、物で釣ったからなのか。手懐けるにしてはかなり容易な方法だ。……という事は、動物を手懐けるには餌で釣るのが一番なんだろうか。本にも書いてなかった方法だし、帰れたら先生に質問でもしよう。
そう考え込んでいると学園長は、お三方、と声をかけて来た。
「ゴースト退治もう一度見せてもらえます?」
その発言に、わたしは目を何度か瞬きをして学園長を見つめた。ユウや黒ネコに至っては口が半開きになっている。数秒が経って放心状態から解放された二人は、幽霊がいない事を口実にして拒否した。それも当然だ。わたしはほとんど見ているだけだったとはいえ、元々は仲が悪い一人と一匹。もう一度協力するなんて、何があってもごめんだろう。
ただ、これまでの様子からも分かる通り学園長がそんな事で諦める筈もなく。「ゴースト役は私がします」と言って、何か怪しい液体をゴクリと飲み込んだ。
その直後に学園長の姿が光に包まれ、次の瞬間には仮面や帽子は着けたまま幽霊の姿へ変貌していた。
「私に勝てたらツナ缶を差し上げましょう。私、優しいので」
「嫌なんだゾ。めんどくせーし、またコイツらと一緒になんて……」
余程ユウと協力するのが嫌なのか、プイと黒ネコは顔を背ける。それにユウの口元がピクリと片側だけ上がり、部屋で再会した時と同様に詰め寄ろうと近づく。わたしはそうならないように、一か八かで黒ネコにとっての餌を振り撒いた。
「もしかしたら入学できるかもしれないけど、いいの?」
すると黒ネコはピンと真っ直ぐに耳を立て、「こ、これで最後なんだゾ!」と意気揚々と駆け出して行く。どうやら効いたようだ。さっきの仮説は正しいようだし、これからも活用していこう。
「フィル!」
突然耳元で声をかけられてビクッと肩が跳ね上がる。振り向くと、案の定ユウがいた。しかもやっぱり満面の笑みを浮かべている。
「……何?」
「グリムのやる気出させてくれて、ありがとう!」
当たり前のように出た感謝の言葉に、相変わらず花が咲くような眩しい笑み。それらは、まるで太陽のように輝かしい。でも、それだけだ。
わたしには理解できない。どうして、何もやっていないわたしにユウはそれらを向けてくるのか。どうして、自分がやってみせた事の方が凄いと思わないのか。分からない……分からないよ。どんなに考えたって、結論は出て来やしない。
「フィル?」
大丈夫かと訊かれ、わたしは我に帰った。そうだ、今は学園長の課題を解決しないと。
なんでもないと答えると、ユウはわたしの腕を引っ張って学園長と黒ネコが待っている場所まで向かった。
*****
ユウとわたしで指示を出して、黒ネコが炎を吹く。最初は人数が増えたせいで上手くいかなかったものの、最後は無事に学園長へ炎が当たった。
「これで、どうだあ!」
肩で息をする黒ネコはフラフラと数歩歩いた後、床にへばりついた。
対する学園長は息一つ乱さずに元の姿へ戻ると「まさかモンスターを従わせることが出来る人がいるなんて」と感嘆の声を上げていた。……やっぱり、わたしの考えは間違っていなかったようだ。
そう胸を撫で下ろしていると、学園長は「続きは座ってお話しましょう」と談話室へわたし達を誘った。
しかし、彼が手をかけた扉は開かなかった。
「ちょ、ちょーっと待ってください‼︎」
何故なら、ユウが汗をかきながら必死に引き止めたから。その行動に学園長だけでなくわたしも首を傾げたが、少し考えて察した。
……そうだ。わたし達──全く掃除していなかった。黒ネコや幽霊騒ぎですっかり忘れていた。あんな埃だらけの場所に学園長を招き入れたら……間違いなくとんでもない事になるだろう。あの人の事だ、容易に想像がつく。かと言って、この状況でどうすればいいか……。
頭を捻っていると、頭上からユウに呼ばれた。不意に顔を上げると、目と目が合った。ジッと目で何かを訴えられる。まさか……学園長をどうにかしてという事なんだろうか。
わたしはため息を一つつき、へばった獣を抱えて歩いた。行き先はもちろん、あの人の元だ。
「学園長、黒ネコをお願いします」
「……え?」
振り向いた学園長へ有無を言わせずに黒ネコを押し付け、わたしとユウは一瞬で部屋の中へ入った。一応近くにあった絵画達を置いた所で、やっと我に帰ったのか学園長が「開けてくださーい!」と言いながら扉をドンドンと叩いている。これでしばらくは時間稼ぎが出来る筈だ。
「フィル、ありがとう〜」
声をかけたユウは、何故かわたしに向けて両手を合わせている。……わたし、拝まれるような事をしただろうか。
口を開こうとすると、ユウからホウキと布巾を手渡された。それらはかなり古びているが、まだ使えそうだ。というか、いつの間に取ってきたんだろう……。
「じゃ、始めますか!」
そんなわたしの疑問は隅に置いて、タイムリミットのある掃除が始まった。
*****
掃除を始めてから十分程経ち、なんとか人が座れる程度には部屋が片付いた。ここで分かった事が一つある。それは、ユウの掃除の腕が結構ある事。今までの様子から、偏見で家事があまり出来ないのではないかと思っていたが違った。テキパキとした無駄のない動きに、効率的な段取り……わたしよりも手際が良かったくらいだ。今度、教えてもらおうかな……。
「失礼しますね」
扉が開き、学園長と黒ネコが彼らを呼びに行ったユウと共に部屋へ入る。少し待たせてしまったにも関わらず、彼らの表情から負のエネルギーは見えなかった。
二人がけのソファーにわたしとユウが座り、もう一つのソファーに学園長と黒ネコが向かい合うように腰をかけた。すると、突然先程の続きを話し始めた。
「実は、入学式騒動の時から私の教育者のカンが言っているんですよねぇ。ユウさんには調教師や猛獣使い的な素質があるのではないか、と」
学園長の言葉にわたしも頷いた。確かに、ユウには素質がある。犬猿の仲とも言える傍若無人な黒ネコを見事に協力させていたし。果てには、ほとんど何もしていないわたしにお礼を言うくらいだ。調教師云々以前に、お人好しが過ぎると思う。
そのお人好しは、口をポカンと開けて目を白黒とさせていたかと思えば、口元をキュッと真一文字に締めて学園長を見据えた。
「あの、グリムも一緒にこの寮に置いてもらえませんか?」
「……何ですって?」
ユウのまさかの発言にわたしは絶句した。遅れて言葉を発した学園長からしても、予想外だったのだろう。それもその筈だ。だって、数時間前まで自分を焼こうとした獣を、目が合えば言い争っていた獣を、彼女は追い出させなかったから。さっきはお人好しが過ぎると思ったが、これはもうそれどころの話ではないじゃないか。
そんなわたしの考えなんてつゆ知らず、ユウは学園長に「お願いします!」と頭を下げている。隣では黒ネコがうるうると目を潤ませて上目遣いをしていた。学園長はユウの願いを「うーん」と唸りながら思案している。そこでユウは、ここぞと言わんばかりに黒ネコを熱心にアピールした。そのおかげか、最後には仕方ないと認めた。
それに一人と一匹が両手を上げて喜んでいると、学園長は「しかし」と横槍を入れる。
「闇の鏡に選ばれなかった……しかもモンスターの入学を許可するわけにはいきません。ユウさんについても、元の世界へ戻るまでただ居候をさせるわけにはいかない。これは出身が分からないフィルさんも然りです」
続けられた言葉に、二人は分かりやすいくらいにショボンと背中を丸めた。……この二人、仲が良いのか悪いのか本当に分からない。
「お二人の魂を呼び寄せてしまったことに関しては、闇の鏡を所有する学園にも責任の一端はある。とりあえず、当面の宿についてはここを無料でご提供します。──ですが、衣食については自分で支払っていただかねばなりません」
その言葉にユウはごくりと唾を飲み込んだ。まぁ、自分でと言われたから仕方ないけれど。とはいえ、わたし達に持ち物なんてない(眼鏡はおそらく役に立たないので保留とする)。それにこの学園長の事だ、何かとんでもない提案をされてもおかしくない。
わたし達の反応を見て、学園長は少し笑いながら続けた。
「そんなに身構えなくても、学内整備などの雑用をこなしてもらうだけです。貴方達は見たところ掃除の腕はなかなかのようですし」
そう言って辺りを見回した学園長は「ひとまず3人1組で『雑用係』はいかがです?」と提案した。まるで決定権がこちらにあるかのような言い方だが、実際の所そんな物はないだろう。
断ればわたしとユウは無一文で追い出される事になって、黒ネコは入学式の時と同様に放り出されるのだから。
「そうすれば特別に学内に滞在することを許可してさしあげます。元の世界や出身地に帰るための情報集めや学習のために図書館の利用も許可しましょう」
私、優しいので。ニッコリと微笑んでそう締めくくった学園長を、わたしはジッと見つめた。
彼がどういった人間なのか、ここまでの時間でおおよそは分かったと思う。それに彼の立場や経歴を加味すれば……この言葉を信じてもいいと結論が出た。今のわたし達の状況を考えれば、むしろ好条件なのではないだろうか。
しかし、わたしの考えとは裏腹に黒ネコは、雑用は嫌だの制服が着たいだのと文句を垂れていた。もちろん、学園長は「不満ならば結構。また外に放り出すだけです」と切り捨てたけど。
一方ユウはというと、学園長から出された条件に不満はないらしく、すぐに承諾した。わたし達の反応を確認した学園長は「よろしい」とニッコリ微笑み、「では三人とも。明日からナイトレイブンカレッジの雑用係として励むように!」と高らかに宣言した。
*****
その後「今日はもう遅いから」という事でオンボロ寮を去った学園長の背中を見送って、わたし達は彼が持ってきてくれた料理を部屋で食べた。あの大雨の中で持って来たのに、料理は出来立てのようにホクホクだった。黒ネコはツナ缶に勢いよくかぶりつき、ユウは夢中でパンを頬張っていた。……やっぱりこの二人は似た者同士なのかもしれない。
食事が終わった後は、寝る場所を確保する為にオンボロ寮の中でも比較的大丈夫そうな部屋を自室にした。ちなみに、ユウと黒ネコが同じ部屋でわたしは別だ。理由は単純にユウから勧められたから。……何かやましい事でもあるのだろうか。まぁ、一日やそこらで分かる筈もないので一旦保留にしよう。
部屋に入ると、談話室と同様埃が雪のように積もっていて再び掃除をする事になった。今回はユウがいなかったので時間がかかってしまい、やっと終わった頃には彼女達は既に入浴を済ませていた。
ユウによるとお湯は出たらしいので心配はなかったが、一つ驚いた事がある。それは、着ていた服が大きくなった事。脱ぐまでは自分の体にピッタリだったのに、脱いだ瞬間他の人の持ち物ではないかと疑うくらい、服のサイズが変わっていたのだ。そして、不思議なことに再び着用するとサイズは元に戻っていた。首を傾げつつ、魔法の効果かもしれないという事でわたしは結論を出した。
部屋に戻ってまだ埃っぽいベッドに入ると、ドッと疲れが押し寄せて来た。もう一歩も動かせないくらいだ。……それも無理もないか。魔獣に、異世界人、残酷な一言、幽霊退治、そして学園の雑用係……今日一日で一生出来ないような体験をした気がする。
……もし、これが夢なら──次に起きた時、何もかも忘れているのだろうか。いつも通りあの日常に戻っていたら……その時は少し、物足りなくなるのかもしれない。
