Caligula
ふたりがけのソファ(主→鍵)
2018/03/26 10:03主鍵現実
もうそれいらないんで、と指さされたふたりがけのソファは、さすがに新品同様とまではいかないけれど、まだだいぶ綺麗だった。
「え、こんなのまで捨てちゃうの? もったいなくない?」
「見てると特に辛いんですよね、それ。初めてふたりで相談して買った家具だし」
「ああ、そう、すんません、はい……」
あ、やべ、地雷踏みかけてる。曖昧に濁して、外の自販機で買ったペットボトルのお茶を一口飲む。いま自分が付き合っているのは、単なる後輩の部屋の模様替えではなく、言わば終わった恋の遺品整理というやつなのだということを、もう一度認識せねばならない。
「ゴミの回収、いくらだっけかな……」
ぽちぽちとスマホをいじる鍵介は、恐らく粗大ゴミの回収業者を調べているのだろう。「けっこう高いなぁ」なんてため息をつく横顔は、初めて出会った時のそれより随分と大人びたものだ。
およそ三年半付き合って、半同棲状態まで持ち込んだ相手とおととい別れた、という鍵介の口調は、案外淡々としている。でも多分これから、思い出の品を粗方処分した部屋に帰って来る度、日に日に増していく喪失感に首を絞められるような心地になるのだろう。針で空けられた小さな穴が、どんどん広がっていくように。ほんの小さな引っかき傷が、周りの皮膚を巻き込みじくじくと化膿していくように。病気になった最初の一本が、周りの花を次々枯らしていくように。失恋とは、そういうものなのだ。
「……」
置いていった化粧品や日用品などの類は処分してほしいと、最後のWIREで連絡があったらしい。ビニールのケースに入ったヘアゴム、基礎化粧品のボトル、コットンの箱、歯ブラシ、生々しい痕跡が、ゴミ袋にまとめられている。いたたまれなくなってなんとなく目を逸らした先で、鍵介の目元がじわりと濡れているのが見えた。ごめんね、そうやって君は泣くけれど、君の心の中と同じくらいぐちゃぐちゃに散らかった部屋の片づけに俺を頼ってくれたことが、嬉しくてたまらないんだ。君が愛した知らない誰かの残したものが少しずつ消えていくのが、俺にとってはひどく愉快で、痛快で、気持ちよくて、後ろめたくてたまらないんだ。ごめんね、ごめんね。ごめんね。
「あ、すみません。粗大ゴミの回収、お願いしたいんですけど……はい、ええ……、……はい」
業者に電話をし始めた鍵介に背を向け、俺はソファの背もたれを指でなぞった。知らない誰かと鍵介が座ったソファ。一緒にコーヒーを飲んだり、愛を囁いたりしたのかもしれないソファ。その誰かがいなくなっても、それでも俺の場所にはなってくれない、ふたりがけのソファ。俺が思わずぐっと突き立てた爪の痕は、やわらかな素材でできた背もたれに少しも残ることなく、消えた。