大國日神記第五話:水木、恋幕の花
大國日神記第五話:水木、恋幕の花
「お邪魔します。………って、何ですかこの匂いは…!?」
「明、危ないよ、此処は正しく“ゴミの山”だ」
「はぁ〜?語るくんちゃん酷くない?人の家を“ゴミの山”って!」
「まったくじゃ!遥は豚小屋に儂を住ませおる!もっと言ってやれ!」
「やれと言われるとやりたくなくなる、って人間はよく言うよね。なんでなんだろうね僕も今そんな感じだよ」
「知るか!ま、上がれ、上がれ。中にはカブトムシとゴキブリと蝿くらいしかおらんがな」
「そうか、とても賑わっているね」
「イヌエキ様!カブトじゃなくてクワガタだから!」
一行はキャイキャイ言いながら“ゴミの山”こと黒澤 遥の家の中に入っていく。ごちゃごちゃとアダルトビデオ等が転がった布団の横にある小さな机に、お茶も出さないまま集まった。明と共に現れた神は語る、遥と共にいる神は往疫祓神(イヌエキバライノカミ)だ。
「人間は面白いね、何故生殖する相手の衣装や胸の大きさにこだわるのかな?子孫が残せる、というだけでは駄目なのかい?」
「明さんの前でエグい事言わないでよね〜!」
「なんだ、君の持ち物だというのに全く人間は分からない。な、明?」
「わ、私はよよよ…よく聞いておりませんでした語る様…。そ、そんな事よりも作戦会議をしましょうよ」
「そーじゃそーじゃ!明の言う通りじゃ!」
殺し合いの為の会議をしに来たとは思えない賑わいっぷりである。遥がパソコンの横に積み上げられた資料を持ってくる。ゴミの山の中ではあるが、“会議をする”という雰囲気にはなった。
「大学の図書館とかで神々について色々調べてきたんだけどさ〜、イヌエキ様と語るくんちゃんは他の神々とお知り合いなんでしょ?なら人間が書いた資料なんかよりもよっぽど詳しいはずだよな、誰か気をつけろって奴とかいる?」
遥はまとめた資料を眺めながらそう言う。
「そりゃ、い〜〜〜っぱいおるぞ。純粋に強い奴…何考えてるかわからん奴…でこっぱちの幽玄…ええん、まあ色々そういう奴とかな」
「そうかな、僕は皆可愛いと思うよ」
語るはぽんやりとした顔でそう答える。他の神に大して興味がないといった風だ。
「性格や戦術の事は僕にはわからない。ただ純粋にパワーの強い神々なら教えることができるよ」
遥に目配せをする、それに遥は少し姿勢を正す事で答えた。
「神々の強さというのは色々な要因、影響があって一概に言う事は出来ない。ただ一応、主な物は神威の強さ…氏子の量や質だね。まあ、力が強いのは見たまんま覇頭とか勇虜の様なマッスルな見た目の神々だ。でも、肉体的な強さに関しては、骨は折れるが策でなんとでも対処出来るよね」
「ああ、近接が強そうな奴に策も無く近付くなんて絶対にしないからな」
「遥、やっぱり君は賢いね。人間ってだけで早く死んじゃうものだけど早くに死なないようには頑張ってね」
往は面白くなさそうに、でも死にたくはないのでそれなりに真剣に語るの無機質な説明を聞いていた。だが、遥と語るが無駄な会話をし始めると“早くしろ”と言うように欠伸をする。
「ああ、往疫祓すまない。単刀直入に言おう、一番警戒するべきは圧倒的な神威を持つ神々…つまり海幸や霹靂だ。彼らはそもそも神威の量が桁違いなんだよ。有限かつ脆弱な人間というソースではなく、大自然から神威を得ているからね、天災そのものだ」
「そうか、ならとりあえずそのカミトキとかカイコーって奴は後回しって事で良いかい?」
「そうだね、それが正しい」
「難しいですね、神が無能でも優秀な神依児がいた場合は強敵になりかねません。多くの氏子がいる中で神依児を特定するのは難しいですし」
明は戦いに自信があるのか、困っているという風ではなく、冷静に意見を述べる。
「神依児ね〜…全ては神々の気分次第ってとこだろうけど、一応正式な後継者だと仮定して良いと俺は思うよ。例えばなぁ…函梅宮はあのガリ勉って感じの…ほら、明さん、名前なんだったっけ?」
「東雲………ゆうき……?でしたっけ…」
「ああ、そうだそうだ!そいつとかになるんじゃないかな」
「いや、それは五分五分じゃな」
往が遥の言葉を遮り、呆れたような顔で
「函梅宮の神はあの風文神じゃ、あやつはよくわからんポワポワした奴じゃから正式だ〜とかそういうの多分関係ないぞ。事実、儂も遥のような信仰心がちょびっとも無い奴を選んでおる」
「つまり…神依児選びは神の性格に寄るところが大きいんですね」
「そうだね、でも跡継ぎが少ない所や、真面目な神はある程度分かる。全員絞れない訳ではないよ」
「例えば…跡継ぎが少ない上に神が真面目なところといえば剛毅悼、忌繰り。螭春華は氏子は多いが、真面目な神だから多分正式な嗣子を選ぶだろうね。他には〜…ああ、雲蒸の丹羽造は凄く素直な神だ。彼もきっと正式な後継者を選ぶだろう」
遥は小難しそうな顔で語るの話を急いで書き留めていく。
「ん、語るちゃんくんの情報からある程度の作戦を思い付いたぜ。ま、常にイレギュラーな事態が起こるかもしれないと言うことは頭に置いておいてくれ」
そう聞いて往がダルそうに体を起こした。
「俺の考える作戦は『既に一度攻め込まれた場所を攻める』だ。強力な神の場所を除き、その上なるべく神依児のあたりがつけられる所が望ましいな。まだ戦いは始まったばかりだから不用意に動くのは得策ではない。誰かが一度立ち入った場所をゆっくり探索したりして戦えば良いと思う。ラッキーな事にうちには語るくんちゃんみたいな戦力もいるしな。焦る必要はないだろう」
皆の空気が緩む、遥の意見は受け入れられたようだ。
「僕は良いと思うよ、明はどうだい?」
「ええ、遥くんの言うとおりだと思います。焦ってしまっては返って危険ですから」
「じゃあ、イヌエキ様と一緒に他の勢力の動きも見ておくからまた連絡するよ」
「ええ、ありがとう。じゃ、私はもう帰るわね、次の会議は私のお家でしましょう。美味しいレモンティーがあるの」
語るが立ち上がれば、それに付き添って明も遥の家を出て行った。
………………………………………………
「明、僕に沢山頼ると良い。僕は今、君だけのカミサマなのだから。」
幼いのにどこか冷めた声。私の頭に凛、と響いた。
思っていた。囚われているのだと思っていた。私は外の世界を知らず生きていたのだと気付いた時、そして、そう気付くのが遅すぎる事に気付いた時、憎かった時、苦しかった時、私は…“神に囚われているのだ”と思っていた。
そして、その過ちに気付いたのも遅すぎた気がする。私を縛っていたのはこの神ではない、そう直感で分かった。神はただ在るだけだった。私のような人一人を縛り付けるようなモノではなかった。少なくとも語る様は…。
ならば私は何に囚われていたのだろうか、それは人が歩んできた長い道のりの中で生まれた鎖、一般には差別や欲望と言われる者達なのだろう。
“戦い”を、ただ運命だと受け入れるだけだった。でも今は違う。
私は、私の意思で語る様を勝たせたい。私の誤ちを打ち破った語る様とならば…
…きっと、歩み直せる。何もかもが遅すぎた私のこの人生も…、この國も…、
……………………………………………………………………………………………
「そそぐクン、また来てくれて嬉しいよ」
「あ…は、はい…」
漱はおどおどとした様子で、また喋喋喃喃と話し合いをしていた。
「実は頼み事があってキミを呼んだんだ。キミがボクのお願いを聞いてくれるなら、お兄さんとの縁もまた繋げてあげるし、キミの聞きたいコトな〜んでも!答えてあげるよ!」
軽快な口調で喋喋喃喃は喋る。漱は怖気付き、
「…そのお願い事を聞く為には文神様の力が必要ですか…?」
と掠れた声で問うた。
「いや!そんな事は無いよ!と〜〜〜っても、カンタンなお仕事さ!」
「良かったら、その内容を教えて欲しいです。おれに出来る事がどうかわからないので」
「いいよ!ならちゃんと聞いてね…
…そそぐクンには武器を取ってきて欲しいんだ〜!他の神と戦う必要はない、ただ盗むだけで良いよ」
「え…そんなもの…ど、何処から取ってくるんですか!?」
「“忌繰り”さ。忌繰り神社…あそこには良い武器が沢山ある。それも使いやすい物だよ」
喋喋喃喃はニタリと笑う。漱は焦ったように
「そんな場所に本当に武器があるんですか?じゅ…銃とか買えば良いじゃないですか…」
と言った。
「アハハハハハハハハハ…………………キミはこの戦いにおいて近代の武器が最も強いと思っているのかな?」
「え…そ、それはどういう意味ですか…?」
「も〜そそぐクンったら、しょうがないな〜ボクが武器について色々説明してあげるネ!…
…とりあえず刀や弓や槍などを古典武器と呼び、銃火器などを近代武器と呼ぶね。人間と人間の戦いでは余程の事が無い限りは近代武器の方が強い。だからキミの考えは間違ってないよ…それに、近代武器で神を殺す事が出来ない訳ではない。勿論受肉している神にはとても有効な手段だ…
…しかし、人間の手によって進化し…大量生産され…動作が単純化された近代武器では神の加護を強く受けることが出来ない。故に“神威”というこの戦いに置いて重大な点で負けてしまうんだ。つまり神を殺すには“鋭さ”が足りない…といったところだね」
「…おれの家には何本か刀があります。それでは駄目なんですか…?」
「他人(ひと)の話は最後まで聞くこと!古典武器の強さはそもそも武器を作る事自体に職人の長く積み上げた技術や気力が必要である所でもあるけど…一番は使い手に寄るんだ。つまり今まで積み上げてきた技術や努力…そういったものに神威は宿る。今からボクたちがやろうたって無理なんだよ」
「じゃ、じゃあ銃でもない…刀でもない…喋喋喃喃様はどのような武器を手に入れるつもりなんですか…」
喋喋喃喃の顔が緩む、よくぞ聞いてくれました!といった表情である。
「“裏ワザ”を使うんだよ…そそぐクン!重い銃火器を背負う必要も無い。馬鹿真面目に剣を振る練習もしなくて良い。どのような者であっても主人と認め、人間にも神にも強大なる力を振るう武器は…
”呪い“さ」
漱は意味がわからないという顔をして”呪い…?“と呟く。何…?呪い?そんな物をどうやって持ってくるというのか…
「何を言ってるのかわからないって顔だね、そそぐクン。これは簡単な事だよ…
…もうじきに武器の宝庫である忌繰りには誰かが攻め込むだろう。キミはその混乱に乗じてこっそりあの神社にある武器っぽいものでも何でも良いから持ってきて欲しいんだ。先客の余り物にはなるだろうがそれでも構わないよ!」
「な…なるほど、つまりおれはこっそり忍び込むだけで良いんですね?」
「そうそう!賢いじゃん!」
戦いの混乱に乗じるのなら結界に引っかかっても神威の無いおれならきっと気付かれずに潜入できるだろう。これで何か情報を貰えるのなら…、と漱は考える。正直な所あまりイメージが湧かない。もうそんなすぐに戦いは始まってしまうのか…という感想である。
でも、おれも何かやらなくちゃ。文神様に何の情報も戦力も与えられないなんて…そんなの惨めだ。
「やります。喋喋喃喃様…おれに任せてください」
「ありがとうそそぐクン!そうだと思ったよ!約束だし、さ!なんでも聞きたい事を教えてネ!」
聞きたい事、兄の行方や現状もあるけれど…そんな事を聞いた所で文神様の力にはなれない。おれが聞くべきは“戦いの事”だ。
「おれは………
…この戦いに出る神依児の名前が知りたいです」
「案外単純な質問だね!勿論構わないよ!メモの準備は大丈夫かい?」
「は、はい!」
「波綾神社は日々 一里という男の子だ、なんか弱そうだったよ。剛毅悼神社は三田 漢南という女の子、もっと可愛いものとか好きになったら良いのにね〜。あと忌繰りは七々扇 慶祷とかいう薄幸そうな男の子で〜…………」
単調に喋喋喃喃の声が響き、漱は何も言わずただメモを取っている。
一通り説明し終わり、静かな空気が流れる。漱は正式な後継者ではない。だから神社同士の付き合いにあまり参加しなかったので、多くのメンバーは名前を聞いても分かっていないのだろう。シャンとした表情ではない。
「…蘇勒くんも、…この戦いに出るんですね……」
消えそうな声で呟く。そうなんじゃないかとは思っていたが、改めてそう言われると胸にぽっかり穴の空いた様な…もう駄目だ、という気持ちになった。
「あれ、そそぐクンもしかしてその子が気になるからこんな事聞いたのかい?」
「…お、おれは神依児が知れればまだ戦闘に有利になるかと思って…その………………いや、すみません…多分………そうです」
情けなく漱は下を俯(うつむ)く。今はひとと目を合わせるのですら、精神的に辛い。
「うふふふふ……アハハハハハハハハハ!!そそぐクンったらもしかしてちょっと抜けてる〜?そろくクンはわざわざ聞かなくったって
戦いに出るってわかるでしょー?」
「な、なんでですか…おれは分かりませんでしたよ……なんとなくそうなのかなとは思ってましたけど」
「そりゃあ…彼はなるべくして神依児になった子だからね。生まれた時から螭春華の神や周りの人間から愛され期待され、正式な後継者としてあの神社を背負う為に育てられてきたし、神からも全力サポートを受けてきたんだ。突然神依児になった君のようなイレギュラーがあの神社で生まれる訳ないよ!」
「そ、そうですよね…馬鹿な事言ってごめんなさい。助かりました…お、おれはもう帰ります」
立ち上がり礼をする。喋喋喃喃は微笑のままその姿を見送った。
………………………………………………………………………………………………
…少し涼しくなってきた。気付けば日が落ちるのが遅くなっている気がする。もうそろそろ夏が来るのだろう…なんてぼんやりと思いながら、漱は人の一人もいない帰り道を歩いていた。
なんだか苦しい。この気持ちはなんなんだろう…ズルいと思っているのだろうか、あの子の事を。憎いと思っているのだろうか、あのひとの事を。
もし、おれも生まれた時から文神様や涵梅宮の人たちの期待や加護を一身に受け、今よりずっと賢い人間になってて…長男だったとしたらもっと…もっと…力になれたはずなのに、なんて思いが浮かんでくる。そしてその思いを、いやいや…おれにそこまで大きな責任や期待を背負い切れる訳ないよ…なんて考える事で打ち払おうとする。
でも、おれはもう既に大きな責任を背負ってしまっているよね…。おれが負けてしまったら文神様が死んでしまったら…おれは家を追い出されるのかな、いや…それ以前におれが殺されてしまうかもしれないし…。
おれは、大きな責任を背負う為の準備期間も無ければ、訓練も何も受けていないのに…どうしてそういう物を得ている人たちと同じ土俵に立たされているんだろう。どうして文神様はおれを選んだんだろう…。
…多分、気まぐれ…なんだろうな。おれに期待してたとか…そういう事もないんだろうな……神の気まぐれで戦場に立たされるなんて………。
きっとこんな事を考えていても、あのひとの顔を見たらそんな気持ちをちょっとでも抱いた自分に嫌悪感が湧くのだろう。だって、あのひとはとても優しくて…美しくて…なんだか、一緒にいたら楽しいと思ってしまう…から。
こうなるのならば、いっそ心の底から憎たらしく思える様な神だった方が良かったんじゃないか…、おれは多分、自分の事が一番大事な酷い奴だ…。きっと文神様の為に自分を犠牲にするなんて出来ないだろう。どれだけあのひとへの優しい想いや思い出が積もっても、きっと、救えない。ただ居なくなってしまった時の苦しみだけが増す様に思えてしまう。
漸(ようや)く日が暮れてきた。特に何の行動も起こしていないのに、ネガティブに考える事だけで体力を使って疲弊していくのは自分でも愚かしい事だと分かっている。分かっているのに止められない。次々と恐怖や不安が湧いてくる。
喋喋喃喃様に“そりゃあ…彼はなるべくして神依児になった子だからね”と言われた時、おれは少し救われた気持ちになってしまった。
…………悔しい、な…おれは自分を強くする為の行動に出ず、ただおれが蘇勒くんより弱くても構わない正当な理由を探しているだけなんだ。
………………………………………………………………
「愚民が!愚民共の作った武器なんぞでこの私を穿(うが)てると思ったか!!」
厳しい口調だが凛とした美しい声。その持ち主は海の女神である海幸清神(カイコウショウノカミ)であった。
アリーナが海幸の神依児と思われる男の子に放った弾丸を、サラリと水のベールで受け止め、彼女はそう言い放った。その男の子…日々 一里(ヒビ イチリ)は弾丸の大きな音で腰が抜け、泡を吹いている。が、海幸は毅然とした態度で弾丸が放たれた方に視線を向けていた。
「幽玄、隠れるな。出てこい」
ふわりと淡い金色の風と共に御舞幽玄之神(ミマエユウゲンノカミ)は海幸の前に現れる。敵と対峙しているこの状態でも、その立ち姿は大國日で最も魅力的な美男子であると言えるだろう。腹立たしいくらいに美しく眩しい。
「海幸殿、俺に何か話でもあるのかな?」
キリキリとした目で海幸は幽玄を睨みつける。片手には泡を吹いて倒れている神依児の首根っこを掴んでいた。
「私は、アンタの様な今の今まで人間の愚かさに気付きもせず、人間に肩入れする間抜けな神から処分してやろうと思ったんです。だって、可哀想でしょう。このままアンタ達が戦った所で人間の愚かさを…自分達の長き時に渡る過ちを…ただむざむざと見せつけられるだけですから!」
幽玄は海幸の様子をみてクスクスと笑う。力関係で言えば海幸の方が幾分強いはずであるのに、まるで子供の冗談を聞いたかのような態度である。
「海幸殿は優しいお方だ。その上とても美しい、誠に風流だぞ。だが、そのような心配は無用だ。俺は人と共に在り、人と共に生きる。人無くして俺の存在に意味は無い…俺という神に意味をくれるのは人だけだ。美しく生きる俺の信者だけだ。…
…故に人に失望する事も、人を見捨てる事もしない」
「素晴らしく能天気な頭ですね。ならばアンタの想う信者と共に消えなさい!」
一瞬にして間合いを詰め、槍を薙(な)ぐ。槍は幽玄の右肩を掠(かす)め、美しい衣と共に肉を割き、血が舞ったかと思えば幽玄の姿はするりするりと夢幻のように消え去った。
「海幸殿、貴女と一対一で戦うのはあまりに無謀だから俺はお暇(いとま)させてもらうぞ」
海幸の頭上…少し高い建物の上から、そう高らかな声が降り注ぎ、幽玄はアリーナを腕に抱いてふわりと姿を消した。幽玄の管轄(かんかつ)するこの門前町では物理的な力で及ばないにしても、幽玄が誰よりも自由に動き回れるのだろう。
………………………………………………………………………………………………………
「アリーナ、お前が悪い訳ではない。あれは仕様が無い事だ」
「ゆ…幽玄、ごめんよ……………なんで、絶対に脳天をぶち抜いてやったはずなのに…」
幽玄はその腕に抱いていた金髪の少女を下ろして優しく慰めていた。彼らは急いで逃げてきたのだろう、息が切れている。が、幽玄の傷は大して深くない様で血は既に止まっていた。
「何度でも言うがお前が悪い訳ではない。でも戦いは戦いだ。何か対抗策を考えなくてはな…」
幽玄は呼吸を整えながらそう言った。現在、彼らのいる場所は彼らの神社とそれを中心とする門前町から少し離れた山である。じわじわと生温い水分が地面から湧き上がっている。
「彼女は単純な神威の量で言えば、この大國日で最も強い神だ。人間の作った武器ごときで殺せる珠(たま)ではない。…殺せるとするならばそれは同じく神の力でだけだ。でも俺に、彼女を穿てる程の攻撃手段はない。…だから、今は誰か別の神に頼ろう。俺は他人をサポートするのは得意だからな」
「…そ、そんな。他の神なんか信頼できるのかよ…」
「他に仕様が無いよ、アリーナ。でも、海幸殿を一人で倒すなんて事が出来る神はいない。誰だって彼女を畏(おそ)れている…だから俺たちと他の神の利害は一致するだろう」
幽玄は考え込む様に難しい顔をする。他の神に出会った事のないアリーナはただその顔を見上げる事しか出来なかった。
「本当は風流を解(かい)している神と組みたいのだが…う〜ん、能力の相性が良さそうにないから仕方無い。ここは一度、雷丘に尋ねてみるか、距離も然程(さほど)遠くはないしな」
「幽玄の美しさに見合う神なんてこの世界にはいないぜ、とりあえずそこに行くか」
………………………………………………………………
「アリーナ、ここから先は山道だ。疲れているはずだが登れそうか?」
「うん、大丈夫だよ。幽玄ありがと」
少しキツめの山道を幽玄とアリーナは登っていく、まだ戦いは始まったばかりだ。結界も張られていない普通の山道である。
無言のまま歩く、アリーナは遣(や)る瀬無い感情に浸り、まともに幽玄の顔も見れなかった。アリーナは決して弱い訳ではなく、むしろ神依児の中でも有数の強さだ。それはプロとして今までずっと殺しをやってきた彼女も重々承知である。しかし、あの女神を仕留められなかったどころか、幽玄に迷惑をかけてしまった事も確かだ。
プロとしてのプライドが傷付く、なんて物ではない。“神を殺す”というこの事象の果てしなさに気付いてしまったのだ。幽玄はきっと嘘なんか付いていないだろうから“あの女神が特別多く神威を持っていて、銃が効かなかった”というのは本当で、もっと神威が少ない神ならば銃でも殺せるはずだ。
それでも、これからオレさまは幽玄と一緒にどんな強い神でも何でも殺していかなきゃいけない。
…幽玄、オレさまは美しいアンタにこの美しい國の王になって欲しい。そしてこの美しい國で共に生きよう。
……………………………………………………………………………
この國の人間が初めて神に捧げたのは“舞”だという説がある。赤く赤く燃ゆる炎を神として、己の身体を使い喜びと感謝を表したのだ、と…最早それを確かめる事は出来ないが、未だに錦繍雅の街には美しい神楽の音が響いている。この國で最も美しい彼の神に捧ぐ神楽の音である。
華やか、だが毳毳(けばけば)しい訳では決してない。秋の夜、雨に濡れた紅葉の紅(くれない)の様に、内側から燃え出づる侘(わび)しい風情を湛(たた)えながらも、どこまでも強く凛とした美しさ。その場の全ての者は神の御姿(みすかた)に息をするのも忘れ、ただ呆然としていた。
恐ろしい程に美しい足取りで、神は少女の前に立ち、その名を呼ぶ。少女の名はアリーナ・矢瀬(ヤセ)・ザハトワと言った。
…………………………………………………………
アリーナはただひたすら歩きながら、神との思い出を頭に浮かべていた。そうこうしてるうち、カラリとしただだ広い空間が現れる。彼女はただ広い空間とただデカイ鳥居に驚きはしたものの、錦繍雅よりも随分質素な雰囲気に拍子抜けした。
幽玄が顔を顰(しか)めた。どの神社でもそうであろうがやはり結界が張られている。まだ張られてから時間は経ってないし、初歩的かつ神社だけを覆っているだけの小さな結界だが、これからじわじわと時間を掛け、いずれこの山全体を覆っていくのだろう。
「アリーナ、少し離れろ。なるべく敵意のない事を示すつもりだが、ここの主人がどう捉えるのか分からないからな」
アリーナはその言葉に従い後ろに下がった。幽玄は鳥居の前に張られた結界にソッと触れる。
瞬間、轟(とどろ)きを挙げながら一閃(いっせん)の雷がその場に落ちる。アリーナはその轟音に驚き、目を見開くが、すぐに幽玄の心配をして辺りを見回した。幽玄は服の裾が軽く燃え焦げたのが気に食わなさそうだったが、雷を回避出来た様だった。アリーナの顔を見て微笑む。
「す、すげーー!!サンダーだ、これがオオクニビのカミサマの力なのか!?」
「ああ、雷を落とされたが…結界はまだ弱い。警戒して入れば大丈夫だろう。アリーナ気をつけて行くぞ」
そう言って幽玄はアリーナより一歩手前を毅然とした態度で進んでいく。恐ろしいからこそ、こういった態度を取るのだろう。
スコン、軽い音がする。気付けば幽玄がアリーナの顔の前に差し出した檜扇(ひおうぎ)に一本の矢が刺さっていた。彼女は矢が放たれた音と共に身を躱(かわ)してはいたが笑顔で幽玄に礼を言い、”綺麗な扇なのに残念だなぁ“とか”いいや、そこまで高価な物でもないし、帰って信者に新調してもらおう“などと言葉を交わした。
拝殿を過ぎ、本殿の前まで来た。インターホンの様な物は当然無く、幽玄はコホン、と軽く咳払いをして
「俺は御舞幽玄之神。雷丘の霞殿に話があったので参上した。戦うつもりはない。宜しければこの俺の話を聞いてくれないだろうか」
と、美しく通る声で呼びかけた。
すると、ガチャリと重く響く音を挙げながら、本殿の金属製の扉が開いた。開けたのは細身で素朴だが、人当たりの良さそうな少年だった。名前は與鵺義 季四(ヨヤギ キシ)という。重そうに扉を持っていたが、幽玄の姿を見てピャッと喜んだ顔をした瞬間…うっかり扉を手放してしまい、悲鳴と共にもう一度扉が閉じられてしまった。
「す!すみません…あまりの美しさについ!あ…あのお方が御舞幽玄之神様…ひゃ〜〜〜〜〜美しい、ちょ…直視できません!ああ、なんて尊い!!!!!!!!!!」
もう一度、少年は荒い息をしながら扉を開ける。目はキラキラと輝いた目は幽玄の姿を捉えていた。
暗い本堂の中から身丈が六尺二寸程の大男が出てくる。これが彼の神、霹靂(カミトキ)であろう。キリリと冷たく端正な顔立ちに、がっちりとした衣装と纏っている。
「幽玄、何故ここにきた」
重々しい声、彼は雷を操り何度も大國日に災害を齎(もたら)した事のある神だ。厳格な雰囲気が漂っている。
「霹靂殿のお力添えをいただきたく参上したのだ」
「………嫌だ。俺はここから動かん。まだ結界は未完成だがじきに完成する……お前の力を借りる必要はない」
即答。霹靂は下手に動く事を好まないのだろう。
「……霹靂殿にはあの海幸清神を討つ手立てがおありかな」
霹靂は驚いた顔をすればそのまますぐに
「貴様、海幸を殺そうと言うのか!!!!!!」
と大声を幽玄に放った。
幽玄は全く動じもせずに
「海幸殿は一番の難所だ。他の神が都合良く殺してくれる者でもないだろう。それに、いつか必ず討合わねばならぬのだ」
と淡々と言葉を続ける。霹靂は厳しい顔をして立っているだけだ。
「お前の様な、たかが人間如きに一喜一憂している様な感傷的な神に、あの海幸を討つなど到底無理だ。馬鹿な考えはやめろ」
「分かっている。俺では海幸殿には勝てない。だから協力しようと言ってるのじゃないか、俺の能力なら霹靂殿もその神依児も強化する事が出来る。強大な自然の力を打ち破れるのは、自然の力だけだ。貴殿以外に海幸殿を討てる可能性がある者はほぼいない」
霹靂の表情は一向に明るくならない。暫く沈黙が流れたがそれを遮(さえぎ)る様に轟音が響き、雷が幽玄の左腕全体を貫いた。
「…!!幽玄!!大丈夫か!?……………お前!幽玄に手出してんじゃねェ!!」
アリーナはすぐさま銃を構えるが、幽玄がそれを遮る。驚いたアリーナと幽玄の目が合った。幽玄は苦しそうに痛みを堪えている表情であったが、挫けてはいない様だ。
「協力などと頭の高い事を言うな………
……ただ、主従関係と言うのならば話は別だ」
幽玄は着物が焼け落ち、血が滴っている片腕を庇う姿勢で立ち上がれば、気丈な面持ちで
「ありがたい、感謝する。ならば俺はここでお暇とさせていただこう」
と答え、最後には柔らかく微笑んだ。
………………………………………………………
「………幽玄、オレさまはあいつの事…信用できないよ………」
アリーナの助けを借りて幽玄は山を下りていた。神に付けられた傷だ。応急処置をしても一向に血は治まらずに垂れ続け、酷く疲弊した様子だった。
「…どうして、避けなかったんだ………幽玄」
「はは、まあな…でも避けた所で余計に怒りを買うだけだ」
アリーナは納得できないという気持ちでいっぱいだった。怒りと無力感が頭の中を駆け巡る。
「海幸殿は…かつてはとても………な女神だった」
幽玄は突然語り始めた。とても静やかな口調である。
「きっとまだ……彼女は人間に思う所があるのだろう。だから俺から襲ったんだ。彼女にとっての余計な念を払うためにも、な…。はは…雪殿にも伝えておかなくてはな、彼は凄くいい奴だし俺と同じで“人間が好き”だ。それも自分の信者でなくとも人間であれば誰でも救い出そうとする様な超絶人間贔屓の神だから海幸殿も怒り心頭だろうな…
…まあ、海幸殿はまた、俺を狙ってくるだろう。只でさえ戦闘に特化していない俺にとって錦繍雅以外の場所で長く滞在するのは危険だ。それで海幸殿から攻め込んでくるとなれば俺の門前町が…信者が危ないからな…
…背に腹は変えられない。俺の血で信者が救えるならそれで良い。霹靂殿の力無くして海幸殿を止めるのは不可能だ。…とりあえず霹靂殿の力が借りられそうで良かった…」
分からなかった。幽玄が信者大好きなのは知ってる。でも、オレさまにはそこまでして信者を守ろうという気持ちがよく分からない。
幽玄は今までにどれほどの人との別れを経験してきたのだろう。幽玄は優しい。オレさまみたいな怪我するのなんて平気な奴が怪我しても心から心配してくれる。あんなに美しくて優しいのに信者なら誰だって平等に愛してくれる…
…カミサマの事情は果てしなさ過ぎてオレさまには難しいや。でも…
…カミサマはきっと優しければ優しいほど、辛いんだろうな…。
…そんなカミサマの“特別”になりたいな、なんて気持ちを持ってしまったオレさまはなんだかすごく、罰当たりな気がする。
「お邪魔します。………って、何ですかこの匂いは…!?」
「明、危ないよ、此処は正しく“ゴミの山”だ」
「はぁ〜?語るくんちゃん酷くない?人の家を“ゴミの山”って!」
「まったくじゃ!遥は豚小屋に儂を住ませおる!もっと言ってやれ!」
「やれと言われるとやりたくなくなる、って人間はよく言うよね。なんでなんだろうね僕も今そんな感じだよ」
「知るか!ま、上がれ、上がれ。中にはカブトムシとゴキブリと蝿くらいしかおらんがな」
「そうか、とても賑わっているね」
「イヌエキ様!カブトじゃなくてクワガタだから!」
一行はキャイキャイ言いながら“ゴミの山”こと黒澤 遥の家の中に入っていく。ごちゃごちゃとアダルトビデオ等が転がった布団の横にある小さな机に、お茶も出さないまま集まった。明と共に現れた神は語る、遥と共にいる神は往疫祓神(イヌエキバライノカミ)だ。
「人間は面白いね、何故生殖する相手の衣装や胸の大きさにこだわるのかな?子孫が残せる、というだけでは駄目なのかい?」
「明さんの前でエグい事言わないでよね〜!」
「なんだ、君の持ち物だというのに全く人間は分からない。な、明?」
「わ、私はよよよ…よく聞いておりませんでした語る様…。そ、そんな事よりも作戦会議をしましょうよ」
「そーじゃそーじゃ!明の言う通りじゃ!」
殺し合いの為の会議をしに来たとは思えない賑わいっぷりである。遥がパソコンの横に積み上げられた資料を持ってくる。ゴミの山の中ではあるが、“会議をする”という雰囲気にはなった。
「大学の図書館とかで神々について色々調べてきたんだけどさ〜、イヌエキ様と語るくんちゃんは他の神々とお知り合いなんでしょ?なら人間が書いた資料なんかよりもよっぽど詳しいはずだよな、誰か気をつけろって奴とかいる?」
遥はまとめた資料を眺めながらそう言う。
「そりゃ、い〜〜〜っぱいおるぞ。純粋に強い奴…何考えてるかわからん奴…でこっぱちの幽玄…ええん、まあ色々そういう奴とかな」
「そうかな、僕は皆可愛いと思うよ」
語るはぽんやりとした顔でそう答える。他の神に大して興味がないといった風だ。
「性格や戦術の事は僕にはわからない。ただ純粋にパワーの強い神々なら教えることができるよ」
遥に目配せをする、それに遥は少し姿勢を正す事で答えた。
「神々の強さというのは色々な要因、影響があって一概に言う事は出来ない。ただ一応、主な物は神威の強さ…氏子の量や質だね。まあ、力が強いのは見たまんま覇頭とか勇虜の様なマッスルな見た目の神々だ。でも、肉体的な強さに関しては、骨は折れるが策でなんとでも対処出来るよね」
「ああ、近接が強そうな奴に策も無く近付くなんて絶対にしないからな」
「遥、やっぱり君は賢いね。人間ってだけで早く死んじゃうものだけど早くに死なないようには頑張ってね」
往は面白くなさそうに、でも死にたくはないのでそれなりに真剣に語るの無機質な説明を聞いていた。だが、遥と語るが無駄な会話をし始めると“早くしろ”と言うように欠伸をする。
「ああ、往疫祓すまない。単刀直入に言おう、一番警戒するべきは圧倒的な神威を持つ神々…つまり海幸や霹靂だ。彼らはそもそも神威の量が桁違いなんだよ。有限かつ脆弱な人間というソースではなく、大自然から神威を得ているからね、天災そのものだ」
「そうか、ならとりあえずそのカミトキとかカイコーって奴は後回しって事で良いかい?」
「そうだね、それが正しい」
「難しいですね、神が無能でも優秀な神依児がいた場合は強敵になりかねません。多くの氏子がいる中で神依児を特定するのは難しいですし」
明は戦いに自信があるのか、困っているという風ではなく、冷静に意見を述べる。
「神依児ね〜…全ては神々の気分次第ってとこだろうけど、一応正式な後継者だと仮定して良いと俺は思うよ。例えばなぁ…函梅宮はあのガリ勉って感じの…ほら、明さん、名前なんだったっけ?」
「東雲………ゆうき……?でしたっけ…」
「ああ、そうだそうだ!そいつとかになるんじゃないかな」
「いや、それは五分五分じゃな」
往が遥の言葉を遮り、呆れたような顔で
「函梅宮の神はあの風文神じゃ、あやつはよくわからんポワポワした奴じゃから正式だ〜とかそういうの多分関係ないぞ。事実、儂も遥のような信仰心がちょびっとも無い奴を選んでおる」
「つまり…神依児選びは神の性格に寄るところが大きいんですね」
「そうだね、でも跡継ぎが少ない所や、真面目な神はある程度分かる。全員絞れない訳ではないよ」
「例えば…跡継ぎが少ない上に神が真面目なところといえば剛毅悼、忌繰り。螭春華は氏子は多いが、真面目な神だから多分正式な嗣子を選ぶだろうね。他には〜…ああ、雲蒸の丹羽造は凄く素直な神だ。彼もきっと正式な後継者を選ぶだろう」
遥は小難しそうな顔で語るの話を急いで書き留めていく。
「ん、語るちゃんくんの情報からある程度の作戦を思い付いたぜ。ま、常にイレギュラーな事態が起こるかもしれないと言うことは頭に置いておいてくれ」
そう聞いて往がダルそうに体を起こした。
「俺の考える作戦は『既に一度攻め込まれた場所を攻める』だ。強力な神の場所を除き、その上なるべく神依児のあたりがつけられる所が望ましいな。まだ戦いは始まったばかりだから不用意に動くのは得策ではない。誰かが一度立ち入った場所をゆっくり探索したりして戦えば良いと思う。ラッキーな事にうちには語るくんちゃんみたいな戦力もいるしな。焦る必要はないだろう」
皆の空気が緩む、遥の意見は受け入れられたようだ。
「僕は良いと思うよ、明はどうだい?」
「ええ、遥くんの言うとおりだと思います。焦ってしまっては返って危険ですから」
「じゃあ、イヌエキ様と一緒に他の勢力の動きも見ておくからまた連絡するよ」
「ええ、ありがとう。じゃ、私はもう帰るわね、次の会議は私のお家でしましょう。美味しいレモンティーがあるの」
語るが立ち上がれば、それに付き添って明も遥の家を出て行った。
………………………………………………
「明、僕に沢山頼ると良い。僕は今、君だけのカミサマなのだから。」
幼いのにどこか冷めた声。私の頭に凛、と響いた。
思っていた。囚われているのだと思っていた。私は外の世界を知らず生きていたのだと気付いた時、そして、そう気付くのが遅すぎる事に気付いた時、憎かった時、苦しかった時、私は…“神に囚われているのだ”と思っていた。
そして、その過ちに気付いたのも遅すぎた気がする。私を縛っていたのはこの神ではない、そう直感で分かった。神はただ在るだけだった。私のような人一人を縛り付けるようなモノではなかった。少なくとも語る様は…。
ならば私は何に囚われていたのだろうか、それは人が歩んできた長い道のりの中で生まれた鎖、一般には差別や欲望と言われる者達なのだろう。
“戦い”を、ただ運命だと受け入れるだけだった。でも今は違う。
私は、私の意思で語る様を勝たせたい。私の誤ちを打ち破った語る様とならば…
…きっと、歩み直せる。何もかもが遅すぎた私のこの人生も…、この國も…、
……………………………………………………………………………………………
「そそぐクン、また来てくれて嬉しいよ」
「あ…は、はい…」
漱はおどおどとした様子で、また喋喋喃喃と話し合いをしていた。
「実は頼み事があってキミを呼んだんだ。キミがボクのお願いを聞いてくれるなら、お兄さんとの縁もまた繋げてあげるし、キミの聞きたいコトな〜んでも!答えてあげるよ!」
軽快な口調で喋喋喃喃は喋る。漱は怖気付き、
「…そのお願い事を聞く為には文神様の力が必要ですか…?」
と掠れた声で問うた。
「いや!そんな事は無いよ!と〜〜〜っても、カンタンなお仕事さ!」
「良かったら、その内容を教えて欲しいです。おれに出来る事がどうかわからないので」
「いいよ!ならちゃんと聞いてね…
…そそぐクンには武器を取ってきて欲しいんだ〜!他の神と戦う必要はない、ただ盗むだけで良いよ」
「え…そんなもの…ど、何処から取ってくるんですか!?」
「“忌繰り”さ。忌繰り神社…あそこには良い武器が沢山ある。それも使いやすい物だよ」
喋喋喃喃はニタリと笑う。漱は焦ったように
「そんな場所に本当に武器があるんですか?じゅ…銃とか買えば良いじゃないですか…」
と言った。
「アハハハハハハハハハ…………………キミはこの戦いにおいて近代の武器が最も強いと思っているのかな?」
「え…そ、それはどういう意味ですか…?」
「も〜そそぐクンったら、しょうがないな〜ボクが武器について色々説明してあげるネ!…
…とりあえず刀や弓や槍などを古典武器と呼び、銃火器などを近代武器と呼ぶね。人間と人間の戦いでは余程の事が無い限りは近代武器の方が強い。だからキミの考えは間違ってないよ…それに、近代武器で神を殺す事が出来ない訳ではない。勿論受肉している神にはとても有効な手段だ…
…しかし、人間の手によって進化し…大量生産され…動作が単純化された近代武器では神の加護を強く受けることが出来ない。故に“神威”というこの戦いに置いて重大な点で負けてしまうんだ。つまり神を殺すには“鋭さ”が足りない…といったところだね」
「…おれの家には何本か刀があります。それでは駄目なんですか…?」
「他人(ひと)の話は最後まで聞くこと!古典武器の強さはそもそも武器を作る事自体に職人の長く積み上げた技術や気力が必要である所でもあるけど…一番は使い手に寄るんだ。つまり今まで積み上げてきた技術や努力…そういったものに神威は宿る。今からボクたちがやろうたって無理なんだよ」
「じゃ、じゃあ銃でもない…刀でもない…喋喋喃喃様はどのような武器を手に入れるつもりなんですか…」
喋喋喃喃の顔が緩む、よくぞ聞いてくれました!といった表情である。
「“裏ワザ”を使うんだよ…そそぐクン!重い銃火器を背負う必要も無い。馬鹿真面目に剣を振る練習もしなくて良い。どのような者であっても主人と認め、人間にも神にも強大なる力を振るう武器は…
”呪い“さ」
漱は意味がわからないという顔をして”呪い…?“と呟く。何…?呪い?そんな物をどうやって持ってくるというのか…
「何を言ってるのかわからないって顔だね、そそぐクン。これは簡単な事だよ…
…もうじきに武器の宝庫である忌繰りには誰かが攻め込むだろう。キミはその混乱に乗じてこっそりあの神社にある武器っぽいものでも何でも良いから持ってきて欲しいんだ。先客の余り物にはなるだろうがそれでも構わないよ!」
「な…なるほど、つまりおれはこっそり忍び込むだけで良いんですね?」
「そうそう!賢いじゃん!」
戦いの混乱に乗じるのなら結界に引っかかっても神威の無いおれならきっと気付かれずに潜入できるだろう。これで何か情報を貰えるのなら…、と漱は考える。正直な所あまりイメージが湧かない。もうそんなすぐに戦いは始まってしまうのか…という感想である。
でも、おれも何かやらなくちゃ。文神様に何の情報も戦力も与えられないなんて…そんなの惨めだ。
「やります。喋喋喃喃様…おれに任せてください」
「ありがとうそそぐクン!そうだと思ったよ!約束だし、さ!なんでも聞きたい事を教えてネ!」
聞きたい事、兄の行方や現状もあるけれど…そんな事を聞いた所で文神様の力にはなれない。おれが聞くべきは“戦いの事”だ。
「おれは………
…この戦いに出る神依児の名前が知りたいです」
「案外単純な質問だね!勿論構わないよ!メモの準備は大丈夫かい?」
「は、はい!」
「波綾神社は日々 一里という男の子だ、なんか弱そうだったよ。剛毅悼神社は三田 漢南という女の子、もっと可愛いものとか好きになったら良いのにね〜。あと忌繰りは七々扇 慶祷とかいう薄幸そうな男の子で〜…………」
単調に喋喋喃喃の声が響き、漱は何も言わずただメモを取っている。
一通り説明し終わり、静かな空気が流れる。漱は正式な後継者ではない。だから神社同士の付き合いにあまり参加しなかったので、多くのメンバーは名前を聞いても分かっていないのだろう。シャンとした表情ではない。
「…蘇勒くんも、…この戦いに出るんですね……」
消えそうな声で呟く。そうなんじゃないかとは思っていたが、改めてそう言われると胸にぽっかり穴の空いた様な…もう駄目だ、という気持ちになった。
「あれ、そそぐクンもしかしてその子が気になるからこんな事聞いたのかい?」
「…お、おれは神依児が知れればまだ戦闘に有利になるかと思って…その………………いや、すみません…多分………そうです」
情けなく漱は下を俯(うつむ)く。今はひとと目を合わせるのですら、精神的に辛い。
「うふふふふ……アハハハハハハハハハ!!そそぐクンったらもしかしてちょっと抜けてる〜?そろくクンはわざわざ聞かなくったって
戦いに出るってわかるでしょー?」
「な、なんでですか…おれは分かりませんでしたよ……なんとなくそうなのかなとは思ってましたけど」
「そりゃあ…彼はなるべくして神依児になった子だからね。生まれた時から螭春華の神や周りの人間から愛され期待され、正式な後継者としてあの神社を背負う為に育てられてきたし、神からも全力サポートを受けてきたんだ。突然神依児になった君のようなイレギュラーがあの神社で生まれる訳ないよ!」
「そ、そうですよね…馬鹿な事言ってごめんなさい。助かりました…お、おれはもう帰ります」
立ち上がり礼をする。喋喋喃喃は微笑のままその姿を見送った。
………………………………………………………………………………………………
…少し涼しくなってきた。気付けば日が落ちるのが遅くなっている気がする。もうそろそろ夏が来るのだろう…なんてぼんやりと思いながら、漱は人の一人もいない帰り道を歩いていた。
なんだか苦しい。この気持ちはなんなんだろう…ズルいと思っているのだろうか、あの子の事を。憎いと思っているのだろうか、あのひとの事を。
もし、おれも生まれた時から文神様や涵梅宮の人たちの期待や加護を一身に受け、今よりずっと賢い人間になってて…長男だったとしたらもっと…もっと…力になれたはずなのに、なんて思いが浮かんでくる。そしてその思いを、いやいや…おれにそこまで大きな責任や期待を背負い切れる訳ないよ…なんて考える事で打ち払おうとする。
でも、おれはもう既に大きな責任を背負ってしまっているよね…。おれが負けてしまったら文神様が死んでしまったら…おれは家を追い出されるのかな、いや…それ以前におれが殺されてしまうかもしれないし…。
おれは、大きな責任を背負う為の準備期間も無ければ、訓練も何も受けていないのに…どうしてそういう物を得ている人たちと同じ土俵に立たされているんだろう。どうして文神様はおれを選んだんだろう…。
…多分、気まぐれ…なんだろうな。おれに期待してたとか…そういう事もないんだろうな……神の気まぐれで戦場に立たされるなんて………。
きっとこんな事を考えていても、あのひとの顔を見たらそんな気持ちをちょっとでも抱いた自分に嫌悪感が湧くのだろう。だって、あのひとはとても優しくて…美しくて…なんだか、一緒にいたら楽しいと思ってしまう…から。
こうなるのならば、いっそ心の底から憎たらしく思える様な神だった方が良かったんじゃないか…、おれは多分、自分の事が一番大事な酷い奴だ…。きっと文神様の為に自分を犠牲にするなんて出来ないだろう。どれだけあのひとへの優しい想いや思い出が積もっても、きっと、救えない。ただ居なくなってしまった時の苦しみだけが増す様に思えてしまう。
漸(ようや)く日が暮れてきた。特に何の行動も起こしていないのに、ネガティブに考える事だけで体力を使って疲弊していくのは自分でも愚かしい事だと分かっている。分かっているのに止められない。次々と恐怖や不安が湧いてくる。
喋喋喃喃様に“そりゃあ…彼はなるべくして神依児になった子だからね”と言われた時、おれは少し救われた気持ちになってしまった。
…………悔しい、な…おれは自分を強くする為の行動に出ず、ただおれが蘇勒くんより弱くても構わない正当な理由を探しているだけなんだ。
………………………………………………………………
「愚民が!愚民共の作った武器なんぞでこの私を穿(うが)てると思ったか!!」
厳しい口調だが凛とした美しい声。その持ち主は海の女神である海幸清神(カイコウショウノカミ)であった。
アリーナが海幸の神依児と思われる男の子に放った弾丸を、サラリと水のベールで受け止め、彼女はそう言い放った。その男の子…日々 一里(ヒビ イチリ)は弾丸の大きな音で腰が抜け、泡を吹いている。が、海幸は毅然とした態度で弾丸が放たれた方に視線を向けていた。
「幽玄、隠れるな。出てこい」
ふわりと淡い金色の風と共に御舞幽玄之神(ミマエユウゲンノカミ)は海幸の前に現れる。敵と対峙しているこの状態でも、その立ち姿は大國日で最も魅力的な美男子であると言えるだろう。腹立たしいくらいに美しく眩しい。
「海幸殿、俺に何か話でもあるのかな?」
キリキリとした目で海幸は幽玄を睨みつける。片手には泡を吹いて倒れている神依児の首根っこを掴んでいた。
「私は、アンタの様な今の今まで人間の愚かさに気付きもせず、人間に肩入れする間抜けな神から処分してやろうと思ったんです。だって、可哀想でしょう。このままアンタ達が戦った所で人間の愚かさを…自分達の長き時に渡る過ちを…ただむざむざと見せつけられるだけですから!」
幽玄は海幸の様子をみてクスクスと笑う。力関係で言えば海幸の方が幾分強いはずであるのに、まるで子供の冗談を聞いたかのような態度である。
「海幸殿は優しいお方だ。その上とても美しい、誠に風流だぞ。だが、そのような心配は無用だ。俺は人と共に在り、人と共に生きる。人無くして俺の存在に意味は無い…俺という神に意味をくれるのは人だけだ。美しく生きる俺の信者だけだ。…
…故に人に失望する事も、人を見捨てる事もしない」
「素晴らしく能天気な頭ですね。ならばアンタの想う信者と共に消えなさい!」
一瞬にして間合いを詰め、槍を薙(な)ぐ。槍は幽玄の右肩を掠(かす)め、美しい衣と共に肉を割き、血が舞ったかと思えば幽玄の姿はするりするりと夢幻のように消え去った。
「海幸殿、貴女と一対一で戦うのはあまりに無謀だから俺はお暇(いとま)させてもらうぞ」
海幸の頭上…少し高い建物の上から、そう高らかな声が降り注ぎ、幽玄はアリーナを腕に抱いてふわりと姿を消した。幽玄の管轄(かんかつ)するこの門前町では物理的な力で及ばないにしても、幽玄が誰よりも自由に動き回れるのだろう。
………………………………………………………………………………………………………
「アリーナ、お前が悪い訳ではない。あれは仕様が無い事だ」
「ゆ…幽玄、ごめんよ……………なんで、絶対に脳天をぶち抜いてやったはずなのに…」
幽玄はその腕に抱いていた金髪の少女を下ろして優しく慰めていた。彼らは急いで逃げてきたのだろう、息が切れている。が、幽玄の傷は大して深くない様で血は既に止まっていた。
「何度でも言うがお前が悪い訳ではない。でも戦いは戦いだ。何か対抗策を考えなくてはな…」
幽玄は呼吸を整えながらそう言った。現在、彼らのいる場所は彼らの神社とそれを中心とする門前町から少し離れた山である。じわじわと生温い水分が地面から湧き上がっている。
「彼女は単純な神威の量で言えば、この大國日で最も強い神だ。人間の作った武器ごときで殺せる珠(たま)ではない。…殺せるとするならばそれは同じく神の力でだけだ。でも俺に、彼女を穿てる程の攻撃手段はない。…だから、今は誰か別の神に頼ろう。俺は他人をサポートするのは得意だからな」
「…そ、そんな。他の神なんか信頼できるのかよ…」
「他に仕様が無いよ、アリーナ。でも、海幸殿を一人で倒すなんて事が出来る神はいない。誰だって彼女を畏(おそ)れている…だから俺たちと他の神の利害は一致するだろう」
幽玄は考え込む様に難しい顔をする。他の神に出会った事のないアリーナはただその顔を見上げる事しか出来なかった。
「本当は風流を解(かい)している神と組みたいのだが…う〜ん、能力の相性が良さそうにないから仕方無い。ここは一度、雷丘に尋ねてみるか、距離も然程(さほど)遠くはないしな」
「幽玄の美しさに見合う神なんてこの世界にはいないぜ、とりあえずそこに行くか」
………………………………………………………………
「アリーナ、ここから先は山道だ。疲れているはずだが登れそうか?」
「うん、大丈夫だよ。幽玄ありがと」
少しキツめの山道を幽玄とアリーナは登っていく、まだ戦いは始まったばかりだ。結界も張られていない普通の山道である。
無言のまま歩く、アリーナは遣(や)る瀬無い感情に浸り、まともに幽玄の顔も見れなかった。アリーナは決して弱い訳ではなく、むしろ神依児の中でも有数の強さだ。それはプロとして今までずっと殺しをやってきた彼女も重々承知である。しかし、あの女神を仕留められなかったどころか、幽玄に迷惑をかけてしまった事も確かだ。
プロとしてのプライドが傷付く、なんて物ではない。“神を殺す”というこの事象の果てしなさに気付いてしまったのだ。幽玄はきっと嘘なんか付いていないだろうから“あの女神が特別多く神威を持っていて、銃が効かなかった”というのは本当で、もっと神威が少ない神ならば銃でも殺せるはずだ。
それでも、これからオレさまは幽玄と一緒にどんな強い神でも何でも殺していかなきゃいけない。
…幽玄、オレさまは美しいアンタにこの美しい國の王になって欲しい。そしてこの美しい國で共に生きよう。
……………………………………………………………………………
この國の人間が初めて神に捧げたのは“舞”だという説がある。赤く赤く燃ゆる炎を神として、己の身体を使い喜びと感謝を表したのだ、と…最早それを確かめる事は出来ないが、未だに錦繍雅の街には美しい神楽の音が響いている。この國で最も美しい彼の神に捧ぐ神楽の音である。
華やか、だが毳毳(けばけば)しい訳では決してない。秋の夜、雨に濡れた紅葉の紅(くれない)の様に、内側から燃え出づる侘(わび)しい風情を湛(たた)えながらも、どこまでも強く凛とした美しさ。その場の全ての者は神の御姿(みすかた)に息をするのも忘れ、ただ呆然としていた。
恐ろしい程に美しい足取りで、神は少女の前に立ち、その名を呼ぶ。少女の名はアリーナ・矢瀬(ヤセ)・ザハトワと言った。
…………………………………………………………
アリーナはただひたすら歩きながら、神との思い出を頭に浮かべていた。そうこうしてるうち、カラリとしただだ広い空間が現れる。彼女はただ広い空間とただデカイ鳥居に驚きはしたものの、錦繍雅よりも随分質素な雰囲気に拍子抜けした。
幽玄が顔を顰(しか)めた。どの神社でもそうであろうがやはり結界が張られている。まだ張られてから時間は経ってないし、初歩的かつ神社だけを覆っているだけの小さな結界だが、これからじわじわと時間を掛け、いずれこの山全体を覆っていくのだろう。
「アリーナ、少し離れろ。なるべく敵意のない事を示すつもりだが、ここの主人がどう捉えるのか分からないからな」
アリーナはその言葉に従い後ろに下がった。幽玄は鳥居の前に張られた結界にソッと触れる。
瞬間、轟(とどろ)きを挙げながら一閃(いっせん)の雷がその場に落ちる。アリーナはその轟音に驚き、目を見開くが、すぐに幽玄の心配をして辺りを見回した。幽玄は服の裾が軽く燃え焦げたのが気に食わなさそうだったが、雷を回避出来た様だった。アリーナの顔を見て微笑む。
「す、すげーー!!サンダーだ、これがオオクニビのカミサマの力なのか!?」
「ああ、雷を落とされたが…結界はまだ弱い。警戒して入れば大丈夫だろう。アリーナ気をつけて行くぞ」
そう言って幽玄はアリーナより一歩手前を毅然とした態度で進んでいく。恐ろしいからこそ、こういった態度を取るのだろう。
スコン、軽い音がする。気付けば幽玄がアリーナの顔の前に差し出した檜扇(ひおうぎ)に一本の矢が刺さっていた。彼女は矢が放たれた音と共に身を躱(かわ)してはいたが笑顔で幽玄に礼を言い、”綺麗な扇なのに残念だなぁ“とか”いいや、そこまで高価な物でもないし、帰って信者に新調してもらおう“などと言葉を交わした。
拝殿を過ぎ、本殿の前まで来た。インターホンの様な物は当然無く、幽玄はコホン、と軽く咳払いをして
「俺は御舞幽玄之神。雷丘の霞殿に話があったので参上した。戦うつもりはない。宜しければこの俺の話を聞いてくれないだろうか」
と、美しく通る声で呼びかけた。
すると、ガチャリと重く響く音を挙げながら、本殿の金属製の扉が開いた。開けたのは細身で素朴だが、人当たりの良さそうな少年だった。名前は與鵺義 季四(ヨヤギ キシ)という。重そうに扉を持っていたが、幽玄の姿を見てピャッと喜んだ顔をした瞬間…うっかり扉を手放してしまい、悲鳴と共にもう一度扉が閉じられてしまった。
「す!すみません…あまりの美しさについ!あ…あのお方が御舞幽玄之神様…ひゃ〜〜〜〜〜美しい、ちょ…直視できません!ああ、なんて尊い!!!!!!!!!!」
もう一度、少年は荒い息をしながら扉を開ける。目はキラキラと輝いた目は幽玄の姿を捉えていた。
暗い本堂の中から身丈が六尺二寸程の大男が出てくる。これが彼の神、霹靂(カミトキ)であろう。キリリと冷たく端正な顔立ちに、がっちりとした衣装と纏っている。
「幽玄、何故ここにきた」
重々しい声、彼は雷を操り何度も大國日に災害を齎(もたら)した事のある神だ。厳格な雰囲気が漂っている。
「霹靂殿のお力添えをいただきたく参上したのだ」
「………嫌だ。俺はここから動かん。まだ結界は未完成だがじきに完成する……お前の力を借りる必要はない」
即答。霹靂は下手に動く事を好まないのだろう。
「……霹靂殿にはあの海幸清神を討つ手立てがおありかな」
霹靂は驚いた顔をすればそのまますぐに
「貴様、海幸を殺そうと言うのか!!!!!!」
と大声を幽玄に放った。
幽玄は全く動じもせずに
「海幸殿は一番の難所だ。他の神が都合良く殺してくれる者でもないだろう。それに、いつか必ず討合わねばならぬのだ」
と淡々と言葉を続ける。霹靂は厳しい顔をして立っているだけだ。
「お前の様な、たかが人間如きに一喜一憂している様な感傷的な神に、あの海幸を討つなど到底無理だ。馬鹿な考えはやめろ」
「分かっている。俺では海幸殿には勝てない。だから協力しようと言ってるのじゃないか、俺の能力なら霹靂殿もその神依児も強化する事が出来る。強大な自然の力を打ち破れるのは、自然の力だけだ。貴殿以外に海幸殿を討てる可能性がある者はほぼいない」
霹靂の表情は一向に明るくならない。暫く沈黙が流れたがそれを遮(さえぎ)る様に轟音が響き、雷が幽玄の左腕全体を貫いた。
「…!!幽玄!!大丈夫か!?……………お前!幽玄に手出してんじゃねェ!!」
アリーナはすぐさま銃を構えるが、幽玄がそれを遮る。驚いたアリーナと幽玄の目が合った。幽玄は苦しそうに痛みを堪えている表情であったが、挫けてはいない様だ。
「協力などと頭の高い事を言うな………
……ただ、主従関係と言うのならば話は別だ」
幽玄は着物が焼け落ち、血が滴っている片腕を庇う姿勢で立ち上がれば、気丈な面持ちで
「ありがたい、感謝する。ならば俺はここでお暇とさせていただこう」
と答え、最後には柔らかく微笑んだ。
………………………………………………………
「………幽玄、オレさまはあいつの事…信用できないよ………」
アリーナの助けを借りて幽玄は山を下りていた。神に付けられた傷だ。応急処置をしても一向に血は治まらずに垂れ続け、酷く疲弊した様子だった。
「…どうして、避けなかったんだ………幽玄」
「はは、まあな…でも避けた所で余計に怒りを買うだけだ」
アリーナは納得できないという気持ちでいっぱいだった。怒りと無力感が頭の中を駆け巡る。
「海幸殿は…かつてはとても………な女神だった」
幽玄は突然語り始めた。とても静やかな口調である。
「きっとまだ……彼女は人間に思う所があるのだろう。だから俺から襲ったんだ。彼女にとっての余計な念を払うためにも、な…。はは…雪殿にも伝えておかなくてはな、彼は凄くいい奴だし俺と同じで“人間が好き”だ。それも自分の信者でなくとも人間であれば誰でも救い出そうとする様な超絶人間贔屓の神だから海幸殿も怒り心頭だろうな…
…まあ、海幸殿はまた、俺を狙ってくるだろう。只でさえ戦闘に特化していない俺にとって錦繍雅以外の場所で長く滞在するのは危険だ。それで海幸殿から攻め込んでくるとなれば俺の門前町が…信者が危ないからな…
…背に腹は変えられない。俺の血で信者が救えるならそれで良い。霹靂殿の力無くして海幸殿を止めるのは不可能だ。…とりあえず霹靂殿の力が借りられそうで良かった…」
分からなかった。幽玄が信者大好きなのは知ってる。でも、オレさまにはそこまでして信者を守ろうという気持ちがよく分からない。
幽玄は今までにどれほどの人との別れを経験してきたのだろう。幽玄は優しい。オレさまみたいな怪我するのなんて平気な奴が怪我しても心から心配してくれる。あんなに美しくて優しいのに信者なら誰だって平等に愛してくれる…
…カミサマの事情は果てしなさ過ぎてオレさまには難しいや。でも…
…カミサマはきっと優しければ優しいほど、辛いんだろうな…。
…そんなカミサマの“特別”になりたいな、なんて気持ちを持ってしまったオレさまはなんだかすごく、罰当たりな気がする。
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