Caligula

ブーケをひとつ(主+笙)

2018/03/28 09:29
主笙

屋上のフェンスにもたれ掛かった部長は、気だるそうに夕焼け空を見上げていた。形の良い唇に咥えたストローの先、とっくに空っぽになっているコーヒー牛乳のブリックパックが彼の呼吸に合わせてぺこぺこと間抜けな音を立てるのを、笙悟は冷たいコンクリートに座りながら聞いた。

「ブーケを受け取っちまったんだ。それだけ」

自分がこの世界に来てしまった理由を、彼はたったそれだけにまとめた。本当に、たったそれだけのことだったのだ、と、淡々とした口調で、しかし念を押すように繰り返される言葉に笙悟は首を傾げる。部長は、その様子をじっと見つめて、

「……わかる? ブーケ」
「さすがに知ってるよ、まったく失礼な奴だな」
「ふふ、悪い悪い、冗談。分かってるならいい」

本当に冗談だったか? 部長は肩を揺らしてくすくすと笑った。花をもらうことにもあげることにも縁の無い人生を送っている自覚はあったが、それでもブーケくらいは知っている。色とりどりの花をぎゅっと集めてリボンでまとめて、可愛らしく丸みを持たせた小さな花束。「結婚式で投げるやつだろ」と尋ねれば、彼は「そう、それ」と頷く。

「学生時代の友だちの結婚式に出た時にね、もらっちまった」
「……ブーケトスってやつか? でもそれ、確かまだ結婚してない女の人のほうに向かって投げるんじゃなかったか。なんでお前が取ってんだ?」
「それがね、お嫁さん、ブーケ投げるのヘッタクソでさ。すっぽ抜けた。変なほうにポーンって飛んでいって、女の人たち、誰も取れなくて。んで、後ろに避難してた男性陣たちの中、俺の手元に、気がついたらストン、と。素敵な結婚式の小さなハプニング、笑える愉快な一幕だ。みんな笑ってたし、よかったなって言われたよ」

笙悟は想像してみる。突然手元に飛び込んできたカラフルな花を、目を丸くして見つめる彼の姿。目を見合わせた後、くすくすと微笑み合う新郎新婦。花嫁のブーケを受け取った人は、じきに幸せな結婚ができるという。学生時代の友人の式ということで、きっと周りの同級生たちから気軽に声をかけられたりもしたのだろう。「次はお前だな」とか、「彼女作れよ」とか、「がんばれよー」だとか。実に実になごやかで、やさしさに満ちた悪気の無い言葉の数々を浴びせられる。しかし、「笑える一幕」などという口ぶりに反して、笙悟の想像の中の彼の表情はずっと困ったような苦笑いだ。どこかもわからないような場所で迷子になってしまった子どもが、それでも泣くまいと必死で意地を張って笑ってみせるような、

「でも、好きになる相手が女だとか男だとかどちらもだとかどちらでもないとか、そもそもそういう問題ですらなくて。俺の心も身体も、誰かを愛せるようにはできていなくて」

微かに震える声でそう言った彼は、想像と同じ顔をしていた。笙悟はただ「……そうか」と声をかけてやるだけで精いっぱいだった。

「嫌な汗が止まらなかった。なんだか今まで世界からふわふわ浮いてるような感覚で生きてきたのに、急に足首掴まれて引き戻された気分。現実が一気に押し寄せてきて、流されそうだった。結婚式なんて行かなければ、いや、俺があんな場所に立ってなければ、ううん、横にいた奴と、立ち位置が逆だっただけでよかった」

いやいやをする子どものように、部長は首を振る。揺れたフェンスの立てたギシギシという耳障りな音は、きっと彼の心が軋む音によく似ている。
いつの間にか、部長の手元でコーヒー牛乳のパックが平らに潰されていた。さっきと同じ言葉は、しかし先ほどと比べものにならない悲痛な重みを持って笙悟の耳を刺した。


「ブーケを、受け取っちまったんだ。それだけ」


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