大國日神記第十話:殺め大春車菊
雲蒸の二人は忌繰りから持ってきた小箱を中心に神妙な面持ちで向かい合っている。大耀がその小箱に手を付け“では、開けますね”と言えば、丹羽は“うむ”と頷き、大耀が小箱を開いた。
「これは……。弾…いや、丸剤ですかね」
「が、がんざい?って何だ大耀」
「飲み薬の事ですね」
小箱の中には緩衝材らしい綿と、二つの黒く丸い玉があった。大耀がその一つを手に取り、まじまじと眺めれば“やはり薬の様ですね”と呟く。何十年何百年前からあるかも分からぬ呪いの品物だ。普通ならこれを食べるだなんてとんでもない、まして説明書なんぞが付いているはずもない。
「よし、丹羽様。これを呑んでみましょう」
「お、おう!折角取ってきたんだからな!やるしかないぜ!」
丹羽はその薬の一つを、大きな手でむんずと掴んでそのまま口に放り込んだ。同時に大耀もその薬を口に入れる。…案外、不味くはない。如何にも漢方らしい味わいではあるが、そこまで苦味も臭みも強くない不思議な味わいだ。すると薬が腹の中でふわりと飽和し、内側から神威の様な物が沸々と湧き上がってくる。
「す、すごいぞ大耀!これが忌繰りの力か!」
丹羽はそう言いながら驚き飛び跳ねた。
「俺の神威じゃないみたいだ…!嗚呼、凄い物だなァ!!」
…………………………………………………………………………………
「丹羽様、俺たちがどういう理由でこの力を手に入れたのか覚えていますか」
「ああ!戦力不足だからだな!」
「はい、今、俺たちは新しい力を手に入れて戦力不足から抜け出しました。ですから戦いに行きましょう。既に幾つかの神社は落ちている。つまり、強化された神もいるという事です。遅れを取れば取り返しのつかないことになる。早く動きましょう」
丹羽は一瞬難しい顔をしたが、すぐに“ああ!俺も元よりそのつもりだ!”と、空元気な様子で言い放った。
「はじめは函梅宮に行こうと思いましたが、函梅宮はつい最近落ちた様ですね。ですから、もし行くとしたら勇義焔か螭春華だと思います。紅絲も近いですが函梅宮の様子を聞くに函梅宮の神を食ったのは紅絲の神でしょう、ですから勇義焔か螭春華です」
「ム…ムム…分からん。函梅宮?紅絲?勇義焔?螭春華…?」
「函梅宮は風文神、紅絲は喋喋喃喃、勇義焔は勇虜次神、螭春華は淡雪切神です。丹羽様」
「ム…ムムム…俺が戦うとしたら勇虜か淡雪という事だな…ムググ…難しいな…」
「話によると勇義焔の方が神自体が強い様ですが、平地な上に結界も強くなく神社には簡単に辿り着けるでしょう。螭春華は山に囲まれていて結界も強く、周りを人間が囲っている様ですね」
「…人間が………………うぅ、例え殺し合いと言っても、ただの人間を殺すのは俺も辛い!勇義焔だ。勇義焔に行こう!」
………………………………………………………………………………………………………
「敵だ!志の、俺は様子を見てくる」
突然、勇虜次がそう言って立ち上がる。志のは驚き、大きな瞳で勇虜次の背中を見た。付いて行きたいが、前の様に私のせいで勇様が傷付いてしまったらどうしよう…相反する考えが頭の中をぐるぐると回る。
「勇様…私に何か出来る事はありますか…」
振り返り、志のの不安げな顔を見た。俺には志のが必要だ。だが、志のが神々同士の争いに巻き込まれて生きていられる保証も無い。これは一重(ひとえ)に俺の力不足だろう。
「ああ、俺には志のが必要だ!だが、敵は強い。危なくなったら逃げる。だからここで神社の者と共に待っていてくれ」
「は、はい…勇様、お気を付けて」
…………………………………………………
「おお!待っていたぞ勇虜次!うぬも分かっているだろうが最早こうなった以上、戦は避けられぬ!故、うぬに死合いを申し込みたい!!!」
「ああ、良いぜ!」
「感謝する!」
お互いに深く考えるのが苦手なのだろう。馬鹿みたいにどでかい声でそう言い合って武器を構えた。
先に丹羽から打ち込む。彼の両手に握られた非常に大きな双剣は、その無骨さから切るというよりも叩く事で相手に負傷を与える物であろう。それを勇虜次は棍棒で受け返した。一撃が重い。勇虜次は呪いの力など知る由も無いが、明らかに不自然な重さだ。丹羽はその重い一撃を間髪も入れず打ち込んでくる。それも四方八方あらゆる角度から飛んでくるので、勇虜次はただ受け流すだけで精一杯だった。全身を使って受けても骨が軋むが、相手には疲れの気配の一片も見えない。
「ぐグ…凄いな!!どこで手に入れたんだその力、もう他の神を喰ったのか!」
「いや、喰ってない!!この力は俺の神依児のお陰だ!まァ、喰えばもっと強化されるだろうな!!」
相手の攻撃の間を狙い打ち込む。が、丹羽は身軽にクルリと後ろへ返り、また武器を構えた。
…他の神を喰わずしてここまでの力が得られるのか、末恐ろしいな。
丹羽は猫の様に柔軟で強固な脚で地を蹴り、高い跳躍から双(ふた)つの刃を勇虜次の肩に落とす。肩の肉が強引に裂かれ、骨に当たり刃は止まった。丹羽はそれも気にせぬ顔で肩ごと腕を切断する為に体重を掛けた。刃が骨を砕かんとする音が勇虜次の頭の中で鳴り響く。
「…………なっっ!!!」
勇虜次は丹羽を見上げニッと笑うと、棍棒を手放し、肩に刺さった刃を両手で持ち上げ丹羽ごと地面に叩きつけた。刃が抜けた肩から血が吹き出し、刃が地面に転がる。丹羽は咳き込みすぐに刃を持とうとしたが、グッと勇虜次に後ろから首を掴まれる。両手で思い切り力を込められて骨が軋み、頭まで血が回らなくなってきた。
「う“……………ッ…」
咄嗟に丹羽は己の手の甲を一気に噛み切り、振り翳(かざ)した。勇虜次は目の中に血液が入った驚きと痛みから怯み、その隙に丹羽は勇虜次の腕を振り払い刃を構え立つ。勇虜次は視界が遮られたままであるが、近くに置いていた棍棒を持ち、立ち上がる。が、間髪入れぬ内に横腹に鈍い痛みが横腹に走った。
丹羽の荒い息の音が聞こえる。全力で刃を捻じ込んでいるのだろう。鉄の塊が無理矢理肉体の中に押し込まれているのと変わらない。鈍く呻(うめ)き、喉の奥から血が競り上がってくるのを感じた。そして、その刃は捻り裂いた肉の間から丹羽の物ではない禍々しい、神威に似ても似つかぬ力を放ち始める。
この邪悪な気は毒の様な働きをしているのか、内側から俺の体を蝕み、どんどん血液に乗って全身に回ってきた。結界は破壊されたのだろう。さっきの様に結界内での転移は使えない。…が、このまま戦っていても勝てやしないだろう。
刃が刺さっているから相手の位置が分かる。棍棒を相手の顔に投げ付け、足を払う。同時に壊れた肩からまた大量の血が吹き出した。自分の神社の方向は何となく分かる。すぐにそちらの方に向かって走り始めた。
……………………………………………………………………………
「丹羽様、大丈夫ですか?」
「うぅ…してやられた。大耀、追うか?」
辺りを見渡す。まだ結界と言えるほどではないが、元々結界があった場所に薄らと膜が張られていた。
「じきに結界が回復しそうです。ここは一度引きましょう」
「グワーーーーーー!!!大耀!すまん!折角の好機だったのにな!!」
丹羽は悔しそうに両手を大に広げてそう叫べば、大耀に引き起こされ、しげしげと雲蒸の方へ向かっていった。
……………………………………………………
「!?何…」
女の悲鳴が聞こえた。玄関の方からだ。志のは急いでそちらの方へ向かう。
「……へ…………………………?…ゆ、勇様、」
勇虜次が血を大量に流して倒れている。志のは血の気が引き、震え上がった。立ち尽くす志のの横を、ずりずりと血の筋を床に引きながら何人もの神社の者が彼を運んで行く。
………………………………………………………
志のは苦しげに眠る勇虜次の顔を、蒼い顔でぼんやりと眺めていた。勇虜次はその酷い怪我には不十分であろう処理しかされていなかった。
この勇義焔にはまともな医者がいない。正確には神社の者への給与を払うだけで精一杯な財政状況故に、それ以外の事に金を払うことが出来ないのだ。神喰いが発生してから神社への参詣は禁止され、全国に多くの分祀を持つような神社で無い限り新しい収入は見込めなかった。それでも大國日の最高神が祀られている神社達は簡単に潰れる様なものではない。
ただ、勇義焔だけは違った。志のを救う為に勇虜次は彼女の父親を追放したが、その際に父は出来る限りの財を持って出て行ってしまったのだ。小間使いも同然の志のに財の管理など任されている訳もなく、気付けばこの神社の中は空っぽになっていた。まだ分祀があれば良いのだが、勇虜次の神威は柔らかい神威ではないので勧請(かんじょう)出来ないのだ。
それで志のが戦いたくとも彼女の体に神威を流す事が出来ないので強化も出来ず、神威が溜まるのが遅い勇虜次は傷の治るのが遅かった。その代わり、勇虜次は強化された丹羽を撃退する程の強力な神威であるのだが、回復手段が無い今は都合が悪い。以前、腹を一尺八寸蘇勒に腹を抉られた時も雪に神威を分けたせいで治るのが遅れたので、今回もその様に遅れてしまうのだろう。もう既に幾つかの神社は落ち、戦いは激化している。前回は標的が螭春華に行ったから良かったものの、今回こそ勇義焔が狙われてしまうのではないか。
勇虜次の手を握る。私に、何か出来る事はあるのだろうか。
外に目をやると、既に夜は明けかけ白みがかっていた。志のは勇虜次の手を離し立ち上がれば、すぐに身支度を整え、歩み出した。
今まで、自分から考えて行動する事をしなかった。それは自分で自分の行動を決定出来るほどの自由が彼女にはなかったからだ。だが、今はもう勇虜次の手により自由の身となり、自分のしたい事を自分でして行かなくてはいけない。私は、勇様の幸せを願っている。ならばそれを自分の手で実現しなくちゃ、ここで泣いていても勇様は起きやしないのだ。
勇義焔は紅葉の名所だ。赭々と燃える様な葉が長い一本道に敷き詰められている。いつの間にか秋が来て、カラリとした風が吹いていた。乾いた軽い葉が足元でかしゃかしゃと小気味良い音を立てる。都会から少し抜けた静かなこの街は、基本的に坂道が少なく歩きやすい。志のは折角の紅葉に立ち止まる所か顔も上げず、ただ石畳の方ばかり見ながら焦った様子で歩いていた。三十分程歩いただろうか、彼女は平凡な景観のアパートの前に来た。不安と恐怖から汗が出てきたが、やるしかない。
父が奪っていった金を少しでも取り戻さなくては。
重そうな鉄の扉の横に付いたチャイムを押す。…返事はない。四分程して、ガチャリと扉が開いた。
「今更なんだ」
「話が…あるんです。神社から取って行ったお金を、返してください」
「入れ、中で話をしよう」
「嫌です。入りません。今すぐ取って行ったお金を返してください」
父の顔を見れない。大粒の汗が落ちて地面に吸い込まれていくのが見えた。勇虜次のお陰だろうか。以前ならばこんな事をする勇気なんて湧かなかったはずなのに、今はどんなに苦しくてもあのひとを救いたいと言う気持ちに突き動かされている。
「下女の癖によくそんな口聞けるようになったな!」
怒声と共に腕を掴まれ、玄関に放り込まれる。腕の骨が壊れる音がした。重い扉が閉まり、父が倒れ込んだ志のを見下ろしている。過去の記憶が全身を駆け巡り、冷や汗が垂れてくるのが分かった。父が手を伸ばしてくる前に身を躱し、部屋の方まで走ったが、ぐいと髪を掴まれる。そのまま父は志のの体を床に押し倒し、志のの首にグッと手を押し当てた。
「お前、あの神に可愛がられて調子に乗ってるんだろ!!!汚い身の癖に!俺の事喜んで受け入れた癖に!あの神の為にのこのこと此処までやって来たのか馬鹿な女だなァ!!」
志のがぐったりとすると父は首から手を離し、志のの頬を思い切り殴った。志のは嗚咽混じりに血を吐き、痩せた体を痙攣させ、次第に動かなくなった。私は、失敗したのだろうか、あのひとを救いたいと思ったのに、弱いから…また、何も出来ないのだろうか。私が死んだらあのひとも消えちゃう。父は志のの服を強引に裂き、彼女の体を不躾に弄(まさぐ)った。彼女はそれに抵抗もせず、ただ投げ出された自分の腕を眺めている。そのまま遠慮無しに父は志のの下半身にまで手を伸ばし、にたにたと笑った。
「ほら、志の、思い出したか自分の役目を!神依児なんて大層なモン、お前には無理なんだよ。お前はこうやって股を開いていれば良いんだ!お前も嬉しいだろ、ほら、何も言わないじゃないか」
脳みそがふわりと白くなる感覚がした。これはなんだろう。はじめての感覚だ。何も考えないまま、志のは不用心な父親の目に自分の指を突き刺していた。父は悲鳴をあげて飛び退き、痛みに悶える。
自分の指にはよく分からないねちゃねちゃとした液体と血が付いていて、気持ちが悪く、体の震えが止まらない。志のは焦ってそのまま台所から包丁を取り出し、気絶した父親の背に突き刺し、そこを足で蹴って奥まで奥まで包丁を差し込んだ。
「…勇様は私を綺麗だと言ってくださりました…」
何故か涙が溢れてくる。はじめて、人を殺した。いつか誰かを殺す事になるとは思っていたが、それでも衝撃は深い。でも、何処かで今の状況を晴れやかに感じている自分もいる。
父親の死体は何故か千切れてしまった赤い糸を握っていた。不思議に思ったが、そんな物に気を留めている余裕はない。
急いで部屋の中から父が盗んだであろう金を探し始めた。勇様は、今こうして金を探している私を見ても綺麗だと言ってくださるだろうか。分からない。でも、きっと…言ってくださるのだろう。苦しいはずなのに、この疲れが心地良く思えている。
私は弱い。だけど、勇様にこんな汚い事させられない。私がやらなくちゃ、私が汚い所を背負わなきゃ。
………………………………………
「志の…、これはお前がやってくれたのか…?」
勇虜次が目を覚ます。まだ起き上がれはしないが、自分の体に施された処置には気付いた様だ。
「いえ、お医者様をお呼びしたんです」
「そうか!ありがとうな!…って、志の、その怪我はどうしたんだ!?」
頬は酷く腫れ、その腫れは片目にまでも及んでいる。志のはその様な悲惨な姿だが”いえ、石畳で転んでしまっただけです“とだけ言い、笑った。
勇虜次が目を閉じた所を見、立ち上がると、何かがプツリと切れた感覚があった。志のは驚き、自らの足の下に敷かれていた物を取る。それは断絶された赤い糸であった。
勇気とは何だろう。勇気とは今までの安全だが不自由な世界を打ち壊し、自由を求め能動的に歩む事だろうか。今までのままで良い、といった心を捨てる事だろうか。何かを追い求める事だろうか。志のにその赤い糸の由縁(ゆえん)は分からなかった。だが、彼女は己の中の何か大きな変化を機敏に感じ取っている。この赤い糸が切れたという事は、彼女が“今までのままで良い”という気持ちを捨てた事に他ならず、また、それは勇気に他ならなかったのだ。
………………………………………………
「依人クン!依人クン!ほら!これ見て見て〜!依人クンの為にそそぐクンにコレを取らせに行ってたんだ〜!❤️」
喋喋喃喃は漱から受け取った小箱を依人の頬にグリグリと押し付けている。依人は燥(はしゃ)ぐ喋喋喃喃とは正反対に何の反応も示さなかった。
「今まで戦闘に出してあげれなくてゴメンネ❤️ボク…依人クンが大事過ぎて蛮族だらけの神依児と戦わせられなかったんだ…。でも、これさえあればボク達も戦えるヨ!依人クンのカッコいいトコ、いっぱい見せて欲しいな〜」
喋喋喃喃は依人にピッタリと引っ付き、猫撫で声を出す。依人はその声に合わせて首を縦に振っているだけだ。
「ボクが函梅宮を始末してる間に結界を張ってくれてありがとう、すごく良い出来だよ。もうこれで準備は整ったね」
そうやってニコニコとしながら、喋喋喃喃は甘えた様に依人の前髪を軽く撫でた。
…………………………………………………………………………………………
「アリーナ、次どう動くのかその方針を立てた。話を聞いてくれないか?」
「ああ、聞くぜ」
外では雨が降り、部屋は薄暗い。そんな中で幽玄の衣装や瞼だけがちらりと細やかな金の光を反射していた。
「俺が今、気掛かりに思っている事は二つだ。一つはこの儀の真意。……アリーナも見ただろう?海幸殿を喰い、凄まじい力を手に入れた霹靂殿を…奴が最後まで生き残り、更に強化されたとして人間に操れる訳無いし、果たして奴を喰って俺達の体が耐えられるのだろかと思うのだ。ならば、この儀は何を目的に行われているのか、俺達を餌にして強い神を操る為の策でもあるのだろうか…。
そして、もう一つは霹靂殿の処分の方法だ。今は海幸殿という直近の危機が去っただけで、霹靂殿がいるのであればいずれ大きな障壁になるし、俺達の力だけで倒す事は不可能だ。だが、彼を単純に戦闘力だけで倒せる神などこの國にはいない。だから策で殺す他無い……不本意だが、俺はその策を一つ思い付いた。だからその策の実行から始めよう。今が一番丁度良い時期だしな」
「分かった。あの時、閃光は効いたが…サンダー相手に銃弾は通らないだろうからな。幽玄に賛成だぜ」
アリーナは歯を見せて笑う。それに応える様に幽玄は扇子で口元を隠し目を細めた。
………………………………………
「遥くん、これ、カステラ買っておいたからあげるわね」
「お、明さんありがと」
そう軽く挨拶して、語ると明は遥の家の中に入っていった。あまりに遥の部屋が汚過ぎると言う事で話し合いの場は明の家となっていたが、今は往疫祓が重症との事で即戦力となる語るが側に付いておく様にしている。往疫祓は国の心臓を喰ったことにより辛うじて命を繋ぎ止めてはいたが、今は能力を使うどころか動く事すらままならなかった。それでも一行はかなり解れた雰囲気で駄弁ったり、作戦について考えたりしている。
「往疫祓、大丈夫かい」
「こんなに包帯ぐるぐる巻きで大丈夫な訳あるか!ま、語るには感謝しておるがな!だが、神の心臓ってなんじゃアリャすごくマズイな〜!」
「あ、なんか全然大丈夫そうですね」
明がくすくす笑えば往疫祓は“笑い事じゃないぞ!死にかけたんじゃぞ!”と更に憤慨した。
「ん、誰だ」
突然チャイムが鳴り、遥が身を起こす。
「敵かもしれない、僕も一緒に行こう」
「敵がご丁寧に玄関から入ってくるかねぇ…まあ頼む」
…………………
「うっっっっっっっっっっっっっっっっっっわ………な、なんだ………へえ…」
「お、語る殿も居られたのか、お久しぶりですね」
「ああ、幽玄お久しぶりだね」
扉を開けたらこの世の物とは思えない眩い容姿の男性と、金髪に銃火器を背負ったアニメでしか見ない様な美少女がたっており、遥は腰を抜かしてしまった。
「はあ…オタク、き、綺麗だなぁ…」
「風流を解するとは見る目がある人間じゃないか。ズボンが破けているがな、主人なんぞよりよっぽど賢そうだ」
「で、幽玄。どうしたんだい?僕を殺しに来たのかい?」
「とんでもない、俺は協力をお願い申し上げに来たのだ。アリーナ、まず武器を置きなさい」
「ああ」
語るは虚な目で幽玄を見上げる。幽玄はその視線が以前から少し苦手らしく、咳払いをして語るから目を背けた。
「どうかな、話だけでも聞いてくださらないか」
「ああ、良いよ、入って入って。豚箱みたいな部屋だけど」
「豚箱って、俺の部屋なんだけど〜」
「失礼する」
錦繍雅の二人を連れ部屋に上がると明は驚き、往疫祓は幽玄から目をサッと逸らした。
「ああ、正しく此処は豚箱だな。そして、おやおや、往殿。益々包帯姿で雅やかになっておられますな」
「おやおや〜、でこっぱち様も今日も今日とてオデコがテカテカで雅やかじゃのぉ!!」
「で、幽玄。話って何だい?」
二人のピリピリした空気を全く気にもせず語るがそう問う。幽玄は“まず座りましょうよ”と言い、辺りの散らかりぶりに眉を潜めながらアリーナと共に稗田・刻之気一向と向かい合い座った。
「海幸殿と霹靂殿の事は皆ご存知でしょう。この國で最も強く、そして人嫌いな海幸殿はまず錦繍雅を狙って来ました。つまり、人間に協力的な神をまずはじめに叩こうという事ですね。俺はそこで霹靂殿が海幸殿と戦う様に仕向け、海幸殿を霹靂殿に討たせました。これで錦繍雅は一時的に平安となったのですが、最早誰も霹靂殿を止められない所まで来てしまいました。覇頭殿ならばと一瞬思いましたが、奴はまだ一柱も喰っていないので望み薄い。だから俺は考えたのです。不本意だが、霹靂殿を討つ見込みがあるのは現時点で往殿だけだと思ったのです」
「こっちでも霹靂をどうしようか頭を悩ませていた所だ。だが幽玄、どうして往疫祓に霹靂を討つ見込みがあると思うんだい?」
「討つというのは最終的に殺せれば良いと言うことです。霹靂殿と直接面会する必要はない。雷丘の神威は硬く、強いが融通が効かない。故に結界は弱く、すぐ存在を感知されたり、術を解除されたりしないでしょう。……だから、往殿がまず雷丘周辺に術をかけ、時間をかけて霹靂殿の体力を削り弱体化を狙いたいと思ったのです」
「成る程、君の言い分は正しい。でも霹靂を弱らせた後どうするんだい?彼を喰ってしまった神を止める手立てはあるのかい?」
「…恥ずかしながら御座いません。だが、今から霹靂殿を弱らせておかねば未来が無いのもまた事実。…語る殿、俺はおかしく思っています。この神喰いの儀は、企画した人間にとっても非合理極まりない」
「君が言いたいのは…今の霹靂を喰って、その神威の圧に耐えられる神がいるのかという事かな」
「はい。人間は俺たちの力では最早厄災が抑えられなくなった上に、各地の神社権力が國の開発の妨げになるとして、神喰いで一柱の強い神を作り、それに厄災を抑えさせると言いました。しかし、霹靂殿が人間の為に動くでしょうか…。……俺は、強い神に厄災を抑えさせたいのならば、初めから人間に協力的な神を強化すれば良いと思うのにも関わらず、この戦いは人間が神威のソースとなる神にとって不利な戦いです。
その上、強大過ぎる神威を、今まで人間からの神威で体を保っていた神に宿すと返ってその神を殺しかねない。どうして人間は今まで人間に好意的だった神を殺そうとするのでしょう。霹靂殿の様な強く荒れ狂う神を操る手立てがあるのでしょうか…」
「話が長いね、とりあえず君の考えは“誰かが霹靂を喰っても、その負荷に耐えられる可能性は低い。だからまずは霹靂を殺す事を考えよう”と…そういう事かな?」
「そうです。そして、俺が提供出来る物…それは融通の効く神威。つまり往殿の治療です。それと能力の強化等の神威を分け与える事全般は諸々出来ます。雷丘の結界の情報も集めて参りましょう。……雅でない者に俺の神威を分けるのは不本意極まりないが、俺が頼む側だから仕方ない。
すぐに往殿を復帰させるので、霹靂殿を討つ手伝いをしてくださらないか」
遥は語るの顔をチラリと見た。普段、作戦を立てるのは彼だが、この場で最終決定権があるのは最も強い語るなのだろう。
「往疫祓、どうだい?君が良いなら僕は良いよ、僕もそれ以外に霹靂を討つ方法を思いつかないからね」
「嫌じゃー!でこっぱちに治療されるなんて嫌じゃー!明にやって欲しい、でこっぱちはどっか行け!でも、そうじゃなァ。儂もそれ以上の策が思いつかんから、しょうがない、協力してやる!だがでこっぱちの隣に絶対に語るは居れよ!でこっぱちが儂を殺そうとしたら首を刎ねるんじゃぞ!」
……………………………………………
「覇頭、そろそろ出るか、脱落者も続々と出ている」
漢南の声に覇頭はゆっくと身を起こした。“ああ”とだけ言い。漢南の顔を見る。
「誰から殺す、戦うなら強い奴が良いが、お前の好きにすれば良いよ」
「取り逃がしは必ず殺す。ただ、その前に一柱、殺しておきたい神がいる」
「なら、また私は強い奴と会えるのか、楽しみだな」
漢南は強い。それ故に多く、いや全ての人間が彼女に付いていく事が出来なかった。そんな彼女と唯一同じ景色を見られるのは彼女の神のみである。彼女は己の神を信頼し、言葉のまま相棒だと思っている。それでも、彼に言えていない事があった。
それは彼女が持つ武器の事だ。それは彼女の意思で持った訳でも使おうとしている訳でもない。しかし、これからは自らが神殺しに赴かねばならない。いつか来るかも知れぬ、その武器を使う日がいよいよ近付いてきたような気がする。
私は、この戦いが永遠に続く事を望んでいるのかもしれない。勿論それは無理な話だが、覇頭と共に戦地に身を置く事が最早私にとっての最大の幸福となってしまっているのだ。
「これは……。弾…いや、丸剤ですかね」
「が、がんざい?って何だ大耀」
「飲み薬の事ですね」
小箱の中には緩衝材らしい綿と、二つの黒く丸い玉があった。大耀がその一つを手に取り、まじまじと眺めれば“やはり薬の様ですね”と呟く。何十年何百年前からあるかも分からぬ呪いの品物だ。普通ならこれを食べるだなんてとんでもない、まして説明書なんぞが付いているはずもない。
「よし、丹羽様。これを呑んでみましょう」
「お、おう!折角取ってきたんだからな!やるしかないぜ!」
丹羽はその薬の一つを、大きな手でむんずと掴んでそのまま口に放り込んだ。同時に大耀もその薬を口に入れる。…案外、不味くはない。如何にも漢方らしい味わいではあるが、そこまで苦味も臭みも強くない不思議な味わいだ。すると薬が腹の中でふわりと飽和し、内側から神威の様な物が沸々と湧き上がってくる。
「す、すごいぞ大耀!これが忌繰りの力か!」
丹羽はそう言いながら驚き飛び跳ねた。
「俺の神威じゃないみたいだ…!嗚呼、凄い物だなァ!!」
…………………………………………………………………………………
「丹羽様、俺たちがどういう理由でこの力を手に入れたのか覚えていますか」
「ああ!戦力不足だからだな!」
「はい、今、俺たちは新しい力を手に入れて戦力不足から抜け出しました。ですから戦いに行きましょう。既に幾つかの神社は落ちている。つまり、強化された神もいるという事です。遅れを取れば取り返しのつかないことになる。早く動きましょう」
丹羽は一瞬難しい顔をしたが、すぐに“ああ!俺も元よりそのつもりだ!”と、空元気な様子で言い放った。
「はじめは函梅宮に行こうと思いましたが、函梅宮はつい最近落ちた様ですね。ですから、もし行くとしたら勇義焔か螭春華だと思います。紅絲も近いですが函梅宮の様子を聞くに函梅宮の神を食ったのは紅絲の神でしょう、ですから勇義焔か螭春華です」
「ム…ムム…分からん。函梅宮?紅絲?勇義焔?螭春華…?」
「函梅宮は風文神、紅絲は喋喋喃喃、勇義焔は勇虜次神、螭春華は淡雪切神です。丹羽様」
「ム…ムムム…俺が戦うとしたら勇虜か淡雪という事だな…ムググ…難しいな…」
「話によると勇義焔の方が神自体が強い様ですが、平地な上に結界も強くなく神社には簡単に辿り着けるでしょう。螭春華は山に囲まれていて結界も強く、周りを人間が囲っている様ですね」
「…人間が………………うぅ、例え殺し合いと言っても、ただの人間を殺すのは俺も辛い!勇義焔だ。勇義焔に行こう!」
………………………………………………………………………………………………………
「敵だ!志の、俺は様子を見てくる」
突然、勇虜次がそう言って立ち上がる。志のは驚き、大きな瞳で勇虜次の背中を見た。付いて行きたいが、前の様に私のせいで勇様が傷付いてしまったらどうしよう…相反する考えが頭の中をぐるぐると回る。
「勇様…私に何か出来る事はありますか…」
振り返り、志のの不安げな顔を見た。俺には志のが必要だ。だが、志のが神々同士の争いに巻き込まれて生きていられる保証も無い。これは一重(ひとえ)に俺の力不足だろう。
「ああ、俺には志のが必要だ!だが、敵は強い。危なくなったら逃げる。だからここで神社の者と共に待っていてくれ」
「は、はい…勇様、お気を付けて」
…………………………………………………
「おお!待っていたぞ勇虜次!うぬも分かっているだろうが最早こうなった以上、戦は避けられぬ!故、うぬに死合いを申し込みたい!!!」
「ああ、良いぜ!」
「感謝する!」
お互いに深く考えるのが苦手なのだろう。馬鹿みたいにどでかい声でそう言い合って武器を構えた。
先に丹羽から打ち込む。彼の両手に握られた非常に大きな双剣は、その無骨さから切るというよりも叩く事で相手に負傷を与える物であろう。それを勇虜次は棍棒で受け返した。一撃が重い。勇虜次は呪いの力など知る由も無いが、明らかに不自然な重さだ。丹羽はその重い一撃を間髪も入れず打ち込んでくる。それも四方八方あらゆる角度から飛んでくるので、勇虜次はただ受け流すだけで精一杯だった。全身を使って受けても骨が軋むが、相手には疲れの気配の一片も見えない。
「ぐグ…凄いな!!どこで手に入れたんだその力、もう他の神を喰ったのか!」
「いや、喰ってない!!この力は俺の神依児のお陰だ!まァ、喰えばもっと強化されるだろうな!!」
相手の攻撃の間を狙い打ち込む。が、丹羽は身軽にクルリと後ろへ返り、また武器を構えた。
…他の神を喰わずしてここまでの力が得られるのか、末恐ろしいな。
丹羽は猫の様に柔軟で強固な脚で地を蹴り、高い跳躍から双(ふた)つの刃を勇虜次の肩に落とす。肩の肉が強引に裂かれ、骨に当たり刃は止まった。丹羽はそれも気にせぬ顔で肩ごと腕を切断する為に体重を掛けた。刃が骨を砕かんとする音が勇虜次の頭の中で鳴り響く。
「…………なっっ!!!」
勇虜次は丹羽を見上げニッと笑うと、棍棒を手放し、肩に刺さった刃を両手で持ち上げ丹羽ごと地面に叩きつけた。刃が抜けた肩から血が吹き出し、刃が地面に転がる。丹羽は咳き込みすぐに刃を持とうとしたが、グッと勇虜次に後ろから首を掴まれる。両手で思い切り力を込められて骨が軋み、頭まで血が回らなくなってきた。
「う“……………ッ…」
咄嗟に丹羽は己の手の甲を一気に噛み切り、振り翳(かざ)した。勇虜次は目の中に血液が入った驚きと痛みから怯み、その隙に丹羽は勇虜次の腕を振り払い刃を構え立つ。勇虜次は視界が遮られたままであるが、近くに置いていた棍棒を持ち、立ち上がる。が、間髪入れぬ内に横腹に鈍い痛みが横腹に走った。
丹羽の荒い息の音が聞こえる。全力で刃を捻じ込んでいるのだろう。鉄の塊が無理矢理肉体の中に押し込まれているのと変わらない。鈍く呻(うめ)き、喉の奥から血が競り上がってくるのを感じた。そして、その刃は捻り裂いた肉の間から丹羽の物ではない禍々しい、神威に似ても似つかぬ力を放ち始める。
この邪悪な気は毒の様な働きをしているのか、内側から俺の体を蝕み、どんどん血液に乗って全身に回ってきた。結界は破壊されたのだろう。さっきの様に結界内での転移は使えない。…が、このまま戦っていても勝てやしないだろう。
刃が刺さっているから相手の位置が分かる。棍棒を相手の顔に投げ付け、足を払う。同時に壊れた肩からまた大量の血が吹き出した。自分の神社の方向は何となく分かる。すぐにそちらの方に向かって走り始めた。
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「丹羽様、大丈夫ですか?」
「うぅ…してやられた。大耀、追うか?」
辺りを見渡す。まだ結界と言えるほどではないが、元々結界があった場所に薄らと膜が張られていた。
「じきに結界が回復しそうです。ここは一度引きましょう」
「グワーーーーーー!!!大耀!すまん!折角の好機だったのにな!!」
丹羽は悔しそうに両手を大に広げてそう叫べば、大耀に引き起こされ、しげしげと雲蒸の方へ向かっていった。
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「!?何…」
女の悲鳴が聞こえた。玄関の方からだ。志のは急いでそちらの方へ向かう。
「……へ…………………………?…ゆ、勇様、」
勇虜次が血を大量に流して倒れている。志のは血の気が引き、震え上がった。立ち尽くす志のの横を、ずりずりと血の筋を床に引きながら何人もの神社の者が彼を運んで行く。
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志のは苦しげに眠る勇虜次の顔を、蒼い顔でぼんやりと眺めていた。勇虜次はその酷い怪我には不十分であろう処理しかされていなかった。
この勇義焔にはまともな医者がいない。正確には神社の者への給与を払うだけで精一杯な財政状況故に、それ以外の事に金を払うことが出来ないのだ。神喰いが発生してから神社への参詣は禁止され、全国に多くの分祀を持つような神社で無い限り新しい収入は見込めなかった。それでも大國日の最高神が祀られている神社達は簡単に潰れる様なものではない。
ただ、勇義焔だけは違った。志のを救う為に勇虜次は彼女の父親を追放したが、その際に父は出来る限りの財を持って出て行ってしまったのだ。小間使いも同然の志のに財の管理など任されている訳もなく、気付けばこの神社の中は空っぽになっていた。まだ分祀があれば良いのだが、勇虜次の神威は柔らかい神威ではないので勧請(かんじょう)出来ないのだ。
それで志のが戦いたくとも彼女の体に神威を流す事が出来ないので強化も出来ず、神威が溜まるのが遅い勇虜次は傷の治るのが遅かった。その代わり、勇虜次は強化された丹羽を撃退する程の強力な神威であるのだが、回復手段が無い今は都合が悪い。以前、腹を一尺八寸蘇勒に腹を抉られた時も雪に神威を分けたせいで治るのが遅れたので、今回もその様に遅れてしまうのだろう。もう既に幾つかの神社は落ち、戦いは激化している。前回は標的が螭春華に行ったから良かったものの、今回こそ勇義焔が狙われてしまうのではないか。
勇虜次の手を握る。私に、何か出来る事はあるのだろうか。
外に目をやると、既に夜は明けかけ白みがかっていた。志のは勇虜次の手を離し立ち上がれば、すぐに身支度を整え、歩み出した。
今まで、自分から考えて行動する事をしなかった。それは自分で自分の行動を決定出来るほどの自由が彼女にはなかったからだ。だが、今はもう勇虜次の手により自由の身となり、自分のしたい事を自分でして行かなくてはいけない。私は、勇様の幸せを願っている。ならばそれを自分の手で実現しなくちゃ、ここで泣いていても勇様は起きやしないのだ。
勇義焔は紅葉の名所だ。赭々と燃える様な葉が長い一本道に敷き詰められている。いつの間にか秋が来て、カラリとした風が吹いていた。乾いた軽い葉が足元でかしゃかしゃと小気味良い音を立てる。都会から少し抜けた静かなこの街は、基本的に坂道が少なく歩きやすい。志のは折角の紅葉に立ち止まる所か顔も上げず、ただ石畳の方ばかり見ながら焦った様子で歩いていた。三十分程歩いただろうか、彼女は平凡な景観のアパートの前に来た。不安と恐怖から汗が出てきたが、やるしかない。
父が奪っていった金を少しでも取り戻さなくては。
重そうな鉄の扉の横に付いたチャイムを押す。…返事はない。四分程して、ガチャリと扉が開いた。
「今更なんだ」
「話が…あるんです。神社から取って行ったお金を、返してください」
「入れ、中で話をしよう」
「嫌です。入りません。今すぐ取って行ったお金を返してください」
父の顔を見れない。大粒の汗が落ちて地面に吸い込まれていくのが見えた。勇虜次のお陰だろうか。以前ならばこんな事をする勇気なんて湧かなかったはずなのに、今はどんなに苦しくてもあのひとを救いたいと言う気持ちに突き動かされている。
「下女の癖によくそんな口聞けるようになったな!」
怒声と共に腕を掴まれ、玄関に放り込まれる。腕の骨が壊れる音がした。重い扉が閉まり、父が倒れ込んだ志のを見下ろしている。過去の記憶が全身を駆け巡り、冷や汗が垂れてくるのが分かった。父が手を伸ばしてくる前に身を躱し、部屋の方まで走ったが、ぐいと髪を掴まれる。そのまま父は志のの体を床に押し倒し、志のの首にグッと手を押し当てた。
「お前、あの神に可愛がられて調子に乗ってるんだろ!!!汚い身の癖に!俺の事喜んで受け入れた癖に!あの神の為にのこのこと此処までやって来たのか馬鹿な女だなァ!!」
志のがぐったりとすると父は首から手を離し、志のの頬を思い切り殴った。志のは嗚咽混じりに血を吐き、痩せた体を痙攣させ、次第に動かなくなった。私は、失敗したのだろうか、あのひとを救いたいと思ったのに、弱いから…また、何も出来ないのだろうか。私が死んだらあのひとも消えちゃう。父は志のの服を強引に裂き、彼女の体を不躾に弄(まさぐ)った。彼女はそれに抵抗もせず、ただ投げ出された自分の腕を眺めている。そのまま遠慮無しに父は志のの下半身にまで手を伸ばし、にたにたと笑った。
「ほら、志の、思い出したか自分の役目を!神依児なんて大層なモン、お前には無理なんだよ。お前はこうやって股を開いていれば良いんだ!お前も嬉しいだろ、ほら、何も言わないじゃないか」
脳みそがふわりと白くなる感覚がした。これはなんだろう。はじめての感覚だ。何も考えないまま、志のは不用心な父親の目に自分の指を突き刺していた。父は悲鳴をあげて飛び退き、痛みに悶える。
自分の指にはよく分からないねちゃねちゃとした液体と血が付いていて、気持ちが悪く、体の震えが止まらない。志のは焦ってそのまま台所から包丁を取り出し、気絶した父親の背に突き刺し、そこを足で蹴って奥まで奥まで包丁を差し込んだ。
「…勇様は私を綺麗だと言ってくださりました…」
何故か涙が溢れてくる。はじめて、人を殺した。いつか誰かを殺す事になるとは思っていたが、それでも衝撃は深い。でも、何処かで今の状況を晴れやかに感じている自分もいる。
父親の死体は何故か千切れてしまった赤い糸を握っていた。不思議に思ったが、そんな物に気を留めている余裕はない。
急いで部屋の中から父が盗んだであろう金を探し始めた。勇様は、今こうして金を探している私を見ても綺麗だと言ってくださるだろうか。分からない。でも、きっと…言ってくださるのだろう。苦しいはずなのに、この疲れが心地良く思えている。
私は弱い。だけど、勇様にこんな汚い事させられない。私がやらなくちゃ、私が汚い所を背負わなきゃ。
………………………………………
「志の…、これはお前がやってくれたのか…?」
勇虜次が目を覚ます。まだ起き上がれはしないが、自分の体に施された処置には気付いた様だ。
「いえ、お医者様をお呼びしたんです」
「そうか!ありがとうな!…って、志の、その怪我はどうしたんだ!?」
頬は酷く腫れ、その腫れは片目にまでも及んでいる。志のはその様な悲惨な姿だが”いえ、石畳で転んでしまっただけです“とだけ言い、笑った。
勇虜次が目を閉じた所を見、立ち上がると、何かがプツリと切れた感覚があった。志のは驚き、自らの足の下に敷かれていた物を取る。それは断絶された赤い糸であった。
勇気とは何だろう。勇気とは今までの安全だが不自由な世界を打ち壊し、自由を求め能動的に歩む事だろうか。今までのままで良い、といった心を捨てる事だろうか。何かを追い求める事だろうか。志のにその赤い糸の由縁(ゆえん)は分からなかった。だが、彼女は己の中の何か大きな変化を機敏に感じ取っている。この赤い糸が切れたという事は、彼女が“今までのままで良い”という気持ちを捨てた事に他ならず、また、それは勇気に他ならなかったのだ。
………………………………………………
「依人クン!依人クン!ほら!これ見て見て〜!依人クンの為にそそぐクンにコレを取らせに行ってたんだ〜!❤️」
喋喋喃喃は漱から受け取った小箱を依人の頬にグリグリと押し付けている。依人は燥(はしゃ)ぐ喋喋喃喃とは正反対に何の反応も示さなかった。
「今まで戦闘に出してあげれなくてゴメンネ❤️ボク…依人クンが大事過ぎて蛮族だらけの神依児と戦わせられなかったんだ…。でも、これさえあればボク達も戦えるヨ!依人クンのカッコいいトコ、いっぱい見せて欲しいな〜」
喋喋喃喃は依人にピッタリと引っ付き、猫撫で声を出す。依人はその声に合わせて首を縦に振っているだけだ。
「ボクが函梅宮を始末してる間に結界を張ってくれてありがとう、すごく良い出来だよ。もうこれで準備は整ったね」
そうやってニコニコとしながら、喋喋喃喃は甘えた様に依人の前髪を軽く撫でた。
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「アリーナ、次どう動くのかその方針を立てた。話を聞いてくれないか?」
「ああ、聞くぜ」
外では雨が降り、部屋は薄暗い。そんな中で幽玄の衣装や瞼だけがちらりと細やかな金の光を反射していた。
「俺が今、気掛かりに思っている事は二つだ。一つはこの儀の真意。……アリーナも見ただろう?海幸殿を喰い、凄まじい力を手に入れた霹靂殿を…奴が最後まで生き残り、更に強化されたとして人間に操れる訳無いし、果たして奴を喰って俺達の体が耐えられるのだろかと思うのだ。ならば、この儀は何を目的に行われているのか、俺達を餌にして強い神を操る為の策でもあるのだろうか…。
そして、もう一つは霹靂殿の処分の方法だ。今は海幸殿という直近の危機が去っただけで、霹靂殿がいるのであればいずれ大きな障壁になるし、俺達の力だけで倒す事は不可能だ。だが、彼を単純に戦闘力だけで倒せる神などこの國にはいない。だから策で殺す他無い……不本意だが、俺はその策を一つ思い付いた。だからその策の実行から始めよう。今が一番丁度良い時期だしな」
「分かった。あの時、閃光は効いたが…サンダー相手に銃弾は通らないだろうからな。幽玄に賛成だぜ」
アリーナは歯を見せて笑う。それに応える様に幽玄は扇子で口元を隠し目を細めた。
………………………………………
「遥くん、これ、カステラ買っておいたからあげるわね」
「お、明さんありがと」
そう軽く挨拶して、語ると明は遥の家の中に入っていった。あまりに遥の部屋が汚過ぎると言う事で話し合いの場は明の家となっていたが、今は往疫祓が重症との事で即戦力となる語るが側に付いておく様にしている。往疫祓は国の心臓を喰ったことにより辛うじて命を繋ぎ止めてはいたが、今は能力を使うどころか動く事すらままならなかった。それでも一行はかなり解れた雰囲気で駄弁ったり、作戦について考えたりしている。
「往疫祓、大丈夫かい」
「こんなに包帯ぐるぐる巻きで大丈夫な訳あるか!ま、語るには感謝しておるがな!だが、神の心臓ってなんじゃアリャすごくマズイな〜!」
「あ、なんか全然大丈夫そうですね」
明がくすくす笑えば往疫祓は“笑い事じゃないぞ!死にかけたんじゃぞ!”と更に憤慨した。
「ん、誰だ」
突然チャイムが鳴り、遥が身を起こす。
「敵かもしれない、僕も一緒に行こう」
「敵がご丁寧に玄関から入ってくるかねぇ…まあ頼む」
…………………
「うっっっっっっっっっっっっっっっっっっわ………な、なんだ………へえ…」
「お、語る殿も居られたのか、お久しぶりですね」
「ああ、幽玄お久しぶりだね」
扉を開けたらこの世の物とは思えない眩い容姿の男性と、金髪に銃火器を背負ったアニメでしか見ない様な美少女がたっており、遥は腰を抜かしてしまった。
「はあ…オタク、き、綺麗だなぁ…」
「風流を解するとは見る目がある人間じゃないか。ズボンが破けているがな、主人なんぞよりよっぽど賢そうだ」
「で、幽玄。どうしたんだい?僕を殺しに来たのかい?」
「とんでもない、俺は協力をお願い申し上げに来たのだ。アリーナ、まず武器を置きなさい」
「ああ」
語るは虚な目で幽玄を見上げる。幽玄はその視線が以前から少し苦手らしく、咳払いをして語るから目を背けた。
「どうかな、話だけでも聞いてくださらないか」
「ああ、良いよ、入って入って。豚箱みたいな部屋だけど」
「豚箱って、俺の部屋なんだけど〜」
「失礼する」
錦繍雅の二人を連れ部屋に上がると明は驚き、往疫祓は幽玄から目をサッと逸らした。
「ああ、正しく此処は豚箱だな。そして、おやおや、往殿。益々包帯姿で雅やかになっておられますな」
「おやおや〜、でこっぱち様も今日も今日とてオデコがテカテカで雅やかじゃのぉ!!」
「で、幽玄。話って何だい?」
二人のピリピリした空気を全く気にもせず語るがそう問う。幽玄は“まず座りましょうよ”と言い、辺りの散らかりぶりに眉を潜めながらアリーナと共に稗田・刻之気一向と向かい合い座った。
「海幸殿と霹靂殿の事は皆ご存知でしょう。この國で最も強く、そして人嫌いな海幸殿はまず錦繍雅を狙って来ました。つまり、人間に協力的な神をまずはじめに叩こうという事ですね。俺はそこで霹靂殿が海幸殿と戦う様に仕向け、海幸殿を霹靂殿に討たせました。これで錦繍雅は一時的に平安となったのですが、最早誰も霹靂殿を止められない所まで来てしまいました。覇頭殿ならばと一瞬思いましたが、奴はまだ一柱も喰っていないので望み薄い。だから俺は考えたのです。不本意だが、霹靂殿を討つ見込みがあるのは現時点で往殿だけだと思ったのです」
「こっちでも霹靂をどうしようか頭を悩ませていた所だ。だが幽玄、どうして往疫祓に霹靂を討つ見込みがあると思うんだい?」
「討つというのは最終的に殺せれば良いと言うことです。霹靂殿と直接面会する必要はない。雷丘の神威は硬く、強いが融通が効かない。故に結界は弱く、すぐ存在を感知されたり、術を解除されたりしないでしょう。……だから、往殿がまず雷丘周辺に術をかけ、時間をかけて霹靂殿の体力を削り弱体化を狙いたいと思ったのです」
「成る程、君の言い分は正しい。でも霹靂を弱らせた後どうするんだい?彼を喰ってしまった神を止める手立てはあるのかい?」
「…恥ずかしながら御座いません。だが、今から霹靂殿を弱らせておかねば未来が無いのもまた事実。…語る殿、俺はおかしく思っています。この神喰いの儀は、企画した人間にとっても非合理極まりない」
「君が言いたいのは…今の霹靂を喰って、その神威の圧に耐えられる神がいるのかという事かな」
「はい。人間は俺たちの力では最早厄災が抑えられなくなった上に、各地の神社権力が國の開発の妨げになるとして、神喰いで一柱の強い神を作り、それに厄災を抑えさせると言いました。しかし、霹靂殿が人間の為に動くでしょうか…。……俺は、強い神に厄災を抑えさせたいのならば、初めから人間に協力的な神を強化すれば良いと思うのにも関わらず、この戦いは人間が神威のソースとなる神にとって不利な戦いです。
その上、強大過ぎる神威を、今まで人間からの神威で体を保っていた神に宿すと返ってその神を殺しかねない。どうして人間は今まで人間に好意的だった神を殺そうとするのでしょう。霹靂殿の様な強く荒れ狂う神を操る手立てがあるのでしょうか…」
「話が長いね、とりあえず君の考えは“誰かが霹靂を喰っても、その負荷に耐えられる可能性は低い。だからまずは霹靂を殺す事を考えよう”と…そういう事かな?」
「そうです。そして、俺が提供出来る物…それは融通の効く神威。つまり往殿の治療です。それと能力の強化等の神威を分け与える事全般は諸々出来ます。雷丘の結界の情報も集めて参りましょう。……雅でない者に俺の神威を分けるのは不本意極まりないが、俺が頼む側だから仕方ない。
すぐに往殿を復帰させるので、霹靂殿を討つ手伝いをしてくださらないか」
遥は語るの顔をチラリと見た。普段、作戦を立てるのは彼だが、この場で最終決定権があるのは最も強い語るなのだろう。
「往疫祓、どうだい?君が良いなら僕は良いよ、僕もそれ以外に霹靂を討つ方法を思いつかないからね」
「嫌じゃー!でこっぱちに治療されるなんて嫌じゃー!明にやって欲しい、でこっぱちはどっか行け!でも、そうじゃなァ。儂もそれ以上の策が思いつかんから、しょうがない、協力してやる!だがでこっぱちの隣に絶対に語るは居れよ!でこっぱちが儂を殺そうとしたら首を刎ねるんじゃぞ!」
……………………………………………
「覇頭、そろそろ出るか、脱落者も続々と出ている」
漢南の声に覇頭はゆっくと身を起こした。“ああ”とだけ言い。漢南の顔を見る。
「誰から殺す、戦うなら強い奴が良いが、お前の好きにすれば良いよ」
「取り逃がしは必ず殺す。ただ、その前に一柱、殺しておきたい神がいる」
「なら、また私は強い奴と会えるのか、楽しみだな」
漢南は強い。それ故に多く、いや全ての人間が彼女に付いていく事が出来なかった。そんな彼女と唯一同じ景色を見られるのは彼女の神のみである。彼女は己の神を信頼し、言葉のまま相棒だと思っている。それでも、彼に言えていない事があった。
それは彼女が持つ武器の事だ。それは彼女の意思で持った訳でも使おうとしている訳でもない。しかし、これからは自らが神殺しに赴かねばならない。いつか来るかも知れぬ、その武器を使う日がいよいよ近付いてきたような気がする。
私は、この戦いが永遠に続く事を望んでいるのかもしれない。勿論それは無理な話だが、覇頭と共に戦地に身を置く事が最早私にとっての最大の幸福となってしまっているのだ。
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