Caligula
純白(主鈴)
2018/03/22 22:59他∞
「どうせ、気の弱いあの子を自分に縛り付けて、都合の良いお人形にしたいだけなんでしょ。男って本当に最低」
可憐な容姿に似合わず、まるで毛を逆立ててケンカをする猫のように、ひどく苛立った様子の少女に噛みつかれた。お人形にするだなんて、ひどい言い草だ。俺はそのままの彼女を愛していて、彼女もそれを受け入れてくれているのだと、時間を掛けて語った。やがて少女は「もういい、聞きたくないから」と引き攣った顔で首を振り、ゆるくウェーブのかかった髪を揺らしながら去って行った。
「少し、彼女と距離を置くことも考えたほうがいいわよ。離れることで見えてくるものだって、あるでしょう?」
自分が過去に手痛い失敗をしているせいか、随分と慎重に言葉を選んでくれた様子の先輩にやんわりと窘められた。その気遣いは嬉しかったけれど、悲しかった。誰もがあなたのように、自分の力で強く生きていけるわけではないのだ。俺が黙っていると、先輩はやがて困ったように首を傾げてみせる。絹のようにやわらかな長い髪が、細い肩をさらさらと流れる。「何かあれば言ってね」そう言い残して、先輩は去って行った。
「なんつーか……あんまり上手くは言えねえんだけどよ、お前らがああいう感じでべったりになってから、ちょっと空気変わったよな」
まだまだ色恋沙汰には疎い少年から、肯定的でも否定的でもないひどく曖昧な言葉でそう告げられた。少し意地悪をしたくなってしまって、俺は「どのへんが?」と聞き返した。「それは……」少年は、大柄な体格に比べるとアンバランスにも見える幼い表情をコロコロと変えながら、腕を組んで悩む。やがて何も答えないまま、サングラスのよく似合う黒髪をがりがりと掻いて去って行った。
「やっぱり、ほうれん草を入れると色合いがきれいになりますよね。今日のは特に自信作なので、食べてみてください」
「いつも美味しいけどなあ」
「……じゃあ、今日のも、ですか?」
「そうそう、それでいい」
俺にあのような話が来たということは、ほぼ間違いなく彼女は先に同じような忠告、促し、あるいは問いかけを受けているはずだ。しかしそのことに動揺したり戸惑っているような様子は微塵も見せず―――それとも、本当に投げかけられた言葉に対して何も思っていないのかは定かではないけど―――とにかく今日も鈴奈はにこにこと笑っている。昼休みの中庭、ベンチに座った俺の隣、弁当のスパニッシュオムレツをいちばんに勧めてくれる彼女は今日も健気だ。
俺が軽く開けてみせた口を指さすと、鈴奈は一口大にさっくりと切ったオムレツを箸で持ち上げて、慣れた手つきで食べさせてくれた。最初に所謂「あーん」をお願いした頃は、彼女はひどく恥ずかしがって赤い顔で辺りを見渡して、人がいれば自分の身体で箸を持つ手を隠してみたり、どこかに行くのをじっと待っていたりもしたのだけど。いつの間にか俺たちの関係が、部活内だけでなくクラスからも冷やかされるような公認の仲になった今、彼女は手をつなぐくらいなら人目だってほとんど気にしない。
「あ、これツナ入ってる?」
「はい。先輩、好きだって言ってたので。どうですか?」
「覚えててくれてありがとう。おいしいよ」
「えへへ」
弁当箱を受け取り、ボリュームのあるオムレツを頬張りながら、つけ合わせの野菜もつまむ。きれいにまとめられた髪を崩さないようにそっと頭を撫でると、鈴奈は猫のように目を細めて俺の肩に擦り寄った。「鈴奈はごはん食べないの?」皺ひとつないスカートの膝の上、まだ開けられていない彼女の弁当箱を見ながら問いかけると、「んー……」となんだかぼんやりとしたような、曖昧な返事。眠いのかな。
「どうしたの。夜更かしした?」
「……図書館から借りた本、寝る前に少し読もうと思ったら、止まらなくなっちゃって……」
「え、それで俺の弁当も早起きして作ってくれたわけ? 嬉しいけどだめだよ、あんまり無理しちゃ」
「うう……」
わかってるんですけど、と消え入りそうな声。やがて口元を押さえて、はふ、と小さな欠伸をひとつ漏らして鈴奈は小振りな弁当箱を開けた。偶然ベンチの前を通りかかったクラスメイトの男子数人が「おっやってるやってるゥ」みたいな顔で俺たちを見ていたので、そちらを睨みながら手で追い払うようなジェスチャーをしてみせると奴らはブーイングをしながら去って行った。うるせえぞ童貞ども、見せモンじゃねーんだ散れ散れ。まあ、見せびらかしたい気持ちは正直あるのだが。
「……なあ、鈴奈」
三者三様、確信をしているいないの違い、はたまた直球か遠回しか、物言いに差こそあれど、やはり誰からも、お前が彼女を歪めたと言われている。確かに、少しばかり過剰に彼女を庇いすぎた点があったことは認めるが、そんな風に責め立てられるのはさすがに辛かった。
「どうしたんですか、先輩?」
かつて失われた己の半身に恋い焦がれ、追い求める感情が愛である。昔、何かの本で読んだことを覚えている。鈴奈が俺という半身を得て、あるべき姿を取り戻したのだと、どうして誰も認めてくれないのだろう。どうして。
「メビウスに来て、何年か現実の時間を失ったけど俺と出会った今の人生と、メビウスに来なくて済んだけど、その代わり俺とも出会えないままの別の人生。もし選べるなら、どっちがいい?」
俺の大好きな丸く大きな目でぱちぱち瞬きを繰り返して、やがて鈴奈はふんわりと笑った。「別の人生なんて、考えられないですよ」大きな白百合がゆっくりと花びらを綻ばせるような笑顔。彼女の生まれた季節、毎日続く雨の切れ間にふと顔を覗かせた太陽のような澄んだ笑顔は、日に日に晴れやかさを増しているというのに。