Caligula

傲慢のすゝめ(主琵琶)

2018/03/23 10:11
主琵琶

「……おや、呼ばれてるのは本当に僕だけか。これ、部長直々の個別面接ってやつ? 何かやらかしてしまったかな、なんだかドキドキするね」
「いや、そこまで重い話じゃないんだけど……」
「冗談だ」

普段学校で見慣れているかっちりとした制服姿とは、またがらりと印象が変わるものだと俺は思った。休日の朝、WIREで「ちょっと相談がある」とカフェに呼び出した永至先輩は意外にもラフなパーカー姿で待ち合わせの時間ぴったりに現れたものだから、俺は少し毒気を抜かれたような気分になっていた。

「で、話っていうのは」
「あ、うん……」

案内された席に向かい合って座りながら、促されるままに俺は話を切り出す。

「あの、先輩、ああいう怖いこと言うの、ちょっとよしたほうがいいんじゃないのかなって思ってさ」
「うん? 何が怖いって?」
「とっととこんなところぶっ壊しちまえばいい、みたいなやつ。鈴奈ちゃんとか完全に引いちゃってたし。あの子ほんとにやさしいから、あんまり怖がらせないであげて」
「……ああ……」

ポケットに手を突っ込み「悪い悪い」とまるで気のない返事を返す永至先輩は、妙に似合うごてごてしたアクセサリーの類も相俟って、パッと見は駅前とかでたむろしてる地元のヤンキーだ。よくよく観察してみれば、それなりに上品な面立ちやきれいな所作なんかをしてはいるけど。こんなのが学年でいちばん、否、学校でいちばん頭が良いだなんて、まったくどうかしていると思う。だからこそ俺たちは、このどうしようもなくアンバランスで危うい均衡を保つ、どうかしている世界から、今すぐにでも脱出したいのだけれど。まだそれほど混み合ってはいないカフェの店内には、やはり真っ黒に顔を塗り潰されたNPCの店員が何人かいた。流れているBGMは、もちろんμの曲だ。この前パピコで死ぬほど聞いたなぁなんてことを思いつつ、俺はひそりと声を落とす。

「一刻も早く向こうに帰るために、先輩なりの意見をちゃんと言ってくれるのは、確かにすごく助かるけど」
「まあ、僕は間違ったことを言っているつもりはないな。人が複数集まればその中には切り捨てるべき意見も必然的に存在していて、まずそれを慎重に見極めていくことがリーダーとしての君の役……」

と、そこで永至先輩は俺の顔を見て、テーブルに立てかけてあったメニューをおもむろに手に取り、

「……すまない、少し話しすぎたね。さて、何にする? 奢るよ」
「俺が呼び出したのに、悪いよ」
「こういう時は年上に素直に甘えておくものだよ。……特にこだわりもないのなら、ここはスタンダードにコーヒーでも頼もうか。ホットとアイス、どっち?」

ちらり、と永至先輩の表情を窺う。優等生が数学の問題に当てはめる公式を問うような、おだやかな笑みを浮かべていた。

「……じゃあ、アイスコーヒーで…………」
「うん、僕もそうしよう。……ああ君、朝食は済ませたかい? もしまだのようなら、軽く何か食べる?」
「ううん。食べてきたから平気」
「そう」

しばらくしてテーブルにやってきた店員に、先輩はアイスコーヒーをふたつ、注文する。果たしてこの人当たりのよさが何処まで本物なのか、それとも何処にも本物なんていないのか。漠然とした薄気味悪さで、掌に嫌な汗が滲む。
耳触りの良い言い方をすれば合理的な、悪い言い方をすれば冷徹に過ぎる判断は、時に過激な物言いとなってその形の良い唇からすらすらと滑り出し、周囲を凍りつかせる。俺たちの最大の目的と照らし合わせてみて、彼の意見が正しいかどうか、と聞かれれば、恐らくそのほとんどが帰宅部としては正しいことくらい分かるのだ。しかし俺たちの全員が、0と1、全か無か、極端な選択を迷い無くこなせる生き方をしているわけではない。未だ揺れる心を抱えたままデジヘッドと戦っているようなメンバーとの間に、大きく亀裂を生じさせかねない永至先輩の危うさに、俺は危機感を覚えずにはいられなかった。
―――こちらだって被害者だ。向こうの事情を汲んでやるような余裕はあるのか? 手段を選んでいる時間は我々に残されているのか?―――定規でぴっちりと引かれた線のような持論でブレーキの壊れた正当防衛を語る男の、底無し沼じみた瞳の色に、畏怖を抱いたと言い換えてもいい。そうだ、俺は、この人が怖い。自覚をすると同時に、空調設備の整ったカフェにいるはずなのに、すっと背筋が冷えるような心地がした。

「……ともかく、俺は永至先輩の判断力とか口の巧さをもちろん買ってるけども、それでもみんなの前でああいうキツすぎる言葉は極力控えてほしいかなぁ、って話、です」
「……そうだね、君の言うことも一理ある。善処するよ」

あーこれ、ぜったいに一理あるなんてカスほど思ってもいねえな、と俺は内心がっくり肩を落とした。はっきり言えない性格が災いし、だいぶマイルドなものになってしまった俺の提案に、永至先輩は控えめに見積もっても善処してくれる気などなさそうなテンプレート回答をくれた。俺が小さく息をついて汗をかいた手をおしぼりで拭いていると、注文したアイスコーヒーが二つ、テーブルに運ばれてくる。

「どうも」

ざわざわとしたノイズを纏ったNPCの店員にすら、人の良さそうな完璧な笑みを浮かべて礼を言ってみせる永至先輩の口から、次にあの耳を焼く毒のような正論が溢れ出すのは、ああ、いったいいつになるのか。砂糖とミルクをひとつずつ入れ、ひんやりとしたグラスに口をつけた俺は、コーヒーをホットにしなかったことを、今さら少しだけ後悔した。

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