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大國日神記第十一話: 幽天殯宮挽歌(ゆうてんあらきのみやばんか)

 此の國の神々の話をしよう。大國日神記の話だ。

 神が主体の天地開闢神話を創造する事により、人ははじめて世界の主体となった。

 天地開闢の神話を書いたのは稗田阿礼という一人の若い女だ。たった女一人がこの世界の主体を人としたのである。

 稗田阿礼は盲の術者だ。不思議な能力の数々を持ち、式に身の回りの世話をさせている。盲であるのに彼女は式を使い大國日神記を作り出した。それはこの大國日に何層にも渡り漂う無限の力の記録を読んだ物である。

 僕は彼女による大國日神記の創造から“境界”を与えられた。破壊と創造の神“語る”という個としての境界である。

 大國日には八百万の神々が存在すると言われるが、個としての境界を持つ者は無限にいる訳ではない。何故なら神はこの世界に漂う多層的かつ流動的で際限なく巡り続ける力そのものであるからだ。その力に区切れを入れて、個としての人格を見出すのは難しい。

 故に、この國にはもっと自然そのものと言える太陽や月等と言った果てしがない強大な神々も存在するのだが、彼らはあまりに際限がない為に個としての境界や人格も無かったので“十二幻神”とはなれなかったのだ。ただ、海幸と霹靂は豊漁や豊穣の神という側面から人間と密接に関わり、その中で境界と人格を持った特異な例だね。

 十二幻神の根本的な役割は厄災の管理人である。世界には均衡があるので多少の厄はしょうがないが、それでも一度に大き過ぎる厄災を人間は抱えきれないからその管理をするのだ。故に十二幻神は政(まつりごと)等に意思を示さねばならぬので個としての境界と人格が必要であった。

 ただ高貴で強い神を選ぶだけならば、元が穢れ物である神々等選ばれやしないだろう。例え卑しき身の上でも人間への影響力や、人間の需要で最高神となれるのだ。

 そして、僕たちが厄災の管理人であるという決定的な証拠は天之御園彦の存在だろう。彼はかつて禁忌を犯した。それで彼自身が片腕を持っていかれるくらいで済んだのが奇跡と言える程の厄災を撒き散らし、大國日を滅ぼしかけた為に僕たち十一柱の神々が人間には制御し切れない厄災の管理を任されるようになった。

 その役目に天之御園彦も選ばれたのは、彼だけが唯一厄災の処理の方法を知っていたからだろう。彼が厄災を引き起こしたが、彼以上に厄災を知る者もいないという事だ。

 幽玄は『人間に都合の良い神に他の神を喰わせればいい』と言った。人間に都合の良い神というのは幽玄自身や淡雪切の事を指すのだろう。

 だが、僕が最もおかしいと思うのは何故、天之御園彦を保護しなかったのかだ。まあ彼を殺したのは紛れもない僕自身だけどね。僕は彼の背後に何か黒幕がいるのではないか、そして彼を殺そうとする事でその何かを掴めるのではないかと思っていた。だが、その思惑は外れ彼は呆気なく死んだ。

 彼が消えた今、厄災を封印する事は不可能ではないだろうか。僕たち十二幻神は最早、厄災の管理人としての役目も剥奪されたのだろうか。
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