Caligula

家畜讃歌(主琵琶)

2018/06/03 14:37
主琵琶リクエスト
 
匿名様より「焼き肉を食べる主琵琶」のリクエストでした。ありがとうございました。













 
「せっかちなのか何なのか分からんが、焼いている肉を何度も何度もひっくり返す奴がたまにいるだろう。あれは感心しないな」
「別に早く焼けるわけでもないですしね」
「それもそうだが、脂が落ちてしまうんだ。赤身なんかは脂が浮いてきた頃に一度だけ裏返せばいいのさ。……部長君、何か頼みたい物は?」
「ええと、僕あんまり詳しくないんで。先輩にお任せしていいですかね」
「おやおや、苦手なものなんかも無いのか? とりあえずメニューだけでも見てみるといい」

遠慮しなくていいんだよ、と柔和に笑ってみせた先輩はそう言うものの、だって本当に肉の部位やら味の違いが分かる舌など持ち合わせてはいないのだから仕方ないのだ。そのぶん、僕の目の前に座るこの人は育ちもよければ当然のように舌も肥えていそうだと思う。WIREでの雑談に気まぐれに返ってくる答えを見る限りは。
それでも促されるまま、僕はテーブルに備え付けられたメニューをぱらぱらとめくってみる。―――カルビ、ロース、タン、ハラミ、なるほどやはりどいつもこいつも、僕にはただ人間に都合のよいタグづけがなされたウシの死骸にしか見えなかった。次のページには似たようなブタの死骸が並んでいた。ふうと小さくため息を吐きながら先輩をチラリと見遣ると、彼は注文用のタブレットのパネルをぽちぽちといじり始めていた。切り揃えられた爪は均一な丸みを帯びている。
案外ラフなパーカー姿の彼からは普段のかっちりとした制服姿とまた違った印象を受けるが、しかしそれでもひとつひとつの所作は余裕と品を感じさせるものだ。それはもともと生まれ育った環境に依るものが大きそうだが、しかしそこから更に、周り全てを欺き通すため指先まで丁寧丁寧に磨き上げたようにも感じられた。神経質そうな白い指に嵌まり込んだシンプルなシルバーが、程よく落ち着いた照明に照らされきらりと光るのを見た。力任せに磨きすぎた銀は、時に強すぎる照明の下で表面に走る微細な瑕を、綻びを晒すことになる。そのことを彼はわかっているのだろうか。

「うーん、何が好きかって言われてみると赤身のほうがいいかもしれませんね……カルビとか」
「じゃあ、この盛り合わせにしよう。ホルモンなんかは?」
「実はあんまり食べたことがないんです」
「確かに味に多少のクセはあるが、僕は好きだ。少しばかりケモノくさいほうが『動物を食ってる』という感じがするだろう?」
「……琵琶坂先輩って、少し変わった人?」
「たまに言われる」

くすくすと笑う先輩の指が、またパネルを軽くタップする。今度は内臓の盛り合わせが注文に追加された。グロテスクだ。

金曜の放課後、僕と琵琶坂先輩は焼き肉屋にいた。とは言っても、ここは焼き肉屋と聞いて僕が真っ先にイメージする、酒の入った客の下品な会話や煙草と安い脂のにおいが混じった煙に満ちた空間ではない。店内の約半分ほどが個室になっていて、落ち着いた雰囲気の小綺麗な店だ。
何故そんなところにいるのか、と聞かれると本当に何故だか良くわからないのだけど、昼休みに突然個人宛に送られてきたWIREであれよあれよと言う間にスマートに夕食の約束を取りつけていった彼が言うには、「一度君とゆっくり話がしてみたかった」のだという。部員たちとは明らかに一定の距離を置いていると思われる男が、そんなふうに僕を誘うなんて、意外だという他はなかった。

「あと、先輩、僕ごはん食べたいんですけど。先輩的にはそういうのって邪道?」
「ふふ、食べ盛りだねえ、いいことだ。いかにも高校生らしくて素敵だと思う」

注文を終えてしばらくすると、顔が塗り潰されたNPCの店員が皿を持って僕らの個室にやってきた。テーブルに並べられていく丸い皿の上には、てらてらと厭らしい光沢を放つ何かが載せられている。
これから僕らは女神によって作られた紛い物の動物たちの死骸を食らって、この贋物の身体に取り込んで血肉にするらしいと今さら実感が湧いた。この仮想世界の中だけで完結してしまう、命のサイクルから悉く外れた冒涜にすらなれない中身の無い行為をこの薄っぺらな笑みを貼り付けた男と共にするというのは、なんというか。悪い気はしないのだが、少しだけ、背中がむず痒い。
「これ、いったい何なんだろうね」
どうやら僕と同じようなことを考えていたらしい先輩が、そんなことを呟きながらひょいひょいと肉を網に乗せている。ちょうどいい加減に調整されたオレンジ色の火に炙られた肉からは、じゅうじゅうと脂の爆ぜる音がする。良い焼き肉屋の煙ってのはあんまり脂くさくないんだななんて、そんなことを思った。僕も何か手伝うべきだろうかともうひとつのトングに手を伸ばしかけると、「いいよ、最初は僕がやる」と軽くウインクまでされてしまった。まったく手慣れたものだ。おそらく、こだわりの足りない僕に適当に肉を焼かれるのが嫌で、まずは見て覚えろということなんだろうけど。





***




「前から思っていたのだけど、君のそれ、偉いね」
「はあ」

タンは外側が軽く反り返ってきたら裏返す。カルビは、やや固いが脂が多くて焦げやすいので注意を。ロースは、最初に先輩が言ったようにしっとり脂が浮いてきた頃合いを見計らってひっくり返す、らしい。なるほど確かに素人目から見てもいい具合に焼かれたとわかる肉が盛られた皿を目の前に置かれたので、とりあえず手を合わせた僕を見て先輩は言った。僕は、ああ、とため息に似た相槌を打つ。

「ガキの頃から、親にしつこいくらい言われてましたね。生き物の命をもらうんだから、感謝の気持ちを持てと」
「素晴らしい! いいご両親だ」

先輩の品のある柔らかな声音には、しかし喉に引っかかった小骨のような違和感を孕む揶揄の響きが確かに混ざっている。僕は気がつかない振りをする。本当にいいご両親なら、僕がこんなところにいるはずがないんだけどなあと考えていると、言葉に甘ったるい吐息を乗せるようにして笑っていた先輩の目が、不意にすっと細まった。
「まあ、この紛い物の世界でいったい何に感謝するのかはわからないが」
「そうですね。でも、これはもうただの癖みたいなもんなんで。許してもらえます?」
「ああ、勿論だとも」
先輩は、今度はくくっ、と喉を鳴らして笑う。
確かにこの理屈でいくと、命のある本物の生き物なんてどこを探し歩いても存在しないメビウスで僕はいったい誰に感謝をするのだろうか。「生産者」であるμに、ということになってしまうのか。先輩はこの世界の真相に自力で気づいたと聞く。恐らく誰よりも強い現実への執着を持ち、とっととμを、ただの歌う人形を壊せとブレーキの壊れた正当防衛を高らかに語る男の前で彼女を崇めるような真似をする僕は異教徒か? なんだか馬鹿馬鹿しくなってくるが、それでもこうして手を合わせたまま「いただきます」などと呟いてしまうのだから身体に染みついた血のにおいにも似た滑稽な癖である。先輩は自分の皿にも肉を取りながら僕に視線を遣って、まだ幼い子どもの他愛の無い仕草に目を細める親の真似事をしてみせた。温度の足りない慈愛のイミテーションに見守られながら歯を立てた空っぽの死骸は格別だ。何しろやわらかくてあまり味がしない。守るべきもののために帰りたいのだと嘯く彼の持つ強固な意志の盾は、恐らく自分ひとりを覆い隠すための大きさしかないのだということを僕は知っている。理屈では無い。本能だ。先輩の視線の中に溶けているのはいつだって「自分の利益になる人間か否か」というだけの、極めて単純明快な遠慮のない品定めと、甘い砂糖にも似た侮蔑だ。

「僕だってとりあえずマナーとして食前食後の挨拶はするが、食べられる生き物に感謝なんて考えたこともなかったな。ヒトは奪う側の生き物だから」
「あー、うん、先輩らしいです」
「それはどうも」
これまた綺麗な箸使いで焼いた内臓を食う先輩をぼんやり見つめながら、理科の教科書に載っている食物連鎖の図のことを思い出していた。強いものと弱いもの、捕食被食、上にいくほど狭まってゆく色分けされたピラミッド。口の中でもそもそと転がしていた米を飲み下し、僕は銀色のトングを手にして哀れにも人間様のエサになる生肉の皿をひとつ手元に引き寄せた。先輩は何も言わない代わりに「さて、上手に出来るかな?」とでも言いたげな視線を僕に送ってきた。嫌な人だ。厭らしい人だ。
「けどそれって傲慢ですよね」
「ふむ」
「人間、丸腰で自然の中に放り込まれたら呆気ないくらいあっさり死ぬのです。ちっぽけな虫の運ぶ病気で一気に何万人もやられるし、もっと乱暴な話をすればヒトが素手で勝てると言われる動物なんてせいぜい、」
「特に格闘技なんかをかじっているわけでもない一般人だと、30キロ前後の中型犬が限界とはよく言われるよな。別に試してみたいとは思わないが」
「……、はい」
思いがけず先回りをされてしまった回答に、戸惑いつつワンテンポ遅れて返事をする。学園トップの優等生様の知識はどうやら雑学方面にも広く及んでいるようで、確かにこれなら会話のネタには事欠かないだろうなと感心してしまう。と、不意に「焦げるよ」と声をかけられたので、僕は慌てて網の真ん中に置いたロースをトングで挟んでひっくり返した。表面には濃い色をした焦げ目がついている。
「しかし、我々は自分たちに足りない力を『ここ』で補ってきたわけじゃないか」

先輩は一旦箸を手元に置いて、人差し指で自分の頭をトン、とつついてみせた。

「君はもう少し傲慢になりたまえよ。奪う側としての自覚を持つくらいで罰なんか当たりゃしないさ」
「そういうもんですかねぇ」
「そういうものだよ。……そこのハラミ、そろそろいいんじゃないか。食べてみるといい」
「ハラミってどこの部分ですか」
「横隔膜だね。わりとクセがなくて食べやすい部類だと思うよ」
「はあ」
僕は言われるがままに肉をひとつ口に含んだ。確かに先輩の言うとおり、ほんのり甘くて内臓くささは薄い死骸だ。それほど力を入れずに噛みきれるくらいには柔らかいが、程よい弾力もある。繊維を歯ですり潰していると先輩はいつのまにかトングを手に取っていて、どうやら焼くのを交代してくれるらしい。

「それに君は、人間から奪う側の人間でもあるだろう。そういう目をしている」
「なんのことかわかんないですね、僕、先輩ほど賢くはないものですから」
「ふふ」

にこにこと笑いながら何かの死骸を火の上で転がす彼を見て、僕は何故か、母を刺した日のことを思い出していた。

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