Caligula

My Dear, (主琵琶)

2018/05/24 11:30
主琵琶
 
案外くるくると表情を変える愛嬌のある面立ちと、よく動いて棘のある正論と呼吸のような嘘を吐く口は街を歩くNPCたちのように塗り潰されていて、俺にはもう顔を判別することはできなかった。しかし琵琶坂永至という個体を構成していたアイデンティティを全て失った物言わぬ肉塊をそれでも愛しいと思い、冷たくなった身体に手を伸ばしてしまう俺はやはり、そう、気でも狂っているのだろう。元から狂っていた男とそれに狂わされた男、マイナスにマイナスを掛けたらプラスになるはずなのにおかしいよね。渇いた笑いは、窓もカーテンも閉めきった部屋の淀んだ空気に溶けた。μに頼んで用意してもらった彼の死体のレプリカは、ふと思い出したように生き返ることもなければ、そのままじわりじわりと肉が溶け落ちていくこともなく、ただ悪趣味な現代アートじみた静謐を伴った命のないかたまりとして俺の部屋に今日も転がっている。美しい。妬ましい。嘆かわしい。恐ろしい。愛しい。狂おしい。波のように押しては引いてゆく感情の処理が追いつけず、俺はただその無様で愛らしい死体の輪郭を目線で犯すことしかできなかった。なるほどこれはつまり、一生を捧げるに足る純情であった。優しい女神様が俺に気を遣ってくれたのか、いつも永至が身に纏っていた香水の香りがうっすら遺されているのが不気味で滑稽で卑猥だった。甘い腐臭を放つ死体に施されたのは、彼の罪を閉じ込めるためのエンバーミングだ。永遠に至る、なんて、なんて、まったく悪い冗談みたいな名前を親からもらったものだ、この男は! 永至の全身に突き立てられたガラス片をひとつずつ指先でつんつんとつついて、引き抜いたりして、ぼんやりと一日を過ごした。次の日には、ガラス片は彼のカラダの一部であるかのように寸分違わず元の場所に突き刺さっていた。俺は腹を抱えて笑う。笑う。笑う。せっかく用意してあげたコーヒーを彼は飲んでくれないので、戯れにガラス片で遊ぶ。用済みのNPCや死を迎えた住人たちは雪が溶けるように消えてしまうこの世界には、死後硬直とかいう概念はないようだ。軽く押し込む度にずぶりずぶりと柔らかい肉に沈んでいく透明な刃を見て、未だ止まらぬ業火の中に取り残された哀れな少女を思い、彼の罪を数えた。しかしいわゆる「普通の人々」が振りかざすチャチな善悪論で彼の全てを計るのは、冒涜である。永至にとっての痛みとは、ただ肌を傷つけられる感覚が神経を走り、脳に不快を訴えるだけのものだったのだ。人の心の中に存在しているものではなかったのだ。では、そんなただの化け物の死体をわざわざ地獄から引きずり戻して弄ぶ俺は、誰だ? 手を伸ばして、彼の頬(だと思うところ、)に触れた。ざらざらとしたモザイクの下で彼がどんな表情をしているのか窺えないことだけが残念だ。特に激しく損壊していた箇所はどこだろう。特に激しく損壊していた箇所はどこだろう。特に激しく損壊していた箇所はどこだろう。特に激しく損壊していた箇所はどこだろう。真っ白な喉と形の良い口元であったならば、これ以上の歓喜はあるまい。永至の顔であった場所をねちゃねちゃと嬲る指先にやり場のない熱が宿り、俺はごくりと唾を飲み込んだ。甘い香りがした。

「生きていた頃のあなたより、よっぽど魅力的だよね」

人の痛みを感じられない欠陥品。俺の悪意を受け入れてくれたかもしれない欠陥品。もし来世で出会えたら、今度はともだちになろうね。

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