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大國日神記第九話:花橘の香

「波綾と忌繰りの方で動きがあったそうですね」

 明が徐(おもむろ)に口を開く。稗田・刻之気一行はもう遥の部屋に集まるのは懲り懲りらしく、明の家に集合していた。

「やっぱ明さんの術は優秀だなァ」
「ありがとう、まあ…人間の能力だし限界もあるのだけれどね」
「あははは、今更何を言う、明は優秀だよ。で、状況を教えてくれないか?」

「はい。波綾の方では錦繍雅と連合した雷丘が波綾を破りました。神威の量が最大の海幸清神をそれに次ぐ霹靂が食ったらしく、現時点では雷丘が一番強いでしょう。忌繰りの方で死者は出ていません。雲蒸が忌繰りに攻め込み、退散した様です」
 一気に場が静まりかえる。普段口数の多い往疫祓も、淡々とした語るも、海幸の逝去(せいきょ)に少なからず動揺しているようだ。

「あのキツい海幸チャンが死んだりするなんて事ある?ど、どうせしぶとく生きとるじゃろ」
「………………彼女は優しいからね、螭春華で会ったけど淡雪切が死んだとは聞かない。彼女は非道になり切れなかったんだろう。あそこは人間を殺さなくては神の所にまで辿り着けないような場所だからね…で、次攻めるとしたら雲蒸か忌繰りか…って感じかな?」
 語るは既に次の戦いの事を考えている様で、声色がくるりと変わった。

「そうですね。断片的にしか見えていませんが、雲蒸の方が負傷が多そうでしたからそちらに攻めるのはどうでしょう」

「いや、忌繰りというのは『呪い』…平たく言うと『ハイリスクハイリターンで即戦力になる武器』を大量に所持している土地だ。機動力の高い丹羽造がこんなに負傷しているのは武器を取るための時間稼ぎをしたからだと考えると、今、雲蒸には呪いの力が渡っているだろう。特に丹羽は攻撃力があり、運までも味方に付けている。最も策略が効かない神だろうから、司令塔となる遥のいる僕らは賭けに出るよりも策略が通じる相手にしよう」

「でも、園彦だってよく分からない能力じゃろ?禁忌だかなんだか、儂は怖いから嫌じゃな〜!それなら脳筋馬鹿な丹羽の方がやりやすい!」
「そうかな?君の能力と天之の能力は同じ様な系統だろう?僕の神社も明が禁厭使いであるように、禁厭とは縁(えにし)深い。未知の能力を手に入れたであろう丹羽と戦うよりは安全だと思うけどね。それに、同系統の能力の君が彼を喰うと強くなれると思うよ」

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“そそぐクン、起きて!話があるんだ”

 突然、脳内に喋喋喃喃の声が響く。漱は驚いて布団から飛び出した。寝巻き姿のまま縁側に出て見回しても、喋喋喃喃の姿は見つからない。

「ごめんごめん、お待たせ〜!やっと忌繰り侵入の日程が決まったよ!」
「わっ!あ、はっ、はい!」
 喋喋喃喃が屋根の上からふわりと舞降りてくる。結界を張ったはずなのに、何故か彼には反応しなかった様だ。漱は驚きと警戒の念を持ちつつ、ゆっくりと喋喋喃喃に目線を合わせる。

「大事な話だよそそぐクン、メモの準備は出来てるかな〜?」
「あ、すみません…今取ってきます」

 漱は忙しなく寝室に戻ると、数分経ってシャーペンと小さなメモ帳を片手に戻ってきた。

「忌繰りの武器庫の場所は本殿の天井裏だよ。本殿の天井には正方形の板があって、その中の太陽の絵が描いている板を叩いて開け、中に入れば良い。そして、次に忌繰りに攻め込みに行く神社は稗田と刻之気!彼らの侵攻は明日の日没頃だ。往疫祓の能力はデバフだから、そそぐクンもとばっちりを食らうかもしれないけど、彼らの側にも人間がいるんで死ぬほどじゃ無いだろうから頑張ってね!」 

「はい、分かりました。…おれは、神社の裏から入ってそのまま本殿から武器を取ってくれば良いんですね?」
「そうだね!神威のある物を持っていたら探知されて逆に危険だから、何の支援も出来ないけど頑張ってネ!応援してるヨ」
 
 漱が背筋を少し伸ばす。そして、
「は、はい…そ、そう言えば兄さんの件はありがとうございました。喋喋様がやってくれたんですよね?」
と、あどけない感じの笑顔を見せた。

「うん!そうだよ、喜んでくれて良かった!また忌繰りの前で待ち合わせしようネ!」

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 声が聞こえる。昔からそうだ。生まれてからずっとずっと、この暗い森の中で神の声を聞いていた。あの声が聞こえないと不安な気持ちになる。だから、わたくしは神から離れない。

 声の主人であるあの方が、この世に現界なさってからわたくしはとても幸せです。暖かくて、落ち着くから…。

 何をしたのかもう記憶はないが、慶祷は神に逆らったとして幼き日から薬を入れられてきた。中身は分からない。ただ、神に従順になる為の物らしい。入れられる時は恐怖からそれを拒むが、終わってしまえばもう何も感じない。

 あの方も禁忌を犯し、肉体を呪いに蝕まれ、隻腕となった。わたくしと同じ様にあの方も、罪人だから。共に穏やかに生きれるでしょう。

………………………………………………

「往疫祓、作戦は覚えているね?」
「はいはーい、覚えていますよ〜」

「よし、じゃあ行こうか」
 攻撃を担当する稗田を前にして、刻之気が後を付いていく。森の中は相も変わらず薄暗く、道が整備されていない。語るは明が転ばないよう、神威で周辺の地形情報を薄く形取ってやっていた。

「すみません語る様…」
「大丈夫だよ、明。敵さえ認識出来れば良いんだ」

 一行が結界の前にまで辿り着くと、明が語るの腕の拘束具を解いた。語るの骨っぽい手の平から、軽い刃物が二振り溢れ出てくる。それを遥が拾い、一つを自分の物にし、もう一つを明に渡した。

「語る様。どうか無理のない様に」

「ああ。それじゃあ僕が先に結界に触れて戦うから、君たちはなるべく見つからない様に。交戦中、命の保証はできないよ」

 遥と明は往疫祓と共に後ろに下がり、語るが結界の前に立つ。

 語るはそのまま白い手で結界に触れた。

「おやおや、危ないな」
 空間が捻れる。語るの顔のすぐ横を、莫大な神威で形成された弾が横切った。眼前で国が腕を構え、立っている。

「申し訳ないが、君を殺しにきた。よろしく頼む」
「………………」

 ほんの小さな動作も無しに、国から大量の神威弾が放たれる。すると、語るの脚に光り輝く金色(こんじき)の紋様が走り、地を抉る威力の跳躍で弾を避けると、国に向け重い蹴りを繰り出した。語るの圧倒的な破壊力で辺りに激しい衝撃波が走るが、国はその脚を腕一本で防ぐ。その上、彼の肉体には少しのダメージも入っていない様だ。

 語るはそんな事を気にもせず、容赦無しに蹴りを入れ続ける。が、それ程のダメージにはなっていない。しかし、国の攻撃は語るの蹴りに到底威力が及ばない。よって、国が語るにダメージを入れる事も出来ぬまま、延々と技の撃ち合いが続く。

…………………………………………………………

「ここじゃな、よし。明と遥はしっかり見張っておけ」
「はい」
「はいはい。近くは俺が見張るから、遠くは明さんがやってくれ」

 明が頷き、幾つか人形(ひとがた)の紙を取り出せば、それらは展開し童の姿をした式神となった。そしてふわりと舞い上がり、神社周辺の低空を旋回し始める。

「ん、あれ」
「どうした明さん、何かあったのか」

「神依児ではない人の気配があります…この神社の者とも違う。でも、武器を持っていたり神威がある訳でもないわ。彼は一体…」
 遥は思案しながら明の顔の見上げた。

「今は語るくんちゃんの作戦遂行が一番だが…万が一のトラブルがあっちゃ困るな。もしそいつがここの武器を取りに来たのだったら、今は直接関係が無くても後から障害になるだろう。とりあえずイレギュラーな動きをしないように見ててくれ」

……………………………………………

「………………」
 背の高い草々を踏みしだきながら本殿裏まで来た。かなり近くで戦っているのだろう。爆発音が辺り一面に響き、臓腑が揺れている。大した腕ではない上に、武器を持っているのがバレたら返って危険だという事は分かっていながら、今、この状況で己が身を守る術が無いのが酷く恐ろしく感じられる。

 本殿の中は案外、天井が高かった。天井には真っ赤に描かれた太陽に向かいゆく雲々の絵、正しく喋喋喃喃が言っていた物である。この天井の板を素手で落とすのは無理だろう。近くに置いてあった掃除用の箒を手に取り、中に入って行く。

 漱は別に強かった訳ではないが剣道をはじめとする運動をしていた為、何の運動もしていない大耀よりは幾分(いくぶん)身軽に御神体に乗り、天井まで登っていった。彼は内心、案外楽にいける物なんだな、という気が湧くが、油断しては駄目だと自らの言い聞かせ、すぐに板を付け直して辺りを見渡した。

………………………………………………………………………………………

 慶祷は何の武器も持たぬまま、拝殿の影に隠れ主人の戦いを眺めていた。自分も加勢したく思うが、きっと邪魔になるだろう。国自身からも、戦いは国に任せるよう言われている。

 禁厭、呪い…科学の理(ことわり)に反し一から百を生み出す、その力の根源は何なのか…それは、人の苦しみや恨みである。

 慶祷はこの社(やしろ)の贄(にえ)だ。慶祷は己(おの)が身に降りかかる苦痛は贖いであり、此の身は神に生かされている物と考えているだろう。が、その実(じつ)、神を生かしているのは七々扇 慶祷に他ならぬ。

 慶祷の苦が神の反自然的な力に成るが故、神が力を使えば使うほど、彼の体に巡る薬はその身を蝕んでいく。肉体の内側から針が湧き出(い)でてくる様な鋭い痛みに、慶祷は声も出せぬまま悶え、頭(こうべ)を地に擦りつけた。

…………………………………………………………………………

「ぅ……君の禁忌がこんなに興味深い物だったなんてね、何となく分かっているが。良かったら教えてくれないかい?君は何に触れたんだ?」
「……………………」
 国の特殊な力に興味を抱いているのだろう、息が上がりながらも語るの表情は明るい。対して国は、表情も動かさぬまま延々と語るの攻撃を去(い)なしていた。

 国が蹴りを避ける。勢い付いた語るの脚は手水舎(ちょうずや)の柱を破り、手水舎が轟音を立て崩れた。その瓦礫の中から光が溢れ、語るが飛び出でる。国はその蹴りを片腕で何とか受け止めたものの、間髪入れず放たれたもう片脚からの蹴りで腹から胸にかけ抉られ、大量の血を散らせながら後方へ飛び退く。

「…………ッ…!」
 口から血が溢れ、地面に落ちた。国の背後からふわりと紫煙が立ち登り、彼の傷を焼いていく。止(とど)まる事なく流れる血を止めるつもりなのだろう。

…………………………………………

「よし!イヌエキ様今だ!」
「分かっておる!分かっておるわ!」
 急いで遥と明は息を吸い込み、口を覆った。途端、往が神社を囲むような強い瘴気を放ち始める。国の紫煙によく似た瘴気は、音も立てず立ち込めて視界を奪っていく。

……………………………………

 語るが瘴気を察して口を覆ったのを見て、国も咄嗟に瘴気を吸い込まぬように口を覆う。

「ウ“…!?!?」
 国の傷口に瘴気がみるみると吸いこまれていき、そのまま熱のない炎が上がった。国の体が内側から破壊されているのか、あちらこちらから血が噴き出してくる。口を抑え切れずそのまま血を吐き伏した。語るはゆったりとした足取りでその前に来て、苦悶の様子を淡々と見下ろす

「…グ…ッ…これ、は……………」
 語るは答えない。虚なその瞳を、国は睨みつけた。

………………………………………

「ア“…………いぃ”……………っ」
 瘴気を吸い、息苦しさから口を開けば更に瘴気が入ってくる。慶祷は苦しみ喘ぎながら主人の方を見た。臓腑がギリギリと悲鳴を上げて捻じ切れそうだ。その痛みから、主人が我が力を求めている事を知る。

「……………国様!!!!わたくしをつかってください、わたくしは…あなたさまのいしにしたがうため、うまれてきたのですから!!!」

 走る。走れば走るほど体は脆く崩れていく。語るを無視して走り抜け、国の体に触れる。すると、慶祷の腕にも冷たい炎が上がり、その骨まで燃やし尽くす。

 鬼気迫った叫び声を上げながら、彼は主人の体を抱く。国の髪が舞い上がり禍々しい気が立つが、語るの表情は動かない。その気が強まる程に慶祷の腕(かいな)は強く、国の身体を抱きしめた。

 二人の肉体は燃え続ける。人の焼け焦げていく匂いが、悲鳴と共に立ち込めた。目眩のする様な強い死の香りが鼻腔を劈(つんざ)き、地獄が口を開けた様な凄絶たる画を、語るはただただ眺めている。

………………………………………………………………………

「ア“ッッッ!?」
 突如、往の腹を強大な神威で作られた刃が貫く。口と腹から血が大量に噴き出し、腹を抑えて蹲(うずくま)った。息を荒げて腹を抑えるが血は止まらずに流れ続け、傷口から国の顔に掘られている紋様が往の体を焼き始めた。

 明は何が起こっているのか分からず、自らの顔に飛び散った血に触れ、遥は茫然として立ち尽くした。

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……………………………………………

………………………

「へえ、君の規格外な力はこの人間の苦しみから生まれていたんだね」
 語るは燃え尽きたモノの中に手を突っ込み、そして神の力となる“ソレ”を取り出した。体は灰になったのというのに無機質な真赤に残った神の心臓だ。

 まじまじと眺め、指で突いたりして少し楽しそうな表情を見せる。

「往疫祓が苦しんでいる事だろう、なんせ神の死ぬ間際の一撃を食らったんだ。これを持っていってあげなければ」

………………………………………………

「やあ、お疲れ様。遥のおかげだよ、ズボンが破けているのに君はすごいね」
「そんな事よりイヌエキ様が死んじまうぞ!神社には連絡した。早く運ぶの手伝ってくれ」

 二人ともそういった経験が無いのだろう。不器用にされた止血の跡があるがそれでも血は止まっておらず、往は気を失い口から血を垂れ流し倒れていた。

「焦らないでも大丈夫だ。ほら、これを持ってきたよ」
「……………」
 語るは未だ血の滴(したた)る心臓を遥の眼前にぐいと出すが、遥は驚きで固まってしまった。

「往疫祓と天之は近しい能力だ。だからこそ、彼を討つ事が出来た。彼の血で往疫祓を癒す事も出来るだろう」

 語るは伸びている往を片手で無理に仰向けにさせれば、そのまま彼の口の上で心臓を握り潰す。そうして溢れた血液を、何の躊躇も無しに往の喉に注ぎ込んだ。往は咽せて悶えたが、暫く経つと呼吸が整い表情も緩んだ。

「ほら、大丈夫だっただろう?これで死にはしないどころか、往疫祓は更に強化されるよ。………ところで…遥、僕は君の事を褒めに来たんだ。よく出来た作戦だ。君は優秀だね」

「ああ、俺は賢く楽するのが得意なんだよ。“頑張る”だなんて下らないぜ」

 今回遥が立てた策は『国の能力を操り暴走させる』というものだった。語るに国の肉体の一部を破壊させ、そこから国の能力と親和性の高い往の能力を送り込む。そうする事で国の内部で相手の能力を取り込みつつ操り、そのまま暴走させるという事だ。

…………………………………………………………………………

 辺りを見渡すと大小幾つもの箱が置いてあった。この箱の中身こそ、喋喋喃喃の言った“武器”なのであろう。漱は先ず自分が使いやすそうな形状の武器を求め、箱を何個か退かすなどしてみる。

 すると小さな箱の山の中から、大きな細長い箱が顔を出した。その形状、中身は正しく平均的な打刀だろう。漱は使うのであれば刀が良いと思っていたのでその箱の紐に手をかけ、中身を覗く。

 そこには射干玉(ぬばたま)の夜(よ)の様に、辺りの光を吸い込む暗黒色をした刀があった。高揚感を抑え切れず、そっとそれに触れてみる。

「!?!?!?痛ッッッ!!!!あ“ぁ”ァ“………ッ!!!?」
 雷の様な衝撃が腕を走り、脳みそまで震え上がらせる。そのまま骨の髄から刃物が飛び出してくる様な鮮烈な痛みが湧き、漱は叫び声を上げつつ痙攣し床に伏せた。普通なら気を失ってしまう痛みであろう。それなのに何故か意識を手放させて貰えず、延々と与え続けられる痛みに気が狂いそうになる。

…………………………………

…床に伏せたままどのくらい経っただろうか。死んでしまう様な痛みが与えられていた割に、今はそこまで苦しくない。長距離マラソンをした後の様な疲労感が漂っていた。自分の腕を見る。不思議な紋様が刺青のように刻まれ、手に黒い刀が握られていた。…成功したんだ。これで文神様の為に十分戦えるだろう、そう思うと自然と笑みが湧いてきた。

 起き上がり、喋喋喃喃へ持っていく為の物を探す。彼は不思議な幻術を使う様だから、物理的な武器ではなくもっと呪術に近しい物の方が好ましいだろうか等と考えながら軽い音の鳴る箱を何個か手に取った。

 外に出ると凄まじい刺激臭が漂っていた。咽せ、着物の裾で口を押さえつつ、急ぎ神社の外へ駆けていく。深い森なので小枝が何度も漱の服に引っかかったり、肌を傷付けたりしたが、初めての成功体験により心は晴れ晴れとし足も止まる事はなかった。
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