刀剣乱夢の短編集
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朝、各部屋の障子を開くと本丸の庭には雪が分厚くふりつもっている様子が飛び込んできた。
「帰ってきたんだ!」
その雪景色に気がついた一振、鯰尾藤四郎は起き抜けの、髪も寝巻きも崩れた状態のまま審神者の部屋へと駆け出した。
審神者が最後に本丸に訪れたのは3ヶ月前。時の政府からの仕事で、長期的に本丸から離れることになっていたのだ。
近侍は今まさに審神者の元へと駆け出している鯰尾藤四郎なのが、審神者が本丸を離れる前に1つ約束をしていた。それが『帰ってきたら景観を変えて欲しい』というお願いだった。審神者がどうして?と不思議そうに聞くと「だって景観が変わってれば目が覚めて、部屋から出た一番最初に主が帰ってきたんだ!って分かる気がしたから」と、鯰尾は気恥しそうに返した。
鯰尾が廊下を裸足で駆ける音でまだ起きていなかった刀剣男士達も徐々に目を覚まし、雪の景色に白い息を吐いた。そして、部屋の前をご機嫌に通り過ぎてゆく鯰尾の後ろ姿を見て審神者の帰宅を知ることになった。
また、鯰尾がここまで審神者の帰宅を待ち望んでいたことにも理由があった。もちろん審神者のことを刀剣男士として敬愛しているのも大きな理由の一つではあるのだが。
鯰尾が審神者の部屋の前まで来ると寒いからなのか障子はぴったり閉じられていたが、中からは人の動く気配がしていた。近似である彼がその気配を忘れるわけもなく、うれしさで口角がにやりと上がるのを鯰尾自信感じていた。
鯰尾はよしっ!と軽く頬を叩き、手櫛で軽く髪を梳かせば、寒さで白くなる息を吐き出した。
「主! 開けてもいい……ですか?」
鯰尾が部屋の中にいるであろう審神者に声をかけると、おかしそうに笑う声が聞こえた。
「初の時のような聞き方をするのですね? どうぞお入りなさい、廊下は寒いでしょう」
「俺なりの気づかいだってば!失礼します‼」
鯰尾は少し不満げに頬を膨らませながらも部屋の障子を開いた。
部屋の中に冷たい空気が一気に入り込み、中にいた審神者は身震いをした。審神者は仕事用の着物姿のままだったが、まとめられていたであろう髪はほどかれていて、結ばれていた跡が残っていた。
室内に置かれている業務用の低めの机の上にはパソコンといくつかの資料が置かれていて、着替える間もなく、鯰尾が来る直前まで仕事をしていた様子が伺えた。
「もー、また仕事してんの? こういうの“ワーカーホリック”っていうんだって主が教えたっていうのに」
鯰尾は審神者の部屋の中に入り障子を閉めたのだが、室内は十分に冷え切ってしまった。
審神者は座ったまま机横にある石油ストーブに手を伸ばしてスイッチを入れた。石油独特なにおいがした後に、すぐ温かい空気が流れだしてきた。すると鯰尾は寒い寒いとストーブ前にしゃがみ手をかざした。
寝起きから急いでここまで来たため寝巻のままの体は、気が付かぬうちに冷えていたようだった。
「それは審神者遣いの荒い政府に言ってください、私だってしたかないんですから」
「山姥切長義に掛け合ってみちゃおっか」
「きっと彼は困惑するでしょうけど、世間話ついでに言ってみましょうか」
鯰尾と審神者は久しぶりの会話に、気持ちが緩むのを感じていた。
しばらく話していたところで、審神者がそうだと自身のカバンの中から、丁寧な螺鈿の装飾が施されている小さな長方形の箱を取り出した。
「あ、」
鯰尾はその箱から視線が外せなくなってしまった。
指先を温めるように石油ストーブに向けられていた手は、緊張して力が入らなくなったのか軽く指が曲がっていた。
そんな鯰尾を、審神者は不思議そうに見つめた。審神者は取り出した小箱を鯰尾の近く、机の上にことりと置いた。室内の電灯に螺鈿が反射した。
「会いに来たと思ったのですが、違いましたか」
「それは合ってるんだけどっ、俺の心構えが!」
ストーブに前にしゃがんでいた鯰尾は、体の向きを机上にある小箱に向き直し正座をして姿勢を正した。その際も視線は箱から外れることはなかった。
ストーブのおかげで温まっていた鯰尾の体だったのだが、また少しずつ冷たくなっているようだった。緊張しても人の身は冷えていくことを知ったのはついこの前だった。
「しゃんとなさい、聞こえているかもしれませんよ」
「……その箱、防音性ないの⁉」
鯰尾はひそひそと小さい声で審神者に尋ねた。
審神者は考えるように頭をひねった。
「箱に? どうかしら……考えたこともありません」
「なっ!」
「ほらほら、そろそろ箱を開けてあげなさいな。その子もきっと、鯰尾を待ってますよ」
審神者は鯰尾の手を取ると、その手のひらの上に小箱を持たせた。
置かれた瞬間、びくりと鯰尾の手は震えたが落とすまいとすぐに両手で箱を包み込んだ。
「丁寧に扱えってば!」
「粗雑には扱ってないでしょう」
「この子をじゃなくて俺を!」
「扱っていますよ、とびきりね。今朝は寒くしたのですが」
伝わっていませんでしたか?と審神者が鯰尾の顔を見ていたずらっぽく笑えば、鯰尾はぐぬぬと呻ることしかできなかった。
『帰ってきたら景観を変えて欲しい』という鯰尾との約束は、3ヶ月経った後でも忘れられずに守られている。人間にとっての3ヶ月が短くないことを鯰尾は理解しているからこそ、覚えていてくれたことが嬉しかった。
「伝わってる、伝わってるとも!」
「それはよかったです。では、私は少し失礼しますね」
「えっ」
「休憩がてら、他の皆にも挨拶をしてこようかと」
「そんな、待って」
審神者はすっと立ちあがり、部屋の障子を開けた。冷たい空気が室内に流れると、気温がぐっと下がったためか、ストーブがごぉと音を立てた。
一方鯰尾はといえば、両手に小箱を乗せたまま審神者の方を見つめていた。一度小箱を置けばいいものの、焦っている鯰尾はそうすることはせず、今の体勢のまま慌てることしかできなかった。
「では、朝食は逃さないようにしてくださいね」
審神者はにっこりとよい笑顔のまま、部屋から出ていった。隙間なく閉じられた障子に、なぜか鯰尾の緊張感が高まった。
錆びた歯車のようにギギギと首を動かし、小箱に視線を落とした。螺鈿細工の小箱は、美しい姿をしていた。
「……えっと」
鯰尾はゆっくりと、万が一にでも落とさないように丁寧に机の上に小箱を置くと、ことりと軽い音がした。箱をまじまじと見つめた。緊張で唾を飲み込めば鯰尾が思っていたよりも大きな音が鳴ってしまった。
部屋の外では男士が起き始めているのか声がわずかに聞こえているも、審神者の部屋に来る様子はなかった。きっと今頃審神者は大広間にでも行っているのだろう。そうなれば、わざわざ審神者の部屋にまで来る男士はいないだろう。
今この時間は鯰尾だけが審神者の部屋にいるのだった。
「あの、その、失礼します」
鯰尾は呼吸を止め左手を小箱に添え、右手で蓋を開けた。開けられて蓋は箱の横に置かれた。
小箱の中には、白いクッションのような緩衝材に包み込まれた、箱と同じ螺鈿細工が施されている万年筆が横たわっていた。漆を基本とし、満天の星空に見えるように螺鈿細工が施されていた。金色の金具も、その装飾を引き立てるように上品に輝いていた。
それは誰が見ても美しいと思える美品で、大切に扱われてきたことが分かるようだった。
万年筆の姿が見え、鯰尾は余計に目が離せなくなっていた。3か月ぶりに見たその姿は、何一つ変わらず美しいままだった。
しばらく何も言えず、ただ見つめていたのだが、息が苦しくなってきたことで、自分自身が呼吸を忘れていたことを思い出し息を吐いた。
「はっ! ごめん、つい見入ってた!」
万年筆を前に再度背を伸ばして姿勢を整えた鯰尾の耳は、わずかに赤くなっていた。
先ほど審神者と話していた時のような気の緩みはないのだが、鯰尾の気持ちは高揚していた。何しろ、ずっと想っている万年筆に再び出会えたのだから。
鯰尾は膝の上でギュッと拳を握ったり、手を組んでみたり、髪をとかしたりと落ち着きがなかった。
「あ、あのね。俺は君にその、会いたかった」
言葉と詰まらせながらも、鯰尾はなんとか話し始める。
「たった3ヶ月だったけど、ここまでの時間会えなくなるのは始めてだったから。その、なんというか不安で。だって主と一緒に政府に言ったんだろう?万が一なにかされていたらって思ってたんだけど、平気だった?嫌なことされなかった?」
螺鈿細工の君は鯰尾の問いに答え、大丈夫よというかのようにきらりと細工を輝かせて見せた。
その様子に鯰尾はほっと息をなでおろした。
「それならいいんだ! うん、本当に良かった。あ゛っ、もしかして俺うざいかな? ごめんその、こんな気持ちになるの君が初めてで、どうしたらいいかわからなくて。ごめん、ごめんね」
安堵した表情から一転、自身の心配がいき過ぎたものではないかと後ろめたくなり肩をすぼめた。
この螺鈿の君、万年筆は鯰尾が人の身を成してから初めての初恋相手だ。刀剣男士になる前のことはわからないが、成った後では間違いなく初めての恋だった。
初めてあったときのことを、鯰尾は忘れていない。
とある冬の日、ちょうど今日のように雪の積もる日だった。近似に選ばれた初めての日、審神者の部屋に訪れた時のことだった。失礼しますと障子を開けると、審神者がこの螺鈿細工の万年筆を使い日誌を書いていたのだった。そしてひとめぼれした。
金色のペン先には細かい模様が掘られていて、身体の部分には夜空のような細工が施されている姿は鯰尾の心をつかんで離さなかった。
そうして毎日のように会いに行くようになった。会いに来て、会話を重ねていくうちに、螺鈿細工の君が美しく、芯のある子だとわかった。大切にされてきたからこそ持てる、その気高さにますます鯰尾は惹かれていったのだった。
そんな恋心はいつしか審神者に気が付かれてしまっていたのだが、茶化されることも拒絶することもなく「いいと思いますよ」と一言だけ。この言葉は鯰尾に向けられて言われたものなのか、それとも螺鈿細工の君への言葉なのかは分からない。
「うざかったら全然言って!っていうのも変だよな……、気を付けるから、だから」
鯰尾が言ってしまったことに後悔と不安を抱きつつも、言葉を繋いだ。
螺鈿細工の君はまたきらりと細工模様を揺らめかせた。すると鯰尾はまたも安心したようにはぁっと息を大きく吐きだした。
「よ、よかったー! ありがとう、優しい君。そういってもらえるとうれしいや」
鯰尾は照れくさそうに頬を指でかいた。
螺鈿細工の君はまたゆらゆらと模様を動かせば、鯰尾は耳を近づけて秘密の話を聞くように耳を澄ませた。
「――君も不安だったの? じゃあ俺達お揃いだね」
鯰尾は嬉しそうに笑った。そしてまたすぐに、なに?と耳を傾けた。
「突然のお話でもなんでも聞くから話してよ、俺は君とこうして話してる時間が好きなんだから」
しばらくは、うんうんと聞いていたのだが、鯰尾の顔は次第に赤く染まっていった。そしてぽかんと空いてしまった口を手のひらで覆った。それでも、螺鈿細工の君の声を聞き逃さないように静かに耳を傾けていた。途中「それって」「そんな」と声が漏れているが、言葉を遮らないようにしているようだった。
螺鈿細工の君が話し終えると、鯰尾は正座のまま後ろにのけぞった。次第に口を覆っていた手は、顔全体を覆うようになった。
そしてそのままの体勢で鯰尾は叫んだ。
「それ、俺から言いたかったやつー‼」
螺鈿細工の君はきらきらと星空のように、どこか楽しそうにきらきらと煌めいていた。
「帰ってきたんだ!」
その雪景色に気がついた一振、鯰尾藤四郎は起き抜けの、髪も寝巻きも崩れた状態のまま審神者の部屋へと駆け出した。
審神者が最後に本丸に訪れたのは3ヶ月前。時の政府からの仕事で、長期的に本丸から離れることになっていたのだ。
近侍は今まさに審神者の元へと駆け出している鯰尾藤四郎なのが、審神者が本丸を離れる前に1つ約束をしていた。それが『帰ってきたら景観を変えて欲しい』というお願いだった。審神者がどうして?と不思議そうに聞くと「だって景観が変わってれば目が覚めて、部屋から出た一番最初に主が帰ってきたんだ!って分かる気がしたから」と、鯰尾は気恥しそうに返した。
鯰尾が廊下を裸足で駆ける音でまだ起きていなかった刀剣男士達も徐々に目を覚まし、雪の景色に白い息を吐いた。そして、部屋の前をご機嫌に通り過ぎてゆく鯰尾の後ろ姿を見て審神者の帰宅を知ることになった。
また、鯰尾がここまで審神者の帰宅を待ち望んでいたことにも理由があった。もちろん審神者のことを刀剣男士として敬愛しているのも大きな理由の一つではあるのだが。
鯰尾が審神者の部屋の前まで来ると寒いからなのか障子はぴったり閉じられていたが、中からは人の動く気配がしていた。近似である彼がその気配を忘れるわけもなく、うれしさで口角がにやりと上がるのを鯰尾自信感じていた。
鯰尾はよしっ!と軽く頬を叩き、手櫛で軽く髪を梳かせば、寒さで白くなる息を吐き出した。
「主! 開けてもいい……ですか?」
鯰尾が部屋の中にいるであろう審神者に声をかけると、おかしそうに笑う声が聞こえた。
「初の時のような聞き方をするのですね? どうぞお入りなさい、廊下は寒いでしょう」
「俺なりの気づかいだってば!失礼します‼」
鯰尾は少し不満げに頬を膨らませながらも部屋の障子を開いた。
部屋の中に冷たい空気が一気に入り込み、中にいた審神者は身震いをした。審神者は仕事用の着物姿のままだったが、まとめられていたであろう髪はほどかれていて、結ばれていた跡が残っていた。
室内に置かれている業務用の低めの机の上にはパソコンといくつかの資料が置かれていて、着替える間もなく、鯰尾が来る直前まで仕事をしていた様子が伺えた。
「もー、また仕事してんの? こういうの“ワーカーホリック”っていうんだって主が教えたっていうのに」
鯰尾は審神者の部屋の中に入り障子を閉めたのだが、室内は十分に冷え切ってしまった。
審神者は座ったまま机横にある石油ストーブに手を伸ばしてスイッチを入れた。石油独特なにおいがした後に、すぐ温かい空気が流れだしてきた。すると鯰尾は寒い寒いとストーブ前にしゃがみ手をかざした。
寝起きから急いでここまで来たため寝巻のままの体は、気が付かぬうちに冷えていたようだった。
「それは審神者遣いの荒い政府に言ってください、私だってしたかないんですから」
「山姥切長義に掛け合ってみちゃおっか」
「きっと彼は困惑するでしょうけど、世間話ついでに言ってみましょうか」
鯰尾と審神者は久しぶりの会話に、気持ちが緩むのを感じていた。
しばらく話していたところで、審神者がそうだと自身のカバンの中から、丁寧な螺鈿の装飾が施されている小さな長方形の箱を取り出した。
「あ、」
鯰尾はその箱から視線が外せなくなってしまった。
指先を温めるように石油ストーブに向けられていた手は、緊張して力が入らなくなったのか軽く指が曲がっていた。
そんな鯰尾を、審神者は不思議そうに見つめた。審神者は取り出した小箱を鯰尾の近く、机の上にことりと置いた。室内の電灯に螺鈿が反射した。
「会いに来たと思ったのですが、違いましたか」
「それは合ってるんだけどっ、俺の心構えが!」
ストーブに前にしゃがんでいた鯰尾は、体の向きを机上にある小箱に向き直し正座をして姿勢を正した。その際も視線は箱から外れることはなかった。
ストーブのおかげで温まっていた鯰尾の体だったのだが、また少しずつ冷たくなっているようだった。緊張しても人の身は冷えていくことを知ったのはついこの前だった。
「しゃんとなさい、聞こえているかもしれませんよ」
「……その箱、防音性ないの⁉」
鯰尾はひそひそと小さい声で審神者に尋ねた。
審神者は考えるように頭をひねった。
「箱に? どうかしら……考えたこともありません」
「なっ!」
「ほらほら、そろそろ箱を開けてあげなさいな。その子もきっと、鯰尾を待ってますよ」
審神者は鯰尾の手を取ると、その手のひらの上に小箱を持たせた。
置かれた瞬間、びくりと鯰尾の手は震えたが落とすまいとすぐに両手で箱を包み込んだ。
「丁寧に扱えってば!」
「粗雑には扱ってないでしょう」
「この子をじゃなくて俺を!」
「扱っていますよ、とびきりね。今朝は寒くしたのですが」
伝わっていませんでしたか?と審神者が鯰尾の顔を見ていたずらっぽく笑えば、鯰尾はぐぬぬと呻ることしかできなかった。
『帰ってきたら景観を変えて欲しい』という鯰尾との約束は、3ヶ月経った後でも忘れられずに守られている。人間にとっての3ヶ月が短くないことを鯰尾は理解しているからこそ、覚えていてくれたことが嬉しかった。
「伝わってる、伝わってるとも!」
「それはよかったです。では、私は少し失礼しますね」
「えっ」
「休憩がてら、他の皆にも挨拶をしてこようかと」
「そんな、待って」
審神者はすっと立ちあがり、部屋の障子を開けた。冷たい空気が室内に流れると、気温がぐっと下がったためか、ストーブがごぉと音を立てた。
一方鯰尾はといえば、両手に小箱を乗せたまま審神者の方を見つめていた。一度小箱を置けばいいものの、焦っている鯰尾はそうすることはせず、今の体勢のまま慌てることしかできなかった。
「では、朝食は逃さないようにしてくださいね」
審神者はにっこりとよい笑顔のまま、部屋から出ていった。隙間なく閉じられた障子に、なぜか鯰尾の緊張感が高まった。
錆びた歯車のようにギギギと首を動かし、小箱に視線を落とした。螺鈿細工の小箱は、美しい姿をしていた。
「……えっと」
鯰尾はゆっくりと、万が一にでも落とさないように丁寧に机の上に小箱を置くと、ことりと軽い音がした。箱をまじまじと見つめた。緊張で唾を飲み込めば鯰尾が思っていたよりも大きな音が鳴ってしまった。
部屋の外では男士が起き始めているのか声がわずかに聞こえているも、審神者の部屋に来る様子はなかった。きっと今頃審神者は大広間にでも行っているのだろう。そうなれば、わざわざ審神者の部屋にまで来る男士はいないだろう。
今この時間は鯰尾だけが審神者の部屋にいるのだった。
「あの、その、失礼します」
鯰尾は呼吸を止め左手を小箱に添え、右手で蓋を開けた。開けられて蓋は箱の横に置かれた。
小箱の中には、白いクッションのような緩衝材に包み込まれた、箱と同じ螺鈿細工が施されている万年筆が横たわっていた。漆を基本とし、満天の星空に見えるように螺鈿細工が施されていた。金色の金具も、その装飾を引き立てるように上品に輝いていた。
それは誰が見ても美しいと思える美品で、大切に扱われてきたことが分かるようだった。
万年筆の姿が見え、鯰尾は余計に目が離せなくなっていた。3か月ぶりに見たその姿は、何一つ変わらず美しいままだった。
しばらく何も言えず、ただ見つめていたのだが、息が苦しくなってきたことで、自分自身が呼吸を忘れていたことを思い出し息を吐いた。
「はっ! ごめん、つい見入ってた!」
万年筆を前に再度背を伸ばして姿勢を整えた鯰尾の耳は、わずかに赤くなっていた。
先ほど審神者と話していた時のような気の緩みはないのだが、鯰尾の気持ちは高揚していた。何しろ、ずっと想っている万年筆に再び出会えたのだから。
鯰尾は膝の上でギュッと拳を握ったり、手を組んでみたり、髪をとかしたりと落ち着きがなかった。
「あ、あのね。俺は君にその、会いたかった」
言葉と詰まらせながらも、鯰尾はなんとか話し始める。
「たった3ヶ月だったけど、ここまでの時間会えなくなるのは始めてだったから。その、なんというか不安で。だって主と一緒に政府に言ったんだろう?万が一なにかされていたらって思ってたんだけど、平気だった?嫌なことされなかった?」
螺鈿細工の君は鯰尾の問いに答え、大丈夫よというかのようにきらりと細工を輝かせて見せた。
その様子に鯰尾はほっと息をなでおろした。
「それならいいんだ! うん、本当に良かった。あ゛っ、もしかして俺うざいかな? ごめんその、こんな気持ちになるの君が初めてで、どうしたらいいかわからなくて。ごめん、ごめんね」
安堵した表情から一転、自身の心配がいき過ぎたものではないかと後ろめたくなり肩をすぼめた。
この螺鈿の君、万年筆は鯰尾が人の身を成してから初めての初恋相手だ。刀剣男士になる前のことはわからないが、成った後では間違いなく初めての恋だった。
初めてあったときのことを、鯰尾は忘れていない。
とある冬の日、ちょうど今日のように雪の積もる日だった。近似に選ばれた初めての日、審神者の部屋に訪れた時のことだった。失礼しますと障子を開けると、審神者がこの螺鈿細工の万年筆を使い日誌を書いていたのだった。そしてひとめぼれした。
金色のペン先には細かい模様が掘られていて、身体の部分には夜空のような細工が施されている姿は鯰尾の心をつかんで離さなかった。
そうして毎日のように会いに行くようになった。会いに来て、会話を重ねていくうちに、螺鈿細工の君が美しく、芯のある子だとわかった。大切にされてきたからこそ持てる、その気高さにますます鯰尾は惹かれていったのだった。
そんな恋心はいつしか審神者に気が付かれてしまっていたのだが、茶化されることも拒絶することもなく「いいと思いますよ」と一言だけ。この言葉は鯰尾に向けられて言われたものなのか、それとも螺鈿細工の君への言葉なのかは分からない。
「うざかったら全然言って!っていうのも変だよな……、気を付けるから、だから」
鯰尾が言ってしまったことに後悔と不安を抱きつつも、言葉を繋いだ。
螺鈿細工の君はまたきらりと細工模様を揺らめかせた。すると鯰尾はまたも安心したようにはぁっと息を大きく吐きだした。
「よ、よかったー! ありがとう、優しい君。そういってもらえるとうれしいや」
鯰尾は照れくさそうに頬を指でかいた。
螺鈿細工の君はまたゆらゆらと模様を動かせば、鯰尾は耳を近づけて秘密の話を聞くように耳を澄ませた。
「――君も不安だったの? じゃあ俺達お揃いだね」
鯰尾は嬉しそうに笑った。そしてまたすぐに、なに?と耳を傾けた。
「突然のお話でもなんでも聞くから話してよ、俺は君とこうして話してる時間が好きなんだから」
しばらくは、うんうんと聞いていたのだが、鯰尾の顔は次第に赤く染まっていった。そしてぽかんと空いてしまった口を手のひらで覆った。それでも、螺鈿細工の君の声を聞き逃さないように静かに耳を傾けていた。途中「それって」「そんな」と声が漏れているが、言葉を遮らないようにしているようだった。
螺鈿細工の君が話し終えると、鯰尾は正座のまま後ろにのけぞった。次第に口を覆っていた手は、顔全体を覆うようになった。
そしてそのままの体勢で鯰尾は叫んだ。
「それ、俺から言いたかったやつー‼」
螺鈿細工の君はきらきらと星空のように、どこか楽しそうにきらきらと煌めいていた。
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