Caligula

キャンディ・ハウス(主鍵) ※前サイトログ

2018/03/17 12:18
主鍵

「合計8点で、2,637円です」

財布の1万円札の中から1枚を抜き出した。このメビウスのあちこちでまるでクーポン券のようにばらまかれているこの紙切れは、しかし今日もしっかり1万円としての価値を保っているというのだからなんだか笑えてくる。「コンビニ店員」という設定に沿って動く真っ黒な人影から、袋詰めされた商品とお釣りを受け取って店を出た。僕がろくに考えもせず買い物カゴに放り込んだ弁当やパンは、きっといつのまにか減った分だけ補充されているのだろう。もしかしたら僕が店を出た瞬間、ジュースもお菓子もコンドームもどこからともなく魔法のように現れて、何食わぬ顔で棚に並ぶのかもしれない。確かめてみる気はなかったが。ともかく、メビウスは今日も豊かだ。どこからともなくカレーの良い匂いがした。






「え、嫌ですよ、おなか空いてたからいっぱい食べちゃいました」
夕食の後、セックスしようと誘ったら普通に断られた。デザートのシュークリームをぱくついている鍵介は確かに相当な空腹だったようで、既に僕の買ってきたからあげ弁当とカレーパンひとつをぺろりと平らげた後だった。確かに、やってる最中に吐きそうとか言われても困るなあ。
「だいたいねえ、普通したいなら言いませんか、先に」
「それはまあ僕が悪いかもだけど、金曜の夜に僕んち泊まりで明日は部活ないってなったらさ、ちょっとは考えるでしょ」
「は? 金曜日?」
鍵介は少しきょとんとしたような表情を見せて、ポケットから取り出したスマホの画面を確認し始めた。それから少しして、あ、みたいな顔をする。
「……ほんとだ、金曜日ですね。なんか最近、ちょっと曜日の感覚が」
「わかるよ。僕もたまになる」
ぬるま湯じみた平坦な学校生活と帰宅部としての非日常を交互に行き来していると、時間や曜日の感覚なんかがゆるやかに狂っていくのだ。いや、こんな世界に閉じ込められていることが、僕たちにとっては既に非日常であって―――ああ。
毒されてるなあと呟いて僕は床に寝転んだ。この虚構の世界の甘さと毒、相反するふたつに心の芯みたいなものをぐずぐずに溶かされている。そんな感覚。幽体離脱症候群にかかる前の僕のままでいられるのだろうか。いや、もしかしたら、もう、
「…………やっぱり、します?」
「ん?」
床に置かれたコンビニの袋からコンドームの入った紙袋を取り出して、ちらちらと鍵介がこちらを見ている。もしや、断られて拗ねているとでも思われているのだろうか。あのね、さすがに僕もそこまで子どもじゃないよ。
「いや、今日はやめとこう。僕もちょっと疲れてるみたいだね」
「そうですか」
「でも、いっしょに寝てくれる?」
「それは、最初からそのつもりでしたけど」
「ありがと」

その後少しだけテレビを見て、ふたりで風呂に入ってから眠った。毛布に潜り込みながら「今の金銭感覚のまま現実に戻るのが怖い」とため息をついた僕に、「じゃあ一緒に買い物行きましょう」と笑いかけてくれる鍵介は、この世界で何よりも確かなもののひとつだった。

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