Caligula

夜道と手

2018/05/08 20:16
主鍵部長キャラエピ
 
部長のキャラエピ1話
















「なんで先輩は、こんなに僕に良くしてくれるんですか?」
「ん? どうしたの、急に」
「いや、その、今まで聞く機会がなくて、ずっと気になってたんですけど」
「うん」
「僕の悩んでることとか、全然笑ったりしないで聞いてくれたし、ちゃんと答えを出せるまで付き合ってくれたし」

おかげで、大人になるのも悪くないと思えたのだ。
僕の抱えていた、どうしようもなく苦しくて、恥ずかしくてもどかしくて、そんな気持ちにどうにかひと区切りがついた日の帰り道のことだ。ずっと気になっていたことを隣を歩く部長に問いかけると、彼は「普通じゃない?」と普段通りに笑ってみせた。あんまり普通じゃないと思うから、こうして聞いているんだけど。僕は小さく息をつく。
いつもおだやかに微笑んでいる部長―――松田奏一という男も、きっと現実が嫌で嫌でたまらなくなって、でも逃げ場がなくて、どうしようもなくなってしまったから「ここ」にいるというのに。それでも彼は、僕が「甘ったれるな」と一蹴されてしまうかもと思いながら打ち明けた不安と劣等感を真剣に受け止めてくれた。みっともなく泣き喚いても見放さないで、気持ちに整理がつくまで一緒に歩いてくれたのだ。それに今日だって、これまでのお礼に夕飯をごちそうするつもりで寄った店でも「鍵介ががんばったごほうびだよ」なんて言って、部長は一人で二人ぶんの支払いを済ませてしまった。どうにも彼は、やさしすぎるように思うのだ。僕は、そこまで親切にする価値のある人間でもないのに。

「もちろん、それはすごく、ありがたいことなんです。でも、僕にはよくわからなくて……」
「うーん、そうかぁ」

感謝の気持ちは、もちろんある。いや、感謝してもしきれないくらいだ。けど、どうしてそこまでしてもらえるのかが僕にはどうしてもわからなかった。だって、僕は部長に、たいしたものを返せないのだから。今だって、さっそく夕食を奢るのを失敗してしまったから次はどうしたものかと悩んでいる。
部長は何かを考えるように上を見上げて黙ってしまったので、僕は答えを待ちながら淡々と歩いた。メビウスを囲うニセモノの空には、これまた作り物の星がうっすらと瞬き始めている。いや、空だけじゃない。この世界のどれもこれも紛い物、見渡す限りのイミテーション。でも、今日はなんだか少し、空気がおいしい気がする。

すっかり辺りは暗くなっていたが、駅の周りはまだまだ賑やかだ。僕らが通りかかると、ちょうど街頭ビジョンがぱっと明るくなり、μの曲の宣伝が始まった。そう言えば、近々新曲のMVを初めてフルで公開するだのなんだのといったお知らせが、ゴシッパーで流れていたのを思い出す。場所や日時までしっかり目を通していなかったのだが、そうか、今夜だったのかと僕はつい舌打ちをした。
「な、何? えっ? 何か始まる?」
どうやら部長は、これから何が起こるかを知らないらしい。タイミング悪すぎだろと後悔をする暇も無く、わらわらと集まりだしたギャラリーで、あっという間に僕らはもみくちゃになってしまう。その中に既にデジヘッドと化した生徒が数体混ざっているのが見えたので、僕らは無言で目配せをして、ほんの少しだけ歩調を早めた。恐らく、曲がサビに向かって盛り上がるにつれ、住人たちの浸食率は更に高まっていくに違いない。帰宅部の活動も佳境に差し掛かった今、こんなところで大きな騒ぎを起こすわけにはいかないのだ。人の波に飲まれないように、でも目立ちすぎないように、こっそりと、歩みを進める。

「すごい人だ。何?」
「……たぶん、新曲のMVが流れるんですよ。こないだゴシッパーで見ました」
「そうなのか……」
「あ、いてっ、いててて」
「大丈夫?」

きゃあっ、と歓声をあげて街頭モニターに駆け寄っていく女子生徒に、ぎゅうっと足を踏まれた。ヒールじゃなくて命拾いしたけど、それでもローファーの靴底だってけっこう固い。
それを見ていた部長は、そっと腕を伸ばして僕の手を握り、自分の身体のほうへと引き寄せた。彼の手はあたたかかった。が、しかし。「あ、あの」はぐれないようにしてくれているのは分かる。だがそれが、手のひら同士をぴたりと密着させ、指を交互に絡ませる、いわゆる恋人つなぎと呼ばれるものであることに気がついた僕は、思わず目を見開いた。
「先輩……?」
歌姫の声に熱狂するファンたちの肩や腕、ぶら下げた鞄や背負ったリュックがばしばしと身体に当たる雑踏の中、立ち尽くす僕に部長は薄く微笑んで、




「たぶん、僕が鍵介くんをすごく好きだからだ」




耳元で、そう囁かれた。


「好きだから、きっと誰よりも特別にやさしくしたいんだよね。理由なんて、それだけだよ。……さ、早く行こう」

髪や上着をぐちゃぐちゃにしながら人の波を抜け出して、繁華街から一本外れた人通りの少ない道に入ったところで、それが僕の問いに対する彼の答えだということにようやく気づいた。何故、僕にやさしくするのか。君が好きだからだ。あまりに単純で、明快で、むずがゆくて、顔が熱くて、どうしたらいいのかわからない。部長はずっと、握った僕の手を離さなかった。僕は返事をするどころかひと言も声を発することすら出来ないまま、ただ、手を引かれて歩いた。彼の「好き」が、仲の良い友達に対するそれではないことくらい、その声色でわかった。わかっていて、ただ、手を引かれて歩いた。

帰り道に突然の告白だなんて、こんなシチュエーションに憧れていなかったと言えば、それは嘘になってしまうのだが。しかしそれが年上(のような気がする、恐らく)の同性(だと思う、たぶん)相手となると、僕の頭を満たすのはほとんどが驚きと戸惑いだ。俯いて、アスファルトにまっすぐ伸びるふたつの影をぼんやりと見つめる。当たり前だけど、黒い影たちも手をつないで歩いていて、ふたつの境目は僕の目には見えなかった。まるで幼い子どものように手を引かれる自分がなんだか急にひどく恥ずかしくなって、思わず手を強く引いた。

「あ、」

部長は小さく声を上げる。僕の指は、驚くほどあっさりと部長の指の間をすり抜けていく。彼が手をぎゅっと握って離してくれないような気がしていたのは、僕の思い込みだった。実際は、いつでも振りほどけるように緩く指を絡められていただけだったのだ。

「え、っと……」

気がつくと、そこはもう僕の家のすぐ前だ。あと10歩ほど歩けば玄関にたどり着くような、ほんの僅かな距離。頼りない街灯の明かりの下で、部長は「だめか」と苦笑いして、僕の制服の肩と校章をつなぐ紐を直してくれた。どうやらさっきの人混みに揉まれているうちに、絡まってしまっていたらしい。

「ごめんね、困らせて。おやすみ」

苦笑いのまま、彼は去って行く。告白の返事を求めないどころか、僕に悪いことをしたと謝って、夜の闇の中に消えていく。最後までろくに言葉を発せないまま、僕は制服の後ろ姿を見送った。
あのまま手を振り払わず、家の前までふたりで歩ききることができたら、僕たちの間の何かは変わっただろうか。彼は許されたと思っただろうか。僕が許したことになるのだろうか。わからない。ただ、彼と繋いでいた手が、シャワーを浴びている間も、ベッドに入ってからも、熱くてたまらなかった。





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