Caligula

微熱のパレード(主琵琶)

2018/02/23 14:03
主琵琶

「そういうの、僕にはいいよ」
泥のような無秩序が人の形を成しているような男が頬に触れようと伸ばした手を、寸前で拒むだけの正気が琵琶坂永至という人間には存在していることを穂積遙人は至極微笑ましく思う。しかし同時に哀れだとも、そして憎らしくも思う。ベッドの上に組み敷いた彼の、まっさらなシーツに沈んで溶けるような虚ろな潔白を剥ぎ取ってやりたいと、その中身を暴いてやりたいと逸る指先に満ちているのはただの獣じみた本能であることは分かりきっていた。
「先輩はそんなにお利口だとさ、生きていくの大変じゃない?」
綯い交ぜになった感情の底から掬い上げた苦し紛れの憎まれ口を永至は鼻で笑って、穂積のシャツの襟を乱暴に掴んでキスをした。好きでもない男に打算でこれほど情熱的なキスをできる男の言葉なんて、なるほど確かに半分も信じられはしないものだとどこか他人ごとのように思った。はあ、と、熱以外の何かも孕んだため息をついて、すぐにもう一度唇を隙間なく触れあわせる。穂積が強引に舌を押し込みながら青いスカーフを留めるリングに手を伸ばすと、いつからか(ああ本当にいつからだよ、畜生)薄く開いていたらしい切れ長の瞳がこちらをじっと見つめていた。「焦りすぎだ」と冷笑された気さえした。堪らなくなって視線を逸らした先、窓から覗く宮比市の夜は今日もきれいだ。あの星空もビルも、レジャーランドのアトラクションも、やさしい女神が拾い集めたどこかの誰かの涙でできていると思うと、少しだけげんなりしてしまうが。


「君の目に欲しいオモチャがたまらなく魅力的に映るのは、きっと手の届かないショーケースの中にある間だけなんだろうね」
「つまり、いざ手に入れてみたところで」
「思ってたのと違う!なんて喚いてせいぜい3日で飽きてポイだ」
「先輩、自分はもう3日以上遊んでもらってるから特別なんだぞって言いたいの?」
「さあね、深読みのしすぎなんじゃないか」
「うるっさいなぁこの人は、んむ…………何すんの」
尖らせた唇にまたひとつキスをされた。永至はもう一度、先ほどよりも温度のない口調で「さあね」と言う。スカーフを引き抜き、まっさらなウイングシャツのボタンを焦らすように外してみたところで彼の頬に恥じらいの色が浮かぶはずもなく、一瞬たりとも気の抜けない言葉尻の捉え合いもただの果てしない徒労だった。服を脱がせるだけでもこんなに面倒ないきものがこの世に存在したのか、と穂積はそこにある種の感動すら覚える。面倒な子ほどかわいいなんて言うけれど、あれは半分は本当で半分は嘘なのだ。
「…………ところで……、参考までに聞いておくけど、君の特別とやらになると何かあるのか?」
不意に永至は小首を傾げてみせた。媚びた空気なんてものを微塵も出さず、ただ持ち前の人懐っこさだけをアピールする彼の仕草ひとつひとつには感服してしまう。穂積はにやりと唇を吊り上げた。
「いっぱいチューしてあげるしもっとエッチなことだってしてあげるよ」
「ああそう……で? メリットのほうも教えてもらえると嬉しいよ、おいしい飴とかもらえるのか?」
「永至先輩ほんと嫌い。黙って」
「そんなこと言わなくたって今から無理矢理黙らせてくれるんだろ……、…………痛いな」
穂積は何も言わずに永至の首筋にがぶりと噛みついてみせた。ほんと嫌い、に対しては何も言わないところがほんと嫌いなんだよなあ、などとは死んでも口にしたくはない。鎖骨のすぐ傍、白い肌にくっきりと残った歯形にゆるく舌を這わせてみると、やがて頭上からは擽ったさとは別のものを堪えるような含み笑いが降ってきた。
「ふふ…………なあ、穂積」
「なに」
「君、けっこうかわいいところがあるな。思った以上にヘタレだ」
「……静かにしてなよ。舌噛んでも知らないから」
「ふふふ、ああ、わかったわかった」

舐めるのも吸うのも噛むのも叩くのも好きにすればいい、ただ服から見えるところに痕だけはつけるなというたったひとつの永至の言いつけを律儀に守り続ける穂積のことを、彼は様々な色を湛えた瞳で見ている。そこに氷のような哀れみが混ざり続ける限り、この不毛な睦み合いの真似事は終わらないのだろうと思う。きっと今夜も虚ろな潔白の下に潜む本物は現れない。うつ伏せになってシーツを握りしめた彼の腰を掴んで遠慮なく犯して、吐き出して、それだけだ。いつか泣き喚いて縋りついた彼が背中に突き立てた爪の痕が、陰鬱な微熱を孕んでじくじくと痛む日がくるのを夢見て眠るのだ。

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