Caligula
フリークス・ダンス(主鍵)
2018/03/17 22:35主鍵∞
あ、やばい。巨大な爪を持つデジヘッドとの鍔迫り合いの最中、背後でがちゃりと金属音がした。ちらりと後ろに目線だけを流せば、迷い無く二挺拳銃を構える部長の姿。かっこいいなあ、サマになってるなあ、じゃなくて。銃口がこちらに向けられていること、自分が彼の射撃の射線上に入ってしまったことを認識し、鍵介は思わず息を呑む。
「っ」
コンマ数秒の判断だ。何発にも重なった銃声を聞きながら仰け反った鍵介の胸元スレスレを、いくつもの弾丸が疾走する。それはデジヘッドの胸、硬い殻のような装甲に吸い込まれるように命中したが、しかし動きを封じるまでの威力はない。僅かによろめきながらも、デジヘッドはアッパーカットの要領で爪を突き上げようとした。咄嗟に防御の姿勢を取ろうとしたが、大剣の柄を握る掌が汗でずるりと滑った。まずい。しかし鍵介が歯を食いしばった瞬間、暴風のように駆け込んできた人影が、デジヘッドの顔面に凄まじい勢いの膝蹴りを叩き込んだ。そして倒れたところに、猛禽類が獲物に爪を食い込ませるようにして、銃口を突きつける。
「とりあえず、目が覚めるまでここにいてくださいよ、っと……」
カタルシスエフェクトによる攻撃で一時的に依存度が下がり、デジヘッドとしての武装も解除され、すっかり意識を失った生徒の足を掴んで廊下をずるずると引きずっていく。乱暴もいいところだという自覚はあるが、先に襲ってくるのはだいたいいつもそっちなんだから、このくらいは許してくれと鍵介は思う。まとめて倒した最後のひとりを手近な教室の中に放り込んだところで、今日の部活はお開きとなった。
部員たちは各々経験を積んで、新しい技を考えついたり、着実に成長している。まだμに繋がる有力な手がかりを得られていないもどかしさこそあるが、それでも地道な戦力アップは自信に繋がるのだ。まだ焦るほどではないと鍵介は思う。
それよりも問題なのは。
「先輩、ちょっとお時間いいですか」
小声でひそりと、部長に呼びかける。じゃあね、お疲れ、と部員たちが次々に部室から去っていく中、どこか青ざめた顔に困ったような表情を浮かべる黒髪の少年は、観念したようにこくりと頷いた。
「なんであんなめちゃくちゃなことするんです」
「鍵介なら避けてくれると思った……んじゃないのかな……」
「なんです、その曖昧な答え」
「……」
こつこつと靴の音を立てながら、埃ひとつない(と言っても、建物内に自然発生する塵なんかに割くリソースが足りてないだけだったりするのだけど)廊下を歩く。黙り込んでしまった部長に、鍵介はため息をつく。
「まあ避けましたよ、避けましたけど、実際ギリギリでしたからね。あんなの気づいてなかったら巻き添え食らってましたよ」
「……ごめんて」
「ごめんですまないでしょう……」
隣を歩く部長の眉尻がへにゃへにゃと下がる。ここまで申し訳なさそうな顔をされるとさすがに胸がちくりと痛むのだが、しかしここで怯むわけにはいかないのだ。何しろ、戦闘中に彼が自身の手で仲間を危険に晒したのは、これが初めてのことではないから。
戦況を見通す彼の力のおかげで、一見スムーズに事は運ばれている。が、実は主に前衛を張る仲間が、細かなところで先ほどのような危険な目に遭っているのだ。当初は、敵から寝返ってきた微妙な立場である鍵介を信用しきれないが故の連携ミスかとも思っていたが、案外そうでもないらしいことが徐々に分かり始める。例えば、俺が前に出て皆を守る、と意気込む鼓太郞も、何度か危うく部長の攻撃に巻き込まれそうになったりしている。他にも、いつの間にか前に出ていた部長と身体をぶつけそうになってしまったりして、その度に「危ねえ!」と慌てて巨大なガントレットを引っ込めるのだ。
部長と同じく後衛として全体を見渡す立場である琴乃や、中距離アタッカーとして立ち回る笙悟。帰宅部の先輩部員たちから、部長があまりに急いた行動を諫められている様子を見かけたことはある。しかし、彼のそれは一向に治る気配を見せない。
「僕はその、なんで部長がそういうことをするのか聞きたいんです。ちゃんと言葉にしてくれないとわからないから」
「うん……」
「何かを改善する案があるのなら、みんなで一度立ち回りとか見直しだってしますし」
「……」
「……まただんまりですか」
罪悪感に押され始めてつい言葉を柔らげた鍵介の問いにも、部長は答えようとしない。
さて、どうしたものか。こうなると、戦いに関する経験の浅さがどうのこうのより、もはや部長の気質そのものの問題のような気がしてしまうのだが。
「ほんと、気をつけてはいるんだ。でも……」
「だって先輩、こうすればこうなる、みたいなのが大まかに見えるって、言ってたじゃないですか」
「そうなんだけど、その……」
やはり、どうしようもなく歯切れの悪い答えだ。鍵介はふたたび大きなため息をついた。少し優柔不断というか、周りの空気を読もうとしすぎるところがある人だとは思っていたけど、ここまで何かをひた隠しにしようとする態度を見せるのは初めてだ。先ほどの戦闘で見せた突発的な獰猛さがすぐ隣の彼とどうにも噛み合わず、鍵介は首を傾げる。
「先輩って、もしかして戦いになると人が変わっちゃったりするんです?」
「え」
鍵介がなんの気もなしに放ったひと言に、部長の表情は凍りついた。足が止まる。さっと血の気が引いたような、もはや青白いと呼べるまでの顔色に、鍵介まで言葉を失ってしまう。
「……え? あ、あの……」
「ち。ちがう」
そう言って否定をする声はひどく弱々しく、震えていた。
「違うんだ、僕はそんなんじゃなくて、ちがう、ちがうんだってば……」
はっ、はっ、と浅く激しく繰り返される呼吸の間隔が、段々と狭くなる。呻くような唸るような声を上げながら持ち上げられた神経質な指先が、ぐしゃぐしゃと黒髪を掻き乱した。
やがて前髪の隙間から覗いた瞳には、怖気を誘うような、底の見えない冬の湖のような冷たさが満ちていた。やがて、いつもおだやかな笑みを湛えている口の端が、ゆっくりと三日月をかたどるように歪んで、
「―――誰です、あなた」
メビウスに落ちた生徒が楽士の曲に心を浸食され、膨れ上がった欲望と感情を暴走させてしまう様子とは違う。まるで別人のような顔つきだ。しかし、鍵介が硬い声で問いかけた次の瞬間、部長ははっとしたように目を見開いて、慌てて両手で口元を押さえた。俯いた彼の表情は、長い前髪に隠れて読み取れなくなってしまう。
「ひ、ひとりに、してくれ」
絞り出されるような声でそう告げて、部長は鍵介に背を向け走り出した。あっという間に小さくなっていく制服の背中を、鍵介は立ち尽くしたまま呆然と見送る。ばたばたと忙しない足音が曲がり角の向こうに消えていき、ようやくそこで鍵介は、「は?」と、ひどく気の抜けた声を漏らした。
「あの人、まさか……」
視線を巡らす。ぴかぴかの窓ガラスに、鍵介の顔が映っていた。それは鍵介と同じように眉間に皺を寄せているし、やがてふっと表情を和らげてみれば、寸分違わずにそれを真似するのだ。
「……まさか、ねぇ」
はは、と乾いた笑いを上げ、数歩ほど歩いたところで、鍵介はもう一度、恐る恐る窓ガラスを見た。やはり本物の鍵介と同じ、眉の下がった不安げな顔をしている。それが突然、自分が目を離した隙に、にやり、とひどく陰湿で下卑た笑みを浮かべ始める様を想像して、鍵介は背筋がひやりと寒くなるのを感じるのだった。