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大國日神記第八話: 溢れ四葩(よひら)

 血を大量に失い冷たくなった体に、陽が当たっている感覚だけが生々しく感じる。体は温まりやしないのに陽が雨水を乾かし、徒(いたづら)に服と頸(うなじ)の表面だけを焦がしていく。

 膝をつき、崩れ落ちる事すら出来ない。ここで泣き崩れることが出来たらどれ程幸せだっただろうか、哀れな勝者はただ茫然と立ち尽くす事しか出来なかった。

 去り行く者はいつも美しい。残された者は醜く腐っていくだけだ。

 彼女の体は海水となり消え去った。その莫大な神威は未だこの街を覆い尽くしているが、最早彼女の姿はこの世のどこにも存在しない。大剣に血の筋の一つすら、もう残ってはいない。

 俺の足元に転がった物、これが神の末路なのか。あの、厳かで美しい女神の末なのか。俺たちはたかだかこれだけの存在に成り果てるのか…。

 人の臓器と同じ造形をしている“それ”は普通グロテスクに思うはずだが、最早無機質過ぎてそんな思いすらも湧いてこない。ただの“物”であった。

………………

 未だ嘗(かつ)て感じた事のない莫大な力が自分の体の中で渦巻く。だが、その力は俺の体を破壊したりはせず、何故か優しく俺の傷を埋めていってくれた。どこか懐かしい、これが生命の母…海の力なのか。

 人間であったら確実に死んでいる程に損傷した体の内側からまた熱が湧いてくるのを感じた。それでも決して陰惨な気持ちに区切りが付いたわけではない。

…最早叶わぬが、この大國日を統べるに最も相応しい神は海幸だ。存在の美しさで彼女に勝る者などいない。外見がどれ程美しかろうと海幸に敵うものか、力がどれ程強かろうと海幸に敵うものか。自然神たる俺でないと海幸の力を引き出す事が出来ないのなら、今や俺がこの戦いを勝ち抜き大國日を統べる他無いだろう。他の神々にこの力が渡り、人から得た紛い物の神威でこの神威が穢れる。そう考えるだけでも吐き気がする。

…今はそうやって死なない理由が出来ただけで十分だ。

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「霹靂殿!ご無事で何より」
 背後からそう言葉を投げたのは幽玄だった。霹靂はゆっくりと後ろを振り返る。

「霹靂様ーッ!!あ、ワッ!?大丈夫ですか、う…腕が…」
 振り返った途端に騒がしく季四が霹靂の方に寄ってきた。懐から布を出して霹靂の血を拭おうとしたが、霹靂はそれを振り払う。

「幽玄…お前、俺を使ったな」
「使った?心外だ。海幸殿は霹靂殿にとっても強敵なはず、強化される前に倒さないと霹靂殿にとっても都合が悪いだろう」

 幽玄が驚いた顔をした瞬間、霹靂の体から神威が徐々に舞い上がり、髪が解けて揺れる。怒りというよりもただ純粋に目の前の相手を殺そうという気であった。変に静かな胸が自分でも恐ろしい。何故、それ程に静かなのか、理由は分からない。

「霹靂殿!神威を摂取したとは言ってもそれは無茶だ!貴方の方が壊れてしまうぞ!それに、どうして俺と…」

「幽玄!!!!!!!耳塞げーーーーーーーッッッ!!!!!!!!」
 霹靂の背後からアリーナの叫び声が聞こえた瞬間、甲高く鼓膜を劈(つんざ)くような音とともに目の眩むほど激しい光が霹靂の目の前で爆発し襲いかかる。アリーナは重く大きな装備を放り投げ、その光の中から走り出(いで)て、強引に幽玄の手を引っ張り駆けていった。

「走るぞ幽玄!!!!!この街の丘は神威でひとっ飛びだ!」
「ああ、アリーナ…すまない」
 幽玄の足元から緩やかに円を描く紋様が展開し、神楽の音が響き始める。すると二人の足は跳ねるように身軽な動きになり、幽玄はそのままアリーナをひょいと抱きかかえるとそのまま丘を飛び、森の方へ消えていった。

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「……………………………」
 頭の中をグルグルと熱い物が回る。怒りが収まらず、もう一度雷を落とそうと思ったがそんな気も失せてしまった。隣で伸びている季四の首根っこを片腕で掴む。

 此処から雷丘まではかなりあるが、電話の使い方が分からない。どうやって神社の者を呼べば良いのかも分からないし、季四が起きるのを待つか…。そう思いつつ霹靂は白昼夢の中を彷徨っている様な覚束無い足取りで歩み始めた。

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「幽玄、無事で良かった」
 アリーナが白い歯を見せて笑う。ここは深い山中の様だった。幽玄はそのままここでアリーナを下ろした。

「ありがとうアリーナ。助かったぞ!流石俺の神依児だ!美しいし強い」
「へ、へへ…誇らしいぜ、…それに、幽玄はやっぱり賢いぜ!大成功だな」

 二人はそう笑い合いながらお互い、友人の様にガッツポーズを決めた。

「ははは、アリーナが教えてくれた“がっつぽーず”というものは良いな。なんだか元気が出る」
「な!そうだろ!じゃ、帰って美味しい物でも食べようぜ〜」

 アリーナが携帯で錦繍雅神社に連絡し終わると二人は迎えを待つ為、暗い山道の脇に座り込んだ。

「それにしても、疲れたな…」
「ああ、オレさま、今まで何回も人が死ぬとこ見てきたけど…それでも疲れたよ。神様同士の戦いは初めてだからかな」
「まあ…とりあえず俺の街がしばらく安全そうで良かった。結界に異常も無い様だしな」
 
 深いため息を吐く幽玄の横顔を見上げる。長い睫毛の影が白い頬に落ち、身震いしてしまう程に美しい。金の瞳が仄青(ほのあお)い月の様に冷たく光っていた。

 幽玄がやった事は間違ってない。少なくともオレさまはそう思う。幽玄がサンダーを誘導してシーガールを殺したのは事実だ。だからサンダーが怒るのも分かる。でも、幽玄だってこうしないと街が危ないんだ。

 幽玄は優しいよ。神様な癖して自分の信者が死んだら悲しむ。だから自分の信者の為に他の神様を殺した。しょうがない事なのに幽玄は責任とか…罪悪感とか…そういうものをまた感じちまってるんだろうか。

 そんな事気にするなよ!幽玄がやった事は間違ってない!って言ってあげたいけれど、そう言ってしまったら返って彼の心を傷付けてしまうような気がしてして何も言い出せず、アリーナは膝に顔を埋(うず)めた。

「アリーナ、おかしいと思わないか」
「………?あ、ああ…なんの事だよ?」
 突然の問い掛けに頭を上げる。幽玄は酷く神妙な顔をしていた。

「…人間は俺達の力の衰えから俺達を見限って、神に神を喰わせる事で強い神を作ろうとしている。だが、海幸殿を食った霹靂殿を見る限り、人間如きに他の神の力を手に入れ強くなった神など、決して制御し切れるものじゃないと思うんだ。返って滅ぼされてしまうだろう」
「確かにな、あのサンダーが力で人間に負けるとも、人間の言うことを聞くとも思えないぜ」

「もし強い力の神に協力してもらいたいのならば、はじめから人間を贔屓している神に他の神を喰わせて強化すれば良いものを…何故、わざわざ全員を殺し合わせるのだろうか。単純な力の強さで言えば人間を否定している神の方が強い者が多い…ならば尚更だ」

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 日が登るのが早くなってきた。まだ早いのに外はもう明るい。

 函梅宮は“宮”と言われる通り、皇室と深い縁(えにし)で結ばれた神社で平安風の優美な空間が広がっている。その中には流れの緩やかな小川が流れており、弓状に反った木造の橋が架かってあった。

 その橋の眺めは特に氏子や地元の住民から人気であり、梅の咲く頃になれば多くの人でごった返している。漱はいつものようにその辺りを寝ぼけ眼で掃除していた。

 函梅宮は常に柔らかな光の降り注ぐ明るい神社である為、もう夏であるのにそこまで辛さは感じない。冬になったらとても寒くなるが夏は涼しい。

 最近、どんなに寝ても疲れが取れていない気がする。頭の中で甘ったるい喋喋喃喃の声がぐわんぐわんと響いて良い心地がしない。そろそろおれも武器を取りに行かなくてはいけないんだろうか…まだ喋喋様からは何も言われていない。不安で無意識に強張ってしまう。

「早くから掃除とは、結構結構」
「わっ!?文神様!」
 文はふわりと橋の上に浮いて笑っていた。漱は驚き、目が覚めたばかりの顔で文を見上げる。その柔らかで端正な顔と目が合った途端、家で“神様の顔を直接見てはいけない”と言われていたのを思い出し、慌てて覚束ない手つきで目隠しを装着した。

「ははは、焦っているな」
「は、はい。昔から御神様の顔を直接見てはいけないよって言われてましたので…」
 そう言うと文は漱の横に降りてきた。文は隣に居ても空気の様で全く重さを感じない。仄かに梅の香りが漂ってくる。

「そうだな、それもあるだろうな。…漱、以前にも増してやつれていないか?」
 文は無邪気な素振りで覆いをしたままの漱の顔を覗き込んだ。

「す、すみません…。やっぱり戦いってなると…緊張してしまって…はい。で、でも、すぐになんとかしますので」
「ははは、そんなに萎縮するな。我はおぬしを責めたい訳ではないぞ」
 文はそうやってまた笑う。文の雰囲気は柔らかで穏やかで、とても落ち着く。

「漱、おぬしが我の為に色々としてくれているのは分かるぞ。前も他の神社の神依児の情報を持ってきてくれたしな。ただ、我に手伝える事がないか…それだけ聞きたかったのだ」

 冷や汗がどっと溢れてくる。今まで色々とやっていたことはお見通しだったんだ…でも、文神様は別に悪くは思っていない様で少し安心した。

 言ってしまった方が良いだろうか。…きっと、そうだ。文神様は優しい。怒ったりはしないだろう。

「い、今まで黙っててすみませんでした。あの…今までの事…話すので、良かったら焦らず聞いてくださいますか…?」
「ああ、勿論だ」

 生唾を飲み込み、今まであった事を思い出す。

「その…神依児の情報は喋喋喃喃様からいただいた物です。おれは喋喋様から情報をいただく代わりに、交戦中の忌繰り神社にこっそり侵入して武器を取ってくる事になったんです。その武器はおれも使えるものなので…きっと、喋喋様だけじゃなくておれたちの力にもなります」

 漱の予想よりもずっと文は落ち着いていた。怒っている感じは一切しないが、それでも隠し事をしていた罪悪感が胸を渦巻いている。

「そうか、ならば我にその侵入の手伝いはできないだろうか」
「は…はい。文神様とか…神威を持った者が入ったらきっと結界に感知されますので、返って危険かと…喋喋様がおれに頼んだのも、喋喋様自身が侵入すると結界で感知されるからだと仰ってしましたし…」
「む、むぅ…そうか…」
 文は分かりやすく残念そうな声を出した。
「し、しし…心配しないでください!おれ、危なくなったらすぐ逃げます!それに!武器が手に入ったら手練れの人間や他の神にも対抗出来る力が手に入ります!」

「確かに、我らには武力が少な過ぎる。はっはっは、このままじゃ遅かれ早かれ殺されてしまうな」
「笑い事じゃないですよ!し、死んじゃうんですからね!」

 文は困って考える様な仕草をすれば、すぐにパッと顔を明るくして
「協力者は喋喋殿と言ったな?ならば我ととても仲良しだ。喋喋殿の神社に行って話でもしてこよう!侵入の手伝いは無理だとしても、我も何か協力出来ないか聞いてみたいからな!」
と提案した。

「え…は、はい。そうですね、おれも一緒ならきっと敵だと勘違いされることもないでしょうし」
「なら、善は急げだ今日行こう!まあ、喋喋殿にも都合があるだろうしお昼過ぎぐらいが良いか。う〜む、ならそれまで暇だな、漱、少しばかり散歩でもするか?」
 にこりと笑ってそう問う。文神様は何だかいつも子どもの様に明るい。

「はい!え、えっと…掃除は大丈夫なんですか…?」
「ああ、いつもしてるからな。一日しなくたって綺麗だぞ。それに、最近は大戦のせいで参拝者もめっきり減ってしまったしな」

 文はそう言うと地面に足を付けて漱の少し手前を歩きはじめた。函梅宮の周りには何人もの庭師を雇って手入れされている大きな庭園があり、そこに行くのだろう。

 文が歩くたびに彼の軽い髪の毛がふわりふわりと揺れ、風に乗って仄(ほの)かに甘い梅の香りが漂ってくる。文が歩く速さは普段の漱よりも遅いので、漱は久しぶりにこうもゆったりと景色を眺めたなぁとちょっとした感動に浸っていた。普段から見慣れている景色なのに何故だか新鮮味を感じる。

 日が高くなっているのを感じる。まあまあな時間庭園を歩いただろうか、心地良いくらいの軽微な疲れが湧いてきた。小川の上に置かれた平たい石の上を歩く。その石の横を大きな錦鯉達が悠々と泳いでいた。文の鼻歌がふわりふわりと二人だけしかいない庭園に漂っている。どこか懐かしさを感じる旋律、きっと今までにこの社を訪れた人々が口ずさんでいたものだろうか。

「ここって、こんなに綺麗な場所でしたっけ」
「はっはっは、漱は真面目だ、時にはこうやって何も考えずに歩いてみると良いぞ。身近な物の美しさに気付けるからな」
「そうですね、なんだか話したらすっきりしちゃいました。やっぱり戦いは怖いですけど……は、はは…どうしておれ、もっと早く文神様に言わなかったんだろう…」

 文は漱の顔を優しく覗き込んで
「それは良かった。まあ、なんだか言い出しにくい事もあるだろう。我は漱が我の為にやってくれた事だと分かっておる。怒ってはおらんよ。…………………ただ、自分の身を一番に、な?」
と微笑む。

「はい。気をつけます…」
「ほれ俯くな。疲れたな、もう帰ろうか」

 顔を上げて歩いてみる。周りの景色が沢山見えた。池の水面に碧(みどり)になった木々が映り、その中を淡い橙、白色や赤色の鱗をちらちらと輝かせながら鯉達が泳いでいく。柔らかい風が頬を撫で、目隠しの裾を揺らす。その端から神の横顔が見えた。細っそりとした白い顔に夏の影が掛かって揺れている。

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「へぇ、そそぐクン。やっと文クンにボクのコト話したんだね〜。ま、良いけど」

「文クンも協力してくれるらしいし、一石二鳥ジャン!ま、はじめっからこうなるだろうとは思ってたけどね〜」

「そー言えば、頑張ってるそそぐクンにもう一個サプライズを送ってあったんだ。喜んでくれると良いな〜!忌繰りでの活躍楽しみにしてるからね!❤️」

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「え………ど、どういう事ですか…?」
 理解が出来ない。汗が溢れ出てきて止まらず、脳みそが真っ白になって金属音の様なけたたましい音がずっとずっと響いている。

 足に袴の裾が纏わりついて蹌踉(よろ)めきながらもその部屋に向かう。うっかりしたら心臓が口から飛び出て、そのまま死んでしまいそうだ。

 あの、兄さんが帰ってきたって。そんな事…。

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「あの、兄さん。おかえりなさい。し…心配してましたよ…」

 兄さんがいるらしい部屋の襖を軽く開けてそう言う。怖くて顔をあげられない…兄さんはどうしているだろうか…。

「ああ、」

 兄さんは短くただそれだけを言った。おれは怖がりながら薄っすらと彼の方に目を上げる。彼は相変わらず机に向かい何か本でも読んでいた。

 服の裾に一瞬、赤い糸が見えた。神威で作られているのか、見えたと思えばすぐ消えてしまった。
 
 気まずさからその場をすぐ去ってしまったが、変わらない兄さんの様子を見て安心した。まあ、まだ面と向かって話したりとか、そんな事は出来なさそうだけれど…。

 そういえば、喋喋様がはじめて会った時に「お兄さんとの関係も何とかできる」って言ってたな。それなら兄さんが帰ってきたのも喋喋様のおかげなのだろうか…一瞬だけ見えた赤い系がおれの見間違いでないのなら、きっとそうだ。またお礼を言わなくちゃ。函梅宮の人達も喜んでいた様だし。

 …とにもかくにも、今は紅絲神社に行かなくちゃ。文神様が待っている。

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 紅絲神社は都会の真ん中にポツリと立った神社だ。若い参詣者が多く、神社に行く前の道には何やらデコデコとした看板が幾つか見受けられた。

「す、すごいですね、これが都会、ですか」
「ああ、眩しいな。でも色々物があって楽しそうだ」

 文はそう言いながら軽快とした足取りで紅絲までの道を進んでいく。平日の昼過ぎだから人間たちは仕事や学校に行ったりしているのだろうか、派手なビル群の割に人はぽつりぽつりとしかおらず、ビルを見慣れない漱には異国の様に感じられ落ち着かなかった。

「うるさいのに、あまり人が見えないな」
「都会では地下街と言う物があって、地下の施設で買い物や仕事をしたりするそうです。特に夏は日差しが強いから皆、地下にいるんですかね」

 そうこう話しているうちに鳥居の前に辿り着く。鳥居はそこまで大きいものではなく、ここまでの道のりも案外短かった。結界はかなり強い物が張ってあったが、文が入っても特に喋喋喃喃が現れたりとかそういう事はなく敵対の意思はなさそうだ。

 木々に囲まれているせいで鳥居をくぐった先は薄暗いが、可愛らしいハートマークの絵馬や若者向けらしい可愛いグッズ等が置かれてあり、その独特な華やかさが返って少し不気味に感じる。前の道にも人は少なかったが、神社の中は一切人の気配を感じない。

「おかしいなあ、喋喋殿も神社の人もおられないのだろうか?」
「な、なんででしょうか…社務所にも全く人がいないみたいです。でも、お休みだとかそういうお知らせもありませんね」

 二人はキョロキョロと辺りを見回したが、結局人は見つけられなかった。この神社の周りだけ木々が生い茂っているという事もあるが、都会の真ん中にありながら車などの騒音も何故か全く聞こえない。風も吹かず、時が止まった様な不思議な空間だ。

「…もう帰りますか?人もいないようですし」
「いや、あの喋喋殿の事だ。からかっているつもりなのかもしれんな」
「そ、そうなんですか?」

「ああ、喋喋殿はどうやってか知らぬが、いつも全て知っていたかの様な行動で他人に悪戯を仕掛けておるのだ。だから行ってみよう。きっと中で我らが来るのを悪戯でも仕掛けて待っているだろうからな!」

 文の髪がふわりふわりと舞い始め、足元から柔らかい風が立ち上がってくる。文が口元の前に手を当てて息を吹けばその方向に向かって風が動き、閉まっていた神社の扉を簡単に開けてしまった。

「おお、鍵は閉まっていないようだ。きっと喋喋殿も歓迎してくれているのだな。じゃあ、行くか」
「は、はい…一応、俺と喋喋様が同盟関係とは言っても気をつけてくださいね」

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「暗いな、転けるなよ」
「はい、…にしても不思議な構造ですね、神社なのに地下だなんて」

 扉を開けた先にはそこまで派手という程でもない御神体の置いてある部屋があり、その後ろにまた扉があった。その先に、木造の階段が地下に向かって伸びていた。

「喋喋殿は面白いな、この空間も喋喋殿が見せている幻覚やも知れぬと思ってしまう」

 確かに、初めて喋喋様に会った時、函梅宮へ行くはずの道がずっとずっと終わらずに突然喋喋様に会ったんだ。今思えばアレも…なんて不安気な思いを巡らせながら漱はどんどん地下への足を進めていく。

 最後まで付くとそこには真っ直ぐな廊下が続いていた。文と漱が降りた途端、一番近くにあった一対の蝋燭に火が灯る。漱はそれに驚くが、文は変わらない表情でそのまま廊下を進んでいった。

 廊下を進むめば進むほど、一対また一対と蝋燭が灯っていく。突然、空(くう)を切ったように木で出来た簡素な矢が飛んできた。文は漱も守るように、纏った風で簡単に矢を射落とす。

「矢…!?な、なんでですかね、敵じゃないのに」
「でもこんな木屑じゃ神はおろか、人すらも殺せぬぞ、やはり遊んでいるつもりなのだろうな」

 文はそのまま足を進めて行く、二、三度また矢が飛んできたが同じ様に蹴落として突き当たりの扉までやってきた。

 扉は木で出来ており、水分でささくれ立っているもののそれなりの厚さに思える。

「ここが終着だな?でも、神威も何も感じぬ…」
 扉の表面を撫でる。力を入れて押したり、風で切り裂こうとしても不思議な結界で弾かれてしまった。

「喋喋殿、遊んでいるのかと思ったが何故このような事を…」
 文はここで初めて不安そうな顔をしてその扉を撫でる。
「分かりません。でも、ここ寒いですよ…暗いし…も、もう帰りましょうよ」

「ああ、そうだな。我の見当違いだった。すまないな、漱」
「文神様は悪くないですよ…でも、喋喋様に会えなくて残念でしたね」

 二人は踵を返して元きた道を戻って行く。今度は進むごとに一対一対、明かりが消えていった。

 そのまま階段を上がり、鳥居を抜ける。それほど長い時間滞在した気はしないのに空はもう暗くなってきていた。

「______ッ!………危ない、危ない。またこのおもちゃの矢か」
 先程も飛んできた簡素な木の矢が何処からか漱の頭に向かって放たれ、それを文がまた落とした。咄嗟の事だったので彼の小指の皮が軽く擦れていた。

「文神様!すみません!あ…あの、大丈夫ですか…?」
「ああ。大丈夫だ!かすり傷だからな、ほれ」
と、文は笑いながらその傷を漱の前に差し出す。確かに、皮が擦れただけで血は一切出ていなかった。

……………………………………………………………………………………………………………………………

「どうぞ」
 大耀が丹羽の前に携帯電話を差し出す。
「これは?なんか平たいな!美味しいのか!?」
「いえ、これは携帯電話って言うんです」
「けーたい…?」

 不思議そうな顔で丹羽が携帯を受け取るのを見れば、大耀はそのまま淡々とした調子で
「はい。丹羽様、次の戦いでの作戦を言いますね。今回の戦いの目的は“勝つ事”ではありません。“武器を持ち帰る事”です。ですから丹羽様は死なないように神を誘き寄せて戦ってください。俺はその間に武器となりそうな強力な呪いの力を持った物を探して取って来ますので、それが完了したらこの携帯電話を鳴らします。これが鳴ったら俺を連れて逃げてください」
と作戦を告げた。

「む、難しいぞ!」
「すみません。とりあえずこの携帯電話が鳴るまで戦っておいて、これが鳴ったら俺と一緒に逃げましょうって事です」
「なるほど!大耀は賢いな!じゃあそれでいこう!」

…………………………………………………………………

…前日にあれほど話もしたし、戦いに出る前にも話した。万が一の為に神社の者も予め近くに呼んである。後は、俺が失敗せず武器を取って来ることさえ出来れば…。

 丹羽と大耀は忌繰り神社の前の深い深い森の中を歩いていた。ここの地面は雨が降った訳ではなくとも常に泥濘(ぬかる)んでいて、肌にじっとりと湿度と暑さがこびりついてくる。

 剛毅悼や忌繰りのように人食い、禁厭、呪術や薬物を使っての人間の洗脳などの噂が絶えぬ神社というものは、こうやって森や山の奥に潜んでいる事が多く辿り着くことだけでも困難だ。

 やっと結界の前まで着いた。結界の向こうの空間が捻れて見えるほどに強力な結界である。それでも、神威を一切放っていない大耀を感知する事は不可能だ。

「丹羽様、ご健闘を祈ります」
「ああ!任せろ!」
 そう小声で言い合い、大耀は結界に触れず神社の裏手側の方に回っていった。

………………………………

 他者を殺すなんて嫌だ。俺は武神とは言っても人殺しの手伝いをしたかった訳ではない。楽しい“勝負事”で勝ちたいというだけだったのに。

 ただ、今回は相手を殺す必要はない。大耀を信じながら時間を稼ぐだけだ。それなら決して後腐れないだろう!

 結界に触れる。その強力さから一瞬視界が歪み、全身の神経に身震いするような冷たい衝撃が走った。

「おや、丹羽殿。変わったお客様だ」
 丹羽の前に表れたのは薄翠色の長髪に呪いの紋様が刻まれた貌(かお)を持った禁厭の神、天之御園彦(アマノミクニヒコ)である。巨大な双剣を構える丹羽に対し、国は素手で直立したまま動かない。

「挨拶の一つもなしかね?」
 考えを全く読む事の出来ない深い色をした瞳に、薄く形の整った唇、呪いの墨を受けようとも端正な顔立ちであることが窺(うかが)える。

「すまなかった!!!!!!!!!俺は丹羽造!!!!!!!!!!!いざ参る!!!!!!」
 大声でそう叫びながら相手を斬りつける。国はそれをいとも簡単に神威の壁で防いだ。

 国の神威の強さや多さは、海幸や霹靂のような自然神とは違う。彼らは然るべき強者であり、その力の行使をする時に多かれ少なかれ予兆があるはずなのだ。だが、国の能力は後天的に手に入れた呪いとそれを強化する禁厭の力である。それは“不自然”なものであり、何の予兆もなしに多大なるエネルギーを生み出していた。

「ぐ…っ!中々ァ!!!!」
 丹羽は決して怯む事なく攻撃を続ける。国に決定的なダメージを与えられているとは思えないが、それでも相手の攻撃する間を上手く奪っていた。

 国が莫大なエネルギーで形成された球を不規則的に放つ。それは丹羽の動きを追尾するように動くが、大剣で斬られ飽和しながら消えていった。

 国の方が神威の量、質ともに上だが、身体能力と体力の面に置いて丹羽が勝っているので互いに決定的なダメージを与える事が出来ぬまま、平行線上に戦いは進んでいく。丹羽は相手を殺すのではなく大耀を信じて戦うのだという強気な気持ちから、更に手数を増やしていった。

 それでも、丹羽は防御よりも攻撃の方が得意なのだろう。防戦となれば些か不利だ。少しずつ丹羽の体に大小の傷が刻まれていく。

…………………………

 神社の裏手からこっそりと侵入する。神威がないから感知されないとは言ってもこの強力な結界だ。油断しては命の危機に陥るだろう。

 誰からでも見る事の出来る拝殿には当然、何も置いて無い。何かあるなら本殿だ。本殿の方に駆け、中に誰もいない事を確認すれば入っていった。

 ガラン、としており御神体以外にこれと言った物はない。でも、ここにあるはずなのだ。本殿の大きさから考えて、ここの部屋以外に別の部屋があるとは考え辛い。

 手当たり次第に壁や床を叩いてみたが、そこが開いたりする気配はない。一度耳を澄ませ、部屋を見渡す。かたかたかた…軽い足音、鼠だ。鼠の足音が天井の方から聞こえてきた。つまり、ここに何らか別の空間があるとすれば、それは天井だ。

 天井は小さな木の板が組み合わさって作られている様で、確かに怪しくはある。以前、寄せ木細工という物を見た事がある。この天井は正しくそういった風の見た目だ。

 御神体の真上の天井の板の模様は太陽を表しているのだろうか、円が描かれている。そして、そこから放たれた様に広がる雲の紋様が描いてあった。

 不敬だと思うが仕方ない。御神体の上に乗り、本殿前の廊下から取ってきた箒で太陽の描かれた天井板を叩いた。するとカタン、という軽い音と共にその板が落ち、中から一本だけロープが降りてきた。キュッとそのロープを掴む。不安だ。運動に関しては今まで良い思い出が一つもないから上手く登れる気がしない。

…だが、今も丹羽様は俺を信じて戦ってくれているんだ。俺が失敗したら元も子も無い。後で戻せるようにその板を持ったままここを登ろう。

………………………………………………………………………………………………………

 ここを登るだけで相当な時間と体力を使ってしまった。まだ息が荒いが、呪いの力を持つ物を探さなくては。まずはここに入った事がバレないようにロープを持ち上げ、持ってきた木の板を元あった場所に嵌め直した。

 辺りを見渡す、思った通りだ。天井が突き抜けてしまうくらい多くの箱が積み重ねられている。きっとこの中に…

「どなたかいらっしゃるのですか」

 人の声。本殿の前の廊下を通っている。戦いの起こっている近くにまで来るという事は、この声の主が忌繰りの神依児だろうか。

「どなたかいらっしゃるのですか」

 無機質な声と足音が響く。見つかってはいけない。でも、時間が掛かれば掛かるほど丹羽様が危ない状況になるだろう。ゆっくり、ゆっくりと音を立てない様に四つん這いで狭い天井の中を這っていく。

「箒がない。そちらにいらっしゃるのですか?あなたさま」
 声が正方形の天井の部屋の入り口で止まった。相手が何処を見ているのかも、相手が凶器を持っているのかも分からない。

 必死の思いで一番手前の小さな箱に手をかける。すると、呪いの力であろうか、国の体に彫られた墨の様な文様が大耀の右手に絡み付き、その肉を内側から焼き始めた。

 声が出そうになるが必死で抑える。痛いだなんて思う暇も与えずに、今まで経験した事もない激しい刺激が手を覆い尽くし、息をする事もままならない。ただ、自分の右腕が内側から音もなく焼かれていくのを、声も挙げずただただ…耐える。

 実際に手が切断された訳ではないがそれに匹敵するか、それ以上の激痛だろう。涙すら流す事も出来ずに痛みに悶える。激しい熱で焼き切れているにも関わらず、狂った神経がその痛みを“冷たさ”として脳に伝え、気を保つ事すらままならず必死で自分の舌を噛み、最低限意識を手放さないようにだけ…。

「そちらにいらっしゃるのですね」

 バレた。だが、手の感覚は未だ戻ってきていないが、呪いの入ったその箱は自分の腕の中に収まった。右手から右腕にはくっきりと痣が刻まれたが、そんな事など今はどうでも良い。

……………………………………………………

 携帯の着信音が鳴り響く。国は全く動じる事なく丹羽に攻撃を仕掛けようとしたが、丹羽は音がなった瞬間に本殿の方に走っていた。

 本殿の中で倒れている大耀と、その横に立っている青年を見つける。

「大耀ーーーーーーーーッ!!!!よくやったな!!!!逃げるぜ!!!!!!!!」
 丹羽は傷だらけであるが、今の今まで神威を温存していたのだろう。青年を押し除け、大耀を肩に担ぎ、身軽な動きで結界の外まで出ていった。

 国は彼らを追うことはしなかった。ゆっくりと本殿に向かえば、そこで押し除けられ鼻血を出したまま気絶している青年…慶祷に手を差し伸べる。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………

「丹羽様…大成功、でしたね」

 山道でガタガタと揺れる車内、二人は談笑していた。大耀が予め神社の者を近くに呼んでおいたので、このまま車に乗っていれば日が落ちる頃には雲蒸に着いているだろう。

「そうだな!!!良かった良かった…ん、大耀、その手…どうした?大丈夫か!?」
 丹羽が心配そうな顔で大耀の右腕を見た。大耀はこんな時でも淡々と
「はい、今は痛くありません。呪いを盗みに来た者を追い返す為でしょうか、呪いが主人を定める為でしょうか、これを触った時に焼かれました」
と答える。
「そ、そんな!すごく痛いじゃないか!ぬしが優秀なのは知ってるが、あんまり無理するなよ!!」
「丹羽様だって傷だらけじゃないですか」

 今まであまり笑った事が無かったので慣れず、落ち着かない気持ちだ。自分でもこうやって良い神様と共に戦えるのだと自信が付いた様な…満足した様な心地がする。

 丹羽様も疲れて寝てしまった様だし、俺も少し休もう。山道の凸凹道で頭がガタガタと揺れて安定しないが、そんなものもう気にならないくらいに疲れてしまった。




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