伝説の少女(清田)
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翌日の昼休憩ー
俺はまどかちゃんとの約束の為に、初めて出会った湖畔に向かう。
到着すると、車椅子に乗ったまどかちゃんが居た。
彼女はとにかく、長くてサラサラの髪が目立つ。
初めて会った時も、かわいらしい服を着ていたけど、今日はさらに可愛い格好をしていた。
「お待たせ。まどかちゃん。」
「午前中の練習お疲れ様。ちょっと、この辺散歩しない?」
と言い、俺は車椅子を押す。
そのまま散歩をして、周りの景色を見ながら二人で他愛もない会話をする。
そして、ある程度奥まったところに来ると、「止めて。」と言われて車椅子を止めた。
「清田君…。大切な話があるの…。聞いてくれる?」と言い出し、「好きだって言われんのかな?」なんて、俺は悠長なことを考えていた。
まどかちゃんの態度が、いつもと変わってきた。
「私、心臓病って言ったでしょ?その事でね…。私の病気、結構難しくて、日本での手術が難しいの…。でも、アメリカの病院なら、手術や治療が成功する可能性が高いらしく…10日後にアメリカに行くの。」と言ってきた。
俺は、もちろん驚いていた。
「10日後⁉もう日本に居るの、あとわずかじゃん‼」こんなことしか言えなかった。
「そうね…。急にこんなこと話して、驚かせてごめんね。清田君と初めて会った時、『此処は思い出の場所。』って言ったでしょ?
この湖畔ね、小学校低学年の時…まだ、病気になるなんて思ってもいなかった、元気だった私がお父さんとお母さんと一緒に旅行に来て、小さいながらも、このきれいな景色に魅了されたのを未だによく覚えているの。
アメリカに行ったら、当分は日本には戻れないから…。最後にこの景色を目に焼き付けておきたいって思って、両親がお医者さんに頼んで外泊許可を出してもらって、家族旅行に来たの。」と話してきた。その顔は、またとても綺麗だった。
「私、今回此処にまた来られて良かった。清田君に出会えて、色んな話が出来たから。病気になってからは、学校も友達も疎遠になりがちだったし…。」と嬉しそうに言っていた。
俺は涙をこらえるのに必死だった。
「そろそろ、湖畔の方に戻らない?カメラ持ってきたから、一緒に写真撮ろうよ。」と言い、ポシェットからカメラを出した。
俺は再び車椅子を押し、湖畔へ向かった。
戻って湖畔をバックに、近くにいた観光客に頼んで数枚写真を撮ってもらった。
その後、また何かをポシェットから取り出し、俺へ手渡してきた。
「それ、アメリカの病院とかの住所。あと、これに清田君の住所とか書いて。この写真焼き増しして送りたいし、体調がいい時に手紙書くから。」と言い渡米先の住所を記載した紙と、一冊の小さなノートにペンを渡してきた。
住所と名前を書いて、そして…「君のこと…ずっと忘れない。」と一言書き残した。
そして、彼女の母親が迎えに来て、まどかちゃんは父親が運転する車に乗って行った。
午後練習が始まる時間に合わせて練習所に戻った時、俺の目は真っ赤になっていて、皆から「具合悪いのか?」とか心配された。
中学生初の夏休み…俺のひと夏の、甘くて切ない青春の1ページが過ぎたと実感した。
そして合宿は終わり、通常通りの学校での練習に戻り…夏休み最終日を迎えた。
部活は休みだが、何もする気になれず部屋でごろごろしていたら、母親が俺宛の手紙だと言って、封筒を渡してきた。
差出人名に、“藍川まどか”と明記があって、急いで封を開けた。
まどかちゃんからの手紙には…
『清田君へ
お元気ですか?
この間は、忙しい部活の合宿の合間を縫って、私の相手をしてくれてありがとう。
私は今、この手紙を成田空港で書いてます。届く頃には、もうアメリカに居ると思います。
正直言って…私、病気になってから、「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの⁉」って気持ちでいっぱいでした。
いっぱい泣いて、お父さんにもお母さんにも、辛く当たることばかりでした。
実際に入院してみたとき、同じような病気や他の難しい病気で入院している子をいっぱい見ました。元気になって退院していく子も居れば…亡くなってしまう子も居ました。それを見た時、「私も助からなかったら…こんな風に死んでしまうの?」と言う恐怖に陥ってしまいました。
主治医の先生から、「アメリカで手術を受ければ助かる可能性が高い。」と言われ、詳しい説明を家族そろって受けた時、私は「絶対に助かりたい!またもとの元気な自分に戻りたい!」と言う気持ちが強まりました。
お父さんとお母さんも同じ気持ちで、手術を受ける決意をしました。
でも、やはり「成功するのか?また普通の生活ができるのか?」と言う不安は、今でも強いです。
そう思っていた時…体調が安定して、「渡米前に家族旅行してきていいよ。」と先生から言われ、私は真っ先にあの湖畔へ行きたいと願い出て、両親もすぐに予定を組んでくれました。
私の大好きな…大切な思い出の場所の湖畔で、清田君に出会えたこと、本当に嬉しかったです。一生懸命バスケに打ち込んでいる清田君、素敵だと思いました。
清田君と話していたら、元気が出てきて今も手紙を書きながら、「手術絶対頑張ろう!絶対元気になって、学校へ行って友達を作って青春を満喫したい!」という気持ちが強くなりました。
そして…元気になって日本に戻れたら、またいつか、清田君に会えたらいいなと思ってます。
バスケ、これからも頑張ってね。勉強もちゃんとしないとダメだよ。
最後に…一緒に撮った写真も送ります。写真の清田君、とてもいい顔してたよ。
元気でね。
まどか』
こう書かれていた。
俺は色んな感情に満ち溢れ、涙が止まらなかった。
その後の俺は、部活に熱心に打ち込み、日に日に腕を上げていき身長も伸びていった。
俺はまどかちゃんとの約束の為に、初めて出会った湖畔に向かう。
到着すると、車椅子に乗ったまどかちゃんが居た。
彼女はとにかく、長くてサラサラの髪が目立つ。
初めて会った時も、かわいらしい服を着ていたけど、今日はさらに可愛い格好をしていた。
「お待たせ。まどかちゃん。」
「午前中の練習お疲れ様。ちょっと、この辺散歩しない?」
と言い、俺は車椅子を押す。
そのまま散歩をして、周りの景色を見ながら二人で他愛もない会話をする。
そして、ある程度奥まったところに来ると、「止めて。」と言われて車椅子を止めた。
「清田君…。大切な話があるの…。聞いてくれる?」と言い出し、「好きだって言われんのかな?」なんて、俺は悠長なことを考えていた。
まどかちゃんの態度が、いつもと変わってきた。
「私、心臓病って言ったでしょ?その事でね…。私の病気、結構難しくて、日本での手術が難しいの…。でも、アメリカの病院なら、手術や治療が成功する可能性が高いらしく…10日後にアメリカに行くの。」と言ってきた。
俺は、もちろん驚いていた。
「10日後⁉もう日本に居るの、あとわずかじゃん‼」こんなことしか言えなかった。
「そうね…。急にこんなこと話して、驚かせてごめんね。清田君と初めて会った時、『此処は思い出の場所。』って言ったでしょ?
この湖畔ね、小学校低学年の時…まだ、病気になるなんて思ってもいなかった、元気だった私がお父さんとお母さんと一緒に旅行に来て、小さいながらも、このきれいな景色に魅了されたのを未だによく覚えているの。
アメリカに行ったら、当分は日本には戻れないから…。最後にこの景色を目に焼き付けておきたいって思って、両親がお医者さんに頼んで外泊許可を出してもらって、家族旅行に来たの。」と話してきた。その顔は、またとても綺麗だった。
「私、今回此処にまた来られて良かった。清田君に出会えて、色んな話が出来たから。病気になってからは、学校も友達も疎遠になりがちだったし…。」と嬉しそうに言っていた。
俺は涙をこらえるのに必死だった。
「そろそろ、湖畔の方に戻らない?カメラ持ってきたから、一緒に写真撮ろうよ。」と言い、ポシェットからカメラを出した。
俺は再び車椅子を押し、湖畔へ向かった。
戻って湖畔をバックに、近くにいた観光客に頼んで数枚写真を撮ってもらった。
その後、また何かをポシェットから取り出し、俺へ手渡してきた。
「それ、アメリカの病院とかの住所。あと、これに清田君の住所とか書いて。この写真焼き増しして送りたいし、体調がいい時に手紙書くから。」と言い渡米先の住所を記載した紙と、一冊の小さなノートにペンを渡してきた。
住所と名前を書いて、そして…「君のこと…ずっと忘れない。」と一言書き残した。
そして、彼女の母親が迎えに来て、まどかちゃんは父親が運転する車に乗って行った。
午後練習が始まる時間に合わせて練習所に戻った時、俺の目は真っ赤になっていて、皆から「具合悪いのか?」とか心配された。
中学生初の夏休み…俺のひと夏の、甘くて切ない青春の1ページが過ぎたと実感した。
そして合宿は終わり、通常通りの学校での練習に戻り…夏休み最終日を迎えた。
部活は休みだが、何もする気になれず部屋でごろごろしていたら、母親が俺宛の手紙だと言って、封筒を渡してきた。
差出人名に、“藍川まどか”と明記があって、急いで封を開けた。
まどかちゃんからの手紙には…
『清田君へ
お元気ですか?
この間は、忙しい部活の合宿の合間を縫って、私の相手をしてくれてありがとう。
私は今、この手紙を成田空港で書いてます。届く頃には、もうアメリカに居ると思います。
正直言って…私、病気になってから、「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの⁉」って気持ちでいっぱいでした。
いっぱい泣いて、お父さんにもお母さんにも、辛く当たることばかりでした。
実際に入院してみたとき、同じような病気や他の難しい病気で入院している子をいっぱい見ました。元気になって退院していく子も居れば…亡くなってしまう子も居ました。それを見た時、「私も助からなかったら…こんな風に死んでしまうの?」と言う恐怖に陥ってしまいました。
主治医の先生から、「アメリカで手術を受ければ助かる可能性が高い。」と言われ、詳しい説明を家族そろって受けた時、私は「絶対に助かりたい!またもとの元気な自分に戻りたい!」と言う気持ちが強まりました。
お父さんとお母さんも同じ気持ちで、手術を受ける決意をしました。
でも、やはり「成功するのか?また普通の生活ができるのか?」と言う不安は、今でも強いです。
そう思っていた時…体調が安定して、「渡米前に家族旅行してきていいよ。」と先生から言われ、私は真っ先にあの湖畔へ行きたいと願い出て、両親もすぐに予定を組んでくれました。
私の大好きな…大切な思い出の場所の湖畔で、清田君に出会えたこと、本当に嬉しかったです。一生懸命バスケに打ち込んでいる清田君、素敵だと思いました。
清田君と話していたら、元気が出てきて今も手紙を書きながら、「手術絶対頑張ろう!絶対元気になって、学校へ行って友達を作って青春を満喫したい!」という気持ちが強くなりました。
そして…元気になって日本に戻れたら、またいつか、清田君に会えたらいいなと思ってます。
バスケ、これからも頑張ってね。勉強もちゃんとしないとダメだよ。
最後に…一緒に撮った写真も送ります。写真の清田君、とてもいい顔してたよ。
元気でね。
まどか』
こう書かれていた。
俺は色んな感情に満ち溢れ、涙が止まらなかった。
その後の俺は、部活に熱心に打ち込み、日に日に腕を上げていき身長も伸びていった。